11-3 塩狩る
「アルテミシア!」
アルテミシアにとっては久々のポーション工房。
薬草の匂いが染みついた廊下を歩き出すなり、調合師たちがアルテミシアに声を掛けてきた。
「お久しぶりです。仕事に穴空けちゃってごめんなさい」
「それどころじゃないだろ! 新ポーションだって!?」
「どこまで探しに行って何を見つけてきたんだ!?」
「え、もうみんな知ってるんですか?」
騒ぎを聞きつけた調合師たちが話を聞くために、巣穴に水を流し込まれたアリンコの如く調合室から湧き出してくる。
興奮に目を輝かせた皆々様が、少々がっつき気味にアルテミシアを取り囲む。
それはエサを持つ人間に群がる上野公園の鳩にも似ていたが、成人男性が見目麗しい少女に群がっているこの状況は、これが日本の道端なら職務質問待ったなしの光景だ。
「所長から聞いた」
「俺も」
「エルンストさん……いいのかなー発表前に言っちゃって」
ウキウキと言いふらすエルンストの姿が容易に想像できて、アルテミシアは脱力した。
「そんな事より、早く教えてくれよ!」
「どんなポーションなんだ!?」
「あう……えっと、精神修復ポーションと言いまして……」
アルテミシアは圧死の危険を感じながらも、ポーションの発見とその経緯について掻い摘まんで話した。
ハルシェーナのエルフ達が秘匿していた薬草。心を失った巫女。偶然持ち合わせていた竜の耳骨……
「精神に作用する薬草か……」
ひとりが呟くと、それが口火となったように全員が騒々しくさえずり出す。
「噂はあったんだよな。ハルシェーナの門外不出の薬草」
「そうか? 俺初めて聞いたぞ?」
「竜の耳骨ってのもまた変わってるな。強力な素材ではあるけど……あれ何に使うっけ」
「えー……炎身とか?」
「そりゃ火竜のだけだろ。火竜なら鱗でもいいし」
「透明化ポーションにも使えるぞ。勿体ないから普通使わないけど」
「骨ってだいたいどこの部位でも互換で使っちゃうよな。指定されるのってあんま無くね」
「性質より強さの問題じゃないかな。だったら耳骨よりツノとか逆鱗のが強い」
「懐かしいなー、俺、駆け出しの頃、耳骨一個丸ごとダメにした事あってさ」
「よく生きてるなお前」
もはやアルテミシアすらそっちのけで議論は盛り上がる。アルテミシアは話しについて行けないながらも、なるべくその会話を聞き取り理解しようと努力した。
この工房で働いている調合師たちは、もちろんアルテミシアのようなチートスキルこそ持たないが、知識と経験では遥かに先を行く調合オタクどもだ。チートスキル頼りの本能的な調合しかできないアルテミシアにとっては学ぶべき先達である。
「諸君、事が事だから大目に見るが、始業時間だ。適当なところで仕事を始めたまえ」
廊下を鳴らす重量級の足音。
相変わらず、使い古して『白』衣とは言い難くなった白衣を着ているコミカルな男がやってきた。
「やべっ」
「すみませーん」
「はーい」
所長たるエルネストの一声で、調合師たちは蜘蛛の子を散らすように戻って行った。
「……大歓迎だったな」
後に残ったアルテミシアに、エルネストはカラカラと笑いかける。
「お帰り、アルテミシア」
* * *
「長い間、勝手に空けてしまいまして申し訳ありません」
「いや、それはいいんだけどね。事情は聞いてるし」
所長室には、繊細な彫刻が施され曲線的な美しいフォルムを描く本棚や、西方の遊牧民の伝統工芸であるカラフルな刺繍絨毯、そして調度品代わりに置かれた儀礼用の鎧など、明らかに職務には不要かつ高価な物品がエルネストの自腹で持ち込まれている。
そして、つい今し方壁に飾られたのはアルテミシアがお土産として持ってきた獲れたての民芸品。木彫りの仮面五点セットだ。
エルネストは、片眼鏡を付けたり外したりしながら、青白く輝くポーションを観察していた。
「……新ポーション、ねぇ」
新たなポーションが発見される事は極めて稀。大大大ニュースだ。
アルテミシアが提出した報告書には、そのレシピ(ただし今のところアルテミシア以外には再現不可能。『いい感じにバランスをとりながら混ぜる』という一般的な調合師からしたら信じられないような記述が3カ所にある)と効果が記されている。
「どう、でしょうか。これ」
「どうって……うん、治験なら手配できる。
毒になってないか所定の手順でサンプルをチェックしてから、ギルド側担当者の立ち会いのもと協力者に投与する。それで効果が確認できたら……」
ポーションを机に置いて、エルネストはパッと手を開く。
「バーン!
……えらい事になるぞ」
そして、カブトムシを見つけた小学生男子のように笑った。
「……で、まだレシピ化ができてないんだね」
「はい。ですから報告としてダメかなって思ってたんですが……」
「偶然、薬が成立してしまうって事はあるから、たぶんそれに沿った処理になると思う。
レシピ化を今後の課題としたままギルドに報告する事はできるよ」
まったくもって話が早い。
エルネストはこの状況を、アルテミシア自身より楽しんでいるかのようだった。
「それで、だ。これは元から言おうと思ってたんだが……しばらく開発に専従してくれるかな。
あんな事があったから開発室がしばらく止まっててね。誰かにやってもらわなくちゃと思ってたとこだ。
ちょうどいいから、こいつのレシピ探しをやって欲しい。いいかね?」
「もちろんやります! ありがとうございます!」
エルネストの提案はアルテミシアにとって渡りに船だった。
――つまり精神修復ポーションのレシピ探しを、工房の金で材料を買い、工房の機材を使って、勤務時間中に給料を貰いながらできるって事!
サラリーマン(正確にはOL……いやOGかも知れない)として夢のような環境に、胸が高鳴る。その場でくるくる踊り出してしまいそうなくらい幸せだ。
こんなに良い待遇にしてもらっていいのだろうかと思うほどだったが、エルネストは鷹揚に笑うだけだ。
「なんの、この程度ではとても代価にならないよ。
……エルフの里で見つけたんだろう? だったら、発明の手柄ひとりじめを主張できただろうに。本当に工房の下でって事にしていいんだね?」
エルネストが言う通りで、アルテミシアは今回あくまで、工房所属の調合師として報告書を出したのである。
工房ではない場所で、工房の道具も材料も使わず発見したポーション。工房を介さずに直接ギルドへ報告を上げる事もできた。
もしくはギルドすら通さず『新たなポーションはいかに』と自ら世の中に問う事もできたのだ。
工房やギルドを介す以上、ある程度権利を取られる事になる。
引き出せる利益は減ってしまうし、レシピを秘匿する事も許されない。
しかしこれはアルテミシアが20秒間の熟考の末に決断した事だった。
「さすがにひとりで抱えるには大きすぎそうなんで……
大騒ぎになるとしたら対処しきれないですもん。
代わりに最短ルートで開業許可貰えるなら、それでいいかなって事にしました」
「確かにな。それもいいと思う。
ある程度は工房やギルドで面倒事を引き受けられるからね」
この新ポーションは、少なくとも直ちに世界の軍事力のパワーバランスを変えたりするような代物では無い(はずだと思いたい)。
だがそれでもアルテミシアを時の人とするには十分だろう。
それがどれだけ面倒な事なのか、前世で慎ましやかに生きてきたアルテミシアには想像も付かない。
想像も付かないというのはつまり、これから起こる事に備えようが無いという事だ。
そのためアルテミシアは身を守るために一計を案じたのである。
「……名声とかそれに付いてくる厄介事とか要らないんで、富と利益だけ掻っ攫う方法って無いですかね」
「基本的に無理」
アルテミシアはエキゾチックなお土産の仮面を見ながら、アンニュイでメランコリックな溜息をついた。
エルネストは相変わらず愉快そうに笑っていた。
* * *
その日の帰り道。アルテミシアは少しだけ遠回りをして、夕暮れの大通りをのんびりと歩いた。
しばらく街を離れている間に、復興はかなり進んでいた。大通りは既にほぼ完全に修復され、建物も石畳も澄まし顔をしている。そんな光景をアルテミシアは眺めていた。
行き交う人々はどこかせわしなく、資材や商品を乗せた馬車も頻繁に通り抜けていく。物売りが客を呼び込む声。料理屋から漂う、いくつもの食べ物が入り交じったような良い香り。
そして……黄昏の中で文字通りの異彩を放つ、紫色の光。
――え?
アルテミシアは、視界の端をかすめたソレを、見間違いかと思った。
だが雑踏を透かすように見れば、確かにそこに紫色の光がちらついている。
カリンシーレに見たのと同じ不穏なオーラ。
不穏な光をまとうのは、ちょっと恰幅の良い、いたって普通のおじさんだった。
職人風の服装をしている。どうやら仕事を終えて家に帰るところらしい。
何かの魔法を使っている魔術師には見えない。
かと言って、何かの呪いを掛けられているようにも見えない。
――これは……!?
何度、目をこすっても確かに見える。往来を歩く人々のうち、彼だけが怪しいオーラをまとっている。
――声を掛けてみるべき……? でも、変な子だって思われちゃうかな。
『変な光があなたから見えるのですが、原因に心当たりはありますか』って……
ダメだコレ、怪しい宗教の勧誘だ。
アルテミシアが立ちすくんでいる間に、謎のおじさんは人並みの中へと埋もれていく。
――でも……謎の現象の解明に繋がるかも知れないし……カリンシーレさんとの共通点とか探れば……
せめて連絡先を聞くとか……
うん、せめてどこの誰なのかだけは聞いておこう。そしたら後は誰かに相談して、いろいろ調べてもらえるかも。
だが、アルテミシアがそうと決めたときにはもう、謎の光をまとった男の姿は見えなくなっていた。
アルテミシアは妖しい光を追った。
通りを駆け抜け、彼が消えたと思しき方向へ。
十字路で周囲を見回し、人波を透かすように遠くを見ると、超常的な光がちらつき、再び駆け出す。
「わああああっ!? どけ! 危ねぇーっ!!」
「きゃっ!?」
道を渡ろうとした時、凄まじい勢いで眼前を馬車が駆け抜けて、アルテミシアは再び男を見失ってしまった。
――いっそ、ポーション使って屋根の上走りながら追いかける!?
それは無駄に目立つしなんか怒られそうで、あんまりやりたくないんだけど……
ひとまず道を渡って、また男を捜そうとした。
その時だった。
何か大きな物が壊れるような轟音が、意外なほど近くから聞こえた。
次いで、いくつもの悲鳴。
「きゃああああ!!」
「おい、大丈夫か!?」
「誰か轢かれたぞ!」
――……事故!?
人の流れが狂い、止まる。
その合間を縫ってアルテミシアは、轟音の発信源へと駆け寄った。
未だ車輪が虚しく回る、横転した馬車。道脇の建物に突っ込んだ様子で、漆喰の壁は大きくヘコみ、表面が剥がれ落ちている。
馬は泡を吹いて気を失い、御者席の男は放り出されて悶絶していた。
だが、最も悲惨なのは……
石畳には鮮血の轍が刻まれている。
血だまりの中に倒れ、上半身と下半身が泣き別れになった男。正視に堪えない光景だった。どんな魔法でもポーションでも手の施しようが無い状態なのは明らかだ。
職人風の風体をした彼こそ、先程、怪しげな紫色のオーラをまとって見えた男だった。
もはや彼の身体に、陽炎のような光は無い。
「まさか……まさか、あの光って……!」
昔々、OLという言葉がまだ日本に無かった頃。女性会社員はBGと呼ばれておりました。
この時、ある雑誌が『女性会社員の新しい通称を決めよう』と読者投票を実施。1位を取ったのはOGでした。
しかし当時の編集長が「OLの方が良い」と言い、アンケートの結果を書き換えたのでありました。
ガールをレディと言い換えたこの『不正』がどのような影響を社会にもたらしたか、あるいはもたらさなかったのか分かりませんが、OLという呼称は結局日本社会に定着したのです。
何にせよ、アルテミシアがガールである事は間違いありませんね?