16-12 ネットミームモンスターズ
ダンジョンの出入り口である上り階段へ向かう一本道に、その一団は陣取っていた。
竜鱗の鎧を着たホブゴブリンが4匹。武器はカルロスの報告通り、剣が3本と大牙の槍1本。
そしてそんなホブゴブリンどもを、助さん助さん格さん格さんとばかりに従えたご老公はと言うと……
大柄なホブゴブリンの影に隠れたその小さな影は、まるで子どものようにも見えた。アルテミシアよりも少し小さい。つまり普通のゴブリンと一緒だ。
略奪品らしい金品を乱雑に全部乗せしたような王冠を被っていて、身長以上に長い獣骨の杖を持ち、テラテラと濡れたように輝く、不思議な革の外套をまとっている。
「うへえ。あれドラゴンの翼膜だぜ、多分……」
アルテミシアの隣に立つマナが、いい加減うんざりしてきたような調子で言った。
この場に立つのはレベッカとマナ、そしてアルテミシアだけだ。
余計な犠牲者を出さないため、他は置いてきた。死んでも助かる可能性があると言え、もしアルテミシアの推理が外れていた場合、ゴブリンを排除した後はこの場に居る戦力でダンジョンを攻略しなければならないのだから。むやみに数を減らさない方がいい。
と言うか、今から大惨事になるのだから人数が多いと逆に厳しい。
ちなみにアルテミシア達はホブゴブリンから奪い取った鎧を着ていた。
レベッカは自分の鎧の上から無理やり重ね着してどうにか着られているが、マナは横幅が足りず、アルテミシアに至っては身体を通して鎧を手で支えているだけだから乳児向けの歩行補助具みたいな有様になっている
――臭いけど我慢! ちょっとだけだから!
こんな着方では防具としては役に立たない。だが、多少の魔法抵抗力をアテにしているのだ。
『おのれ! おのれ! 忌々しや人族ども! ワシの宝を返せ! ワシの力を返せ!
我らこそ最高最強の部族! そしてワシがその王なのだ! 返せ! 返せ! 返せ!!』
ゴブリンキングが地団駄を踏み、わめき散らした。アルテミシアには翻訳を介して理解できたが魔族の言葉だ。ゴブリン語なのか魔族共通の言語みたいなものなのかは分からない。返せと言ってはいるが、会話をする気は無さそうだ。あるいは激昂のあまり、普通の人には魔族の言葉が通じないことさえ忘れているのか。
その間にもアルテミシアは、じりじりと距離を測りながらホブゴブリンの装備を観察していた。
――聞いてた通りアクセサリーの種類がバラけてる。どの状態異常で攻撃されても全滅しないように、って事か。さすがキング。賢い。
これもカルロスの報告通り。
もしかしたら各状態異常のアクセサリーを1個ずつ拾っただけかも知れないが、侮らず、ゴブリンキングがそれなりに考えていると思った方が良いだろう。
――向こうが取りうる行動は、いくつかある。どれが来てもいいように備える……!
『貴様ら! あいつらをぶち殺してワシの財産を奪い返せ!』
ゴブリンキングが号令を下し、ホブゴブリン達が動き出す。
……正確には動き出そうとした時だ。
アルテミシアが薬玉を放り投げた。
――さあ、どう出る!?
弧を描いて飛んだ薬玉は、ホブゴブリンの頭を飛び越えゴブリンキングの辺りに着弾するルート。
取り得る対抗措置はいくつかあり、それぞれに利点と欠点がある。
ゴブリンキングが早口に呪文を唱えた。
『≪撃風≫!』
低位であるため、短い詠唱で即座に発動できる風の元素魔法。
風を作り出して敵を打ち据えるだけのものだが、高い魔力を持つゴブリンキングが使えばかなりの威力を発揮する。
薬玉による薬液の霧を吹き飛ばしてお返しする作戦だ。
風の衝撃によって空中で薬玉が割れる! そして噴き出した薬液が……
「風だよ!」
「……≪凪空≫!」
マナの魔法が、わき起こり始めた風を止めた。薬液を吹き飛ばしてアルテミシア達にお返しし、ついでにダメージも与えるはずだった風魔法は、アルテミシアのスカートをめくっただけで止まった(レベッカの怒りが50ポイント上がった!)。
4種の元素魔法には、対抗呪文がそれぞれ存在する。相手の魔法に反対位相の魔力をぶつけて相殺するのだ。
実力で勝っているなら対抗呪文など使うまでもなく魔法合戦で押し切れる場合が多いし、負けているなら焼け石に水にしかならない。そのため、あまり使われない魔法ではある。
だが、今重要なのは薬玉の効果を拡散させない事。
そして……重要なのは、魔法で風を起こそうと全力を注いでいる今のゴブリンキングは≪抵抗強化≫を使えないという事だ。
アクセサリーによって各種の状態異常に対策しておき、もし状態異常攻撃が来たら無事だった者を中心に立て直しを図ると言うのがゴブリンキングの作戦だったようだ。
しかし、生憎アルテミシアが用意したのは状態異常のポーションではない。
舞台スモークのような白煙が辺りを満たす。
「ギッ!?」
それが何なのか気付いたゴブリンキングが歯車の軋みのような声を上げた。
アルテミシアが携帯している薬草と、鎧から剥がした竜鱗を使って調合した、レベル3の催涙煙幕ポーションだ。
ドラゴンの素材は装備のみならず、何に使っても一級品。ポーションに混ぜたならその能力を飛躍的に高める。別の材料を混ぜて成分を調整する必要が出てくる場合もあるが、幸運にも催涙煙幕ポーションは薬草の比率を変えるだけで上手く纏められた。
状態異常ではないのでアクセサリーでも防げない。『盲目』の状態異常耐性アクセサリーを付けていれば目だけは守れるが、鼻や喉の粘膜に走る激痛からは逃れられないのだ。
この状況ではまともな詠唱もできない。印組みや杖で図形を描く無声詠唱に切り替えても倍近い時間が掛かる。そもそもそれができるとしたら、だが。
「ギャボッ! ゴボッホ、ウェッ、ゲホウッ!!」
内蔵まで吐き出しそうな咳をしながらゴブリンキングが床を転げ回った。魔法を使うどころか戦闘ができる状況ですらなさそうだ。
ホブゴブリン4匹も同じような有様で悶え苦しむ。盲目耐性のアクセサリーを着けていた1匹だけは反撃に出たが、その動きは鈍りきっていた。
「はああああっ!」
レベッカが大斧を抜き撃った。
突き出された竜牙の剣は届かず、真っ正面から頭をかち割られてホブゴブリンIは絶命した。鎧に護られた胴体だけは無事だった。
催涙煙幕ポーションの強烈な特性として、薬品を媒介した魔法ダメージだという点がある。鎧による魔法防御力強化みたいな、ふわっと身体の外側全体を守るような防御は貫通するのだ。
対策するには継続的に治癒を行うリジェネ系の回復魔法か、身体そのものの魔法抵抗力を上げる≪抵抗強化≫などの魔法。もしくは苦痛の割にダメージが少ない点につけ込んで、魔法で痛覚を遮断して一気に勝負を決めるべきだった。今回ゴブリンキングが使ったように風魔法などで煙を吹き飛ばすという手もある……相手が対抗呪文を用意していなければ。
もし回復役が無事なら≪解毒≫で継続ダメージを解除することも可能だが、最初の一手を誤って魔法を使えるゴブリンキング自身が食らってしまえば、行動不能にされそれ以上の対抗措置を打てぬままに七転八倒するしかない。
催涙煙幕は陰湿かつ強力な割に、直接的にダメージを与える効果は低いので地味な印象が拭えず、使い手が少ないせいで対策もされにくいのだった。
ゴブリンキングが自分自身に≪抵抗強化≫を掛けて逃走するのが、おそらくこの状況での最適解だった。だがひょっとしたら、それでも魔法防御を貫通できたかもしれない。ドラゴン素材の力を借りたポーションの秘めた力は強く、効果も激烈であった。
あらかじめマナが≪大治癒促進≫と≪抵抗強化継続≫(一定時間効果が続くため術者が付きっきりにならなくて済む上位の強化魔法。ただし効果は低い)を掛けておいたアルテミシア達でさえ、落ち葉焚きに飛び込んだように目にしみて喉がひりつく。
レベッカは煙幕の爆心地めがけて駆け抜けた。
全く足を止めることなく、行動不能になったホブゴブリンJの頭を上下に二分割し、Kの腕を槍の柄ごと両断し、Lの口に牙剣を突っ込んで自分の剣を抜いた。
ゴブリンキングが縋るように持ち続けていた杖をレベッカが蹴り飛ばす。
ついでにゴブリンキングは利き手を粉砕骨折したようだが、もはやそれは大した問題ではなかった。
「女の子のスカートなんか……」
レベッカは、小さなゴブリンキングの身体を踏みつけて固定し、狙いを定める。そして。
「めくってんじゃないわよエロガッパ!」
剣で急所を切り裂いた。
「ア゛アア゛ア゛ア――――ッ!!」
ゴブリンキングが泡を吹きながらニアリーイコール断末魔の悲鳴を上げた。
――ひえええ! 既に無いはずの何かがヒュンッてなるうううう!!
アルテミシアは縮み上がって股間を押さえた。
元・男としては見るに堪えない散り様だった。
明らかに意図的に特定の部位を切除してわざわざ苦痛を与えた後で、レベッカはゴブリンキングの胴体を滅多差しにした。一撃で首を刈れば即死できたところ、苦しみながらじわじわと血を流してゴブリンキングは死んでいく。小さな身体がビクビクと痙攣していた。
* * *
戦利品と生存者をベースキャンプに届け、ダンジョンに舞い戻ったアルテミシア達。
それを待っていたのは……
「ガーディアン!」
まるで門番のように、入ってすぐの場所に2体のリビングメイルが待ち構えていた。
すぐさまレベッカが大斧に手を掛ける。
だが、2体のリビングメイルはレベッカの前に膝を折った。
道を空けて剣を床に置き、壁際に控える。
それきりリビングアーマー達は狛犬のように動かない。
その姿は、まるで王の凱旋を迎える騎士のようでもあった。
「……襲ってこない?」
「やっぱり……」
アルテミシアにとっては想定内の反応だった。
彼ら(彼女ら?)は、アルテミシア達を味方と認識している。少なくともガーディアン達にとってアルテミシア達は『敵の敵』だった。
歩みを進めても、リビングメイルは微動だにしない。それこそ本物の鎧になってしまったかのように。
「ダンジョンのガーディアンが冒険者をかばった時点でそんな気はしてたけど……
ダンジョンマスターとゴブリンは敵対してたんだと思う」
「そんな事って……」
魔物がダンジョンに住み着くのは、ガーディアンが侵入者と戦ってくれるから。ダンジョンマスターが其れを受け容れるのは防衛力を高めるため。相互に利益がある共生関係と言えた。
「でも、ダンジョンマスター自体が目的だったとしたら違う」
ダンジョンマスターと敵対してでも引き出したい利益とは何だろうか。
ガーディアンを駆除してダンジョンを管理する動機とは……
パーティーは無人のダンジョンを進んでいく。
あちこちに、爆発痕らしい焦げや、矢を撃った後の仕掛けクロスボウがあった。ゴブリンが仕掛けた罠を、誰かが漢解除をしたようだ。
おそらくはガーディアンが。入ってくる冒険者、つまりアルテミシア達が危なくないように。
「『ダンジョンに魔物が居たなら中に住んでるだろう』っていうのも偏見だよ。
たぶんゴブリンボスはダンジョン近くの別の場所に住んでたんだと思う。いくら駆除係を置いてると言っても、ダンジョンの中に住んでたら、いつガーディアンに寝首掻かれるか分かんないもん」
ゴブリンキングと直属の親衛隊は、ダンジョンの中には居なかったのだ。だから入り口に現れて帰り道を邪魔した。
やがて一行は地下五階に辿り着く。
階段を降りてすぐの場所にあったのは、高さ5mくらいの巨大な石扉しか存在しない小部屋だった。
抽象画と宗教画を足して2で割ったようなデザインのレリーフがほどこされたそれは、いかにもボス部屋の扉。
アルテミシアが近付くと、赤外線感知したかのように扉は開いた。ゴゴゴゴゴ……といかにもな音を立てて。
「お邪魔しまーす」
軽くそう言って、アルテミシアはボス部屋へ踏み込んだ。
ダンジョンマスターを倒せば最大1日の間にダンジョンは崩壊する。
では……生かさず殺さずならどうだろうか?
扉の向こうには、アルテミシアが考えていた通りの存在が居た。
「おっきーい! いたそーっ!」
マナが率直な感想を述べる。
東京ドームがすっぽり入るんじゃないかと言うくらい大きな部屋。
奥の壁際には、卵のようなカプセルがいくつも浮かんでいる。ぼうっと中から青白く光っているそれは、人型の影が1つずつ収まっている。ダンジョン内で倒れた者が収容されているのだ。あそこから仮死状態の身体を奪還し、特殊な回復魔法による処置を行えば蘇るのだ。
そのカプセルの手前。広い部屋の真ん中に横たわる影。
それは、象より二回り大きいくらいの生き物だった。
艶やかな緑の鱗。雄大な体躯。角とたてがみ。鋭い鉤爪。被膜の翼に強靱な尾。
つまりはグリーンドラゴンだ。1000歳くらいのエンシャント・グリーンドラゴンともなれば小山のような大きさだと言うが、これは体格から察するに100歳ほどの若い個体だ。
ドラゴンは鱗の色によって性質が異なる。グリーンドラゴンは最もオーソドックスなドラゴンで、世の中の人々がドラゴンと聞いて思い浮かべるのはこれだろう。
大きな身体。鋭いかぎ爪。オリハルコンより硬いと言われるツノと牙。緑色の鱗は硬いだけでなく魔法抵抗力もあり、炎と冷気のブレスを吐く。太い尾による一撃は破城鎚のよう。翼によって(正確にはそれを媒体とした飛行魔法で)天空を舞う。
ドラゴンの中では取り立てて強みも弱みも無い、悪く言えば器用貧乏なドラゴンだが、器用貧乏もドラゴンの域まで達すれば全能と言えるだろう。
ただし、目の前のグリーンドラゴンは重々しい鎖と鉄球で地面に縛り付けられ、手足は一抱えもあるような鉄杭で床のタイルを割って縫いとめられていた。
全身の鱗の半分以上が引き剥がされ、鈍色の地肌には痛々しく血がにじんでいる。
2本の角は中途で切り取られ、翼膜にも四角く切り抜いた痕がある。
巨大な鋼の口輪で覆われた半開きの口から見える牙は半数ほどが抜き取られていて、残り半分は生え替わる最中という様子だ。外敵を攻め討つ武器である大牙も、根元から折られていた。
ぐったりと身を横たえ、苦しげに呼吸をするばかりだったドラゴンだが、侵入者の姿を見て取ると、口をどうにか動かして、地鳴りのような言葉を紡いだ。
『人の子よ、感謝する……我の巣を這い回る、忌々しき害虫どもを始末してくれたのだな』
だがその言葉は、アルテミシアの予想をも超えていた。
内容ではなく言葉そのものが。
――翻訳されてない! これ日本語だ!!