11-5 エリック上田
「未来が見えるようになった、だあ?」
「たぶん、ですけど……」
死の影を見たと告げられたルウィスの反応は、当然ながら思いっきり疑わしげなものだった。
往来でルウィスとアルテミシアが並び立っていては、何をどうしようが周囲の注目を集めるので、三人は人気の無い脇道へ場所を移していた。
民家や商店の裏口らしき扉が並び、壁際ではノラネコが昼寝をしている細く小さな通り。突き当たりは行き止まりになっていて、そこに空の木箱が山積みで不法投棄してあったもので、その影に隠れて話す。
「ちょっと向こうで大変な戦いがありまして、その結果として、なんか分からないですけどそういうことに」
「それで、ぼくが死ぬかも知れんと言うのだな」
「はい。えっと、信じてくれます?」
ルウィスは考え込む。
腕を組もうが眉間にシワを寄せようが、この少年にはまだ父のような威厳など見えないのだが、なんとなく、形から入って父を真似ようとしているようにも思えた。
「いつものお前はフワフワフラフラしてて、ちょうちょを追いかけてるうちに気が付いたら空とか飛んでそうなやつだが」
「ええー……どういう例えですか。
わたしもっと常識的だと思いますよ? ちょうちょとか追いかけませんし」
「だがこんなつまらんウソはつかないし、危険が迫るほどに頭がキレる」
「はぁ……それはどうも」
「間違いだったとしたら、それで構わないわけだしな。
お前を信じるぞ。どうすればいい?」
決断は意外に早く、そしてルウィスは真剣だった。
アルテミシアは少しほっとしていた。説得する手間が省けたし、もし信じてくれなくてそのままどこかで死んでしまったりしたら悔やんでも悔やみきれない。
「事故か、犯罪に巻き込まれるか、でなきゃ……暗殺か。
どれなのかすら分かりません。それがいつなのか、も。
なるべく安全な場所でじっと身を守るのが一番だと思います」
「と言うと、領城か?」
「はい……
ただ、何が、誰が安全なのかってことは、ちゃんと見直した方がいいと思います」
ルウィスはその言葉の意味を噛みしめたように硬い表情だった。
領城の中だからと言って安全とは限らない……
つい先日、侵入を許したばかりではないか。
「分かった、とにかく今は領城に戻ろう。
……確か、お前が見た男は、馬車にひかれて死んだんだったな」
「はい」
「道からはなるべく離れて歩くか」
「壁際だと、上から植木鉢が降って来たりするかも」
「う……」
ルウィスは青い顔で周囲の建物を見回した。
アルテミシアが言った通りの植木鉢も、物干しも、外れ掛けた手すりもある。ひょっとしたら屋根の瓦さえ。
普通なら、出歩くだけで落下物の恐怖に脅えるなんて心配しすぎなのだろうけれど、今は『近々死ぬかも知れない』と予言されている状態だ。その死因が落下物でないとは限らない。古代ギリシャには、『落下物で死ぬ』と予言を受けたから気を付けていたのに、ヒゲワシが空から落とした亀が頭にぶつかって死んだアイスキュロスなる悲劇作家も居たそうな。
「こ、これは、もしかしたらどこを歩くのも危ないのでは……」
「あの、失礼……であれば私が応援を呼んで参りますが」
もはや己の影すら警戒していそうなルウィスの姿を見て、静かに付き従ってきた領兵が口を開いた。
「アルテミシア嬢。
私は近衛兵隊のハンスと申します。ルウィス様の外出に際しては、度々、護衛としてお供しております。
先日もお会い致しましたね」
「あ……はい。どうもご丁寧に」
流麗な所作で礼をするハンスは、まじまじと見てみると結構なイケメンだ。
以前会った時は、肩に乗せている猫の印象ばかりが残っていた。
「よろしければ最寄りの領兵詰め所から兵を借りて参ります。また、そこからでしたら領城に連絡を行い、近衛兵隊の出動を要請することも可能です。
それまでは下手に動かず、じっとしている方がよろしいでしょう」
護衛がひとりというのは、確かに心許ない。
事故であるとしても……考えたくはないが暗殺であるとしても、多くの護衛を付けて動けばそれだけ安全には違いなかった。
「わたしが呼びに行くのではダメですか?」
「……失礼ながら、通報の信憑性に疑問を持たれるかと」
「確かに……」
アルテミシアは自分の身体を見下ろす。地面が近い。領兵を呼ぼうとしても、子どものイタズラと思われるかも知れない。
いくらレグリスと知り合い同士でも、こればかりはどうにもならない。アルテミシア本人が隠していることもあって、アルテミシアの存在そのものも、先の戦いで功労があったことも一部の者にしか知られていないのだ。
あの時共に戦った領兵に会えればいいのだが、そうでなければ領兵団を動かすのは難しいだろう。
――スマホとかあったら一発なんだけどなあ。
さすがにこういうとこは不便。
「では、お願いします」
「かしこまりました。
おふたりはひとまず、この辺りにお隠れになっては」
ハンスが指し示したのは、近くに転がっていた不法投棄木箱のひとつだ。
フタが外れて転がっている木箱は、横倒しになっていて、開口面が壁側を向いている。かくれんぼの隠れ場所に良さそうな箱だった。
こんなものに隠れたからと言って大した違いは無さそうだが、だからといって身を晒し堂々と立っているのもルウィスは落ち着かないだろう。第一、無駄に目立つ。
中に入ってみると、そこは子どもふたりが並んで座れるくらいの大きさだった。
つまり、アルテミシアとルウィスが。
「……せまいな」
「しばしご辛抱を」
「頼んだぞ、ハンス」
「はっ!」
ハンスが敬礼をして去って行くと、後には静寂と少年少女が残された。
隣を見れば、本当に息が掛かるような距離に、ルウィスの小生意気な顔がある。
ルウィスと言えば、エルフの里で何故か恋バナに巻き込まれた時、身近な男として連想したのだが……
「……よし、大丈夫。別にときめかない」
「おい? 何を言っているか分からないが、なんとなくバカにされた気はしたぞ」
ルウィスは無礼の気配を敏感に察したようだ。
「……なあアルテミシア。
お前、ケッコンしたっていうのは……」
やにわにルウィスは聞いてくる。そう言えばまだ誤解を解いていなかった。
ちょっと赤くなってる辺り、年齢一桁のがきんちょはまだまだウブだ。
――この噂話、尾ひれ背ビレどころかチュチュまで付いて、街中でバレエを踊り出す前にくびり殺さないと。
アルテミシアは自らの平穏な生活を守るという使命感に燃えていた。
「部分的には正しいかも知れませんが全体的に見ればデマですよ」
「そ、そうか」
「ちょっと処刑されかかってるエルフちゃんを助けるために、結婚を名目として部族から引き離したんです」
「ああ、もしかしてそれはカイリの事件にからんだ話か? 何か大変なことになったらしいと父上から聞いたぞ」
「それです」
「……今度は何をやらかした?」
内角を狙い抉り込むような鋭い一言。
まだ向こうは混乱していて正確な話など伝わっていないだろうに、ルウィスはアルテミシアが『何か』をしたと確信している様子だった。
「ワタシハ、ソコニイタダケデスヨ?」
「ごまかすな」
「ちぇっ、察しの良いことで」
まあどうせこいつなら、そのうち父親から聞くだろうから今話してもいいだろうとアルテミシアは考えた。
何が起こったのか掻い摘まんで話すと、ルウィスは最初は目を丸くして、そして途中からはあきれ顔で聞いていた。
「ちょっと目をはなすとどこかで活躍してるな、お前は……」
「ものすごく不本意ですけどね。危険とトラブルにストーキングされてる気分です」
アルテミシアはうんざりしながら言った。
活躍したくて活躍したわけではない。自分自身が生き延びるためだったり、仲間たちや偶然居合わせた人々を助けるためだったり……戦闘能力ゼロなのに、なんでまたあんな戦いをしなければならなくなってしまったのか。本来なら、大活躍する英雄をアイテム作りで後方支援するのが一番合っているはずなのに。
「そうだ。
竜の耳骨、ありがとうございました。
あれのおかげで本当に助かりました」
話をしていてアルテミシアは、まだルウィスにお礼を言っていなかったのを思いだした。
彼からのプレゼントは大きな助けになっただけでなく、アルテミシアの将来……ひょっとしたらこの世界の未来すら変えたのだ。
「そ、そうか。ポーションの材料なんてよく分からなかったから、とりあえず貴重そうなのをおくったんだが」
「解決の鍵になったんですよ。あれのおかげで新種のポーションが発見できて……っと、一応まだこれ秘密だった」
アルテミシアが小さく舌を出して口元を押さえると、ルウィスは頭痛をこらえるような顔になった。
「……ぼくの聞き間違いか?
なんだかゲインズバーグ領がひっくり返りそうな言葉を聞いた気がするぞ」
「ごめんなさい、近いうちに大騒ぎになると思います」
「本当にお前は……」
ルウィスは『わけがわからない』という調子で首を振るが、その動作で肩が触れあうと、急に真っ赤になって縮こまった。
それきり、会話が途切れた。
大通りから響いてくる呼び込みの声が、どこか遠く、こだまのように聞こえてくる。
「ハンスさん、なかなか来ませんね」
「そ、そうだな……」
ふたりから見えるのは、建物の壁だけだ。
環境に変化が無いと、時間が間延びして流れているような気さえしてくる。
「……お前、体温高いな」
「そうですか?」
ルウィスはだんだん落ち着かなくなってきた様子だった。もちろん恐怖とは別の理由で。
まっすぐ前を見るのではなく、微妙に視線をアルテミシアの反対方向へ逸らしている。
その意味をアルテミシアはなるべく考えないようにしていた。
そんな気まずくも浮遊感のある時間は、唐突に終わりを告げた。
「うん? 誰かこっちに……」
「しっ」
ルウィスがそれに気づいた時、アルテミシアは既に全身を緊張させ、ポケットからポーションの小瓶を取り出していた。
足音がこちらへ近づいてくる。おそらくひとり。
――領兵じゃない。足音が……脚部鎧の鳴る音がしない。
呼吸の音を抑え、耳で様子を探った。
ここは一応、民家や商店の裏口がある通りだ。
住人が通りすがったと考えるのが自然なのだが、そうもいかなかった。
アルテミシアの隣に居るルウィスが、地獄のシェフにフランベされたかのごとく、黒紫色の揺らめく光に包まれていたのだから。
最初に見た時よりもさらに強く。
『燃え上がる』としか表現しようが無いほどに。
足音が近づく。全く何気ない様子で。ぶらぶらと散歩するかのように。
そして。
「ウオオオオオオオオ!!」
戦鎚を振るった男が木箱を破砕するのと、ルウィスを抱えたアルテミシアがそこから飛び出すのは、ほぼ同時だった。
今週中に第一部を改稿版に入れかえ、同時に他の部分もちょっと修正します。
実行後には修正点についてとかその他諸々を活動報告の方に書きます。
あらすじでも告知します。