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11-2 ザ・カオスメイカアズ

『お客人……? なぜ、このような場所へ?』


 土牢の中、姿勢良く座っていたカリンシーレは、格子の向こうに現れたアルテミシアを見て驚いた顔をした。

 普段はあまり使われない地下の土牢も、今ばかりは前代未聞の活況を呈している。入りきらない囚人など、地上に設けられた臨時の監禁部屋に入れてあるほどだ。

 そんな状態でもカリンシーレには個室が割り当ててある辺り、『星』という立場の重さが見て取れる。

 

 薄汚い牢獄の中であっても、彼女は可能な限りの身繕いをしている様子で、まさしく闇夜に浮かぶ星のように、周囲からくっきりと遊離した印象だった。


『すみません、本当にちょっとした事なんですけれど、里を出る前にどうしても聞きたいことがあって来たんです』

『それは、どのような……』

『えっと……なんかこう紫色のオーラをまとうみたいな魔法って、何か使ってました?』

『……はい?』


 カリンシーレは軽く首をかしげる。


『最初に会った時、カリンシーレさんがそんな風に見えたんです。

 でも、一緒に居たリムルセイラさんに聞いても、そんな事無かったって言うし……

 魔法に詳しい人にも何人か聞いたんですけど、みんな分からないみたいで』


 訝しげな顔でカリンシーレが考え込んでしまい、アルテミシアは無駄足を悟った。

 アルテミシアには確かに、カリンシーレが揺らめく紫炎のようなものを帯びて見えたのだ。そのことがずっと気に掛かっていた。あれは、見間違いとして片付けるにはあまりにもハッキリしすぎていた。

 だが、どうやら当事者たるカリンシーレにも心当たりは無いようだった。


『外見的に、術者がそのような変化を見せる魔法は確かにあります。

 ですが、私は族長様と会話していたあの時、いずれの魔法も行使しておりませんでした』

『そうですか……

 わたしはエルフじゃなくて人間で、しかも魔力もゼロなんです。

 そういう人にだけ分かる魔法ってあったりしますか?』

『いえ……むしろ魔力の無い者には何も分からないはずです』

『……ですよね、やっぱり。わざわざ変な質問をすいません』


 アルテミシアは小さく溜息をついた。わざわざ牢屋の中まで来たのに何も分からなかったという徒労感。

 それに、こうなればいよいよ自分の目がおかしかったのではないかと疑うしかない。折しも、巨大な『獣』との戦いで傷付いたばかりだ。マナが治療をしてくれたはずだが、何か異常が残っているのかも知れない。

 せっかく家路に就くというのに、爆弾を抱えている気分だ。


『では、これで……』


 辞去の礼をしようとして、アルテミシアは、カリンシーレにどう言葉を掛けるか迷った。

 彼女の境遇については話を聞いて概ね理解している。こんな場所でまで話を聞かせてもらったのに何も言わず別れるのは薄情な気がした。

 だがプライドの高いカリンシーレはきっと、人間に気遣われることも、子どもに気遣われることも、魔力が無い者に気遣われることも好まない。彼女を傷つけるだけだ。


 短い思慮の末、アルテミシアは一言だけを述べた。


『また、会いましょう』


 はっとしたような顔をして、それからカリンシーレは深々と頭を下げた。

 その言葉に込められた想いと、カリンシーレのプライドに対する尊重を、察したように。


 * * *


「おねーちゃん、おっそーい!」

「ごめんごめん」


 ぱたぱたと両手を振ってマナが抗議する。


 里の入り口には、既に皆が揃っていた。

 レベッカ、アリアンナ、マナ、カルロス、フィルローム。そして見送りのヘルトエイザ。

 フィルロームの傍らには、正体不明の木箱が大小取り混ぜて山と積まれている。


「……なんですか、その大荷物は」

「部族の重宝で、売っても問題無さそうなもんを見繕ったのさ。ホレ、いろいろあったから金が入り用になるだろ。

 ゲインズバーグまで行けばいくらかツテがあるんでね。あたしがそいつを金に換えてやる事になった」

「なるほど」

「で、あたしは()()()を貰う」

「やっぱり」


 割合は敢えて聞かなかった。


「あらためて、皆さんには何から何までお世話になりました。

 本来なら、客人を送り出す際には宴を執り行うものですが……」

「それどころじゃないわよね、どー考えても」


 レベッカにそう言われて、鎧を着たままのヘルトエイザは苦笑した。

 今は里中が大忙し。彼自身も物資運搬の護衛として里を出たり入ったりしている合間なのだ。


「人数集めてるだけの暇も惜しい有様で……

 またそのうち、落ち着いた頃、遊びに来てくださいよ。歓迎しますよ」

「そのことなんだけどね、あたしゃ適当に向こうで始末付けたら里へ帰る事にしたよ」

「えぇっ!?」


 フィルロームが突然言い出して、ヘルトエイザは若干引き気味に驚く。


「……聞いてませんが」

「そりゃそうだ、今初めて言ったんだから。

 なぁに、人間の街に住むのもいい加減飽きたんでね。

 便所へ行くにも苦労するような老い先短い身だ、森の方がいくぶんマシに過ごせるかも知れない」

「そんな衰えた様子には見えませんよ」

「それにね。しばらくは里も面白いことになりそうだから、あたしが見ててやる事にしたのさ」


 カラカラと笑うフィルロームに、ヘルトエイザは様々な感情が入り交じった視線を向けていた。その表情を何かに例えるなら、チベットスナギツネかモアイ像か。


 フィルロームが里に戻ったとしたら何が起こるか。

 暴走、暴虐、混乱、爆発、騒乱、狂奔、爆発……

 アルテミシアは脳裏をよぎった種々様々な地獄絵図を、口には出さず胸に秘めておいた。言わぬが花だ。

 それに(どのような酷い過程を辿るか知れたものではないが)フィルロームの存在は結果的に里を良い方へ導くだろうと、半ば確信じみた予感もする。


「ババアひとりだから身は軽いさ。財産なんて大してありゃしないからね。

 店の本は同業者に払い下げりゃいいし、店は……」


 わざとらしく考え込むポーズを取ってから、フィルロームはにたりと笑った。


「ああ、そうそう。あの街で自分の店を持とうって奴が都合良く居たじゃないか」

「わ、わたし!?」

「今なら爆安大特価だ。早い者勝ちだよ、買わなきゃ損するよ」


 フィルロームからの提案は渡りに船ではあるのだが、急すぎて考えが追いつかなかった。


 ゲインズバーグシティに自分の店を持つ。

 それは、せっかくのチートスキルで……すなわち、ポーションの調合で身を立てていこうと考えたアルテミシアにとって、当面の目標だった。

 そのためには行政からの開業許可とギルドによる開業許可が必要だが、もちろん店舗そのものも用意しなければならない。


「大通りから外れちゃいるが、あそこらは冒険者の往来もあるから悪くないはずさ。実際あたしゃ魔導書もいくらか扱ってたし。

 ポーションの調合に使うなら改築しなきゃならないだろうけどね。ほれ、確か調合室は石造りにしなきゃならんって法律があったろ」

「その前にわたし、まだ開業許可も貰ってないですけど……」

「時間の問題だろ、そんなもん」


 フィルロームはスッパリ言い切る。

 確かに新薬発見の手柄をギルドに売れば、開業許可など簡単に下りてお釣りが来るレベルだろうが……


「ま、向こうに着くまでゆっくり考えるんだね」

「あう」


 フィルロームはアルテミシアのふわふわ頭をポフポフ叩いた。

 アルテミシアはお言葉に甘える事にした。

 まあ答えはもう出ているようなものなのだが、何事にも気持ちの整理をする時間というのが必要だ。特に、人生を左右するような決断には。


「と、とにかく……お気を付けて」

「あ、はい。ヘルトエイザさんもお気を付けて」

「…………ああ」


 詠嘆するようにヘルトエイザは言った。

 目の前の騒動よりも、やがて来るであろうフィルロームが何をしでかすか心配しているに違いない顔だった。


 * * *


 同時刻、遥か南の地。

 晴れることの無い暗雲が立ちこめ、昼なお暗い魔族領。

 荒れ果てた廃城の一室で向かい合う者があった。


 ……荒れ果てた?

 いや、違う。破れたカーテンも、ボロボロの絨毯も、全て計算尽くで配置されている。

 おどろおどろしく演出されたこの場所は、魔王軍の幹部として周辺一帯を支配した吸血鬼ノスフェラトゥの居城。廃城めいた装飾は城主である吸血鬼ノスフェラトゥの采配による演出だった。

 もっとも、ここが吸血鬼ノスフェラトゥの居城だったのは、一週間前までの話だが。


『だからぁ、もう一回言うよ。このルウィスって奴をぶっ殺しちまえばいいんだよぉ』


 クモの巣だらけのシャンデリアが怪しく煌めき、ぼうっと照らし出される豪奢な応接間。

 向かい合う者の片方が牙を剥いて()()()

 赤金あかがね色の毛並みをした、()()2メートルほどの狼。

 すらりとした体躯の狼が足を組んで、ボロボロのソファにどっかと座っていた。


 ライカンスロープ……いわゆる狼男。いや、声からしか分からないが狼女だ。恐ろしげな容姿でありながら、その声音は意外にも少女めいている。


 彼女が指し示した机の上には、似顔絵があった。

 ゲインズバーグ領主レグリスの息子。兄ふたりが死んだことで嫡子となった少年、ルウィス。

 その似顔絵にはナイフが突き立てられ、机に縫いとめられていた。


『だから、なんで、こいつなんだ。

 い、い、いきなり領主レグリスをぶっ殺せば、い、いいんじゃないか』


 狼女と向かい合うのは……影だ。

 だいたい人の形をした、わだかまる不定形の影が、金属を引っかき合わせるような声で喋っている。

 彼(彼女かも知れない)の控えめな反論を聞き、狼女はグルグルと唸る。


『それができるんならそうしてるんだよ! あと一ヶ月早くゲインズバーグに攻め込めればそうしてたんだっ!!

 どいつもこいつもあたしの言う通りにしないから、さんざっぱら苦労して皆殺しにしたんだ。そうだろう!?』


 狼女の吠え声に、ひび割れた(しかし隙間は無い)窓ガラスがビリビリと震える。人型の影は恐れをなしたように、身長を半分にまで縮めた。


 この狼女。まだ若造と言ってもいい歳なのに異常なまでの強さを誇り、この城の主であった吸血鬼ノスフェラトゥと、その一族郎党を皆殺しにした実力者だった。


 『魔物』というカテゴリに属する知的生命体は、総称して魔族と呼ばれる。ゴブリンから狼男まで、どれもこれも魔族という括りのうちだ。

 魔族はある程度の連合体を形成し、支配領域を持つ事もある。これを俗称して魔族領と言う。

 レンダール王国南西に位置する魔族領は世界最大規模の大きさで、12の君主ロードが各々の領土と民を治め、それらの上に魔王が君臨していた。


 ゲインズバーグを『悪魔』が襲い、レンダール王国の守りの要たる辺境伯の領土が大きく揺らいだ、突然の事件。これは魔族領にとってレンダール王国を攻める絶好の機会だった。

 しかしそれは成らなかった。

 最もレンダールに近い地を治める君主ロード吸血鬼ノスフェラトゥのグルグハウゼバルが、反抗勢力との戦いに追われていたからだ。そして彼は遂に討ち取られた。


 魔族は人に比べると『力による支配』という側面が強く、もし支配者より強い者が現れれば、すぐにでも下克上の戦いが起こる。

 君主ロードのひとりに牙を剥き、そして見事討ち取ったのは……弱冠11歳、成獣したばかりの狼女だった。


 今、魔族領はこの大大大事件に大きく揺れていた。レンダールに攻め込むどころではない。君主ロードのひとりが欠けて、それに取って代わらんとする超新星が現れた。パワーバランスは大きく崩れ、新たな秩序が形成されようとしている。そのため、皆が、どう動くのが一番得になるか様子を伺い合っている状況だった。


『おかげであんたみたいな脳タリンを使わなきゃなんないんだよ。

 有能な奴も軒並み殺しちまったんだから』


 狼女は忌々しげに吐き捨てた。


 グルグハウゼバルとの戦いの中で、彼の部下を数え切れないほど殺した。

 勇将、智将、諜報員、内政官……配下に加えたい有能な魔族はいくらでも居たが、彼らはどこの馬の骨とも分からぬ狼女に寝返るようなことはせず、自らの君主ロードに殉じた。


 ほんの11歳である彼女は、まだ戦いの経験が少なく、そのためロクに名が上がっておらず、必然的に配下も少ない。

 自分ひとり強くても、できる事には限りがあるのだ。だからこそ、彼女はまず、自分に従う者を増やすにはどうすればいいか考えた。


『とにかく、ルウィスを殺すことに成功すりゃ、あたしらには箔が付くんだ。

 そしたら今は傍観決め込んでる連中からも、あたしの下に付こうって奴が出てくる。

 今度こそ魔王もあたしらを無視できなくなるさ』


 辺境伯の嫡子は、ちょうどいい獲物だった。


 辺境伯本人を狙うのは難しい。

 魔族との戦いで度々前線に出ている彼は、戦士としてはさほど強くないが指揮官として戦い慣れており、相応に用心深いと聞く。ゲインズバーグシティに潜入できたとしても、今の手勢で暗殺するのは至難の業だろう。

 対してルウィスはまだ子どもだ。力も無く経験も無い。

 まだ混乱冷めやらず、領兵による警備態勢も立て直しが済んでいないのに、不用心に街を出歩いているとも聞く。


 はっきり言って、唯一の嫡子を殺したとしても、対レンダール戦線の情勢が直ちに変化することは無いだろう。無駄もいいところだ。

 だが、それはそれ。

 憎き辺境伯の嫡子を殺害したとなれば、そのことで快哉を上げる魔族は少なくない。実行者には賞賛と名誉がもたらされる。つまり、今一番必要なものが。


『お、おまえの言う事は、たまに、よく分からん』


 人型の影はぴょこぴょこと身長を増減させた。

 人の仕草で言うなら、首をかしげているのかも知れない。


『まったく……本っ当にあんたは()()()()()()()()()()()パーなんだから。

 分からなきゃ分からないでいいから、そん時はあたしの命令だけに従いな』

『りょ、了解した』


 狼女は舌打ちしつつ傲然と命じた。

 だが急に、ふと何かを思い出した様子で、床に転がしてあるズダ袋を漁り始めた。


『そうだそうだ、もうひとつ言っとくことがあったんだ』


 くしゃくしゃの人相書きを引っ張り出した狼女は、それを机の上に投げ出すと、思い切り力を込めてナイフを突き立てた。


『ゲインズバーグを救ったとか言う冒険者。大斧使いのレベッカ。こいつを見つけたら絶対に殺してきな』


 赤髪の女の顔がそこには描かれていた。

 激情をこらえるように、狼女は喉の奥で、グルグルという唸り声をかみ殺す。


『ル、ルウィスより、先に殺すのか?』

『ん……そうだね、それでいい。

 まあ、居ないなら居ないで、わざわざ探さなくていいんだからね? 冒険者なんて好き勝手にフラフラ移動するもんなんだから』

『りょ、了解した』


 返事をしたきり、影は、空気に溶けるように薄れて消えていった。


 朽ち果てた(ように装飾されている)応接間には、狼女だけが残される。


『まずは、一歩だ……』


 シャンデリアを見上げて、彼女は舌なめずりするように口元を舐めた。

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