11-4 死を抱く瞳
久々に帰ってくるアパートは妙に片付いていた。
家財や荷物の一切が梱包されて、玄関脇に積まれていたのだ。逃げるようにゲインズバーグを出た後、情報部の家宅捜査か何かがあったようで、持って行かれた物品をレグリスが取り返してくれたようだった。
今は荷ほどきの最中だ。もっとも、近いうちに引っ越す事になるので、何もかも出してしまうわけではないが。
「死ぬ人が分かったぁ?」
「たぶん、だけど……」
事の顛末を聞き、レベッカは思いっきり訝しげな声を上げた。
「考えてみれば、カリンシーレさんの時もそれのはず。
あのままなら『獣』に殺されるとか、自殺するとか……そういう危険な状態だった。
牢屋に捕まった後は変なオーラなんて、もう見えなかったし」
「でもアルテミシア、あなた魔力ゼロのはずでしょ?」
「そうなんだよねー……」
「魔力のこと抜きにしても、予知ってかなり高等な魔法のはずよ。まさかそんな急に使えるようになるわけ――」
「いや、待ってくれ」
会話に横槍を入れたのは、ソファに寝そべって絵本を読んでいたマナだ。
地球から転生した3歳児『マナ』と、200年を生きたエルフの巫女『サフィルアーナ』が入り交じった存在である彼女は、その時々に応じてどちらかの性質が強く出る。
普段は『マナ』として振る舞っているが、必要に応じて『サフィルアーナ』の仮面を被るのだ……と、本人は表現していた。
厳冬の風のような冷たい美貌に宿るのは、野生の肉食獣を思わせる荒々しい知性。
無邪気で純粋無垢な、いつもの様子はなりを潜めている。
「マナちゃん……じゃなくて、サフィさん?」
「マナでいい、どっちも同じだ」
サフィルアーナは笑って首を振り、絵本を閉じた。
「心当たりはあるぜ、それ……
『獣』との戦いで目をやられたのは覚えてるだろ?」
「うん……でもそれは『森の秘宝』で治したはず、だよね?」
「そうだ。お前の目は『獣』の放つ死の力に冒されていた。
まあ全身ギシギシになってたんだが、一番ひでーのが目だったんだよな。
そしてアタイはそれを治したんだ。
お前の目は、この世界で最も純度の高い『死』に冒されて、そこから元に戻った……」
サフィルアーナはわざとらしく溜めを作った。
まさかこうなるとは、とばかりに肩をすくめる。
「えっと……死に順応したとか、なんかそういう感じ?」
「分かんないか!? これは死の克服!
蘇生か、でなきゃ冥府からの帰還! 神話の英雄の所業だ!」
「…………はいぃ?」
あまりに突拍子も無い言葉に、アルテミシアは思考が付いていかなかった。
神話。英雄。自分とはかけ離れた言葉だ。少なくとも太陽系とαケンタウリ星系くらいは離れている。
「お前は、目だけが死を超越したんだ!
死を超えた英雄に神話的な能力が与えられる。そう考えれば何の不自然も無い。
冥府へ下り、そこから戻った英雄なんて、神話じゃ主人公級の扱いだろ?
世界から、そういう風に見なされたんだ!」
知に関わるチートスキルを揃えた彼女の言葉には、有無を言わさぬ説得力があった。
冥府下り。
アルテミシアは地球の神話であるオルフェウスやイザナギくらいしか知らないが、確かに彼らは、神話の通行人Aではない。
イザナギは日本神話において国土と神々を産んだ父であり、紛う方なき大神。
詩人オルフェウスは金羊毛探索の英雄であり、その首は死して後も歌い続け、彼の竪琴は天に召し上げられ星座にすらされた。
もしサフィルアーナの分析が正しいのなら、あくまで形式的にとは言え、アルテミシアは神話に謳われる英雄と同じ事をしてしまったのだ。
「こいつは魔法じゃねぇ、世界に愛された結果だ。
お前が死の運命を見られるよう、世界の側が姿を変えたんだよ。
だから魔力ゼロだろうが関係ない」
「そ、そんな大げさな!」
「……神話ってさ、世界の大枠を決める『型』なんだ。
アルテミシアがどう思おうと、この世界は、あの戦いを神話的イベントと認識した。
だから神話の登場人物になったお前のため、世界がちょっと姿を変えるくらい、あっておかしくない」
スケールの大きすぎる話だった。
アルテミシアはあくまで、か弱い非戦闘員の純生産職。少なくとも本人はそう思っている。
なんだかんだで危険な戦いに2度も巻き込まれ、そこから生還してはいるが、神話的英雄と言うほどの存在ではない。絶対にない。
世界の片隅で薬草を轢き潰しては小銭を稼いで生きていくのが最高だと思っている小市民だ。
だが、手に入れてしまったものはしょうがない。
死の影を見る力があるのだとしたら、何ができる?
「毎朝、鏡を見て……もし変なモノが見えたら外出を控えるとかして備えれば、安全に生活できる!」
「神話が個人スケールの話に収束した……」
「お姉ちゃん、あなたのそういう絶妙に俗っぽいとこ大好きよ」
レベッカ達は褒めているのか呆れているのか微妙な調子だった。
「でもじゃあ、どういう基準で見えてるんだろ。
期間とか、確度とか……
カリンシーレさんなんか前日から見えてたし、しかも結局、ヘルトエイザさんが説得したとかでセーフだったんですから」
「そこは分かんねーな。少なくとも絶対確実な未来ってわけじゃ……」
そこで、サフィルアーナの言葉がブツ切りになった。
彼女はだらしなく大あくびをする。
「……もうだめ、おやすみなさい」
ふらふらと歩いてソファに倒れ込んだマナは、そのまま安らかに寝息を立て始めた。あまりに急だった。
転生に際して、知識系のチートスキルをいくつも付与されたマナだが、その力をフル活用できる時間は短い。エルフの巫女『サフィルアーナ』としての人格が強く表に出ている短い間だけだ。彼女はあくまでも『マナ』であり、『サフィルアーナ』として知性をブーストさせる事は彼女を疲弊させる。
やがて『サフィルアーナ』の仮面を維持できなくなり、さらに消耗すると、こうして気絶するように眠ってしまうのだった。
「今日は、私の弓の訓練に付き合ってもらってたの。だからもう時間切れだったみたい。
夕飯まで寝せときましょ」
アリアンナが寝室から毛布を持ってきて、ソファで眠るマナに掛けた。
ひいこら言いながら自分より大きなマナの身体を動かして、寝苦しくないよう楽な姿勢に整えていく。
アルテミシアは、リビングの隅に置かれた姿見を覗き込んだ。
工房へ通うためのマトモな服。白いシャツに紺色のジャンパースカートを着た少女が、そこには立っている。あまりにも華奢。あまりにも無力。人畜無害の極み。
死の影は見えない。しかし、それだけだ。安心はできない。
この力を手にした事で何が起こるかは、まだ分からないのだ。
* * *
翌日の出勤時だった。
――あの人……!
アルテミシアは、早くも『該当者』を発見した。
仕事場へと向かう人々の波。
その中にアルテミシアは、不吉で不穏な『死の影』を確かに見て取った。
気持ちを整理する暇もあればこそだ。
それは若い男だった。
どことなく事務労働者っぽい、こざっぱりした雰囲気の男だ。
――ど、どうしよう。出勤時間なんだけど……
でも目の前で死にそうな人、放っておけないし……
社畜の習性。槍が降ろうが親が死のうがまず出勤。
……だがそれではダメだ。いつまでも地球での生き方を引きずってはいられない。それでは何のためにこちらの世界へ来たと言うのか。
今、アルテミシアが行動を起こす事でひとりの命が助かるかも知れないのだ。
アルテミシアは工房へ向かう道を逸れ、それとなく男を尾行し始めた。
とは言え、自分が尾行に向かないのはよく分かっている。歩いているだけで注目の的になるような容姿だし、緑の髪は珍しくて目立つ。
ひとまず適当なところで路地に入り、『変成服』からフード付きのローブを出した。どれだけ誤魔化せるか分からないが、何もしないよりはマシだ。
追いかけながらアルテミシアは、どうすれば良いか考えた。
直接警告する? ……信じてもらえるだろうか。
あるいはずっと付きっきりで様子を見る? ……いつ何が起こるかも分からないのに。
結論が出ないまま、アルテミシアは男を追う。出勤時間の事も一応気になる。
だがそこでさらに予想外の事態が起こった。
もうひとつ。
――…………!!
野菜の行商らしき中年の女性。『死の影』をまとう者がもうひとり。
遠くに見えた彼女の姿は、アルテミシアが見ている間に脇道に入って消えてしまった。
――違う。出勤するのしないのって話じゃない。
ふたり以上が別々に死ぬような目に遭ったら、助けようがないじゃない!
少し考えれば分かるはずの事だった。
この大都会ゲインズバーグシティで、どれだけの人が不慮の事故や犯罪によって命を落としているというのか。
死の予兆を感じ取ったとしても、その全員に付いて周り助けるなんて事は、そもそも無理なのだ。
――どうしよう! 領兵さんに助けを求めて、ふたりを追っかけてもらう?
でもこんなよく分からない事、どうやって信じてもらえばいいの!?
身体の中からじりじりと炎で焼かれている気分だった。
今すぐ追いかけなければ、もうひとりの『死の影』はどこかへ行ってしまう。だがこちらの男も見捨てられない。
どうすればいいのか。ゼロコンマ1秒でも早く、結論を出さなければ……
「アルテミシア!」
「ひっ!?」
いきなり自分の名前を呼ばれ、アルテミシアは飛び上がりそうになった。
前方を歩く人々が驚いた様子で道を空けていく。
何か小さなものが矢のように猛進してきた。
整えられた(ただし走っているせいで現在進行形で乱れていく)褐色の髪。日を浴びた果実のように輝く金色の目。仕立てのいい純白のフリルブラウスに、礼服的でありながら動きやすそうでもあるズボン。
レグリスの息子、今は次期領主でもある少年。ルウィスだ。
お供の領兵を置き去りにして全速力で突っ走ってきたルウィスは、アルテミシアに食ってかかる。
「お、お前っ! 旅先でけけけけけケッコンしたとかいう話は本当かーっ!?」
顔を真っ赤にしてルウィスは吠える。
何か、マナを巡る一件が歪んだ形で伝わっているようだ。
誤解を解かなければならないとアルテミシアは思った。
だが同時に、それどころではなかった。
「うそでしょ……?」
呆然と愕然と、アルテミシアは呟いた。
ちょっと背伸びをするようにアルテミシアを睨み付けるルウィス。
彼ははっきりと、不吉な紫色の炎を……『死の影』をまとっていた。
現在、第一部を改稿作業中。終了し次第、まとめて置き換えます。
まあそこまで変化は無いんですが、設定やら展開が微妙に変わる予定。修正点なんかは後々まとめます。