17-2 炎上死影都市 ゲインズバーグシティ
新薬、精神修復ポーション。
その効果は精神的なダメージを修復するというもの。
一般人にも広く使われる治癒ポーションや、冒険者たちがこぞって使う強化系のポーションと比べれば有効活用できる局面は限られるだろう。
だが、一部の人々にとっては福音ともなり得るポーションだ。
安定した調合レシピは未だ調査中、どの程度の効果があるかも調査中。
しかし、そこに存在するということだけは確かだった。
新たな効果のポーションが発見されることは極めて稀だ。
ポーション調合を生業とする薬師たちにとっては新薬発見は夢と言っていい。名誉と富を求めて新薬発見に生涯を捧げる調合師は時々居る。
稀少な材料を求めて自ら冒険に出て、魔物のエサになる者あり。
湯水の如くに財を投じて研究を続け、ついには全てを失って借金だけが残り首を括る者あり。
非魔法的な錬金術(すなわち科学)とは異なり、どうしてこの結果になるのか因果関係が曖昧でハッキリしないのがポーション調合の世界だ。新薬探しはどうしても『数打ちゃ当たる』の賭けになる。山師の領域だった。
そんなわけで、新薬発見の成功はニュースバリューのある出来事だった。
本来それは、一般市民にとっては縁遠い世界での出来事だったはず。
学者や薬師たち、ポーションの主要消費者である冒険者たちにとっては大ニュースだが、それ以外の人々にとっては新聞の紙面を賑わわせる数多の事件のひとつでしかない……はずだった。
しかし、ニュースの震源地であるゲインズバーグシティの街は沸き返った。
理由は、新薬発見者が幼く見目麗しい少女であるということ。そして彼女が街と領を救った英雄レベッカの妹であるということが理由だ。
大衆の食い付きやすい題材だったと言えるだろう。偉業を成し遂げた人物は注目され、人となりを根掘り葉掘りされるのが世の習い。面白い特徴のある人物だと、その傾向に拍車が掛かる。
年齢、容姿、経歴、家族。とにかくアルテミシアは分かりやすい個性の塊だった。
謎めいた少女の実像に迫るべく、新聞記者やミーハーな野次馬が蠢く中。
新薬発見の功績と引き替えに開業許可をもぎ取ったアルテミシアは引っ越しと店舗の改装に勤しんでいた。
* * *
「『弟子を取る時はギルドに申し出ること』『賞品を売る時はギルドの定める最低価格に従うこと』……『店舗改築時はギルド指定の業者に依頼すること』? こんなことまで決まってるのね」
レベッカは契約書の紙束をうんざりした顔で摘まみ上げ、パラパラとめくっていた。
開業の許可を取るに当たって、アルテミシアがギルドと交わしたものだ。
とりあえず談合とかカルテルとか呼んで差し支えない、21世紀の日本では基本やっちゃダメなことが割と盛り込まれていたが、まあそれがギルドの存在意義なのだから仕方ない。
「レベッカさん、サボらないでくださいよう」
三角巾を被って小脇にハタキを挟み込んだアリアンナが、空の本棚の影から顔を出し、口を尖らせて言った。
「あらごめん、まだ何か運ぶ物あった?」
「粗大ゴミが詰め込まれた部屋を発掘しちゃいました。材料置き場にできないかなってアルテミシアは言ってたけど、あの棚をそのまま使うのはちょっと怖い感じです」
「……面倒な片付けとかほぼ全部押しつけてったわね、あのばーさん……」
ここはかつてフィルロームが古本屋として使っていた店舗兼住宅。
現在、アルテミシア達はこの元・古本屋をポーション工房にするべく作業中だ。
と言っても半分くらいはパーティーの生活拠点にするための作業なのだが。
フィルロームが森へ帰るに当たって在庫の本は同業者に払い下げられ、空っぽの棚ばかりが残る場所だ。
店舗部分の壁は雰囲気出ている木材そのままの色だったのだが、今は真っ白く塗られ、所々にアクセント的なパステルカラーの彩色、
天井には花を模したシャンデリアのような魔力灯照明が付けられ、薄暗くシックだった店内はどことなくドールハウスめいたファンシーさが漂う内装になっていた。
『オレ、この空間窒息しそうなんスけど……』
「よかったわね、もう死んでるんだから窒息しても死なないわよ」
カルロスは居心地悪そうな顔で、ポルターガイスト能力を使って物を運んでいた。
「でも男性客に近寄りにくさを感じさせちゃダメだよね。冒険者はほとんど男なわけだし」
店内を眺め回して主たるアルテミシアは考え込んでいた。
前世で男だった自分は、あからさまに女性向けの装飾がされた店なんかには入りにくさを感じていたはずだ……と思い出す。
たとえ入る必要があったとしても、パステルカラーと花柄の空間には居心地の悪さを感じたりするもの。そのバランスを考えて、家具の置き方で印象を調整していきたい。
「……マナちゃん、ちょっとこの棚、薄ピンクに塗ってみてくれる?」
「はーい! ……≪染色≫!」
マナが杖を振ると、アルテミシアが指さした棚の半分くらいが塗料をぶっかけたように薄ピンクに染まった。
それを壁と見比べて、自撮りのように手鏡を覗いて自分と並んだ景色を見て、アルテミシアは実際に棚を置いた場合どうなるか考える。
「ガーリィ過ぎず、シンプル過ぎず。わたしの営業スマイルを一番輝かせられるバランスで……」
「さっきからなんで鏡持ち歩いてるのかと思ったらそういうこと!?」
「うん」
店単体での印象は割とどうでもいい。
あくまでもこの店の内装は、アルテミシアを収める『容れ物』として考えているのだ。
しかしアリアンナは、ものすごく疲れたような顔になった。
「……レベッカさん。私、アルテミシアには早く『自意識』っていうのを教えた方がいいと思います」
「難しい言葉知ってるのね、アリア」
「普通、恥ずかしくってあんなこと言えませんよ! しかもアルテミシアはナルシーなわけじゃないです、あんなの赤ちゃんが羞恥心無いのと同じですよ!?」
「なんかわたし何気に酷いこと言われてない?」
店なんて必要な品が適正価格で手に入れば充分……という考え方もあるにはあるが、現実には店そのものから受ける印象も大切だ。好印象を与えれば、それだけリピーターの割合も増えるはず。
ではどうすればいいかとアルテミシアが考えた時、自分自身が最高の武器だと気がついた。
と、言うよりも半端な内装では、店主であるアルテミシアに印象を食われて無いも同然になってしまうだろう。そこでアルテミシアは、店の内装は全て自分を引き立たせるための舞台装置と割り切ったのである。
合理的判断だ。
「花瓶は……やっぱりふたつで良いかな。ちょっと焼き物屋さんを見に出かけてくる。他に敷き布も見たいし」
「……買い物行くの? 大丈夫? 私、付いていこうか?」
アルテミシアが出かける素振りを見せると、レベッカは心配げだった。
今、アルテミシアは時の人だ。
街中を歩いているだけで人に囲まれたり、どこかの新聞記者が寄ってきたりしかねない。
「まあ大丈夫、だと、思う。これもあるし」
アルテミシアは薄汚れたフードのようなものを変成服から取り出し、被ってみせた。
マジックアイテム『朧影のフード』。
先日のダンジョンアタックの戦利品を売ったお金でアルテミシアが買い付けたものである。
効果は『通りすがりのなんということもない人物に思える』という認識阻害。注意を払う必要も無い、その他大勢に見えるようになるのだ。アルテミシアは心の中で『モブ化フード』と呼んでいる。
あまり強力なアイテムではないので、高レベルの冒険者なんかには通用しないが、雑踏に紛れるには充分な効果があった。
「ついでにケーキでも買ってくるね」
「やりっ。私、チーズケーキがいい!」
「マナ、オレンジのー!」
『生きてる人は物が食えていいっすねえ……』
「あなたは魔石で我慢しなさい。私は量が多ければ何でも良いわ」
弾んだ声を背に、まだ真新しいドアベルを鳴らしてアルテミシアは店を出た。
* * *
そして、街が燃えていた。
――なに、これ……!?
正確には街ではない。
そこを通る人のことごとく……いや、ほとんどが禍々しき紫の炎を、『死の影』を纏っていた。
アルテミシアが偶然手に入れたこの力は、人が近い未来に死ぬ可能性を見通す。
捕捉可能な期間はいまひとつ判然としないが、さすがに1ヶ月先とかまでは分からない。
だいたい10日後とか二週間後くらいが限界だろうか。
今朝、アパートを出て店舗へ向かった時には何も異変が無かったはずだ。
だとすると、朝から今までの間に街の人々の死の運命が……つまり彼らの死ぬ日が、アルテミシアの観測圏内に入ったということだろうか。
――数日以内に……街中の人が死ぬ!? 大火事!? 大地震!? 何が来るの!?
さらに悪いことに、個々の濃淡こそあれど、誰が纏う『死の影』もそれなりに濃い。
死の可能性が高いほどに『死の影』は濃く見えるのだ。
雑踏の中でアルテミシアは立ち尽くす。
見慣れた景色が死炎の燃ゆる地獄と化している。いや、地獄と化すのはこれからか。
握りしめた手の感覚が無い。
何か、あってはならないことが起ころうとしている……
「間に合ったぁーっ!!」
咆吼……いや、耳をつんざくような野太い男の叫び声が上がり、アルテミシアははっとする。
周囲の人々も何事ぞと足を止めて、それを見ていた。
身長2mほどの大男が駆けてくる。人波を掻き分けるどころか跳ね飛ばすような勢いで駆けてくる。
だいたい全身筋肉に思えるような『ザ・タフガイ』という暑苦しい外見の男だ。腕も足も胴回りも首も眉毛も太い。人間であるとするなら歳は30代ぐらいだろう。短く刈り込んだ髪は冷えかけたマグマのような暗い赤。無骨で傷だらけの重装鎧を身につけ、大剣を背負っている。
筋肉のせいで厳つい顔を暑苦しく歪め、彼は真っ直ぐアルテミシアの方へ向かってくる。
そして、石畳をめくりながらブレーキを掛けて彼はようやく止まった。
「済まない、君はっ……!
『行き倒れの少女』に相違ないかっ!?」
「え? え……!?」
男は、息を切らせながら暑苦しく問いかけてきた。
『行き倒れの少女』。忘れもしない。
その言葉は『転生屋』が渡してきた転生カタログ上で、今のアルテミシアの身体に付けられていた商品名だ。
それを知っているのだとしたら。
「あなたは、いったい……?」
「ああ……自己紹介が遅れた」
息を整え、暑苦しいタフガイは居住まいを正す。
「俺は『八人の主人公』のひとり、『流浪の傭兵』エドワード!
『行き倒れの少女』たる君を助けに来た!」
握り拳でドンと鎧の胸部を叩いたエドワードは、ひときわ濃厚な『死の影』を纏っていた。