17-1 彼は狂っていた
森が燃え上がっていた。
紅葉をさらに赤々と染め上げ、辺り一面が炎に沈みかけていた。
斬り倒され、なぎ倒され、楊子のようにへし折られた木々も、また燃えていく。
蝶のように火の粉が舞う森の中、ひとりの男とひとつの死体があった。
男は身の丈2mに達しようかという偉丈夫。腕も足も胴回りも首も眉毛も太い。人間であるとするなら歳は30代ぐらいだろう。短く刈り込んだ髪は冷えかけたマグマのような暗い赤。無骨で傷だらけの重装鎧を身につけ、大剣を携えている。
彼の名はエドワード。冒険者である。
だが、彼がどこで産まれてどのように育ち、いかにして冒険者となったか?
そんな過去は、存在しない。
ただエドワードは冒険者であった。少なくとも、今の世界はそういう仕組みだった。
エドワードは死体の傍に跪き、覗き込んでいた。全身を引き裂かれ、苦悶の表情で事切れている女神官の傍らに。
震える手で彼女の目を閉じさせたエドワードは、無骨な籠手で覆われた手を地面に叩き付ける。
「くそったれ!! 俺が付いていながらこのザマだ!
これで『八人の主人公』も残り五人か……!」
己が無力を嘆くエドワードは、やがて未練を振り払うように立ち上がる。
そして、巨大な剣をすらりと片腕で抜いた。
柄は紅蓮、鐔は黄金。分厚い刀身には記号的な文字が彫り込まれている。
エドワードはその剣を、死体をかすめるように一振りした。
死体が、燃え上がった。
爆炎とすら言えるほどの猛火に包まれた死体は、瞬く間に燃え尽きて骨灰へと変じていった。
かつて命であったものを、何の遠慮も無く焼き尽くした。
「せめて……この世界で迎える次の生には、人並みの幸せがあらんことを」
それは時間が限られる中での最低限の弔い。
死体を始末して短い祈りを捧げ、エドワードは赤く染まった空を見上げる。
「野郎、まさかゲインズバーグに向かっちゃあいねえだろうな?」
燃え上がる森は、まるで彼の心のようでもあった。
焼け付くような焦燥があった。
「早く合流しなければ。『行き倒れの少女』と……!」
*
ほぼ同時刻。森から十数キロ離れた農村にて。
青空に立ち上る黒煙を見て村人たちが騒ぐ中、ボロボロの服を着たひとりの男が姿を現した。
病的に細い男だった。黒い布を全身に巻き付けたような格好だったが、それはあちこち切り裂かれ、さらに焼け焦げてほどけかかっていた。
「ハァーッ……ハァーッ…………ウフッ、ウフフフフフフッ!」
彼は重傷を負っていた。
全身を深く切り裂かれ、さらにいくつも火傷の跡があった。灰のように白い髪も半分ほど焼かれ、焼けただれた地肌が露出していた。
ふらふらとおぼつかない足取りで進みながら、しかし、男は笑っていた。
「や、やったぞ! 俺はまた『転生者』を殺した! ウフフフフヒャヒャハハハハハハ!!」
傷だらけの顔が醜く歪み、裂けそうなほどに口がつり上がった。
苦しげに笑いながら、どこを歩いているかも分からない調子で男は進む。そんな余所者の姿を、水汲み中の村娘が見とがめた。
「……あなた、誰……?」
「あん?」
大きな桶を抱えた少女が、怯えた様子で男を見ていた。
異様で壮絶な姿の余所者。小さな村では目立つのも当然だ。
「良いところに来た……力だ、力をよこせ……」
よろめくようにゆらりと一歩踏み出した男は、地を滑る影のように村娘へ飛びかかる。
驚き動けずにいる彼女に手を伸ばし、そして、顔面を鷲づかみにした。
「きゃあ!? あっ、あぁ…… ?」
少女は、それきり、塵と散った。
肉体だったものが灰色の粒子となって霧散し、黒く朽ちた骨だけが、カラン、カランと転がった。
彼女の着ていた服が舞うように落ちた。
男は自らの身体を検める。
傷は癒えていた。斬られた傷も、火傷の跡も。さすがに服はボロボロのままだが、肉体は快癒していた。
自分の全身を撫で回すように回復の度合いを確かめていた男は、やがて、突如、慟哭した。
「ああああああああーっ!?
なんだこの力は! 邪悪だ!! 危ない!!! あってはならない!!!!」
彼は頭を抱え、掻き毟り、本気で取り乱していた。
自分自身の能力に驚き怖れ、罵っていた。
当然、その騒ぎ(ひとりで騒いでいるだけだが)を聞きつけた村人たちが集まってくる。
「こんなに危険な転生者……俺が殺す……全部、殺さなければ……」
収穫作業のための鎌やらハサミやらを携えた者たちが、ブツブツと呟き続ける男を遠巻きに取りまいた。
「ほ、骨……?」
「誰だお前は!?」
「ここで何をしている!?」
誰何の声も飛ぶが、男はそれがまるで聞こえていないかのようだった。
ブツブツと呟きながら、懐辺りから何かを取り出す。
男の奇妙な動きにおののく村人もあったが、男はただ新聞記事の切り抜きを取り出しただけだった。
「ウフッ……ウフフッ……手負いのドラゴン……ああ、きっとあいつだ。ウフフ……今度こそ、こ、殺さないとなあ……そうだよなあ……殺さないと……
おい、なんとか言ったらどうだ!!」
男が突然声を張り上げ、周囲の者たちはすくみ上がる。
だが男は、村人たちに問いかけたわけではなかった。
自分にしか声が聞こえないインテリジェントアイテムと会話しているわけでも、自分にしか見えない想像上の妖精さんと会話しているわけでもない。単に支離滅裂なだけだった。
「お、おい、なんだこいつ!? 危ないぞ!」
「捕まえて衛兵に突き出すんだ!」
異様な雰囲気、異様な風体、異様な言動。
ここは部外者がそうそう立ち入らないような静かな農村だ。だと言うのに、ここまで変なのがいきなり現れたとあっては、それだけで充分に異常事態なのだ。
少なくとも、袋叩きにして捕縛し近くの街の衛兵に突き出すくらいには値する。
殺気立った男たちが鎌やクワ、適当な棒や梯子を持ってにじり寄る。
だが男は逃げなかった。
頬が引きつったようなおぞましい笑みを浮かべ、奇怪にねじくれた刃物を抜き放った。
「ウフフッ……邪魔なんて、させなイヒヒャハハハハハハ!」
* * *
そして村は滅んだ。
部分的に吹き飛ばされて、半分や四分の一のコンパクトサイズにされた家々。
地面はそこかしこで大きく抉れてクレーターができていた。
収穫途中だった黄金の穂波は、身長100メートルの巨人が引っ掻いたかのように亀裂が入っている。
そんな村のそこかしこに、人型をした消し炭とか、謎のミンチ肉とか、正視に耐えないものがいくつも転がっていた。
大きなものも小さなものもあり、近くに間に合わせの武器が転がっているものもそうでないものもあった。
とにかくただひとつはっきり言えるのは、この村の人口はゼロになったということだった。
「ウフ……殺すんだ。転生者、転生者、転生者はみんな死ね……俺が殺す、全部殺すんだ……ウフフ……」
男はまだブツブツと呟きながら村を物色し、僅かな金目のものや食糧を掻き集めていた。
そしてそれが充分に集まったところで、蹌踉たる足取りで村を後にした。