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16-14 名前に濁点が付く奴ら

 ゲインズバーグシティは大騒ぎになっていた。

 航空騎兵より明らかに巨大な影が、突如として街の上空に現れたのだ。


 裸シーツで大通りを逃げるW不倫の中年カップル、邪教の終末思想を説いて棒で滅多打ちにされるサンタ髭の男、大八車に家財を積んで逃げ出すゴジラ仕草を発揮する人々。

 そんな中、巨影は悠々と飛び、領城の上で滞空を始めた。


 その下には城主たるレグリス、そして彼を護る近衛兵団が城の前庭に集まっていた。

 事情を伝えていなければ、こちらも大騒ぎになっていただろう。


 いや、事前に話を通しておいてなお、近衛兵どころかレグリスの顔にすら緊張が走っている。

 なにしろ彼らは強大なドラゴンと対峙しているのだから。


 ドラゴン。それは物語のモチーフとして古今東西を問わず登場する存在。

 例えば、人々を虐げて宝を貯め込み、英雄に倒される悪役として。

 例えば、悪しき者の陰謀に嵌められた勇者を救う導き手として。

 例えば、善にも悪にも依らず世の理として力を執行する超越的存在として。

 人と契約を交わし、王家や姫君の守護者となったドラゴンの話も少なくない。

 どのような物語であろうと共通するのは、ドラゴンが偉大であり強大であるという点だ。たとえ英雄の引き立て役になろうとも、それは『ドラゴンを超えた偉大すぎる英雄』を語るため。


 冒険者ギルドは基本的にどのモンスターも狩猟か駆除の対象と見なしているが、そんなギルドですらドラゴンだけは完全に別格扱いだ。

 知能も低く弱く数が多いレッサードラゴンはともかくとして、真正のドラゴンともなると、むしろ交渉の対象だった。


 ドラゴンが高度を下げ、領城の塔くらいまで来たところで口を開く。


『人の子よ。川辺に石を積み暮らす王よ。我は竜。サ・ジュ・レイという』


 ビリビリと空気が震え、地を揺るがす。


 当然だがレイの角と牙は折れたままで、体中に痛々しい傷も残る。翼膜も一部が切り取られて虫食い状態になっている。継ぎ合わせたボロ布をマントのようにまとって、鱗を剥がされた地肌を隠していた。

 だが、それでも。死にかけの状態で見栄を張っているだけだとしても、今のレイを見て『与しやすし』と思う者は少ないだろう。

 演出は大切だ。いかにもご立派なドラゴンらしい()()だった。


『ご丁寧に痛み入る、偉大なる者よ。私はレグリス。レグリス・マク=デリウス・フォン・ヴァイスブルグ・ツー・ゲインズバーグ。

 国王陛下よりこの地を預かる者だ』


 傍らの魔術師が魔法を使い、レグリスの言葉を拡声した。

 声量でレイに負けてはいられないし、何より、城下の混乱を収めるためにも自分の声を聞かせなければならない。


『我は愚かなる者どもに狙われ、今も癒えぬ傷を持つ。人の子よ、我に糧を与えたまえ。鉄を纏うそなたの眷属を遣わし、我にしばしの安寧を与えたまえ。

 さすれば我はそなたへの恩義に報い、そなたの空を守ろう』

『承知した。我らが大地にて、その翼を休められよ』


 それでもう用は済んだと言うようにレイはまた高度を上げ、城の北側に並んだ稲田へと飛んだ。刈り入れを終えた田んぼのうち、適当に広いものを見繕うと、そこに着地して猫のように身体を丸め、横たわった。


 そんな様子をアルテミシア達は城壁の上から見守っていた。


「『人と竜の契約は静かな場所で』とか言ってたくせに」

「いやあ……詳細詰めたのはわたしで、これはセレモニーみたいなもんだし」


 レベッカはふくれっ面で田んぼの方を睨んでいた。

 未だにあのふたりっきりが許し難いらしい。レイが若いオスだったと聞いて、レベッカは別の意味で警戒のボルテージを上げていた。


 * * *


 晴れた空の下で、農民たちが稲の刈り入れにいそしんでいた。

 青空には鳥が舞い、のどかな農歌が響き、黄金の穂波が揺れ……ドラゴンが眠る。


 田園風景に突如として追加された異物。田んぼをひとつ占領して丸くなる伝説の獣。その周囲には柵が築かれ、数人の領兵が見張っていた。

 初めはおっかなびっくりだった農民たちも、ドラゴンがじっとくつろいでいるだけだと分かると気にせず農作業を開始した。人は慣れる生き物だったし、今ここで収穫をせねば飯の食い上げだ。


 ドラゴンが占領している田んぼは立ち入り禁止を示すために柵で囲われたが、柵と言っても獣除けくらいにしかならない有刺鉄線付きの背の低い柵で、登って乗り越えようと思えば子どもでも行けるだろう。うずくまるドラゴンの巨体が丸見えだ。

 領兵による見張りは欠かせない。不埒者が手を出さないように守るという意味もあるが、子どもが好奇心から近付いたりしないよう目を光らせるためでもある。ドラゴンの怒りを買った者はどうなるか。領民を守るのが領兵の使命なのだ。


「む?」


 警備(護衛?)に付いていた領兵のひとりが、まっすぐ近寄ってきたひとりの少女の姿を見て、威嚇するようにコツコツと槍の石突きを鳴らした。


 ふわりとした羊毛のような緑髪が特徴的な少女だ。蒼く澄み輝く双眸は宝石に例えるしかなく、白く艶やかな肌は雪に例えるしかなく、穏やかに微笑む唇は花弁に例えるしかなかった。その瞳を覗き込んでいるだけでどこか知らない世界が見えてきそうな、非日常と非現実の化身みたいな存在だ。彼女がそこに居るというだけで、見慣れた田園風景が一枚の絵画のように思えてくる。

 が、それは今はどうでもいい。内心は呆然と見とれていたかったが彼は職業意識を発揮した。


 パステルブルーのジャケット、純白の襟巻き、短いフレアスカートに編み上げニーハイブーツ。そして縁取りに金の刺繍が入った、頭巾のようなフード付きロングケープという、奇抜だがしかし小綺麗な出で立ち。

 どう見ても親の仕事を手伝いに出てきた農家の子ではない。こういう格好をするのは冒険者と相場が決まっている。


 冒険者で、しかも子ども……

 この手負いのドラゴンに最も近づけてはならない人種だ。


「こらこら、ここは立ち入り禁止だ。近付くんじゃない」


 立ち止まった少女は、困ったような顔で軽く首をかしげる。

 意識が飛びそうなくらい可愛かったが、ここで意識を手放したら彼女が柵の中に入ってしまう気がして、哀れな領兵は必死でこらえた。


 だが、そこへ。


『通せ』


 地平線の山嶺まで震え出してしまいそうな声が背後から轟いた。

 周辺をうろついていた鳥たちが一斉に飛び立ち、刈り入れ作業中の農民たちもおののいて手を止める。

 あまりに驚くと声すら出ない。ヘビに睨まれたカエルのように領兵は立ちすくんだ。

 じっと休んでいるだけだったドラゴンが、声を発したのだ。


『我の客だ』

「は、はいっ!」


 それが職務上正しいのかどうかとか判断する間もなく、領兵は言われるがままに柵に付けた扉を開いた。

 すぐ近くにドラゴンが居ても平気だったのは、ドラゴンが周囲のことなど全く気にする様子も無く、警備する領兵など眼中に無さそうだったからだ。

 ドラゴンが自分に意識を向けているという、ただそれだけで恐ろしくて仕方なかった。しかもこれは、ひょっとしたら機嫌を損ねたのではないか。


「ありがとうございます」


 少女は扉を開けてくれた領兵に軽くお辞儀をして(天地がひっくり返りそうなくらい可愛かった)、柵の中に入っていく。

 ドラゴンはうずくまったまま動かない。柵をぶち破って鉤爪が襲いかかってくるわけでも、ブレスを吐き出すわけでもなさそうで、領兵はほっと胸をなで下ろした。


「にしても、あの子は何なんだ……?」

「お、おい馬鹿、あの子はレベッカさんの……」


 一緒に警備に当たっていた領兵が、憔悴した様子で詰め寄ってきていた。


 * * *


『≪消音サイレント≫』


 レイが呪文を唱えると、周囲の一切の音が遮断された。

 レイとアルテミシアの周囲に遮音の結界が発生している。外から中の音は聞けず、中から外の音は聞けないのだ。

 これで、読唇術でも使われない限りプライバシーは守られる。まあアルテミシアはともかくとして、ドラゴンの読唇術なんてできる人は居ないだろうけれど。


『来てくれて嬉しいよ。さすがに退屈してた』

「調子はどうですか?」

『おかげさまで遙かに良い。食事に生きた豚や鶏を持ってきてくれてるし、樽ごと治癒ヒーリングポーションを貰えたし。山ん中に引きこもってるよりはずっと治りが早い』


 未だにレイはボロ布をまとっていたが、その下にはてらてらと輝くかさぶたのようなものができはじめている。これがやがて鱗となるのだ。拘束のため手足に開けられた穴も、肉が盛り上がって傷が塞がっている。


 囲いの片隅には大樽が転がっていた。領立ポーション工房から樽ごと買い上げられてレイに供されたのだ。これで樽を新調できると、大樽職人長のガズバが暑苦しく泣いて喜んでいた。

 ちなみに食事として与えられたという家畜は、ちょっとばかりの血痕や飛び散った羽根を残して消えている。骨までバリバリ噛み砕いて食べるのがドラゴン流らしい。


「なら良かったです」

相互利益(win-win)とは言え、こいつはしっかり恩を返さないとな』


 レイの顔が領城の方を向いた。何もかもレグリスのお膳立てだ。

 『悪魔災害』の爪痕も癒えきらぬ中、余計な出費は1グランでも避けたいのがレグリスの本音だろう。それでもレイを受け容れてくれた。


 無論、レグリスの側にも計算はある。未だ領民の間には不安が根を下ろしている。人心が乱れれば犯罪も増える。領主として人々の心を安んじなければならない。

 そんな時にドラゴンとの契約はちょうどいいネタだった。今は手負いと言っても、伝説級の存在が味方に付くというのは非常に頼もしい。実際、ここ数日のゲインズバーグシティはドラゴンフィーバーに湧いていた。書店ではドラゴンの生態を書いた一般向けの本が飛ぶように売れ、食堂ではドラゴン型に盛り付けられた新メニューが供されている。

 中にはドラゴンの飛来を、レグリスの治世が正しきものであるが故だと言う人も居た。

 古来より、王家に対する神や神獣の加護を主張し、それを以て王権の正当性とした事例は多い。それと同じような考えだ。ドラゴンは神獣ではなく、あくまで好き勝手に生きる魔物に過ぎないのだが、一部のインテリ以外にはどうでもいい事だった。


 詰まるところ、レイはレグリスの後ろ盾として機能している。相互に利益のある取引だった。


「そう言えば翼膜マント、本当にわたしが貰っちゃってよかったんですか?」


 アルテミシアがフード付きのケープをちょんとつまんで聞いた。

 これはゴブリンキングがレイの翼膜を切り出してマントとして使っていたものを剥ぎ取り、仕立て直して使っているのだ。

 防具工房に加工を依頼したところ、その場に居た職人たちが揃って目の色を変え、(おそらく彼らが他の仕事を全て放り出した結果)1日で仕上がってしまった。


 ゴブリンキングの身体に合わせてマントとして切り出されていたものを、フード付きのケープに再加工。これだと丈はだいたいアルテミシアの膝上までのサイズだ。

 軽業を妨げない軽量装備でありながら物理・魔法共に高い防御性能を誇り、身体の広範囲をカバーする。

 何より(防具工房からオリハルコンの針を借りてくるハメになったが)針が通るので、『変成服マルチクロス』に組み込んで収納・着脱自在。アルテミシアにとっては理想的過ぎる防具だった。


『領と話を付けてくれたお代と思えば実際安いもんだ。返されても、まさか穴が空いたところに縫い付けるわけにはいかないし……それよりも角と牙を返してくれたのが有り難いよ。あれが無いとどうにも迫力が出ないから』


 レイは特に気にした様子も無かった。


 ゴブリンに奪われ、武器として使われていた大牙。あの後、冒険者たちはダンジョン付近にあったゴブリンの集落を探索(殲滅とも言う)して、切り出されていた角も回収した。

 それをアルテミシアは、レグリスやギルドとも話し合った上でレイに返したのだ。


 今、レイの顔には4つのとんがりが戻ってきている。だが実は、切られてから時間が経っていたので魔法でも身体の一部として再生することはできず、セメント的なもので継ぎ合わせてあるだけだ。

 牙が生え替わるまでは固い物(アイアンゴーレムとか)を噛まない方がいい。


「不自由とか、何か困ってることは無いですか?」

『退屈、ってだけだな。まあ強いて言うなら、四六時中観察されているのは……人間だったらノイローゼになってたかも知れないけど』


 レイが見やる方向。城壁上からこちらを観察している人の姿がアルテミシアの目でも確認できた。魔術師や学者たちだ。

 ドラゴンの生態を間近で観察できる機会なんて、世界中の魔物・生物学者たちが涎を垂らして羨ましがり、泣いて嫉むだろう。

 この会話ばっちり観察されている。アルテミシアも、戻ったら学者たちから質問責めに遭うかも知れない。上手く姿をくらまさなければ。


『あと、トイレをくみ取っていくのが……実際恥ずかしいもんだね』


 尻尾の先ががぴたぴたと地面を叩く。

 レイが自分の爪で掘り返したらしい穴が、囲いの隅に空いていた。


 ドラゴンはフンですら一級の錬金術素材。人々が欲しがるのも道理だ。


「トイレ、ですか」

『今んとこしょうがないけどね……

 フンにまで妙な力があるんだから、放置したら植物系の魔物が生えてきたりしそうじゃん。人里離れた場所ならともかく、こんな場所でそれは避けたい。

 それに泥棒が柵に入ろうとするかも知れないでしょ。しょうがないから領兵団の魔術師さんに、持って行くのを許可したよ』

「ああ……確かに」

『人に化けてりゃそこらの面倒は無いんだ。でもまだ化けられるほど回復してないし……早く人間になりたーい! ふかふかのベッドで寝たり、人間サイズの遺跡を探検したりしたーい!』


 駄々をこねるようにレイの尻尾がうねり蠢いた。


「遺跡がモチベなんですね」

『そりゃドラゴンは金銀財宝集めるもんだから。悪い奴は城を襲って宝物庫から略奪すんだろうけど、俺は人間に化けてあっちこっち冒険してお宝探すんだよ』


 ドラゴンは本能が薄いとレイ自身が言っておいて……だが、レイはドラゴン的な衝動に抗わずドラゴン生をエンジョイしようと考えている節があった。

 アルテミシアにとって身近な転生の事例は『転生屋』の不手際で予定と異なる転生を強いられた自分と、親の手で異世界に放り込まれたマナだったけれど、考えてみればレイはドラゴンになろうと思ってなったのだ。ドラゴンらしく生きたいと思うのも当然かも知れない。


「財宝集めってドラゴンの習性なんです?」

『だなあ。習性ってか、趣味とか生き甲斐かな。お宝集めるのと、あと雄のドラゴンは美女を攫ってナンボだ』


 興が乗れば嫁にするし、でなきゃ食っちまうというのが伝統的なドラゴンのスタイルらしい。

 まあ本当に攫ったら悪竜として討伐対象になるから今時そういうドラゴンは珍しいようだが、面食いで惚れっぽいのはドラゴン共通の気性だとレベッカが言っていた(『だから気をつけろ』というニュアンスで)。


「美女って、わたしみたいな?」

『自分で言うか』

「うぬぼれじゃなくて客観的な事実です。自分が持ってる剣の攻撃力は誰だって知ってるでしょ」

『お前すごい奴だな……』


 レイには呆れられたが、実際アルテミシアは自慢やうぬぼれで他人にこんな事を言いはしない。そんなゲスな品性ではない。

 ただ、自分の可愛さに気がつかないような馬鹿ではなかった、というだけの話。本当に客観的な事実として自分の美貌を語っているのだ。


「お姉ちゃんが心配するんです。わたしがレイさんのイケナイ衝動を刺激しないかって……」

『あっはっは……あのおっかない姉ちゃんか』


 ケラケラとレイが笑うと、嵐のような鼻息がフードを吹き飛ばしてアルテミシアの髪を乱した。

 とっさに押さえてスカートは死守。反応が遅れていたら(レイが)(レベッカのせいで)危ないところだった。


『ま、10年早ぇってとこだな』


 ひらひらと飛んできたトンボがレイの鼻先に止まり、レイはくしゃみをした。

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