11-8 人間観察カッコガチ
「怪我、大丈夫ですか?」
「こんなもん治癒ポーションで十分十分。むしろ貰っちまっていいの?」
「それは……助けてもらいましたし」
日常的に持ち歩いているポーションは、これで最後。
アルテミシアが手渡した治癒ポーションを、別に美味なものでもないだろうにロランは美味そうに飲んでいた。
ズボンが切り裂かれ血まみれになっているが、その穴から露出する岩石のような太ももに、既に傷は無い。
「これってもしかして、お手製?」
「あ、そうです。わたしが作りました」
「薬師ってマジだったんだな。別に疑ってたわけじゃねーけど……」
内側に翡翠色の水滴が付いたビンを見て、ロランはしきりに感心していた。
「ロランさん!」
槍男の様子を見ていたはずのグレッグが声を上げた。
男を縛り上げるために出した縄を持って、何やら狼狽えている。
「どした?」
「……なんかこいつ、変なんです」
「そりゃ変だろうけどよ……」
ロランの振るった大剣は、未だ墓標のように突き立っている。
先端が石畳を割って地面にめり込んでいるのだ。
その下敷きにされているメタモル槍男が、奇妙な事になっていた。
「おいおい、こいつぁ……まさか」
まるでテクスチャーをまだらに剥がされた3Dモデルだ。
槍男は、その姿にノイズが掛かったようになっていて、身体の半分ほどが人ではなくなっていた。白目を剥いて泡を吹く顔の下、胸部の代わりにわだかまる闇のようなものが渦巻いていて、そこから手足が生えているという不気味な状態だ。
人のガワの下にあったのは、筋肉でも血管でもなく、影のような不定形の物体だった。
『獣』ともまた違う。あれは明確に形を作る、細かな粒子の集合体だったが、こちらはまるで幻のようで、触っても手応えが無さそうにさえ思える。
「気色悪……なんすかこれ」
「俺も見た事ねーからなんとも言えねーけど、ドッペルゲンガーってやつ?」
「ドッペルゲンガー……! 人に化けるやつですよね」
「ああ。
でも本当に出たなんて話、俺も聞いたことねえ。実在してるかどうか半信半疑だったぜ」
心底驚いた様子のロランを見るに、この世界でドッペルゲンガーはレアモンスターらしい。
ドッペルゲンガーくらいアルテミシアも知っている。あくまで転生前の知識だが。
元々は自分自身の姿を見る幻覚、あるいはそういった怪奇・超常現象。転じて人に化ける怪物と見なされるようになり、物語の題材にうってつけな性質から、古今東西のファンタジー作品で活躍する名脇役だ。
味方に化けて疑心暗鬼をもたらし最終的に絆の強さに打ち負けたり、王様を殺して成り代わり主人公を苦しめるも最終的に正体を暴かれたりするやつ。
「武器とか服もコミで化けられるんですか!」
「いや、知らんけど、そうなんじゃね? 目の前で見せてくれたし」
「じゃあもしかして、さっきのハンマー男とか弓男も……」
「……なんだそりゃ? こんな無駄に黒いのが他にも居るのか?」
若干うんざりした様子のロランに、アルテミシアがここまでの経緯をかいつまんで説明すると、彼は本格的に頭を抱えた。
「おいおい、まじーぞ。ドッペルゲンガーが侵入して要人暗殺未遂とか陰謀の臭いしかしないやつじゃん。無駄に黒いし。
しかも複数とか! 俺、もうどうしようもねーぞ」
「ですね……」
実際、ロランの言う通りで、真っ当な手段でレベル11まで上げたような前衛系冒険者がサシでやり合って殴り負ける相手。人に化けるだけでも面倒なのに、わらわら出て来て襲いかかってきたら対処できない。
つまり、あの信号弾に気付いて応援が来ることを祈るしかないわけだが……
「ルウィス様」
そこへ、未だ混乱している様子の群衆を掻き分け、5人ほどの鎧の一団が姿を現す。
先頭には護衛たるハンス。辿り着くのが早かったのは、冒険者よりもこちらだった。
領兵たちは等間隔で横に並び、びしりと一糸乱れぬ敬礼をする。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「お、よかったよかった。お迎えか」
気抜けした様子でロランが息をついた。
「……あの、この状況は何が?」
突き立った剣と、その下敷きにされた物体を見て、ハンスが聞く。
「ああ、そいつが坊ちゃんを殺そうとしてたんだ。多分ドッペルゲンガーってのだぜ。
ナイフ持った男だったのに、急に短槍持ちの傭兵みたいなカッコになった。
見ての通り俺と……そっちのアルテミシアがなんとかした」
「ドッペルゲンガー……」
ロランの説明を聞いた領兵たちは、少し血の気が引いた様子で顔を見合わせる。
うちひとりがグレッグから縄を受け取ったが、こんな正体不明な化け物をどうすれば良いのか分からない様子だ。
アルテミシアは、そんな戦後処理モードの男たちを、微動だにできず見ていた。
視界の端に、煌々と燃え上がるルウィスを捉えながら。
――まだ、危ない……!?
それも、かなり!
指一本でも動かした瞬間にルウィスが殺されそうな気さえして、気を張ったまま視線だけで周囲を観察する。
例えば弓男の狙撃。例えば群衆に紛れ込んでの奇襲。例えば…………
「ルウィス様をお守りいただきましてありがとうございます」
「いいって事よ、成り行きだしな!
お礼はいくらでも出してくれ」
「はい、必ずやその働きに報いましょう」
ロランはざっくばらんな会釈をして、そんな彼にハンスは最敬礼で応じる。
そしてハンスはルウィスの前に膝を突いた。
「さぁ、ルウィス様。ここからは我々が護衛致します。早く領城へ」
「じゃな、俺らはこの辺で――」
「待て」
去りゆこうとするロランを、ルウィスが呼び止めた。
触れたら壊れそうなほど張り詰めた声音だった。
「……なんだ?」
ロランは足を止め、ゆっくりと振り返る。
それを見てルウィスは、その場に留まるようにとジェスチャーで指示をして、ハンスの方を向いた。
「ハンス、そう言えば……うちのネズミ捕り長が居らんな」
「ああ、はい。今日は来ておりませんね。
出かける準備をしている時には居ましたが……気が変わったのか、城を出る頃にはどこかへ行ってしまいました」
「ああ、そうだったな」
そう言えば、とアルテミシアは思い出す。
以前出会った時、ハンスは領城で飼っているらしい猫を肩に乗せていた。
今日は居ない。だが何故今、それを聞くのだろうか。
「ルウィス様――」
「ハンス。そいつらをどうやって集めた」
ルウィスはハンスの後ろに居る領兵たちを指し示している。
答えまでに一拍の間があった。
「詰め所に声を掛けて引っ張ってきました」
「……そうか」
ルウィスは全く納得したように見えない。
何食わぬ顔(のつもりらしいが動揺を押し殺しているのが丸わかりの顔)で、ルウィスはじりじりと後ずさった。
ふと、アルテミシアは、あのハンマー男がどうやってふたりの隠れ場所を察知したのか気になった。
まるで最初から分かっていたかのように一直線にやってきて、仲間に逃げ道まで塞がせていた。
「あの、どちらへ」
「ハンス」
一歩近寄ろうとしたハンスを、ルウィスの問いが縫いとめた。
「ぼくを主であると思うなら、しばしそこで立っていろ」
「……それではお守りできません」
そう、無茶苦茶な命令だ。何の意味があるかも分からない。
普通に考えれば、だが。
ハンスは何事か意を決したように、あるいは痺れを切らしたように一歩踏み出し、ルウィスの手を取ろうとした。
と言うよりも、奪うように強引にルウィスの手を掴もうとした。
それを避けたルウィスは転がるように逃げ、ロランの背中に隠れた。
「ルウィス様!」
「おいおい、近衛兵様。乱暴なんじゃねーの?」
ニヒルに笑いながらロランは言った。
引きつった笑いを浮かべる彼の顔に、冷や汗が伝う。
この後の破局を予見しているかのように。
「そこの! たしか第二部隊第六小隊だったな。北方けいび中のお前がどうしてここに居る!
そっちのは昨日、領城の庭園に居たな。何をどうしても、今日詰め所には居ないはずだ!
そっちのお前は……ああ、名前は忘れたが母のヨウダイが悪いと聞いて、くにに帰ってたはずだ。
……三日前に領兵をやめたはずのグリンまでいるぞ!」
ハンスの後ろに並んだ領兵たちをひとりひとり指差して、ルウィスは一息に言い切った。
致命的な告発を。
辺りの空気が凍り付いた。
まだ理解するまでに5秒くらい掛かりそうだが、何かただ事ならざる事態を察しては居るらしいグレッグ。
その目に稲妻を奔らせ、既に腰の剣に手を掛けるロラン。
近くで話を聞いていた野次馬の中にも、何事か察して青い顔になる者がある。
アルテミシアは……見た。
シェイクされたコーラが吹き出すように燃え上がる『死の影』を。ルウィスは当然のこと、ロランが、グレッグが、そして自身の身体さえも。凶兆たる輝きに包まれた。
「………………チッ。
んなこと覚えてんじゃねぇよ……」
ハンスの姿をしたものは、剣を抜いた。