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1-16 火事場のバカ泥棒

 怒濤の如く押し寄せる、種々とりまぜた薬草の香り。

 下水の臭いに慣れ始めた鼻を殴りつけるような衝撃だった。

 

「ここは……」

「領立のポーション工房だ」


 レベッカがマンホールからサイードを引き上げる。

 彼の案内で、一行はここに辿り着いたのだ。

 

 下水道からの出口は、ちょうど渡り廊下のような回廊の一部にあって、屋根で上空から隠されている。

 いつまでも地下に隠れているとかえってジリ貧になると判断し、安全に出られそうな場所から地上へ脱出したのだ。

 さらに、この場所へ来たのはもうひとつ理由がある。

 

「ポーションが補充できれば、かなり楽になるのよね。回復は当然として、逃げ隠れするのに便利なのもあるから……」


 今現在、タクトアルテミシア達は孤立無援だ。このまま身ひとつで逃げ回るのは苦しい。

 物資の補給ができれば選択肢が広がるのだ。

 もっとも……略奪を受けずに残されていれば、の話だが。

 

 領兵に助けられ、マンホールからアリアンナも出てくる。その表情は暗い。下水道の中ではよく分からなかったが、青ざめてすらいる。

 

「……アリアさん、大丈夫ですか?」

 

 思わず声を掛けたタクトアルテミシアに、アリアンナは、疲れ切ったように微笑んだ。

 

「私……はじめて、何かをこんなに憎いと思ったの」

 

 その言葉は独白のようでもあった。

 

「お父さんは立派な人だった。自分の事よりみんなの事を考えられる人だった。

 なのに……なのに、あんな、あんな奴のワガママみたいな理由で……!!」

 

 小麦色の目が、涙に歪む。

 握った手に、血すら滲んでいた。

 理不尽への怒り、そして無力感。

 父の仇が、あんなバクテリアでも避けて通るような外道では、憎むなと言う方が無理だろう。

 

 タクトアルテミシアは既に悟ってしまっている部分もある。

 強い者が弱い者を虐げ、無理を、理不尽を押しつける。弱い者はその中で、逃げ回るように生きるしかないのだと。

 スケールこそ違えど、地球で生きていたときもそうだった。仕方の無いことなのだ、変えようのない現実なのだと思っていた。

 だが、今だけはそうもいかない。どうにかして児島ログスの思惑をくじかなければ生きていられないのだ。

 

「ねぇ、アルテミシア……私にできることって、何か無いのかな」


 言葉は静かだったけれど、『あ、まずい』とタクトアルテミシアは思った。

 泣くのをこらえているような、爆発寸前の爆弾みたいな。

 竹槍を持たせたら突撃して死にそうな危うさがあった。


「無いわよ、貴女ができる事」


 タクトアルテミシアが返答を考えているところに、レベッカが無情な横槍を入れた。

 アリアンナは露骨に傷ついたようで、だけどレベッカの言葉に反論することもできないようだった。

 さすがにタクトアルテミシアはちょっとかわいそうになる。


「レベッカさん、いくらなんでも言い方……」

「ただ、できるのは、私たちに付いてくること。

 勝手に動かない、変なところで転ばない、恐ろしい目に遭っても叫ばない。

 私たちが戦いに集中できるようにすること。それができれば大金星よ。分かったら自分が生きる事に集中しなさい。アルテミシアの前で汚い死に方したら、私が許さないわよ」


 アリアンナは黙って頷く。そして涙を拭った。

 この極限状況で、レベッカが施せるギリギリの優しさが今の言葉だったのだろうと、タクトアルテミシアは察した。

 

 * * *

 

「ひ、ひどい……」


 荒れ果てたポーション工房の工場こうばを見て、タクトアルテミシアはうめくようにつぶやいた。明らかに、尋常ではない何かが起きた形跡があった。


 レンガ造りの工場の中には、風呂にしたら四人くらい混浴できそうな、大きな樽がいくつも並んでいる。ニュースなんかでたまに見た、酒蔵の風景が近いかも知れない。樽が置かれている場所は床よりも一段高くなっていて、下の方には蛇口が付いている。これがポーションを大量調合するための樽なのだろう。


 その樽自体は、別に壊されたりしていないのだが、周囲の床がおかしい。

 何かの資料らしい紙束、割れた瓶、作業着らしき切り裂かれた服、等々が散乱している。

 まるで廃墟のようだが、ホコリが積もっていないのだから、この状態になったのはつい最近だ。

 死体や血痕は……幸いにも、見当たらない。


 辺りにはまだ、この工場が稼働していたときの名残と思しき、濃厚な薬草の匂いが漂っていた。

 下水道から出てきたばかりのタクトアルテミシアには、とても芳しく思えたのだが、この景色の中で安らいだ気分にはなれない。


「無いっすね……底の方にちょっと溜まってるかな、ってくらいっす」


 キャットウォーク状の足場から樽を見下ろして、残念そうにカルロスが言った。


「全部空っぽか? ……先を越されたか」


 サイードが苦いため息をついた。

 ポーションは重要な兵站物資だ。バカなりに考えて魔物軍を作ろうとしている児島ログスが放っておくはずはないだろう。


「これ、底に残ってるの持って行くっすか?」

「溜まりは効果が変わってる場合もあるから、飲むのは危険よ。……それに一般向けじゃないやつは、こんな大樽で作ってないはずだから、諦めるのは早いわ」

「需要が少ないから大量調合はしない、って事ですね」

「それもあるけど、材料が貴重だから大量に作るのは無理なのよ」

「なるほど……とにかく、倉庫を探しましょう」

「待て」


 何かに気付いたサイードが、杖で一方を指し示す。


 領兵のひとりが、廊下の窓から外を覗きながら必死で手招きしていた。

 口に指を当てて『静かに!』と合図しながら。

 

 全員が忍び足気味に窓に殺到した。

 カーテンの影から外の様子を伺うと……領兵姿の魔物が荷車を引いている。

 その姿は昭和ゴジラから避難する市民か、はたまた財宝を持ち帰る桃太郎か。

 積まれているのは、大量の調合機材。そして調合素材と思しき無数の収納箱コンテナだ。


「あれは、材料の薬草? ……と、調合道具よね」

「タッチの差……!」


 タクトアルテミシアはほぞを噛む。ついさっきまで略奪に遭っていたところらしい。

 問題の荷車は既に遠い。いや、仮に追ったとしても戦って奪い取ろうとすれば確実に監視に感づかれる。

 略奪を見ている事しかできない。


「どこへ持って行くのだ……? あれも領城に?」

「ああ、それなら心当たりが」


 サイードの疑問に答えたのは領兵のひとりだ。


「連中、武器とか魔法のアイテムみたいなもんは領城に集めてるんですが、そうじゃないけど有用なもの……

 たとえば武器を生産するための材料金属インゴットとかは南の倉庫街に集めてるみたいなんです」

「なるほどね。反逆の目を摘んでおくって所かしら」

「じゃあポーションの材料と道具も、そこに……?」


 取り返しが付かない事になった気がして、タクトアルテミシアは愕然と辺りを見回した。

 もはや抜け殻と化したポーション工房。

 あと一歩で手が届くはずだった。たとえポーションそのものが残っていなかろうと、あれさえあれば道は残っていたのに!


「……念のため、取り残しが無いか調べましょう」

「そうね……あの荷車1台で全部積みきれるとは思わないもの、積み残しがまだあるかも。

 ただ、行動は迅速にね」


 僅かな希望に賭けて、タクトアルテミシア達は探索を行った。

 だがその結果は、さらに絶望的なものだった。

 

 積みきれなかった調合機材は破壊されていた。

 ガラスの瓶が割られ、乳鉢は叩き壊されていた。棍棒か何かを直接、棚に叩き付けてあったのだ。

 半地下で窓の無いポーション倉庫はカラッポで、キャスターラックがひとつだけ横倒しになっていたり、空っぽの籠がふたつくらい置いてあっただけだ。

 そして材料庫も、薬草の切れっ端がいくらか落ちているだけだった。

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