16-9 ゴブリン死すべし慈悲は無い
剣も盾も投げ捨てた全力疾走。
ザックとかいう存在が必死の形相でこちらへ逃げてきた。
たぶんこいつは自他共に認める伊達男なのだろうが、今の顔のイケメン度を測るなら僅差でナメクジに軍配が上がる。
その背後には、ほんの一瞬目を離した隙に惨状が広がっている。
3人の冒険者が血の海に倒れ伏し、別のひとりが槍で胸部を串刺しにされて宙にぶら下がっている。"フレスヴェルグ"のメンバー達だ。
このプチ地獄を作り上げたのは……
「ホブゴブリン……だけど、あの装備何よ!?」
2匹のホブゴブリンを見て、レベッカが驚きに目を見張っていた。
ゴブリン系の魔物は全て相互に交配可能な同じ種だ。だが、その中から稀に突然変異とでも言うべき能力の高いゴブリンが生まれてくる。
最も多いのはホブゴブリン。成長すると成人男性程度の身長と、その2倍ほどの体重を持つ。太っているのではない。ドワーフが感涙にむせびそうな筋肉ダルマ体系なのだ。彼らは人間程度の知能と、並の人間を遥かにしのぐ力を持ち、武器の扱いが巧みだ。部族内での役割は戦士長やボスの親衛隊。小規模な群れならボスに収まる事もある。
もっとも、魔法への適性も抵抗力も基本的に皆無であり、搦め手で攻めれば苦労しない。力は強いが常軌を逸した怪力とまでは行かず、戦い慣れたパーティーなら容易く勝利できる……と言うのが一般的な評価なのだが……
――あの戦士の鎧ってミスリル?
なのに障子紙を破るみたいに貫かれてる……!!
ホブゴブリンAは、アステカ文明で用いられた黒曜石の剣みたいなもの(ただし黒曜石の代わりに何か別なものを板で挟んでいる)を持ち、Bは棒の先に象牙をくくりつけたみたいな原始的な槍を持っている。鎧の戦士を串刺しにしているのは当然後者だ。
着ているのは2匹とも、何かの鱗を貼り合わせただけのような胴鎧だった。
洞窟で壁画とか描いてそうな武装だが、その槍がミスリル鎧の戦士を貫いているとなると異常事態だ。
ミスリル装備は駆け出し冒険者にとって憧れの的、そして中堅冒険者にとっては普段着のようなものだ。
軽量なので後衛にも愛好者は多いが、分厚い装甲を作ればケルベロスの牙すら防ぎきると言われる。
そのミスリルの鎧が、明らかに前衛戦士用に作られた厚手の鎧が、容易く貫かれているのだ。
ホブゴブリンBが槍を振るうと、串刺し状態だった戦士がすっぽ抜け、ガン! と派手な音を響かせて床に転がった。ザックの逃げて行く先に次なる獲物を……アルテミシア達を発見し、ただでさえ不細工な顔がさらに醜悪に歪む。獲物をいたぶる喜びの表情だ。
「「ゴアアアアアア!!」」
耳をつんざく鬨の声を上げ、武器を構えたホブゴブリン達が襲いかかってきた。
アルテミシアのミスリル鎖帷子は、軽業が使える重量に抑えたギリギリの防御だ。ミスリルの鎧すらぶち抜く攻撃を相手にしたら、耐久強化ポーション込みでも一撃死は免れない。
いや、レベッカの鎧さえ耐えられるか。あれは登攀や忍び足に向くよう加工されており、つまりそういうことができる程度には軽い鎧なのだ。防御力一点張りの重鎧すら貫いた一撃には耐えられない!
――つまり、殴り合った時点で死……!
距離を詰められる前に動きを止め、仕留める必要がある。
ポーション鞄に手を突っ込んだアルテミシアは、お定まりの麻痺毒ポーション入り薬玉を取り出そうとして……
腕を焼く紫炎を、『死の影』を見て思い直した。
――失敗する? ……麻痺が効かないの!?
判断は一瞬。
ホブゴブリン達が胸元に付けた金属片がキラリと光を照り返した。おそらくは全滅した冒険者パーティーから奪ったもの。
「お姉ちゃん、あのアクセサリーは!?」
「麻痺ダメ、寝かせて!」
「分かった! ……アリア、目潰し!」
「うん!」
アルテミシアは鞄の中で薬玉を持ち替え、取り出す。
ホブゴブリンに立ち向かう。ショートボウに矢をつがえながらアリアンナが後に続いた。
「ななな何をしているんだお前死ぬ気か!?
俺たちが敵わなかった相手に第二等級ごときが出る幕……」
既にホブゴブリンより化け物じみた顔のザックと擦れ違う。
『最初の獲物はお前か』とばかり、武器を振りかぶりホブゴブリンズが迫る。だが、彼ら(もしかしたら彼女らかも知れない)の武器が届くより、アリアンナの射撃の方が早かった。
アリアンナの弓から立て続けに放たれた矢が、ホブゴブリンの目を撃ち抜いた。
「ギアアアア!」
「グオオオオオオ!」
生理的嫌悪感をもたらす悲鳴が上がった。
アリアンナは2本の矢を手に持った状態からの速射でホブゴブリンズそれぞれの片眼を居抜き、そこで弓を捨ててさらに2本のナイフを同時投擲した。突進の勢い余って、既に2匹はナイフが届く距離だ。
ホブゴブリン達は、片眼から矢を、もう片方の眼からナイフを生やし仲良く悶絶した。
「出る幕……」
ザックはレベッカの背後に隠れていた。
次いで、でたらめに武器を振り回す2匹目がけ、アルテミシアは誘眠ポーションの薬玉を放り投げた。
固い地面に叩き付けられた薬玉は小気味いい音を立てて破裂。中に詰め込まれたポーションを舞い上げた。
激痛に苦悶し興奮状態で暴れていた2匹は、糸を切られたように倒れ、あっさり眠りに落ちた。
「幕……」
「≪烈氷剣山≫!」
マナが杖の石突きを床に叩き込んだ。
そこから白いものが広がっていく。
床を壁を天井を、競い合うように霜が駆け抜けた。
床から壁から天井から、四方八方から通路を閉鎖するほどの密度で突きだした氷の槍が、ホブゴブリンの身体を八つ裂きにした。かの有名な架空の拷問具・アイアンメイデンの内側はたぶんこんな状態なのだろう。
鎧に当たった氷の槍は折れてしまったが、生身の部分に当たった槍は苦も無く貫通。
ミンチになりかけているホブゴブリンの身体は、さらに傷口から凍結が始まり、世界一醜悪な冷凍食品と化した。
「あーらら、楽ができたわ」
レベッカは大斧を構えていたが、それが振るわれることは無かった。
「……で、あのホブゴブリンは何で、あんたらどうやってやられたの?」
「あへ?」
レベッカの後ろでザックは呆然と口を開けていた。
ちょうどそこで、ドカドカと走る足音が迫ってきた。
新手かと思ったが違う。先程擦れ違ったパーティー"天気雨"の3人だ。
「おい、どうした!?」
「なんか戦いの音が……うわっ」
騒ぎを聞いて駆けつけた3人は、マナの魔法で閉鎖された通路の向こう側だ。
"フレスヴェルグ"の惨状を見つけて驚いている声が聞こえる。
「えと、マナちゃんこの槍消せる?」
「うん。けすー」
シャリン、と澄んだ音を立てて氷の槍は消え、後はグチャグチャになった上に冷凍保存され霜が降りたふたつの死体だけが残された。
その向こうには、倒れた冒険者たちの死亡を確認しているらしい"天気雨"の3人。彼らの前で、"フレスヴェルグ"のメンバーの死体は徐々に半透明になりつつあった。
やがて、死体も血だまりも飛び散った肉もすべてが消えて、彼らの着ていた服や装備だけがその場に残される。
「倒れた人が消えた……」
「ダンジョンに食われたのよ。
最深部に捕まってるはず。消化吸収が終わるまでに攻略すれば助け出せるわ」
同時に、冷凍ミンチと化したホブゴブリンの死体も消えて行く。
まったくもって奇妙なシステムだが、これで彼らの命が助かるというなら幸運な話ではあった。
ちなみにホブゴブリンも助け出せるそうだが、迷宮を攻略した冒険者が道中で倒した魔物をわざわざ生き返らせた話は聞かれない。
「無事ですか? "天気雨"の皆さん」
「無事も何も……何があったんだ?」
「えと、パーティー"フレスヴェルグ"がホブゴブリン2匹に襲われて壊滅しました」
「……ホブゴブリン2匹ぃ?」
思いっきり訝しげな声を"天気雨"の戦士が上げた。
「おいおい、俺だったらひとりで2匹相手にできるぜ。どうすりゃそんなの相手に死ねるんだ」
「ち、ち……違うんだよ! そうじゃないんだ!」
ザックがボロカーテンを引き裂くような声を上げた。まだ恐怖が残っているのか足は生まれたての子鹿状態だが。
「あいつら馬鹿みたいに攻撃力が高かったんだ! ミスリルの鎧すら一撃で貫通して……
おまけに、ホブゴブリンのくせに魔法も通りが悪くって……」
「お馬鹿!」
「あでえっ!?」
話の途中だがレベッカのデコピンがザックの額に突き刺さった。
「アルテミシアがポーションで状態異常入れたからよかったものの! 魔法抵抗力があるなんて重要な情報は悲鳴上げてないで真っ先に言いなさいよ!? 死にたいの!?」
「すすすすすいません!!」
吹き飛ばされて転倒したザックは涙目で謝罪する。
テンパっててそれどころじゃなかったという言い訳はできるだろうが、助けを求めておきながら自分の持っている情報を渡し損ねたのは冒険者としてあってはならないミスでもあった。
もし魔法オンリーで止めようとしていたら失敗していたかも知れない。
「ホブゴブリンが魔法耐性だって?」
「あいつら、ヘナチョコ魔法でも信じられないほど効くはずだが」
"天気雨"の魔術師が首をかしげる。
「だとしたら装備の問題かな。
……お前らの戦利品だと思うが、触っても?」
「いいわよ」
レベッカも冷凍死体の隣にしゃがみ込む。
まさかこの状態で生きているとも思えないが念のためホブゴブリンの死亡を確認してから、鎧に降りた霜を指でかき分ける。
「これは……」
「うそ……」
「なになに?」
レベッカと魔術師が揃って絶句した。
「作りはとんでもなくお粗末だけど、この鎧……! 完全に竜鱗製じゃない!」
「なんでホブゴブリンごときがこんなものを着てるんだ!?」
「ドラゴン!?」
「おいマジか!」
"天気雨"の残りふたりががっつき気味に鎧を見に来る。
色あせたようなグリーン。しかし、鎧の一部となってなお重量感と存在感を保つ。それはドラゴンの鱗だ。びっしりと鱗を張り合わせて鎧の形となっていた。
「それって……」
「どれくらいすごいの?」
今ひとつピンと来ないのがアルテミシアとアリアンナ。
なんかドラゴンの素材というだけで凄そうなのは分かるが、それがどの程度凄いか分からない。
「……あなたのミスリル胸甲が20着買えるわよ」
「え、えぇーっ!?」
「おい見ろ。武器もだ」
魔術師が、落ちた武器を取り上げて示す。
ホブゴブリンが持っていたのは、まるでアステカ文明の黒曜石剣か原始的なサメの歯棍棒みたいに、ドラゴンの歯を束ねた剣(あるいは棍棒)。
そして、大きな牙を丸ごと一本使った槍だ。
今度はレベッカが叫ぶ番だった。
「信じられないっ! なんでこんな良い素材をこんなバカみたいな加工できるの!!」
「同感だ……素材にされたドラゴンが化けて出るぜ」
ベテラン冒険者たちはモッタイナイオバケになりかけている。
"フレスヴェルグ"を壊滅させたドラゴン素材の武器は、こういう武器を見慣れていないアルテミシアの素人目にも、日曜大工どころか小学生の図工レベルの技術で作られているように見える。ドラゴンの素材を、適当な木材と縄とノコギリで武器に加工しただけという印象。ドラゴン以外はホームセンターで揃う。
鎧の方もあらためて見てみると適当な造りだ。土台はお古の革鎧。そこに接着剤か何かで鱗を付けただけという、ある意味悪夢のような逸品。
あまりにもちぐはぐだった。一流冒険者でもおいそれとは手が出せない高級素材と、お粗末な加工。ゴブリンの技術水準に合っているとも言えるが、ならばこのドラゴン素材はどこから降って湧いたものやら。
その時、どこか遠くから甲高い声が遠く響き、冒険者たちの顔に緊張が走る。
「今のって……悲鳴?」
「あるいは鬨の声」
「あっちからきこえた!」
声が聞こえた方を見れば、そこはぽっかりと壁をくりぬいたような場所で、『ザ・階段』としか言いようがない典型的で模範的な石の下り階段があった。
地下二階への入り口だ。
「下の階ね……」
何者かが下の階で戦っているようだ。おそらくは先行した別のパーティー。
もし相手が普通のゴブリンなら戦闘の物音すらろくに立てず一瞬で決着が付くだろう。声が聞こえたという事は何かが起こっているわけで、丁度今し方とんでもないのが出てきたばかりだ。下の階に関しても楽観はできない。だいたいダンジョンなんてのは奥に行くほど危険だと相場が決まっている。
「お姉ちゃん、これ持って行った方がよくない?」
アルテミシアは槍を持ち上げようとして持ち上がらず、原始剣を持ち上げてレベッカに手渡した。
またドラゴン装備のホブゴブリンが出てくるかは分からないが、この剣ならダメージを与えられるかも知れない。目には目を(誤用)というやつだ。
「そうね……強度が心配だけど、この剣はわたしが持ってくわ。たぶん攻撃力だけなら私の大斧以上だと思う。
……この槍貸そっか? あなた槍使いでしょ」
レベッカは大牙の長槍を軽々拾い上げると、短槍使いらしい"天気雨"の戦士に放って渡した。
「そこまで長ぇのは専門外だな……っても俺以外に持てそうな奴が居ないか。持つだけ持ってみるけど壊しても文句言うなよ」
「あなたが魔法でウェルダンにされても穂先の牙だけは無事でしょ」
「違いない」
ヘラヘラと笑う戦士だったが、すぐにその顔を引き締める。
次にどうすべきかは全員が分かっている。それ以上の言葉は交わさず、冒険者たちは階段を駆け下りていった。