14 馬ッ鹿ーノ
有史以来、人類と酒は悪友であり続けてきた。
夕刻、歓楽街の酒場は徐々に賑わい始める。
浮かれた照明光が夕闇を払い、呼び込みの声と漏れ出す音楽が渾然となって、独特の空気を作り上げていく。
王都の本店から暖簾分けされた酒場『デュオニュソスの杯・ゲインズバーグシティ店』は、時間制限付きの飲み放題という斬新な営業形態もさることながら、見た事も聞いた事も無いような料理を出すことで話題だった。だがその料理がどれもこれも絶品で、一度食べたらやみつきになると評判だ。
異国情緒溢れる装飾の店内には、今日も客が満員だ。入り口のカウンター前には順番待ちの列さえできている。
そんな店内にいまひとつ風采の上がらない若い男ばかり座ったテーブルがひとつ。
「ご注文は何になさいますか?」
「全員ビールで!」
「あと唐揚げ全員分くれ!」
「俺フライドポテト!」
「カツ丼!」
「食い過ぎだろ」
「いいんだよ! 食った分、頭使ってるんだから。
カツ丼は神の食べ物だ。あんな米の食い方を考え出した奴は今世紀最大の発明王だ!」
「はいはい」
騒々しく注文を済ませ、まずはじめの一杯が運ばれてくると、幹事のブライアンが乾杯の音頭をとる。
「はい、ではー、ゲインズバーグ領立工房・結婚できない男の会。はじまりはじまりー」
「「「「カンパーイ」」」」
ジョッキが打ち鳴らされて、ビールのしぶきが散った。
「なんだよその会!」
「今日って全員独身か、そういや」
「出会いが無ぇよなーっ!」
珍妙な乾杯の音頭に、男たちは笑い合った。
彼らはゲインズバーグシティの領立ポーション工房で働いている男たちだ。
今日来ているのはほとんどが手作業での調合に従事する調合師だが、大樽調合の職人も混じっている。単に、飲みに行きたい者同士が誘い合ってできた集団だった。
彼らは酒の席でも薬草の話をするような調合オタクども。
しかし、『調合さえできるなら他に何も要らない』……というところまで振り切っている者は、さすがにそうそう居なかった。
酒も飲みたきゃ彼女もほしい、休みも取りたい給料上がれ。ありふれた欲望を抱えた、どこにでも居るような男たちである。
「いるじゃんよ、女の人」
「いるけどさぁ。既婚者と彼氏持ちばっかりじゃん」
「クリスティーナはどうだっけ?」
「あいつセレンディン商会のクソハンサムな手代と付き合ってんぞ」
「マジかよ!」
「うわあああ、知らなかった……」
なんとなく、流れで職場恋愛の話になる野郎ども。
男女分業の職場が多い世の中で、ポーション工房はまだしも女性比率が高いと言えよう。だがそれでも10人にひとりくらい。
他業の友人などから『女性の居る職場』を羨ましがられる事もあるが、だからと言って彼女ができるとは限らないのだ。
「フリーの可愛い子、いるにはいるじゃん。アルテミシア」
イザークがぼそりと言った、その言葉に皆がなんとなく息をのむ。
「え? この流れでアルテミシアちゃん出ちゃう?」
「可愛いっちゃ可愛いけどさあ」
「別格だろ、あの子は……」
「そもそも歳が違いすぎんだろ」
「冗談、冗談だって」
生ぬるい苦笑が広がっていく。
確かに、恋愛の対象として見るのは無理がある歳の子。
だがそれ以上に、腰が引けている。
容姿も、その能力も、彼女はあまりにも非現実的な存在で、なんだか迂闊に触ったら塵にされてしまいそうな冒しがたい尊さがあるのだ。
「ったく……みんなしてアルテミシアアルテミシアって。
まるっきりアイドル扱いですよね」
ジュリアンが聞こえよがしに呟いて、むすっとした顔でジョッキを煽る。
「みんなアルテミシアに甘いですけど、そういうのどうかと思うんですよ俺ぁ。
年齢も性別も見た目も関係なく、俺らは等しく調合師でしょう」
「おいおい、そんな話してないだろ」
「あの子、仕事もできるじゃん。新ポー……っと、ほら、大発見もしたし」
イザークは言いかけて周囲を見回し、言い直した。
店の中は戦場みたいにやかましくて、誰も他のテーブルの話なんか聞いていない様子だが、新ポーションの事はまだ部外秘だ。どこからか盗み聞きされたら大問題になる。
イザークの擁護にもジュリアンは首を振る。
「就職するなり失踪してどっからかレシピを持ってくるのと、日々コツコツ調合してんのとどっちが偉いかって……おぶっ!?」
ブツブツと愚痴るようにジュリアンが言いつのっていると、彼と仲のいいフェルディナンドががばっと肩を抱いた。
「こいつ嫉妬してんですよ。開発やれる日はいっつも新ポーションの研究やってたから」
「なっ、おまっ……!? ち、違ぇし!」
ジュリアンは必死で首を振るが、その反応がむしろ語るに落ちていた。
領立工房の調合班は、回り持ちで新レシピの開拓に当たっている。
既存のレシピに従って調合を繰り返すだけのいつもの調合と異なり、自由な発想で調合を試せる楽しい時間だ。何より、新レシピを発見すれば出世や一攫千金のチャンスにもなる。
そして、基本的にはみんな、現実的に狙える『レシピ改良』を目指すのだが、中には山師のように『新ポーション発見』を狙って様々な調合を試す者もあるのだった。
周囲からジュリアンへの視線が、生暖かく哀れみを孕んだものとなる。
「あんなバケモンに嫉妬してどーすんだよ。『普通』の範囲内で考えろよ」
「だから嫉妬してねーっつの!」
「実際ありゃ比べるだけ毒だって」
「唐揚げお待ちどう」
割り込むように、唐揚げの大皿が降って来た。
会話はいったん途切れ、ジュリアンはふて腐れたように唐揚げを一気にふたつ口に入れる。
「居るんだよな、本物の天才って……」
「まあなあ……」
ブライアンとイザークは揃ってしみじみと溜息をついた。
アルテミシアが工房に来て2ヶ月余り。彼女が発見した改良レシピは(本人にしか再現不可能だったが)7つ。そして新発見のポーションが1つ。笑うしかないほどの成果だ。
「ポーションで歴史に名前残した偉人も居るだろ。そういう奴じゃねーの?」
「例えばさ、誰も剣聖シャイラスと剣の腕で競おうとは思わないだろ。
俺さぁ、よく思うんだよ。シャイラスが兵士だった時代、訓練の相手する同僚はたまったもんじゃなかったろうなーって」
「俺は『シャイラス本当は大して強くなかった説』を推してるんだが」
「そうじゃなくて」
「うん、わかってる。後世から見れば並ぶ者無き偉人でも、普通に今生きて競争してる奴にはたまったもんじゃないって」
「それな」
彼らはプロフェッショナルを自負している。経験も知識もあるし、それを常に高めるべく努力している。
だからこそ、アルテミシアがどれほど規格外なのかわかるのだ。
彼女に追いつこうと普通の手段で努力するのが無駄だという事もわかる。おそらく、調合の知識をつけ、腕を磨くだけでは到達できない異次元にアルテミシアは立っている。
だがそれで、負けっ放しでは居られないという負けん気も、また多少は存在するのだった。なんのかんの言いつつ、実はみんなジュリアンに同情的だ。
「それでアルテミシアが可愛い話なんだが」
「話戻んのかよ」
「こだわるなあ」
イザークが話を混ぜっ返した。
「このロリコンが」
「そうじゃない。ああいう娘が欲しい」
「それならわかる」
「仕事から帰ったら『お父さんお帰りなさーい!』って駆け寄って欲しい」
「わかる!」
「二日酔いで寝てるとこ起こしに来て『もーっ、だらしないんだから!』って怒りながら薬出して欲しい」
「わかるっ!!」
野郎どもは、どっと沸いた。
実力と才能の話はひとまず置いといて、アルテミシアが工房のマスコットでありアイドルなのも、また確かな共通認識だった。
「結婚の相手もまだなのに娘の話してどーすんだよっ」
「そもそもお前が誰と結婚したらあんな子生まれんだよ」
「今は現実の話してねーっつの!」
極めて常識的な突っ込みに、イザークは(本人的には)理路整然と言い返す。
「まず恋人より娘って、発想がオッサンだな、お前ら……ほぼタメだろ俺と」
アントニオが呆れたように言うが、さすがにこれには苦笑が返る。
「いやでもさ、相手が10歳くらいの子ってなったら流石に!」
みんな『アルテミシアが可愛い』という点で意見の一致を見てはいるが、それは異性として見てのことではないのだ。
だがここでアントニオがキラーパスを放った。
「もし仮にだよ。今ここに17歳のアルテミシアが居たらどうする?」
酔っ払いどもは、ごくりと息をのんだ。
レンダール王国において、人間は16歳で成人と見なされる。17は男女ともに結婚適齢期の代名詞とされる年齢だった(ただし実際は女性でも20歳前後の結婚の方が多く、男性は結婚に経済力が必要なためさらに遅くなる)。
あの非現実的なまでの美貌を誇るアルテミシアが、大人の女性となったら……?
それぞれが今のアルテミシアをベースに、自分の好みの方向へと成長したアルテミシア(17)の姿を夢想した。
それはクールなキャリアウーマン風であったり、サキュバスの如き妖艶な美女であったり、純情可憐なメインヒロイン系であったり、巨乳であったり、コンパクトであったりして、必ずしも一致していなかったのだが
「「「「良い…………」」」」
なにしろ酔っ払いの戯言なので誰も整合性を気にしなかった。
「だろ? なぁ、もしそんなアルテミシアが居たらどうするよ」
「……ダメもとで声は掛ける」
「んだな……見ず知らずなら別として、おなじ職場なら話もしやすいし」
「だろぉ!?」
「いや! 俺は道端で出会ったとしても声掛けるね!」
「節操ねぇなあ」
ナンパのナの字にも縁の無い男どもが、どうやってアルテミシア(17)を誘うかという話で盛り上がりかけたその時だった。
「……踏んで欲しい」
トビーがぼそりとそう言って、流れが変な方向へ変わった。
「そっちかよ!」
「いやいや、踏んでもらうにもまず仲良くならなくちゃダメじゃん」
「そうですよ。いきなり踏んでくれなんて言っても……」
「いや! もしかしたら全力で頼み込めば一発くらい踏んでくれるかも」
その、何気ない一言が、野郎どもの魂に火をつけた。
一気に全員の目付きが真剣なものになる。それはきっと、諸侯会議で王国の行く末を議論する諸侯にも負けない真面目さだったはずだ。
「だったら俺、裸エプロンで朝飯作ってほしい」
「俺は……メイド服で耳かき……」
「お前らそんなんだから結婚できねーんだぞ」
「じゃあお前はどうだよ」
「…………鎧かなんかで武装した格好でいつも通り調合して欲しい」
「業が深すぎて意味わかんねえよ!」
酒の勢いも借りた男どもは、ああでもないこうでもないと盛り上がる。
だが、その次の瞬間、店が震えた。
酔客どももおしゃべりを止め、陽気にギターを弾きならしていた演奏家は弦を切り飛ばし、ウェイトレスは転倒して皿を割った。
もはや物理的に感じられるほどの緊張感。男たちの舌が、凍った。
「へぇ――――……? 面白そうな話してるじゃない」
燃える炎のように鮮烈で、艶やかで、ちょっぴりハスキーな声。
椅子の背もたれが掴まれて、ミシリと音を立てた。
薄暗い店内でも映える、長い赤毛。
すらりとした印象ながら、ぎっしりと筋肉の付いた体。
どこかラインが不自然な、張り出した胸部。
この街に彼女を知らぬ者は居ない。
ゲインズバーグを救った猛女レベッカ。
洗いざらしのワンピースを着た町娘ルックでも、その迫力は変わらない。
ブライアンの背後に立った彼女は……背筋が凍るほどにこやかに微笑んでいた。
「皆さんお暇だったら、一緒に飲みましょ?」
ネズミを戯れにいたぶり殺そうとしている猫のように、レベッカは舌なめずりをした。
男たちは死を覚悟した。