11-10 看板出した子大成功
彼らの名は『2号』『3号』『4号』『5号』『7号』。
ドッペルゲンガーに名前という文化は無い。
今の主によって、便宜的に名付けられたものだ。
彼らは、ほんの8匹ほどの群れとして、魔族領内に隠れ住んでいた。
種としての命脈を繋ぐため、魔族の君主同士の争いにも人との戦いにも関わらず、ただひたすらに隠れ続けていた。
かつてドッペルゲンガーの数が今よりもよほど多かった頃、ドッペルゲンガーは人の領域へ潜入するため頻繁に用いられ、諜報から要人暗殺まで、大きな脅威となった。それはもはや伝説の中に語られる黄金時代だ。
今やドッペルゲンガーという種は絶滅の危機に瀕しており、推定個体数は三桁に留まる。やがて個体数が回復することを夢見つつ、ひたすら隠れ暮らす者ばかりだ。
だがそこを発見された。若き狼女に。
見つかってしまった以上、反抗するのは得策ではない。
彼らは彼女に従うことを決めた。
幸い、彼女は強かった。わずか11歳、短命な人狼族の基準でも若い部類なのに、背筋が凍るほどに強かった。
使える手駒を増やすことの重要性も、徒に手駒を減らさないことの重要性も理解している。主、すなわち庇護者として不足はない。
魔族領の君主、吸血鬼のグルグハウゼバルと主が戦った際も、ドッペルゲンガー達は甲斐甲斐しく働き、戦いを助けた。
そして今、彼らは主命を受け、ゲインズバーグシティに潜入している。
領主レグリスの嫡子たるルウィスを暗殺するために。
ドッペルゲンガーが他者に変身するためには、身体のどこかに触れる必要がある。それだけで、姿のみならず記憶や技能もコピーできるのだ。
彼らは、あらかじめ数人の領兵の顔をコピーすることに成功していた。だがそれを迂闊に使いはせず、領城出入りの商人や職人の顔を借りて様子を探り、同時に変身のレパートリーを一気に増やした。
行動は迅速に。他人の記憶を写し取れるのはこんな時に便利だ。長年勤め上げたかのように、領城の様子を把握できた。
ルウィスが無防備にも城下へ視察に行くと言う時、首尾良く護衛を排除して成り代わることもできた。侍従の姿を借りて呼びだし、不意を打ったのだ。
思わぬ反撃を受けて『9号』を欠く事態となったが、護衛の排除はできた。
うまいことルウィスを人気の無いところへ誘導して仕留め、後は姿を変えて悠々と去るだけだ。
……上手く行くはずだった。
* * *
――死の運命を見る乙女! 奴は何者だ! あんなものは聞いたことがない……!!
計画は、全く予想外の方向からメチャクチャにされた。
ハンスの記憶を読み取った『2号』は、ゲインズバーグを救った英雄の妹アルテミシアを知っている。この歳で領立のポーション工房で働いているという天才調合師。だがこんな力があるとは聞いていない。旅先で突然身についたと言っていたが、まさかそんなものが計画の実行段階で飛び込んでくるなど予測できるわけが無い。
本来であれば、こうして街中で標的を追走するなどあり得ない展開だったはず。危険を冒すわけにはいかないのだ。主の手駒を減らさないためにも、ドッペルゲンガーという種のためにも。
だが、今ここでルウィスを殺さねば、二度とそのチャンスは無い。任務の達成とリスクを天秤に掛け、ギリギリの想いを抱えて走っている。
向こうには子どもがふたりも居る。
得体が知れない少女は先程とんでもないアクロバットを見せたが、あれは何かの強化によるものだったらしく、今はむしろ非力にすら見える。
標的であるルウィスも、身体能力は通常の範疇だ。
十分追いつけるはずだ。だが、それまでに敵の増援が駆けつけないかどうか……
幾ばくかの不安を抱えながら駆け通して行くと、前方で逃げる少女が妙なことをし始めた。
いかなる魔法によるものか見る間に服を着替え(あり得ない事だが、あれはまるでドッペルゲンガーの変化だ)、さらに屋台から失敬した小鍋を頭に被った。
ルウィスにも同じように小鍋を被る。結果としてふたりの子どもは同じような格好になった。
――なんだ……? なんのつもりだ?
訝しんでいると、追われる四人は脇道へ折れ、小洒落た雑貨屋などが並ぶ横丁へと入る。冒険者ギルドへ向かう最短経路からは外れる道だ。
ざっと見たところ、魔法のアイテムや武器を扱うような店は見当たらない。どこぞの建物にでも逃げ込む気かと『2号』は考えたが、逃走者たちは真っ直ぐに突き進む。
そして十字路に差し掛かった時だった。
――煙幕……!
赤い煙が爆発した。
先程と同じ、信号弾を使った煙幕。
だが、場所が悪い。この煙幕は交差点全体を覆っている。
「どっちだ! どっちへ行った!」
「落ち着け!」
動揺する『4号』を、ハンスに化けた『2号』は叱り飛ばした。
「ギルドへ向かう道が本命だ! 残りの道は……『4号』は向こう、『5号』はあっちを見に行け! 奴らが居たらすぐに呼び子を吹けよ!」
「わ、分かった!」
そしてドッペルゲンガー達は煙の中に突っ込み、むせかえる通行人と何度かぶつかりながらも煙の向こうに抜けた。
『2号』を含む3体は冒険者ギルドへ近い方の道へ抜ける。
だが、そこに標的たちは居ない。
並んだ店。雑貨屋、古着屋、喫茶店……
突然の爆発を見て、驚き足を止めている通行人たち。
ゴミ箱を漁る痩せた野良犬。
『4号』と『5号』からの合図は……無い!
――その辺の店に飛び込んで隠れたか!?
「皆様! 冒険者風の男ふたりと子どもふたりが逃げてくるのを見た方はいらっしゃいませんか!」
『2号』は辺りの人々に向かって、高らかに呼びかけた。
まさかこの場に『2号』達を偽領兵だと把握している者はおるまい。
領兵にこう言われれば、捕り物に協力する市民は多いはずだ。
だが反応は鈍い。
皆、何を言っているのか分からない様子だ。
――こっちではないのか……?
何か決定的な間違いをしているのではないかと『2号』が思い始めた瞬間だった。
呼び子の音が高らかに鳴り響いた。
彼らがやってきた方向から。
「後ろだと!?」
すぐさま『2号』達は取って返し、再び煙幕を抜けて元の道へ戻った。
前方には四人の逃走者。
そして、一足先んじて追いかける『4号』の姿があった。
「あっちの道には居なかったんだ! 誰も笛を吹かないから、もしやと思って引き返したら!」
「でかしたぞ!」
そう言いながらも『2号』は、まんまと引っかかった自分に腹が立って仕方なかった。
煙幕に身を隠し、後方へ退くとは!
この状況なら惰性で逃げたくなるものだろうし、『2号』達にもそういう先入観があった。煙で道を塞げるような狭い十字路を使ったことと言い、恐ろしい機転だ。
――やはり冒険者は侮れない。
『2号』はこれを大剣の冒険者の策だと思っていた。現実には違ったが。
――だがこんなもの、くだらん時間稼ぎだ! 追いつける!
ドッペルゲンガーは何に化けたとしても総じて怪力だ。鎧の重さごとき苦にもならない。
対して、逃げる側は所詮子どもの足。ふたりの冒険者は子ども達に合わせて走らなければならない。追いつくのに苦労はない。
追いかけっこは再び大通りに戻った。
向こうは既に息が上がっている。
煙幕の目くらましで少し距離を稼がれたが、もはやどうあっても見逃さないほどの距離だ。
だがそこで、標的たちに再び動きがあった。
広場に入ったところでパッとふたりずつに分かれ、別の道を目指して進み始めたのである。
「二手に分かれたぞ!」
見れば分かることを『5号』が言う。
片方は、鍋の兜からフワフワ髪が見えている子どもと、明らかに弱い方の冒険者。引き続き冒険者ギルドへ向かっている。
もう片方は、鍋兜の子どもと、『8号』を倒した大剣の冒険者。この方角は……領城だ。
――これで囮のつもりか……? 舐められたものだ!
「追え、あっちの奴だ!」
『2号』は躊躇い無く、領城へ向かう組を指し示した。
同じ服装になり、鍋で頭を隠し、囮になる……
浅知恵だ。あるいは苦し紛れの悪あがきか。
もはや万策尽きたかと、『2号』は心中でせせら笑った。
鍋からあふれ出たふわふわの緑髪で、どちらが本物なのか丸わかりだ。頭隠して尻隠さずなんて言葉もあるけれど、あれでは頭さえ隠れていない。
二手に分かれると言ったって、あんな半人前の冒険者をルウィスの護衛に付けるなどあり得ないし、本物は領城へ逃がすのが筋というもの。
……敵の頭数が減って仕留めやすくなっただけだ!
ふと一瞬、『2号』は、自分たちも二手に分かれるべきではないのかと思った。
だがその考えを自ら捨て去る。この状況で隊を分けるような危険は冒せない。ここまであからさまな囮を相手にわざわざ釣られてやるなど愚の骨頂だ。
鍋を被った子ども……推定ルウィスは既に息が切れている。
大剣の冒険者が手を引いているが、このまま領城へ辿り着くのは無理というもの。
――後は……標的を仕留めるまで、俺たちをまとめて薙ぎ払うような化け物冒険者が来ないことを祈るだけか……!
大小ふたつの背中は、みるみるうちに大きくなった。
大剣の冒険者が一瞬振り返り、ほんの少しだけ速度を上げる。しかし、推定ルウィスの足がもう追いつかない。
先頭を行く『2号』は剣を構えた。
その時だ。
少女が、鍋を投げ捨てた。
その下から出て来たフワフワの緑髪は、まるで悪戯者のインプが羊の毛にハサミを入れたかのように無残に切り裂かれ、長さもバラバラでいびつなものとなっていた。かぶり物の下に隠れるほどの短さだ。
切られた髪はどこへ消えたのか? ……もはや問うまでもない。
「はい! 大成功~☆」
イタズラっぽい笑みがドッペルゲンガー達を迎え撃った。アルテミシアは息を切らしながらも、指二本を立てて額に当てた、おどけたポーズで喜びを表現する。
その様は目眩がするほど可愛らしくて、こんな時だが『2号』は生まれて初めて、人間に見とれた。