16-10 煙草トランプえろい本
地下二階に入って徒歩10秒の場所だった。
血だまり。鎧ごと切り裂かれ倒れたふたりの戦士。胴体を両断された僧侶。首に剣を突き刺されて倒れたホブゴブリンC。そして。
「く、くそっ、畜生……!」
野伏らしき男が短刀を構え、ホブゴブリンDと向かい合っていた。
やはりこのDもドラゴンの牙の剣を持っている。鎧は一見すると普通の革鎧だが、よく見ると少し違った。
鋲革鎧というジャンルの鎧がある。金属の鋲をボタンのように革鎧に打ち付けたものだ。
刃物などで攻撃を受けても鋲がそれを阻み、致命傷となりにくい。さすがに金属鎧に比べれば防御力は低いが、安価かつ軽量という利点があった。
その鋲の代わりに竜鱗を貼り付けたかのような鎧を、ホブゴブリンDは身に纏っていた。
Dも、そいつと向かい合う野伏も全身に浅い傷がいくつも付いていた。どうやら野伏は回避を重視して身軽に立ち回ることで致命傷を避けていたらしい。鎧が役に立たない相手に対して賢明な戦術と言えるだろう。逆に大したダメージを与えることはできずジリ貧になってもいたが、助けが来るまで生き延びることはできた。
「根性で一匹仕留めたか」
「やるわね」
槍使いの戦士とレベッカが前に出る。
だが、迂闊に戦いに割って入ることはしない。ヘタをすればミイラ取りがミイラになる状況だ。
「……アリア」
「はい!」
アリアンナがショートボウを構えた。
狙いを付ける時間は0.1秒以下。狙いさえすれば当たる。それがアリアンナの射撃だ。
「ギ!?」
小さな矢が手首に突き刺さり、ホブゴブリンDはたまらず剣を手放した。
カラクリは割れた。怖いのは武器だけだ。
つまり、どうにかして武器を取り落とさせてしまえば恐るるに足らないのだ。
「今だ、おんどりゃあ!!」
槍の戦士が地を蹴って、竜牙の槍を突き出し突進した。
槍は長くなるほど小回りが利かなくなる。2m近いこの槍は、ただ力任せに突くだけだ。おそらくホブゴブリンもそのつもりで作ったのだろう。
だがそれでも竜牙の槍は、竜鱗付きの革鎧を貫いた。
串刺しにされ、ホブゴブリンDは膝を折る。
「……っしゃあ!」
「ひいいい、たた、助かった……」
緊張の糸が切れたのか、野伏は腰を抜かすようにへたり込んだ。
だがそのまま、転がるように這い進み、倒れた仲間たちのところへ行く。
仲間の様子を確かめるためなのか、と思ったら違った。
「ハーッ、ハーッ、ち、畜生! 3人死んだ! でもこの戦利品は俺たちのもんだからな!」
「取りゃしないわよ」
野伏はホブゴブリンCが落とした剣を抱き込み、さらにCから竜鱗付きの鎧をはぎ取り始めた。その傍らでは倒れた冒険者たちがα値を上げ始めている。
感心と呆れ半々でレベッカはそれを眺めていた。
「で? お前らどういう状況でやられたんだ」
「それがよ……あっちの方で座り込んでくつろいでるホブゴブリン共を見つけたんで、奇襲を掛けたんだ。≪聖言縛鎖≫で……」
「動きを止めて一気にやっちまう気だったんだな」
「ああ。ホブゴブリン相手なら普通そうするだろ。だがあいつら魔法を弾きやがった」
≪聖言縛鎖≫は神聖魔法に属する拘束術だ。
集団を対象にできる代わり、拘束力は弱く、さらに魔物にしか効かない。
ホブゴブリン相手なら充分な力を発揮するはずだが……
「ドラゴンの鱗ってそれ自体に魔法抵抗力があるのよ」
「そういう話は聞いてたがマジなんだな。まさかドラゴンの鱗なんか付けてるとは思わないだろ……」
そこから先は言うまでもない。
反撃を受け、ドラゴンの牙の剣を前に薙ぎ倒されたのだ。
死んだ戦士が消えてその場に残ったのは、レベッカの着ているような比較的軽装のミスリル鎧が2着。
重装の鎧なら牙の剣くらい防げたかも知れない。不運だ。
「ホブゴブリンが居たって言うのはどこですか? ……あいつらの巣とか?」
「いや、そういうんじゃなくてな……見た方が早ぇな」
アルテミシアが聞くと、野伏は上手く言葉を見つけられない様子だった。
「もう敵は居ないはずだ。すぐそこだから見てみろ」
言われた方向に行ってみると(当然レベッカが先んじて罠チェックをした)、角をひとつ曲がったところにそれはあった。
「……休憩所?」
椅子ふたつが置いてあった。
テーブル代わりと思われる木箱があった。
リンゴの芯が放り捨てられ、何かの瓶が転がっている。酒かと思ったらただの水だ。
そして何故か、砂が半分ほど落ちて今も動いている砂時計。
ゴブリンも生き物。知能も技術レベルも低いが、それでも文化的生活を営む知的生命体だ。
だからこういう場所があってもおかしくはないわけだが、そこはまるでダンジョンという大海にぽっかり浮かんだ小島のような、奇妙な休憩所だった。
* * *
地下三階でも似たような事が起こっていた。
「先に行ったのは?」
「"黎明の獣"は行ってるはずだ。他は知らん」
「ふーん……」
一行を出迎えたのは、点々と続く血痕。そして血の足跡だった。
追いかけて行くとそこには切り裂かれた鎧と、革のブーツ。籠手、脚部鎧、そして剣と盾が落ちていた。
「ここでやられたんだ……」
「遺留品がひとり分しかないって事は散り散りで逃げたのね。それともこいつが最後の生き残りだったのかしら」
いずれにせよ、例によってドラゴン装備のホブゴブリンに遭遇して返り討ちにされたのはほぼ間違いない。
「……で、下手人はあいつら、と」
ちょうど前方の十字路からやってきたのは、竜鱗の鎧と牙剣を装備したホブゴブリンE&F。
キョロキョロと辺りをうかがっていた2匹はアルテミシア達に気付いて奇声を発しながら襲いかかってくる。
「「ウガアアアアア!!」」
それが最期の言葉となった。
アリアンナの弓で腕を射貫かれた2匹は剣を取り落とし、後はレベッカが牙剣で流れ作業のように首を吹っ飛ばしていた。
「お姉ちゃんがんばれー」
「がんばえー」
「……ってもう終わってるや」
装備の力で暴れてはいたが、所詮ホブゴブリン。本来はレベッカどころか、第四等級まで来たような冒険者には歯が立たないものだ。
死体は溶けるように消え、ドラゴン装備だけが残る。
回収は後だ。第六等級向けの貸与品である空間圧縮鞄は、大量の荷物を詰め込めるが重量までは軽減できない。レベッカが持つにせよ、マナの≪念動≫で運ぶにせよ、戦闘への即応性が失われる。
代わりにアルテミシアは白墨のようなマーカーで識別用の印を書き付けておいた。
「おねーちゃん、あそこにだれかいる」
「えっ?」
マナが近くの石柱の影を指差して言う。
何事か、と視線をやると、景色が蜃気楼のように揺らめいて、ローブを着た魔術師と、彼に抱き込まれるような体勢のオスカーが姿を現した。
≪透明化≫で姿を隠し、息を潜めていたのだ。
「………………助かった」
振り絞るようにオスカーは言った。
「クソ弱いゴブリンばっかりだと思ったら、急にさっきの連中が……」
「生存者は?」
「俺たちだけだ」
「そう」
突入前にあんなことを言った手前か、オスカーは苦虫をダースでかみつぶしたような、苦悩と気まずさに満ちた顔をしていた。
「おいみんなこっち来て見ろ」
周囲を警戒していた"天気雨"の盗賊が手招きする。
彼が呼ぶ方へ行くと、そこには先程と同じように休憩所が設えてあった。
軽食と飲み物、椅子とテーブル。そしてやっぱり砂時計。
「……なんで砂時計?」
「さぁ……」
「もうすぐ砂が落ちきるな」
冒険者は、ダンジョンやフィールドで謎解きに遭遇することもある。
それとは少し違うが、この状況も謎解きのようではあった。
「ドラゴン素材で武装したゴブリンが、2匹1組で……ここまで3組。階層当たり1組?」
「なーんか妙よね。ドラゴン素材のこと抜きにしても、つまり精鋭がツーマンセルで、こう……」
冒険者のベースキャンプみたいな、生活……と言うか休憩の痕跡。
見ている者たちの前で砂時計の砂が落ちきった。
その時だ。
休憩所のすぐ隣、何も無い床の上でぞわりと闇が吹き出した。
「ナニコレ!?」
「下がって!」
レベッカと槍使いの戦士が武器を構える。
ぞわぞわと蠢くように舞う闇が、やがて盛り上がり、人の形となり、色付いていく。
ぎらりと、兜が魔力灯の照明を照り返す。
全身鎧の戦士……いいや、兜のスリットの向こうには空虚な闇があるだけだ。
リビングメイル。鎧を象った魔法生物である。
カラクリと命令術式によって動くゴーレムとは異なり、言うなればAIを持った≪念動≫の魔法で、込めた魔力の分だけ動く。
もっとも、ダンジョンマスターが生み出したガーディアンは、あくまで実在の魔物を模した幻影のようなものだが。
レベッカは敵の姿を見るなり竜牙の剣を捨てた。いくら切れ味が良かろうと普通の剣でリビングメイルの相手をするのは厳しいと判断したのだ。
代わりに背中の大斧に手を掛け、
「はあっ!」
リビングメイルが動き出すより早く抜き打った。
大剣、大斧のような超重武器は、刃物でこそあるが性質的にはほぼ鈍器だ。戦鎚と同じカテゴリーに分類する方が正しい。
その大質量は、防御の硬い敵や巨大な敵にも充分なダメージを与える。単なるロマン武器ではないのだ。
ベギャ、と無残な音を立ててリビングアーマーはひしゃげ、そのまま圧縮されたスクラップのように叩き潰された。
「……推定レベル、第四等級相当。剣で充分だったわね」
ガーディアン一匹を叩き潰しただけで、レベッカはそう断じた。
ガーディアンの強さはダンジョンマスターの力に比例する。熟練の冒険者は、ガーディアン一匹を見ただけで、そのダンジョンの難易度とボスの強さを看破するのだ。
潰れた鋼鉄鏡餅と化したリビングメイルは、やがて実体を無くし消滅する。それはダンジョン内で死んだ冒険者が消えるのと同じだった。
「まさか、ここって……ガーディアンの湧きポイント?」
「そうじゃないの?」
ガーディアンはダンジョンマスターの力によってダンジョン内で生成される。
ダンジョンマスターの力によって出現数の上限があるらしいが、倒しても時間をおけば復活してしまうのだ。
つまり、その湧きポイントがここだったわけだが。
脳裏に稲妻が閃き、事実と事実が繋がって、見えざる真実のタペストリーを織り上げていく。
こちらに転生してから幾度か、これを感じた。
「そうじゃなくて、上の階で見た休憩所って、みんな湧きポイントに設置されてたんじゃない?
あの砂時計、湧きの間隔を調べるためにゴブリンが置いたんじゃないかな」
「……何のためよ」
「狩るため……?
だってこれまで全然ガーディアンに遭わなかったでしょ。湧き待ちして狩ってたんじゃない?」
「……仮にそうだとしても、中に住んでる魔物がガーディアン狩るなんてあべこべじゃない。ガーディアン狩ったって戦利品は無いもの」
そう。レベッカが言う通りで全く理屈が通らない。周囲の冒険者たちも『こいつはいきなり何を言い出すんだ?』と言わんばかりの呆然とした顔だ。
ダンジョンに外から魔物が入ってきて住み着くのはガーディアンの防衛力をアテにしてだ。不眠不休で見張り、死を恐れず敵と戦い、やられても勝手に補充される警備員。最高だ。
そしてダンジョンにとっても移民は歓迎すべきものだ。単純に防衛戦力の頭数が増える。
そのため、ガーディアンと外来種は共存しているのだ。
だがそれはあくまでも常識であり、絶対の原則ではない。
もし共存以上に利益を得る方法があるのだとしたら……?
「おい、ちょっと待て。各階に1組ずつ、あんなのが居るのか?」
何か、少し焦燥の見える声でオスカーが問う。
「そうよ。あなた達も3階に来て、さっきのホブゴブリンに襲われたんでしょ」
「いや、違う。俺たちは地下4階で襲われて逃げてきたんだ」
「……何だと?」
水面に浮かんだ波紋のように、どよめきが走った。
「だとすると3階の分はどこに……」
誰かが言うなり、だった。
「おい、後ろ!!」
オスカーが最後尾をコソコソ付いて来ていたザックに向かって叫んだ。
振り向いたザックめがけ、竜牙の剣で斬りかかるホブゴブリンG&H。防具は竜鱗の鋲革鎧であり、裸足だった。
金属鎧に対する革鎧の利点。そのひとつは忍び足が比較的容易なことだった。そしてこのダンジョンは碁盤目状に分かれ道と行き止まりを連ねた形状。曲がり角まで忍び寄り、そこから隙を見て一気に襲いかかって来たのだ。
アルテミシアは……正直諦めようと思った。今更救助対象者がひとり増えたところで変わりはない。ザックは一旦死ぬだろうが、ホブゴブリンGHはこれまでと同様のパターンで始末できると。
そう思いかけたのだが、アルテミシアの見通しは良い方に裏切られた。
――『死の影』が見えない……!?
この場にいる誰にも、今まさに殺されようとしているザックにすら『死の影』が見えない。
竜牙の剣がザックの脳天を真っ二つにしようとした、その時だった。
ホブゴブリン達の背後からカラッポの鎧が飛び出してきて、ホブゴブリンGに組み付いて諸共に転がった。