16-13 巣作れなかったドラゴン
家主であるドラゴン氏が所望したのは、アルテミシアとのサシでの話し合いだ。
当然これにはレベッカが反対した。
確かに雁字搦めにされて身動きできない状態に見えるが、それが絶対であるかどうかは分からないし、ドラゴンは皆、強大な魔術師でもある(あの巨体による飛行や、ドラゴンの代名詞たるブレスも実は変則的な魔法だ)。拘束されていても安心できないし、話の成り行きによってはアルテミシアが襲われるかも知れない、というのが理由だ。
『異な事を言う……もし抜け出せるなら、ゴブリンごときに好き勝手させておくわけがなかろう。魔力もほれ、下卑た術ではあるが、この口輪にて封じられている。今の我は一欠片の火の粉すら吹けぬ』
「どうだか。だいたい、なんでアルテミシアとふたりっきりになる必要があるの?」
『我は交渉を望む。竜と人の契約は無粋な邪魔の入らぬ場所で交わすものよ。彼女こそがそなたら一党の頭目であるとみたが』
「偉そうに頼める立場じゃないでしょ」
「まあまあ、お姉ちゃん」
ふたり(ひとりと一匹?)っきりになりたがるドラゴンの言いぐさをレベッカはあからさまに訝しんでいた。
実際この状況ではレベッカの言い分の方に利があると分かった上でアルテミシアは割って入る。
「もしわたしが何かされたら、ドラゴンさんぶっ殺して救出すれば良いだけでしょ」
「それはもちろんそうするけど……」
仮に何らかの騙し討ちでアルテミシアを害せたとしても、満身創痍のこのドラゴンがレベッカ&マナに勝つことはほぼ無理ゲーだ。
あくまでもアルテミシアが弱すぎることと、相手がドラゴンであることが問題なのだ。
「大丈夫。大丈夫だから。ドラゴンさんも人畜無害な相手の方が話しやすかったりするでしょ」
「……はぁ。アルテミシアがそう言うなら、狙いと勝算があるんでしょうし……」
諦めた様子で肩をすくめ、それからレベッカはドラゴンに指を突きつけた。
「いい? 馬鹿でかトカゲ。もしあんたがアルテミシアに何かくだらないことをしたら、生きたままあんたのモモ肉切り刻んであんたの目の前でバーベキューにしてやるからね」
言い捨てると、これ見よがしに担いだ大斧を揺すってレベッカはボス部屋を出て行った。
アリアンナ、カルロス、マナがそれに続き、ボス部屋手前の部屋まで後退すると、重々しい音を立てて扉が閉じた。
そして、ドラゴンは苦しげな息の中から、ゆっくりと溜息をつく。
『いやはや……いいお姉ちゃんだなあ。俺ひとりっ子だったから羨ましいよ。人に転生するのもアリだったかなー』
「それが素の喋り方ですか……?」
『ドラゴンたる者、威厳を保っておきたいんだけどね。もうちょっとでボロが出るとこだった』
大地を揺るがすような重々しい声音なのに、喋り方は普通のお兄さん。人によってはギャップに萌えそうだ。
アルテミシアはドラゴンの身体を回り込み、見える場所まで行って腰を下ろした。
『魂の同郷者に助けられるのも、何かの縁かな。
まず名乗りたいんだけど、前世ネームとこっちでの名前、どっちがいい?』
「今世ネームにしましょう。前世は前世です」
『分かった。……俺はサ・ジュ・レイ。
偉大なるグルケの血族にして洞窟に住まい宝を護る母から生まれ、ジュの名を賜り、自らはレイを名乗る、という意味だ。呼び方はレイでいい』
「ドラゴンネームってそういう法則なんですね……案外簡潔」
『まあね。年取ったドラゴンは、他の知的生命体が畏怖と共に付けた通り名や字を名乗ることが多いんだけど、俺は若いからまだ本名しか無いんだ』
「わたしはアルテミシア。人畜無害の最弱薬師です」
『薬師? ああ、そう言えば調合やってたか』
「見てたんですか?」
『ダンジョン内の出来事はほぼ分かるんだ』
レイは抜かれ残った牙を剥いた。得意げに笑った顔のつもりらしい。
『俺がここでこんな風になってる事も、察しが付いてたみたいだな。推理力か何かのチートスキルかな』
「そう言うのは無い……はずです。わたしは転生失敗の補償に貰ったポーション調合のチートスキルしか持ってないはず」
『転生失敗だって?』
コホォ、と、どこかの暗黒面系ファーザーの呼吸音みたいな音がした。レイが息をのんだらしい。
――そりゃそうだよね……同じ転生者にとってもあり得ない話題だよねコレ……!
驚いて当然ではあるのだが、転生者仲間にも驚かれて今更ながらあらためてショックを受けるアルテミシアだった。自分の不幸があり得ないレベルのものだったと再確認させられたようで。
経緯をざっくり説明すると、レイは転生失敗そのものよりも別の所に驚いていた。
『元・男……マジかよ、前世も普通に女の子だと思ったぞ』
「え、な、なんでですか?」
『座り方がすごい女の子っぽかったから……足ピタッと揃えて鉄壁のスカート捌きで。
ダンジョン入ってからずっと見てたけど、動きも粗暴な印象がぜんっぜん無いしさー』
「はあ……」
――あれー……? 歩き方とか座り方なんてお姉ちゃんから習ったっけ? 我ながらいつの間に適応してたのやら……
照れていいのかなんなのかよく分からないアルテミシアだった。
『……っと、話が逸れた。こっち来てから転生者と話できたのなんて初めてだから、ついつい喋りたくなっちゃって』
「この状態で楽しくお喋りできるのってすごいですね……」
『かくいう俺はチートスキル無しなんだ。まあドラゴンに転生したこと自体がチートみたいなもんだけど。
なんか脱出に便利なチートでも取っておけば良かったって100回くらい後悔したよ』
ぎょろりと、宝玉のような目だけを動かしてレイは自分を縛る枷を睨んだ。
「どうしてこんな状態に?」
『順を追って話すよ。俺は独り立ちしたばっかりのドラゴンに憑依転生したんだ。
で、普通にドラゴンらしく生きてくんじゃあなく、人間に化けて冒険者になろうと思ったんだ』
化ける魔物というのは数多いが、ドラゴンもまた人に化ける。
もっとも、人に化けて冒険者になろうなんて考えるドラゴンは少ないはずだが。
『生まれ育った洞窟を出て、街へ降りていったんだけどね。
ところが……そこで厄介な奴に襲われた。あれは、ひょっとしたらドラゴンハンターとかじゃないのかな。人に化けたドラゴンを探して狩る奴も居るってお袋に聞いたんだ』
「こっちのお母さんですか」
『そうだ。その忠告を受けた記憶があった。
俺を襲った奴はとにかく、信じられないくらい強くて、俺を殺すことしか考えてなくて……相手はひとりだったのに俺は重傷を負った。あっちも転生者だったのかも知れない』
いくら人に化けたところで、ドラゴンとしての力はあるはずだ。本当に進退窮まれば変化を解いて戦うこともできたはず。それでもなお只では済まなかったというのだから相手の強さが推し量れる。
『俺は必死で空を飛んで逃げた。それで人里離れたところまで逃げてきたんだ。
ダメージ受けすぎると変化を保てないから、この巨体を隠せる場所を探すしかない。
運命のいたずらってやつかな。ウソみたいだけど、その時突然、俺にはダンジョンマスターの力が宿った。
俺はそれを有効活用する事にした。ダンジョンを作って隠れたんだ。なにせ俺は半死半生だったから』
ダンジョンマスターが生成するダンジョンは、基本的にダンジョンマスターにとって住みやすい環境になる。レイのボス部屋はドラゴンの身体に合わせたサイズで、多少の飛行戦闘もこなせる広さだ。
外からは目立たず、悠々と身を隠せる。侵入者はガーディアンで追い払えばいい。はずだった……
『そこに運悪く連中が来やがったんだ』
レイは舌打ちの代わりに、マズルを覆う口輪を床に打ち付けた。
『最初はここを巣にする気だったらしいんだけど、ボスが死にかけのドラゴンと見るや、こんな風にしやがった。魔法核を拾い集めて売っぱらって、こんなオモチャを用意しやがった。
生かさず殺さずで素材を養殖する気だったんだ』
「回復魔法とかで再生させて何度も取るって事ですか」
『さすがに普通の回復魔法じゃ角や鱗は生えてこないけどな。ドラゴンのHPがどんだけあるんだって話だし。
でも自然治癒を早めて採り続ける事はできる。角や大牙だって数十年ありゃ生え替わるんだ。
あいつら、俺の鱗と牙で最強の軍勢を作って、世界中のゴブリンの王になるんだって息巻いてた』
短い沈黙。そして苦笑。
「いくらドラゴンの装備使ったって、あの数で世界征服は無理でしょ……」
『だろ? ゴブリンの浅知恵だよなあ』
まあ実際は本気でゴブリン界征服なんてする気は無くて、スローガンみたいなものかも知れないが、だとしても考えが浅い。
あんなものを持っていれば確かにゴブリンの他部族相手には強いかも知れないが、暴れているうちに人に感づかれるのは確実だ。そうなれば絶対に討伐隊が組まれる。
ドラゴンの装備は貴重だが、金を出せば買える程度には世の中に出回っている。そして、いくら素材として強かろうが所詮は『強い素材のひとつ』だ。
優位を確保するには結局、数を揃えなければならないのだが……もし素材を養殖したとして、十分な数を確保できるのはいつになるだろう。ゴブリンは短命だと聞いたので、下手すればレイの角が生え替わる頃には世代が変わっているはず。
あのゴブリンキングは、ドラゴンをまんまと生け捕りにした幸運に酔って、そこまで先のことは考えていなかったのかも知れない。
『と言うわけで、この忌々しい拘束を外してくれないかな。代わりに俺はこのダンジョンを消して、仮死状態の冒険者たちを返そう。
……いや、俺を殺せばどのみちダンジョンは消えるから、取引にならないか。俺のたてがみでも要るか? ゴブリンどもは見向きもしなかったが何かに使えるはずだ』
「そんな、気にしないでください」
この悲惨な状態のドラゴンを見て、さらに何かを毟っていこうと思えるほど非道ではない。中身が転生者……レイ曰く『魂の同郷者』となれば尚更だ。
「でも、ダンジョン消すのってできるんですか? ダンジョンって、普通ボスを倒すまで消えないそうですけど」
『できないんじゃなく、やらないんだよ普通のダンジョンマスターは。本能みたいなものなんだ。
でも俺はドラゴンだから。本能とか欲求とか、そういうものが薄いんだよ。どうもドラゴンってのはそういう精神をしてるものらしい。
たぶんドラゴンのダンジョンマスターって、みんな本能に負けてるんじゃなくお宝を守るためにダンジョンやってるんだろうなあ』
「なーるほど。さすがドラゴンって感じ。規格外なんですね」
ドラゴンが嫌うものと言えば、第一に(物理的な意味で)逆鱗に触れること。第二に(精神的な意味で)逆鱗に触れること、つまり侮辱。そして第三に宝を狙うコソ泥……と、言われている。
逆に言えば他のことはどうでも良いのかも知れない。
「ところで、この後はどうするんですか?」
ダンジョンが消えて死亡者を回収すれば任務完了。アルテミシア達はそれでいいのだが、レイはどうなるのだろう。
以前レイを襲ったという強大なドラゴンハンターは来るかどうか知らないが、こんな弱ったドラゴンを見れば、倒して残りの素材を頂こうという魔族や冒険者が他に出てくるかも分からないわけで……
『んー、この消耗度合いじゃ人に化けるのも無理だな。ダンジョンを作り直すのもキツそうだ。もっと山の奥の方に引っ込んで、誰にも見つからないことを祈りながら回復を待つか……』
ここまで関わってしまった以上見捨てがたく思ったアルテミシアだが、レイはもう、死ぬかも知れないけれど仕方無いと受け容れているようだった。後は運次第なのだと。
ひょっとしたらドラゴンは生存への欲求も薄いのかも知れない。
――力になってあげたいけれど……こんなすごい人にわたしができるような事なんてあるのかなあ。
手持ちの治癒ポーションをプレゼントするくらいはできるけれど、この巨体に人サイズのポーションで、どれほど効果がある事やら。
『よかったらどこに住んでるか教えてくれないかな。無事、傷を癒やせたらあらためてお礼がしたい。転生者同士の話もしたいし……』
アルテミシアの心配に気付いたのか、明るい雰囲気でレイが言った。フラグくさいセリフだった。
だがその言葉に刺激されたように、閃くものがあった。
「待ってください。良いことを思いつきました」
アルテミシアはそのフラグをへし折ることに決めた。折り方を思いついた。
「わたしが住んでいるのは、このゲインズバーグの領都。最近ちょっと酷い事件があったりもしましたけど、活気があっていいところですよ」