16-6 アイ・ドント・ノウ
ポーション鞄の中身を検めるアルテミシアは、テスト前にカンペを見るかの如く、内部の瓶や薬玉の配置を頭に叩き込んでいた。アイテムを使うだけ、なんてのんびり構えていられない。どのポーションを使うべきか判断したら、一瞬で取り出して使わなければならないのだ。
ふと顔を上げたりした瞬間に、周囲からの視線を感じる。
半分くらいはアルテミシアに見とれているだけだが、残りの半分は下世話な好奇心や警戒心という印象だ。レベッカは新参者でありながら、支部にとってエース級という立場。目立てばやっかまれるのは世の道理。まして今はダンジョンのお宝を奪い合う状況なのだから気にするのも当然だろう。
アルテミシアはなるべく視線を無視するように努力した。
「マナちゃん、おトイレ行った?」
「いった!」
「ポーション持った?」
「もった!」
アリアンナとマナは遠足のノリだった。
アリアンナはマナのローブの上から、所々に宝石のあしらわれたクモの巣状のベルトを着せ、固定具を留めていく。これは装備者の魔力を吸い取って防御に回す、フォースガードと呼ばれる魔法の防具だ。不可視の防御を生み出し、高位の術者が身につければ全身鎧にも匹敵する防御力を発揮する。
防御に回す分魔法の出力が絞られるという欠点があり、駆け出しの魔術師がこれを着たらまともに魔法が使えなくなるほどなのだが、はっきり言ってマナの実力なら大して問題にならない。それに、どうしても必要な場面では脱げばいい。
レベッカは特に何もしていない。強いて言うならアルテミシアを楽しそうに観察している。
装備の点検や荷物の準備など常日頃からやっているのだから、直前にすることなど無いという所だろうか。
倒木に腰掛けて悠々と薬草茶(アルテミシア謹製)を飲んでいた。
すると、彼女に近づいていく者の姿がある。
「レベッカさん、先程はどうも失礼しました」
レベッカをリーダーに、と言った男だ。
キザな雰囲気の男は貴公子然とした(もしくは結婚詐欺師のような)礼をする。
「別にいいわよ。気にしてないから」
「俺はパーティー"フレスヴェルグ"のザックと言います」
「聞いてないわ」
「それは悲しい。一時であれ同行するのですから、仲間同士名前くらいは知っておくべきでしょう」
強引に自己紹介をしたザックは握手の手を差しだし、レベッカがそれに応じないのを見て渋々引っ込めた。
こういう光景は何度も見て来た。冒険者は独立心の強い者が多いが、コミュ力で食っていく冒険者も居る。そういう生き方が悪いとは思わないし、そういう冒険者が必要とされることもあるのだろうとアルテミシアは思っていたが……標的にされるとウザいのは間違いない。
ザックのような冒険者にとって、上位の冒険者とのコネは金銀財宝にも勝る宝だ。困難な依頼で協力を求めたり、ギルドに無理を言ってもらったり。上位者の力のおこぼれだけで充分に食っていけるのだ。
「やはり俺は、レベッカさんこそリーダーに相応しいと思ったのですがね」
「さっきも言ったでしょ。向いてないのよ」
「これはご謙遜を。あなたは第二等級ばかりのパーティーを立派に率いておられる」
おや、とアルテミシアは思った。
アルテミシア達4人は、便宜上パーティーとして申請している。それは公開データであり、このザックという男はちゃっかりチェックしていたようだ。
マメだなあ、と思う反面、ザックはデータにかまけて重要なものを見ていない。
「私を羊飼いか乳母だとでも? 私のパーティーに足手まといは居ないわ」
『第二等級』を……己のパーティーメンバーを蔑むような響きがザックの言葉にあったのを、レベッカは聞きとがめていた。
「いやいや、そんな滅相も無い! 前衛がレベッカさんひとり、他ははるかに等級の離れた方となると、やはり苦労もあるのだろうな、と……」
炎のようなレベッカの双眸がすっと細められ、視線を受けるザックよりも傍で見ていたアルテミシアの方が縮み上がった。
レベッカの思考は手に取るように分かる。目に入れても痛くないほど可愛がっている妹を足手まとい扱いされて、目撃者が居なければ喜んで殺すだろうくらいにはブチ切れているのだ。
「他所のパーティーの事情までよく調べてるわね。正しい情報を自分で掴むっていうのは大切なことだわ」
これは痛烈な皮肉だった。データだけはちゃんと見てるくせに、目の前の実物を見てなんら評価を修正できていないのだな、と。まあアルテミシアにはその方がありがたいのだが。
エルフの巫女であるマナは、魔法の実力だけなら人間の限界をぶっちぎっている。低級の術士には重り付きの足枷でしかないフォースガードを着こなしているのを見れば実力のほどもある程度窺えるはず。
アリアンナはチートスキルが実力の大部分なので見た目に判断するのは難しいが、冒険者になる前ですら強大な敵を相手に怯まず戦い、その後も第一等級にあるまじき大冒険を経験している。第二等級になるのが遅すぎたくらいだ。ダンジョンアタックを前にして低等級らしからぬ落ち着きを見せている。
そしてアルテミシアは……
――どうかな……初対面の他人から見て、わたしはどう見えるんだろ。お姉ちゃんは贔屓目もあると思うからなあ。
実際、レベッカのような力は無いし、マナのような魔力も無いし、アリアンナのような戦闘用のチートスキルも無い。だが、落ち着いているというならアルテミシアも同じ事。あのチートマシマシのクソ上司や強大な"獣"との戦いに比べたら、ダンジョンアタックなどピクニック同然だ。
今日はいつもの服の下にミスリルの鎖帷子を着ているし、奇妙な籠手……ミスリル製のオーダーメイド武器である薬染爪剣とか、明らかに等級不相応な装備も持っている。
――考えれば考えるほど『わたしを見て何とも思わないのは節穴』って気が……
もうちょっと弱く見えるよう気をつけた方がいいかな。
何にせよ、ザックは全く皮肉に気付いた様子がなかった。
「恐悦至極。本日はよろしくお願いします。
……ああ、そうそう。レベッカさんのパーティーのメンバーですが、レベルに誤表記があると思われます。こういう事がたまにあるんですよ。街に帰りましたら支部のデータをご確認ください」
優雅な所作(と本人は思っているのだろう)で礼をして、ザックはパーティーメンバーの所へ戻って行った。
「……何あいつ」
「全くだ。リーダー足らん者に全員の命を預けようなどと馬鹿げている」
うんざりした調子で言ったレベッカに別の冒険者が応じ、レベッカは更にうんざりした顔になった。
大きな身体、分厚い鎧、そして大剣という、ロランのような正統派重戦士スタイルの男だ。三十路過ぎくらいの人間で、つるりと剃り上げた頭が特徴的だった。
「あんたも何よ」
「俺は"黎明の獣"のリーダー、オスカーだ」
さあどうだ、と言わんばかりだが、レベッカの返事は
「知らないわ」
だった。
「お……おいおい、いくらなんでもそれは無いだろう。
"黎明の獣"と言えばゲインズバーグシティ支部で先月の依頼達成数No.1パーティー。それ以前もずっと3位以内をキープしているんだぞ。しかも俺は支部でも数少ない第五等級で、近々第六等級にも手を掛け……」
「だから知らないって言ってるじゃない」
ぐだぐだといつ果てるともなく続くオスカーの長広舌をぶった切り、レベッカは薬草茶の最後の一口を飲み干す。
本人が言う通り、実績あるギルドのリーダーで第五等級だと言うのなら、この場ではレベッカに次ぐ実力者のはずだ。年齢的にもレベッカの一回りくらい上に見えるが……
――なんかこういう人、見覚えがあるなー。ちょっとキャリア長いだけで、敬われて当然って思ってる人。
クソな職場にしばしば存在するタイプだ。
得てしてこういう人物は、自分の思い通りに尊敬されないと突然怒り出したりする。
実際オスカーはあからさまに気分を害した様子だったが、あくまでレベッカの方が等級が上だという事実を思い出したのか、ギリギリの所で踏みとどまったようだ。
「い、いいか。ちょっと有名になって舞い上がってるのかも知れんが、もう少し謙虚になることを勧めるぞ。
あの『悪魔災害』の時、ほとんどの冒険者はギルド員を逃がすために……そう、第一等級や第二等級などのまともに戦えない者たちを逃がすために行動していたのだぞ。
お前が悪魔を討ったのは、それに参加していなかったからに過ぎない。あと少し時間があれば、間違いなく"黎明の獣"が悪魔を倒していた。支部最強の"穿つ流星"が長征中だったのもお前の幸運だな」
「私はあの時、ゲインズバーグシティ支部どころかこっちのギルドにさえ所属してなかったんだから、ギルドとしての行動に参加しなかったのは当然よ。
だいたいあなたが倒せたなら倒してればよかったじゃない。大変だったのよ?」
生憎と、レベッカはギルドでの地位なんかより妹の方が大切なのだ。
もしオスカーが『悪魔』を倒していたら、レベッカもアルテミシアも危険な目に遭うことは無かった。何もできなかったくせに今更グチグチ言われるのは腹立たしいに違いない。
レベッカは正直に自分の気持ちを述べただけのはずだが、痛いところを突かれたらしいオスカーは口ごもる。
「そ、それは……
獲物についての情報が少ないうちから、無為無策に突っ込んで行くのは馬鹿のすることだろう。
"光の尖兵"……第六等級のコンビが悪魔討伐に出て行って戻ってこなかったんだぞ。迂闊に後を追えるか。パーティーメンバーを徒に危険に晒すわけにはいかなかった」
「じゃあ戦わなかったのは妥当な判断じゃない。それでいいでしょ」
「ぐ、ぬぅ……」
ぐうの音も出ないとはこの事だ。
オスカーの判断はリーダーとして妥当だったろうし、その後ギルドに従ってギルドメンバーの避難に努めたのもおかしくはない。巻き込まれたレベッカとは事情が違う。
それでよしとすれば良いはずの所、レベッカが得た名声を嫉んでメチャクチャな事を言っているだけだ。
「用はそんだけ?」
「違う、そうではない!
……お前の仲間、3人とも第二等級だというのは本当か!?」
先程のザックとの会話を聞いていたらしい。
「本当よ」
しれっと言うレベッカ。
その途端、オスカーの顔が『ムカつく奴を正論で叩きのめす』という愉悦に歪んだ。本人は真面目で厳しい顔をしているつもりなのだろうが。
「お前ではなく、お前の仲間のために言う!
この状況下で第二等級を連れ込むような真似はよせ! 犠牲者が増えるだけだ!」
「等級が強さとは限んないでしょー。見ても分かんない?」
「つ、強いか弱いかなんて話ではなく、経験不足の冒険者では危険が……忠告はしたからな!!」
ザックよりも多少見る目はあるようで、アルテミシア達を見て何らかの引っかかりは感じたようだ。
が、本気で忠告する気はゼロで、あくまでパーティーメンバーの等級を出汁にしてレベッカをやり込めるのが目的なのだから、そこら辺の違和感は意図的に無視されていた。
言いたい放題言ったオスカーは大股で帰っていった。その背中を見てレベッカは鼻で笑う。
「マナとアルテミシアがレベルいくつだと思ってんのかしら。たぶんあいつ、さっきの話聞いてただけでデータは見てないわね」
「何あれ。ストレートに見下されるより数倍ウザイんだけど」
「いい気なもんよね。本当の英雄が誰かも知らないで」
レベッカは周囲に聞かれないよう、小さな声で吐き捨てる。
「なんかゴメン、お姉ちゃん。ホントはああいうのがわたしの所へ来るはずだったんだよね」
「それはいいのよ。ああいうの慣れてるし。
……私、旅から旅の暮らしだったから一カ所で名を上げるって事はほとんど無かったけど、それでも何度か経験はあるわ。ちょっと顔が知れるとそれだけでぶっ叩きに来る奴がどこにでも居るのよ」
それは人の業みたいなものなのかも知れないな、とアルテミシアは思った。
時代・業界・人種どころか、世界まで違ってもする事は変わらない。
「でもね、自分が強くなるとそういうのだんだんどうでも良くなるの。外野の声に興味が無くなるって言うのかしら」
「ああ。『争いは同じレベルの者同士でしか起こらない』ってことか」
「良い格言ね。それって誰の言った言葉?」
「カンガルー」
違ったかも知れない。