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11-15 ザ・リトルシスタアズ

 いつからか、ゲインズバーグシティで囁かれる都市伝説がある。


「ねぇ、おじさん」


 雑踏の中、不思議とよく通る少女の声で呼び止められて石工のアニルは振り返った。


 アニルを呼び止めたのはボロを纏った少女だ。

 石畳の上に裸足で立っていて、おとぎ話の魔女が着るような、闇色の朽ち果てたローブを着ている。

 その出で立ちから判断するなら、明らかに浮浪児。まるで死神のような風貌の不吉な少女。

 だが、目深に被ったフードから覗く口元だけでも、その少女が常軌を逸して美しいことは分かった。

 人の限界を超えているとすら思える、天上の美……

 左右を通り抜けていく人々が遠く、別世界の出来事に思えるような。この世界に自分と少女ふたりきりしか存在しなくなったような、神秘的な一瞬だった。


「……なんだい、お嬢ちゃん」


 不思議と、鼓動が速くなる。何か、超常的な事態に遭遇しているのではないかという疑念が湧いてくる。

 アニルは目の前に居る少女が定命の者であるか疑念を抱いた。


 ――馬鹿馬鹿しい。こいつが女神か妖精か、はたまた化け物だとでも言うのか?


 自分自身の子供じみた空想を、アニルは切って捨てる。

 しかし、続く少女の言葉は、アニルを再び物語の世界に引き戻した。


「おじさん、このままでは死んでしまうよ」


 真摯に心配して忠告する口調だった。見目麗しい少女からこんな風に心配されて、全く心が動かない者は居ないだろう。


 だが、このままでは死ぬなんてことが何故分かるのか。そんな死にそうな見た目ではないはずだ。

 アニルは働き盛り、腕利きの石工であり、仕事で鍛えた肉体はそんじょそこらの新兵なんぞ目じゃない引き締まりようだ。今朝も快食快便、内臓を悪くしているわけでもない。完全なる健康体だった。


 それを、何故、死ぬだなどと。


「……嬢ちゃん、それはもしかして、そういう遊びかい?」


 アニルは自分に言い聞かせるようにそう言って、笑った。

 だが、眼前の少女はもはや問答無用という様子で何かを取り出す。


 霧吹きのような何かがアニルに向けられた、と思った。

 そこから何かが吹き出した、気がした。


 アニルは急に、立ちくらみを起こしたかのように感じた。

 いや、違う。これは……眠気だ。


「なんっ……!?」


 身体を重く感じ、アニルは片膝を突く。

 それでも支えきれず、這いつくばる。何事かと周囲の人々が立ち止まり始めた。

 その時にはもう、少女は雑踏の中に姿を消していた。


 ――なんだ……本当に、なんだってんだ…………


 アニルはそれっきり、意識を手放した。


 * * *


 ふと気が付くと、アニルはどこかに寝かされていた。

 自宅の汚いベッドでも、工房に泊まり込むための臭い毛布の中でもない。綺麗に洗われたシーツ。少し高い天井。


 なんとなく上体を起こすが、まだ頭の中に石でも詰め込まれたみたいにくらくらして、頭がぼーっとしている。

 そこは病室だった。ベッドがいくつか並び、それぞれに人が寝かされている。


 ――んん……? なんで俺は、こんなとこに……


 回らない頭で必死に記憶を手繰ると、工房へ出る途中で出会った奇妙な少女のことを思い出す。

 そしてその後、急に眠くなって……


「ああ、目が覚めたかい」


 ちょうど回診をしていたらしい、白衣を着た医者の干物みたいな老人が声を掛ける。


「あんたよう、通りで倒れてたんだ」

「通りで……?」

「目が覚めたなら良かった。どこか痛かったり苦しかったりしないかね」

「いえ、特には……」


 問診をされながらも、まだ何が起こっているのかアニルは分からなかった。


「アニル、無事だったのか!!」


 いきなり胴間声に鼓膜をひっぱたかれて、アニルはちょっと頭がハッキリした、


 病室の入り口から、むくつけき筋肉野郎どもが入ってくるところだった。友人や同業の仲間たちだ。みんな暑苦しいが良い奴だ。


「病院ではお静かにっ!」

「「「サーセーンッ!」」」


 医者か看護師か分からないか、廊下で誰か中年の女が叫んだ。

 筋肉野郎どもは気をつけの姿勢で、声量を抑えながらも元気に謝罪し、それからアニルの方に駆け寄ってきた。


「よかったなぁ、アニル」

「生きてやがったぜ!」

「って……何が?」


 何が何やら分からない。筋肉野郎に潤んだ瞳で手を取られても、これでは気色悪いばかりだ。綺麗な姉ちゃんに同じ事をされるなら嬉しいが。


「おい、まだ頭がハッキリしないのか? お前の工房吹き飛んだんだぜ」

「置いてあった発破用の火薬が全部ドカーン! だ」

「だからあの火薬はやめとけっつったんだよ。いくら安いっても限度があらぁ」


 大げさな身振り手振りを付けて、友人たちは興奮気味に説明する。

 火薬。工房。爆発。頭の中で浮かんでいた単語が、しばらく時間を掛けて繋がった。

 そう言えば、発破用の火薬を買ったばかりだった。これまで使っていたものの4割は安い値段。あの『悪魔災害』以来、いろいろと物入りで手元不如意だったので、少々怪しいとは思いながらも飛びついてしまった。

 それが、ドカーン。爆発。吹っ飛んだ。


 つまり友人たちは、その報せを聞いて、アニルが大怪我をして病院に担ぎ込まれたものと考え、ここへ飛んできたのだ。


「待て、おい、違うんだ。俺はその時、工房に居なかった」

「あぁ? じゃあお前なんで病院こんなとこに居るんだ」

「なんだ? よく見りゃ怪我すらしてねぇぞ」

「いや、それがよ、工房へ行こうとしてたらよ……」


 言いかけて、はたとアニルは悟った。


『おじさん、このままでは死んでしまうよ』


 このまま。もしまっすぐ工房に出ていたらどうなっていたのだろう。

 爆発に巻き込まれて、今頃……


 ――あれは……何だったんだ!? 俺は守られたのか!?


 おとぎ話の死神のような、不気味で神秘的な少女。

 彼女は未来を読み、アニルを死の運命から救った。

 そんな事ができるのは何だ。何故自分を救ってくれた……と、考えようにも、神話的素養に乏しいアニルは、祈る相手なんて輪廻の女神様くらいしか思い浮かばなかった。


「女神の使いを見たんだ」

「あ?」

「俺は命を助けられた」

「おい、頭がどうにかしちまったんじゃねえか」

「違う! 本当だ! 工房へ行こうとした俺を眠らせて……

 くそ、こうしちゃいられん!」


 ふらつく足に鞭打って、アニルはベッドから立ち上がった。


 誰かに助けられたら、すぐに、ちゃんと、お礼をする事!

 死んだばっちゃんが口を酸っぱくしてアニルに言っていたことだ。


「待て待て、まだ診察が終わっておらん」

「どこ行くんだよ!」

「神殿へ。女神様に感謝を捧げるんだ」


 その時のアニルは、子どものようにキラキラした目をしていたに違いない。


「「「…………キモッ」」」


 普段は酒をラッパ飲みしながら神殿の前を通ったって気にしないアニルが一世一代の信仰心を発揮したのを見て、筋肉野郎どもは揃って気色悪がった。



 いつからか、ゲインズバーグシティで囁かれる都市伝説がある。

 街中に現れる『死を告げる少女』。

 彼女はかつて、街を作る際の事故で非業の死を遂げた。そして今もなお街をさまよい、まだ輪廻に旅立つべきでない人々を、この世に引き留めているのだと……


 * * *


 その正体は言うまでもなくアルテミシアだ。


 幾度かの試行を経て、アルテミシアは自分の力について性質を掴みつつあった。

 アルテミシアが見る『死の影』は、近い未来に……長くても数日のうちに()()()()を見る。

 日常生活の中にさえ、いくつも運命の分岐が潜んでいる。そこで人がどちらに行くかは分からない。だが、死の選択肢が迫るほど、そして通りうるルートの中にバッドエンドの数が多いほど、『死の影』は強く燃え上がる。

 将棋AIソフトによる優劣判断みたいなものだとアルテミシアは理解していた。


 そしてもうひとつ。この力は、アルテミシア自身の行動だけはほとんど勘定に入れていない。

 アルテミシアは、自分が見る運命から外れた存在なのだ。

 アルテミシアが何もしなければ、見えた運命そのままに。しかしアルテミシアが介入すれば、運命は良くも悪くも大きく振れる。


 例えば右へ曲がれば事故死、左へ曲がれば生き延びる男が居たとする。どちらの道を通ってもいいのだとすると、死の可能性が50%だ。

 そこでもしアルテミシアが彼を足止めしたらどうなるか。『右へも左へも曲がらずその場で倒れる』という、あり得なかった選択肢が出現する。

 つまり、『死の影』を持つ人が居たら、とりあえず昏倒させて今後の行動予定を乱すというのが非常に有効な手だった。もしそれでも『死の影』が消えなかったら継続観察となるが。


 今日も出勤途中で『死の影』を持つ男に出会ったアルテミシアは、『変成服マルチクロス』で姿を変え、誘眠スリープポーションを吹き付けて眠らせた。

 倒れた男からは『死の影』が消えていた。この先にある死の運命から逃れることができたのだ。


 もしこれでも『死の影』が消えないなら、少しだけ間を空けて、大きな事故や事件が起きる可能性が高い。

 そうなったら領兵団へ通報だ。

 レグリスはアルテミシアの生活圏内に、顔見知りの領兵を配置してくれた。領城の戦いで命を預け合った戦友たち。彼らはアルテミシアが何者なのか、少なくとも他の領兵よりは知っている。

 そこから通報のホットラインがレグリス側近まで通じていて、街を警備する領兵たちに指示が下る。アルテミシアから通報を受けた被害予定者の方へ、それとなくシフトが誘導される。


 それでも無理なら……


 ――今は、これがわたしの精一杯。


 アルテミシアはポーション工房の開発室で、今日もレシピ開発にいそしむ。

 巨大な机には何冊もの古びた本が広げられ、薬草と乳鉢が積まれている。


 今日はいつも通り仕事をして、颯爽と定時帰りする予定だ。

 帰り道で『死の影』を持つ人に出会ったら、やるだけのことはやってみよう。

 夕飯はまたお姉ちゃんが何かを買ってくるらしい。

 その後は……フィルロームさんに借りた薬草関係の魔導書をとっとと読破してしまいたい。マナちゃんに防水の魔法を掛けてもらってお風呂で読むのはお行儀が悪いと言われたからもうやめておく。

 でも夜更かしは厳禁だ。今の身体は転生前より多くの睡眠時間を必要とするうえ、寝起きも悪い。お子様は早寝をするとしよう。


 そして明日も、もし出勤中に『死の影』を持つ人に出会ったら、やるだけのことはやってみよう。

 今は、それだけだ。


 * * *


『で、結局失敗したのか』


 狼女はこつこつと、尖った爪で苛立たしげに机を突く。


 晴れぬ暗雲が立ちこめ、昼なお暗い魔族領。

 かつて吸血鬼ノスフェラトゥの居城であった城の、朽ち果てたかのように装飾した応接間。

 数日前と同じふたり(2匹?)が顔を合わせていた。


 狼女に相対する影……ドッペルゲンガーの『1号』は、不定形の影の身体を、人間の子どもほどの大きさにまで縮めていた。恐縮しているらしい。


『レベッカを優先しろっつったけど……』

『や、やつらが帰ってきてるなんて、知らなかった。

 化けた中にも知ってる奴は居なかった』

『分かってるよ、いよいよルウィスを殺そうってとこで知ったんだろ』


 忌々しげに狼女は頭を振った。三角耳が揺れる。


 帰還したドッペルゲンガー部隊からの報告は、酷いものだった。

 暗殺は完全に失敗。それどころか虎の子のドッペルゲンガーを失う事態になった。

 死の運命を見るとかいう、奇妙な少女に計画を見抜かれたという報告を聞いて、さすがに最初は滅茶苦茶な言い訳だと思った。しかし、かの少女はカイリ領での大騒ぎに参加していたらしいと聞いて、彼女は納得はできた。


 ――『歪みの獣』ってのは、多分あれだろ、この世界にあっちゃいけないもの。文字通りの歪みバグだ。あんな場所じゃ何が起こってもおかしくない。


 よりによってそいつが居合わせたのは不幸以外のなにものでもないが……


 だが続く『1号』の言葉は、彼女にとって一番の驚きだった。


『そそそ、それで、な。その、メスガキ、お前が言ってたレベッカの、い、妹、らしい』

『妹だぁ!?』


 謁見の間から持ってきた豪華な椅子に、ずっと物憂げに身を沈めていた狼女は、その言葉を聞くなり机をぶっ叩いて立ち上がった。

 サイクロプスにぶん殴られても砕けないという触れ込みの、千年樫の机がきしむ。『1号』の身長が更に縮んだ。


『……おい、それは本当なのかい?

 妹って? 言ったんだね? レベッカが?』

『ち、直接は、聞いてない、ない。でも、本人が言ったって話だ』


 グルグルと狼女の喉が鳴った。

 怒りか、苛立ちか、疑問か、とにかく色々な感情のこもった唸り声だった。


『だから人質に取ろうとしたが失敗してしまった、ら、らしい……』


 言い訳のように『1号』が付け足すが、狼女はもうそれを聞かず、歩き回りながらブツブツ呟いていた。


『ワケ分からん……どういうこった……』


 しかしすぐに、考えても仕方ないと思い直したのか、水がかかった犬のようにブルブルと頭を振って、玉座に座り直した。


『しっかし3人も減っちまったか。

 まず『9号』が護衛の反撃で……クソ、7対1だろ? あの護衛とんでもない隠し球だ。

 次に『8号』が突出してやられ……あいつアホだったもんな。

 そんで『6号』は準備段階で行方不明? どうなってんだよ……

 ……『10号』は今どう?』

『あ、あいつは、まだ繁殖には使えない』

『そうか……子を産むまでは絶対に死なせられない。ちゃんと隠して守りなよ。成長促進も絶やさないように』

『分かってる』


 はーっと、狼女は長い溜息をついた。

 とにかく、ルウィスを狙う計画は崩壊したのだ。次の手を打たなければならない。


『……しょうがない、ドッペルゲンガーが増えるのを待つ間に、封領をもういっこりに行くよ。

 あの……名前なんつったっけ? すぐ南のトロールロード。あいつの首級クビを上げりゃいい』

『ひ、人の方は、もう、いいのか?』

『レベッカの動向が掴めただけで幸いだ』


 狼女の返答を聞いて、『1号』はちょっと傾いた。首をかしげたのかも知れない。

 そこまでレベッカに執着する意味が分からない、とでも言うのだろうか。

 それでも、もう疑問を呈しはしなかった。


『わ、分かった。()()()()()()


 それきり『1号』はすっと姿を消し、応接間には狼女だけが残された。

 こつ、こつと、彼女の爪が机を叩く。

 だが、その間隔が徐々に短くなる。

 牙を剥く。息づかいが乱れる。コツコツ、コツコツ、コツコツコツコツ。


『っ……あああっ!!』


 たまりかねたように、彼女は机に腕を叩き付けた。


 スプーンでジャムをすくうように、かぎ爪が机の表面を抉った。

 同時に……そこにナイフで留め置かれていたレベッカの似顔絵も。

 無残に引きちぎられた人相書きが、薄汚れた絨毯の上に舞い落ちた。


「あたしは必ず、お前を殺す……首洗って待ってなよ、()()()()()?」


 人間の言葉で、シャーリーンは呟いた。

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