13 書簡
親愛なるシャラ領主 マホメットへ
正直に言うと、手紙でも書いていなければ気が狂いそうなんだ。あまりにもすることが無いのでね。
ここでは調度品の収拾もできやしない。君から工芸を習っておけば良かったよ。
私が今どういう状況に置かれているのか既に聞き及んでいるかも知れないが、間違った話が伝わっているかも知れないのでまずそれをハッキリさせておこう。
今はアラルハイズの塔に幽閉されている。つまりはそういうわけだ。この手紙に返事を書くのは勝手だが、おそらく私の手には届かないことだろう。
ハルシェーナの森を相手に事を構えた。
それはカイリ領主として決してしてはならない事だった。
少なくとも国はそう判断したわけだ。
私は一時の欲望によって、全てを失ってしまった。
本当のことを言うなら、この破滅は遙か以前に始まっていたのかも知れない。
私は領主の座に就いて以来、官僚の刷新を行ってきた。反りが合わない者は、父上が名目分封を行った騎士だろうと容赦無くクビを切って、若くとも見込みがある者はどんどん取り立てた。
仕事はしやすくなった。しかし私は取り返しが付かないことをしていたのかも知れない。
たとえば私は昨年、ハルシェーナの森との交渉方針に異論を述べた高官をひとり、更迭している。彼は人間相手の渉外担当だったのだが、管轄外にもかかわらず森との交渉方針に度々異論を差し挟んでいた。私のすることが侮辱的でエルフを刺激するとかなんとか言ってね。
更迭の理由は意見の対立ではない。彼について女性関係で良からぬ噂が流れていたからだ。領の顔となる渉外担当にそういう人物は置けない。ただ、意見が対立していた彼の悪い噂を聞いて、これ幸いと首にしたのではないか、と言われれば否定は難しい。
エルフに甘い彼の態度を嫌う者は、若い下級官僚を中心に多かった。果たして、彼についての悪評は真実だったのだろうか? 領主であった私なら人を雇って調査することもできただろうが、今の私にはもはや知るよしもない。
ところで君は、事の顛末をどの程度まで知っているだろうか。とある愚か者の愚かな行為と私の勘違いのせいで、情報部とカイリ領の間に致命的な齟齬が生じたのだ。私は此度の侵攻を情報部が、ひいては国が容認したものと考えていた。
私が言うのもなんだが、情報部の立て直しは急務だ。聞くところによると中央の情報部は、使えないがないがしろにできない人材のゴミ捨て場にされていたとも。
よりにもよって情報部が、という印象だが、分からなくもない。
南西の魔族領(あえて分かりやすくこう書く……領主として、あれを『領』と発言したら大問題になったろうがね)と戦うことが、レンダール王国にとっては建国以来の命題だった。そのせいか、対人諜報活動は軽んじられてきた。調査部の余り物ばかりが放り込まれていたわけだ。
それでもどうにかやってこられたのは、やはり指揮を執っていたラエルガ伯の辣腕あってこそだったのだろうな。彼が輪廻に旅立ってからというもの、情報部についてのお粗末な噂を聞くことが多くなった。組織としてはとっくに腐りきっていたのだろう。
これからカイリ領はどうなるのだろうか。
一旦は暫定的に王領に組み込まれるはずだが、いつまでもそのままではないだろう。
次期領主はうちの分家筋あたりか、それともまったく別の家に渡されるのか……領主の地位を欲している"無領侯"は多い。
いずれにせよ新しいカイリ領主が君の良き隣人たらんことを願う。そして私よりマシな領主である事を。
今年の夏は君の家族をカイリへ迎えられないことが残念だ。去年は、末の息子が魔法の才を示していたな。
皆、息災だろうか。家族のことは、大切にできる時に大切にしておいた方がいい。私からの忠告だ。
書こうか迷っていたが、やはり私の家族のことも述べておきたい。
私は全ての領民に済まないと思っているし、同時に家族にも、我がミエトゥーネン家にも済まないと思っている。
だがここに幽閉されてからというもの、私は家族の現状すら知ることが叶わない。
こんな状況がいつまで続くのか。ひょっとしたら一生なのか。厚かましい願いではあるが、もし私の家族が困窮するようなことがあったら、君が力になってあげてくれないだろうか。
家族にも手紙は出したが、エリザベスは私の手紙など読まずに破り捨てているかも知れないな。多感な時期の娘にこんな姿を見せてしまったのは親として不徳の致すところだ。
シモンには詫びても詫びきれない。やがてカイリを継ぐ者として育ててきたが、全てが台無しになってしまった。
我が最愛の妻ヴィヴィアンには、なんと言葉を掛けるべきだろう。私の人生は彼女無しにはあり得なかった。だが、彼女にとって私との人生は幸せだったのだろうか。
どんなに日々が忙しかったとしても、あとほんの少しだけ家族のための時間を設けるべきだった。それが大きな心残りだ。
ここに来てからというもの、私は後悔と祈りを重ね、これからどうするべきなのかと考え続けている。
その答えはまだ出ない。だが、君に友人としてひとつ有意義な忠告をするなら、最大の後悔は『やろうと思っていたがやらなかったこと』にある。
実は私はカイリ領主でありながら、かの『エヴァライトの大滝』をこの目で見たことが無い。若い頃はあちこち回ったつもりだが、カイリには名所が多すぎるからね。
機会があれば見に行こうと思っていたんだ。だがそれはもう永遠に叶わないのかも知れない。そう思うと惜しくてたまらないのだ。
小さな後悔だと思うだろうか。実際そうかも知れない。しかも天下国家のことでもカイリ領の未来のことでもなく、ひどく個人的な話だ。なのに何故かこの事が頭から離れないんだ。
領主である間はあれほど商売のことであくせくしていた私が、今になってまさか滝ひとつに心奪われているとは。
人というのは何を後悔するか分からないものだ。君も忙しいのだろうが、その日々の中で切り捨てているものの中に、どうしようもない後悔の種が潜んでいるかも知れない。努々それを忘れず、日々を生きてほしい。
ああ、それともうひとつ後悔があった。君が贈ってくれた、サボテンの魔物を使ったとかいうジャム。最初はコックが卒倒しそうになっていたそうだが、食べてみたら本当に美味しかった。是非とも特産品にしたまえ。良い品だったが、あれのお返しを贈っていなかったね。
いっそこっちからも植物の魔物を使ったジャムを贈ろうかと話していた所だった。カイリはあんな環境だから、いくつか心当たりがあったんだ。もっとも、どれもこれもゲテモノ扱いされているが……
私から贈ることは叶わなくなってしまったが機会があれば味わって欲しい。
そろそろ時間だ、明かりを取り上げられてしまうのでこの辺りでペンを置こう。
また機会があれば君に手紙を出す。迷惑でなければ受け取ってほしい。
変わらぬ友情を君に
マークス・フォン・ミエトゥーネン
追伸
今だから言おう。私は君の商才に嫉妬していた。
資源に乏しい砂漠の国を、よくまああれだけ富ませられるものだ。
カイリは豊かだが、それだけだ。私は父上を超えることすらできなかった。
* * *
この手紙を書いた4日後、元カイリ領主マークス・フォン・ミエトゥーネンは毒入りのワインを飲んで死んだ。
それは自らの境遇を儚んでの自殺か?
自責の念による自裁か?
その存在を都合悪く思った王国による暗殺か?
エルフ達の報復か?
いかなる理由によって彼が死に至ったか、社交界の貴族から安酒場の酔っ払いに至るまで口々に噂した。いずこかに真相を知る者も居たのかも知れない。だがそれは終ぞ詳らかにされる事は無く、マークスは歴史の闇に消えた。
なんとなく火曜更新+αでやって来ましたが、なんとなく週末メインに変えてみようと思います