0-2 メガネと白衣は信用するな
『転生屋 渋谷区店開店!』
怪しすぎるタイトルのメールを見て、当然、新手の詐欺メールだと思って削除しようとした。
「転生屋が開店しようが、夫がオオアリクイに殺されようが、払う金はねーですよ……っと」
確かに消そうとしたはずだった。
なのにタクトの指は、何かに操られているようにメールを開いてしまった。
「あれ?」
操作をミスしたとか言うレベルではなく、指が自分の意識から切り離されて動いたかのようだった。
メールが開かれて、スマホの画面いっぱいに、うさんくさい創英角ポップ体が踊る。
『人生、やりなおしたいと思いませんか?
転生・憑依・転移、なんでもござれ!
私たち『転生屋』が、あなたの望みを叶えます!
ファンタジーRPG風の異世界があなたを待っています。
どこにどうやって転生するか、どんな能力を持って生まれるか、
全てはあなたの思いのまま!
お見積もりは無料! お店へお越し頂いた方にはカタログを進呈致します!』
そのメールに書いてあったのは、荒唐無稽で、中学二年生が脳内麻薬でトリップしながら考えたとしか思えないような話だった。
本気で馬鹿馬鹿しいと思った。そんな事はライトノベルの中で起こるのであって、現実にあるわけがない。
――そりゃ、本当だったら夢があるとは思うけど……
今の人生を捨てて、チート的なアレとかソレとかを使いながら新天地でやり直せるのなら、どんなに素晴らしいだろうとは思う。確かに思う。だけど、そんな事が現実にあるはずはないのだ。
――こんなもんが本当だったら、転生したい。すげー転生したい。
心の底からタクトはそう思った。
――でも、本当なわけねーから……俺は仕事しなきゃなんねーんだよコンチクショー!
泡沫の夢を捨てて、タクトは馬鹿みたいなメールを削除した。
そして明日の出勤に備え、家路を急いだ。
「おいてめぇコノヤロ、どこ見て歩いてんだ」
「ひえええ、ごめんなさい!」
「あー、痛え畜生、骨折れたかも知んねえ」
ガラの悪い男がスーツ姿の酔っ払いに、天然記念物級の古典的因縁を付けていた。
それを横目で見ながら、ほんのちょっとだけ考える。助けに入るべきだろうかと。
リスクは大きい。大怪我をするかも。
リターンは特にない。見知らぬオッサンから信頼を得ても、タクトの日常生活に影響はない。
そして見て見ぬフリで、タクトは繁華街を後にした。
『ここで助けに入れるような人生を送りたかったなあ』とか、半分他人事のように考えながら。
* * *
そしてタクトはなんとか終電前の電車に乗って、アパートに帰った……はずだった。
「あれっ?」
気が付けばタクトは、『転生屋』とか言う奇妙な店の前に立っていることに気がついて、本気で首をかしげた。
周囲を見回せば、そこは雑居ビルの階段の踊り場。切れかけた蛍光灯にガがたかっている。
もう深夜だというのに、目の前の扉からは明かりが漏れていた。
仕事の疲れでぼーっとしていたのか、ここに来るまでをよく覚えていない。体が勝手にここまで来てしまったかのようだった。
何か変だと思ったのだが、タクトは混乱しながらも、導かれるように自然に扉を開いていた。
唐突に視界が開けた。
そこは白一色の広大な空間だった。例えるなら、偏執的な白色フェチが東京ドームの内側を真っ白に塗りたくったような場所だった。どこに明かりがあるのかも分からないのに、全面が均一にライティングされている。
そんな白一色の景色をバックに、もはや迷彩色と化している白衣を纏った男が出迎えた。
不自然なくらい印象の薄い男だった。医者のような白衣を着た壮年の男だというのは分かるのだが、一瞬目を離したら、どんな姿をしていたか忘れてしまう。見る度に姿が違うのではないかという気さえしてくる。
そいつは何故か、手品のように、何も無い空中に腰掛けて浮かんでいた。
「浮かんで……!?」
白一色の空間をバックに、空中浮遊する白衣の中年男性。
この時点で既に、脳みそがオーバーヒートして頭蓋骨の中で壺焼きになりそうなくらいの情報過多だった。
男は、タクトの反応に気をよくしたようにニヤリと笑い、腰掛けから飛び降りるように着地すると、うやうやしいお辞儀をした。
「良いリアクションですねえ。いらっしゃいませ、通野拓人様。この時間、ここに貴方がいらっしゃることは分かっておりました」
「分かってた、だって? いや、あの、なんでさっき浮いてたんですか? なんで俺の名前? ……って言うかこの場所、何なんですか? どう考えても雑居ビルに入る大きさじゃないような」
「何から何まで理想的なリアクションをありがとうございます。
こちらが当店でございます。今流行のプロジェクションマッピングとかじゃあなく、ちゃんと広いですよ。反対側まで百メートルちょっとあります。確かめに行ってみます?」
「……は、はぁ。はい。行ってみます」
男に言われるがまま、荷物をそこに置いて走り出したタクトは、ちょっと息が切れるくらいで壁タッチした。振り向けばずいぶん小さくなった白衣の男が見える。タクトはまた走って帰ってきた。
「本当に広いですね」
「ええ。それにしても驚きました。本当に反対側まで走って確かめに行くお客様は五人に一人くらいなんですが、リアクションだけじゃなくノリも良いですね」
「オイ。……いや、まだ五人に一人のバカで良かったか」
「三十代以上のお客様でダッシュなさった方は初めて見ました」
「分かった、俺はバカだ。……それにしても、どうなってるんですか、これ」
「それはもう、魔法的な力でほいほいっと」
「魔法ぅ?」
「まぁとりあえず、こちらへどうぞ。まずはうちの仕事を見ていただかないことには、信じようにも信じられないでしょうからねぇ」
タクトが入って来た入り口の近くに、入り口とは別の扉がいくつかあって、男はそのうちの一つを開けてタクトを案内する。
タクトが通されたのは、大きな窓から隣の部屋が見える細長い廊下だった。中学校の時に行った工場見学を思い出す。
窓の向こうにあるのは乳酸菌飲料を量産する銀色の機械……ではなく、さっきの入り口と同じような真っ白い部屋だ。ただし、中央に巨大なカプセルが据え付けてある。
一昔前のSF映画に出て来たコールドスリープ装置みたいなカプセルの中に、若い女性が入っていた。目を閉じた状態で寝かされ、死んだように動かない女性。その周りで、白衣を着た数人の男女がタブレット端末を操作している。
「丁度、転移者が出るところです」
男がそう言うなり、唐突に、ストロボフラッシュみたいな閃光が走った。
光の源はカプセルの中だった。部屋の中で作業をしていた白衣の者達は、いつの間にかサングラスを掛けている。
そして一瞬の閃光が収まった時、電光が走り続けているカプセルの中身は、カラッポになっていた。
「消えた……?」
「これで先程のお客様は、向こうの世界へ送られました。いかがでしょう」
「消失マジックを見せて金を騙し取る異世界転移詐欺?」
「……まぁ、簡単には信じていただけませんよねぇ」
白衣の男は、そんな事言われ慣れているという様子。
「だって常識的に考えたらあり得ないじゃないですか」
「先程の圧縮空間も私の空中浮遊も、通野様の常識ではあり得ない事かと」
「それは、確かに……」
あれはまさに魔法だ。
空中浮遊はいろいろと誤魔化しようがあるかも知れないが、狭苦しい雑居ビルに東京ドームと怪しい研究所を押し込むのは整理整頓の世界チャンピオンでも無理だろう。
「さっき浮かんでいたのもそうですが、ぶっちゃけ入り口ホールの超空間も単なるデモンストレーションです。ああいう事すると、割と皆さん信じてくれますんで」
「じゃあ、あの広い空間って何にも使ってないんですか?」
「広すぎてむしろ不便なので、こっちの狭い部屋をこぢんまりと利用しております」
「意味無ぇ……意味あるけど意味無ぇ……」
「……ご利用になられたお客様は向こうの世界に行ってしまいますので、お客様の声を宣伝に使ったり、そうした方からの口コミが期待できないというのはなかなか大変なことで、どうやって転生を信じていただくかというのは、割と毎回大変なんですよ」
男が大げさに溜息をついた。
タクトにしてみれば、謎の超空間やさっきの読心術で、『転生屋』が超自然的な力の使い手だというのはほとんど信じかけていた。
それでもなお慎重になるのは、そんな都合のいい夢のような話が、不幸道まっしぐらの自分の所に舞い込んでくるわけがない、騙されているに違いないという考えがまず最初に出てくるからだ。
「だいたい、あんな事して警察に捕まらないんですか? この店に入った客は、みんな失踪してく事になるんでしょ?」
「それはもう、必要な人以外にはこの場所を認識できないようにしているだけでして、捜査関係者がこの店の存在を認識することなど無いのです。逆に、必要としている人は、自然とこの店へ誘われるのです」
そんな事が可能なのだとしたら、まるで魔法だと思ったが、確かにタクトはこの場所まで、誘われるように来てしまったのを思い出した。
「あのダイレクトメール……読む気が無かったのに開いてしまったんじゃありません? 今日はうちへ来る気なんて無かったのに、気がついたら来てしまっていたんじゃありません?」
「そう言われれば……」
「私が貴方をお呼びしました。そして、貴方は自分が『転生屋』を必要としたからこそ、私の招待に応じ、ここまで来ることができたのです」
ちょっと怖いな、とタクトは思った。この男の魔法のような力もそうだが、これまで自分が信じてきた世界から、はみ出すような出来事が起きている。
でも、だからこそ。この『転生』とか言う荒唐無稽も、真実なのではないだろうか。
「当店では現在、『ベルシェイル』と呼ばれる異世界への転生をサポートしております。まあ一番人気の中世風ファンタジー世界ですね。
そして転生屋と申しましても、オーソドックスに向こうの世界で生まれ直す『転生』だけでなく、現在のお体をそのままお運びする『転移』、既に存在する人物に後乗りで融合する『憑依転生』も取り扱っております。
オプションはお客様の好みに合わせて、自由自在」
セールストークを聞きながら広すぎるロビーに戻ってきたタクトは、漫画雑誌みたいな分厚い冊子を渡された。
白一色のそっけない表紙には『転生屋 転生カタログ 3月号』とだけ書かれている。
「カタログをお渡ししておきます。あぁ、こちらに掲載されている転生先は、全て今月から来月にかけて転生可能なものです。いつなら転生可能か、転生先によって異なりますので、それだけはご注意ください。体そのままでの異世界転移でしたら、お好きな時に可能となっております」
中をめくってみると、転生先の両親や生まれ持つ才能、憑依先の姿や能力、転生に際して入手可能な超常的能力『チートスキル』等々が、通販のカタログのように並んでいた。
そして、その全てに必要な『ポイント』が記されていた。
「ポイント?」
「言うなれば、あなたの査定額です。今後の活躍が見込まれる意欲ある方や、現在お若い方ほど高ポイントとなります。通野様は……」
男が片眼鏡みたいな機械を装着する。たぶんスカウターみたいなやつだろうとタクトは見当を付けた。
「170ポイントです。転生費の100ポイントを抜いて、70ポイント分、ご自由にお選びになれます」
高すぎて爆発するわけでも、たった5のゴミというわけでもなかった。
が、カタログをペラペラめくると、70ポイントでは大したものが買えない。
「たったこれだけですか……俺なんかどうせ、そんなもんですよね」
「これでも年の割に高い方ですよ。……足りないと思いましたら、1ポイント1万円でご購入になれます。それから、最低でも10ポイント、つまり10万円はお支払いになっていただきます」
「やっぱり、金は取るんですね」
「転生屋、全国20店チェーン。これで飯を食ってますんで、それはもう。ただし、借金して払うのだけはNGです。こっちの後始末が面倒になりますんで。どっちも嫌ならトラックの辻転生に頼るんですね」
「そういうのも本当に居るんですか」
「さあ? 私は自分の世界のことしか存じませんので」
うさんくさい態度で、男は肩をすくめてみせる。
とりあえずタクトとしては、節約のため適当なトラックに轢かれてみようという気分にはなれなかった。
「お見積もりなど、何か不明な点がございましたら、こちらの電話番号まで。では、後悔の無いご選択を」
思えば、その言葉を聞いて『転生屋』を後にした時、タクトの心は既に決まっていた。