11-6 ちなみに白だ
『変成服』が姿を変え、戦闘装束を形作る。
アルテミシアはブーツで石畳を削るようにして、地面に飛び込むようにして隠れ場所から飛び出した勢いを殺した。
ふたりが隠れていた木箱を叩き壊したのは、物乞いのような風体をした中年男だ。服装や体つきに変わったところはないが、そのぎらついた目つきと、手にした巨大な戦鎚があまりにも異様だった。
「な……何こいつ? 何こいつ!?」
「知るか! ぼくに聞くな!」
ハンマー男が、アルテミシアにお姫様抱っこされたルウィスを睨む。
頑丈そうな木箱は鉄のダルマみたいなハンマーによって、段ボール箱のように潰されていた。
もし咄嗟に飛び出せていなかったら、ポーション込みでもアルテミシアは大怪我をしていただろうし、ルウィスに到っては確実に死んでいた。
「……死ね」
短く用件を述べたハンマー男は、それを実行に移すべく、もう一度戦鎚を構えた。もはや住居解体用にすら見える超重武器を、男は軽々振り回す。筋肉の塊というわけでもないのに、とんでもない怪力だ。
背後には道の行き止まり、正面にはハンマー男。
右手には表通りへと通じる細い道。道と言うか建物と建物の間にある細い隙間だ。
アルテミシアは選択の余地無く、その細い道へ飛び込んだ。
「待て!」
ハンマー男が叫んで追ってくる。
だがその巨大な武器を持って細い道を抜けるのはかなり難儀するはずだ。
逃げ切れる……はずだった。
「っ!?」
アルテミシアは息を呑み急ブレーキを掛けた。
細い道の先に、ぬうっと影が差したのだ。
表通りの方から覗き込むようにこちらを見ている若者。ハンマー男のようにぎらついた目つき。その手に光るのは……盗賊系の冒険者が使うような、明らかに戦闘用のナイフ。
――挟み撃ち!? じゃない、最初から逃げ道塞いでたんだ!
「おい、アルテミシア! 前にも――」
「わかってる!」
建物の隙間に滑り込むように、ナイフ男が迫ってくる。
勝てるかとアルテミシアは自問した。相手の技量が分からない。だが、あの戦鎚を軽々扱う化け物と連携しているのだ、前方のナイフ男もザコとは思えない。
建物の隙間である道は1メートルあまり。すり抜けて逃げるのは倒すよりも難しい。
状況判断は一瞬、アルテミシアは逃げを打った。
上に。
壁を3歩駆け上がり、無理やりに蹴りつけて反対側に飛ぶ。
壁の継ぎ目の僅かなデッパリを足がかりに。
建物の外に飛び出している配管を足がかりに。
ルウィスを抱えたまま上へ、上へ。重力に逆らうピンボール玉のように。
いくらルウィスが子どもと言えど、アルテミシアの自重も合わせたら大人ひとり分くらいはある。いつものようにはいかない。ギリギリだ。重力の鎖を感じる。
足が折れそうなくらい力を込めて、なるべく頑丈そうな場所を蹴って、アルテミシアは跳躍した。
「あん!?」
ナイフ男が驚きの声を上げる。
最後に庇を蹴って空中側転を決めると、一気に視界が開け、風が吹き付けた。
「おっと!」
ちょっと転びそうになりながらもアルテミシアは瓦屋根の上に着地し、すぐにそのまま走り出す。
「舌噛んでない!?」
「お、お前……なんてムチャを……」
ルウィスはアルテミシアの腕の中で青い顔をしていた。とりあえず無事のようだ。乗り物酔いをしていない保証は無いが。
と、その時だ。
すぐ近くでガツン、と石を削るような音がして、アルテミシアは総毛立つ。
屋根の上に矢が一本、転がっていた。
「狙撃!?」
矢が飛んできたと思しき方を見ると、通りの反対側の屋上に陣取った男がひとり。
命中精度と威力のバランスを取った中距離用の弓を構えている。本来は建物上から攻撃をバックアップする役割だったのだろう。
既に男は次の矢をつがえ始めていた。
屋上を駆けながら下を見ると、ナイフ男が全力疾走している。
道脇の物売り屋台を蹴散らかし、邪魔な通行人は老若男女問わず突き飛ばして走ってくる。
速度はさすがにアルテミシアより遅い。だがアルテミシアはいつまでも建物の上には居られない。
今居る場所と繋がっている近くの屋上に、遮蔽物になりそうな物はない。このままでは的になるだけだ。
ルウィスは未だ紫色に燃え続けている。抱いていて熱さを感じないのが不思議なほどだ。
――どこかで降りるしかない。でもどこで?
今頼れるのは? お姉ちゃんやフィルロームさんは……たぶん遠い! 行くまでポーションがもたない! 見回り中の衛兵、冒険者、どこかこの近くで少しでも強い人が居そうな場所、通りそうな場所!
必死でアルテミシアは街の地図を頭に思い浮かべた。
広場や交差点は衛兵が立っている場所が多い。だが、ひとりやふたりで何ができるだろうか。
それともこんな異常事態には、それに慣れた冒険者を探すべきか。ギルドは少し遠い。
「最寄りの詰め所ってどこ!」
「弓で狙ってくるやつの方だ! でも4ブロック先だぞ!」
――……厳しい!
即座にアルテミシアは、そちらを切り捨てた。
建物の上を真っ直ぐ走り、交差点に当たったところで通りに沿って右へ折れる。足下で矢が跳ねた。
そして。
「あ、おい、飛びおり――」
「奥歯噛んでて!」
少し走ったところで、アルテミシアは3階建ての屋上から通りへ飛び降りた。
ふわふわの髪が、パステルブルーのジャケットが、短いフレアスカートが、はしたなく舞い上げられる。
「うわっ、何だあ!?」
「ごめんなさい!」
焼き魚売りの屋台の屋根を軋ませ、ワンクッション置いてからアルテミシアは着地した。
店番しつつ居眠りしていたおじさんが驚いて跳ね起きたようだ。
アルテミシアはまたすぐに走り出す。
背後から怒号と悲鳴が迫ってくる。
「おい、どこへ行くんだ!?」
抱かれたままのルウィスが叫んだ。
「この通り!」
「は!?」
「ここ、冒険者ギルドと武器屋街を結ぶ道なの!
で、今ギルドの方へ向かってる!」
アルテミシアも叫び返す。
ポーションの効果が切れるまでの時間は種類によって違うが、膂力強化や耐久強化のような直接的ドーピングはかなり効果時間が短い。材料と調合精度にも左右されるが、10分もてば良い方だ。
おそらくギルドに着くまで突っ走るのは不可能。
かと言って戦えるだろうか? あのハンマー男だけならなんとかなったかも知れないが、ナイフ男は苦しい気がする。たとえポーションで身体を強化していても、技量と速度を売りにする軽戦士に弱いのはもう分かっている。領城でエルフの暗殺者と戦った時は全く歯が立たなかった。
いっそ通りを走る馬車に飛び乗ろうかとも思ったが、この辺りは通行量がそこそこ多い。スピードは出せない。救急車両のように突っ走ろうものならまず事故る。
冒険者が少しでも通りそうな場所で、幸運を祈るしかない。
走りながらアルテミシアは周囲に目を走らせた。
人、人、人……通勤途中の労働者らしい姿が多い。あんなわけがわからないものと戦えそうなのは……
「居た―――!!」
「な、なんだ!?」
アルテミシアは思わず声を上げ、ルウィスがすくみ上がった。
こんな場所で鎧を着て歩いている男がふたり。のんびりぶらぶらとギルドの方へ向かっている。
アルテミシアは地を這うように加速した。
「す・み・ま・せーん!!」
アルテミシアはスライディングするように、鎧を着たふたりの前に回り込んだ。
突然の出来事にふたりは驚き戸惑い、立ち止まり……
「あれ?」
アルテミシアも驚いた。
ふたりとも見覚えのある顔だった。
「ア、アルテミシアさん……?」
「グレッグさん……と、えっと、レベル10の人!」
「俺だけレベルかよ!? ……ってか名前言ってなかったっけ?」
方や、以前の冒険でバーサーカーベアに襲われているところを助けた駆け出し冒険者、グレッグ。
結局、この街で冒険者を続けていたらしい。領軍の払い下げ品を改造したみたいな軽装の鎧を着ているおかげで、ボロボロの革鎧を装備していたあの時よりはまともな冒険者っぽく見えるが、まだ鎧に着られている印象が抜けない。
もう片方は、アルテミシアが勝手にレベルを計測された時、レベル10の例として挙げられた冒険者だ。
青と白銀の鎧を身に着け、ソードブレイカーみたいなデザインの大剣を背負った爽やか筋肉お兄さん。背中の大剣が使えない時の保険か、レベッカと同じようにサブウェポンの剣を腰に吊っている。
彼は呆れた顔で頭を掻いていた。
「まあいいや、ロランだロラン。覚えといてくれよ!
それと残念ながらつい昨日、レベル11になったんだ」
「わかりましたごめんなさいロランレベル11さん助けてください!」
「落ち着け、何がどうした!? ってかその子……」
ルウィスを見て首をかしげるロランの背後から、躍りかかる影!
「死ねえええ!!」
一瞬の交錯、散った火花、鋭く響く音。
「甘ぇよ!」
振り向きざまショートソードを抜き打ったロランに、ナイフを弾き返された男がたたらを踏んで後ずさった。
「だいたい分かった!」
「話が早くて助かります!」