10-12 オール・フォー・フューチャー
集合していた戦力が散り散りになったことで、ヘルトエイザ暗殺をもくろんだ一派の作戦は瓦解。同調者は速やかに捕らえられ、残りの人質も救出された。
ザンガディファが戻ったのは、夕刻になってからだった。
* * *
「なるほどな、また君に苦労を掛けたようだ」
「わたしは手伝っただけなので何も……大変だったのはヘルトエイザさんですよ」
残照が赤々と照らす中で、ちょうど昨日と同じように、アルテミシアとザンガディファはテラスで向かい合って薬草茶を飲んでいた。
ザンガディファは帰還するなり、アルテミシアから今日の騒動の顛末を聞いたのだ。
ヘルトエイザに協力し、解決に立ち会ったアルテミシアは、確かに話を聞くのに適するだろう。
だが、そこはかとなく焦臭いものをアルテミシアは感じていた。
あまりにも落ち着いているザンガディファ。あまりにも迷い無く『こいつに聞けば全て分かる』と確信しているかのように自分の所へ来た……
「族長さん、ひとついいですか」
「なんだね?」
「こういう事が起こるって予想してました?」
ザンガディファは答えず、薬草茶を一口啜った。
「もし、不穏な動きがあると察知できていた……と、仮定しましょう。
この微妙な時期に要である族長さんが森を離れれば、よからぬことを考えてる人達は絶対に動き出す」
「そうと分かっていたなら、なぜワシが森を離れるのだ?」
「里を安定させるのに一番手っ取り早いからですよ。
……結果だけ見れば、不穏分子は死傷者多数。企みも頓挫して……ほら、これだけ盛大に失敗したらみんな意気消沈しちゃって、もう一度同じくらい人を集めるのってすごいハードル高いじゃないですか。
おまけに『獣』を使ったり巫女をさらったりしましたから、名誉も地に堕ちました。同調者は出にくくなるでしょう。
そして解決したヘルトエイザさんには箔が付きます……
これだけ特盛りの成果が、たった半日で得られたんです。もし今後、ヘルトエイザさんや、『改革派』に近しい方が族長になるとしたらですけれど、その時の反発はかなり弱まったと思います」
アルテミシアはほとんど一息に言った。
誰かが書き捨てたシナリオを、こっそり拾って読み上げるように。
表面的に見るならヘルトエイザは命を狙われた被害者だ。
だが考えれば考えるほど、今日の一件はヘルトエイザにとって都合が良すぎる。
彼に反発する勢力は根こそぎにされた。新たに芽吹くには長い時間が掛かるだろう。
まくしたてるアルテミシアの言葉を、ザンガディファは黙って聞いていた。
そして、手元のカップを空にしてから口を開く。
「君は……本当に見たままの歳かね?」
「さあ、わたしもそこは曖昧なんです」
アルテミシアは誤魔化すように溜息をついた。
確かに地球で30と余年生きたわけだが、その経験のおかげで頭が回るのだとは思えない。平和な日本で生きていた、うだつの上がらない平均以下のサラリーマンでしかなかったのだから。
こちらの世界に来てからというもの、自分の思考が奇妙に冴えているのを、アルテミシア自身感じていた。
ともあれザンガディファの言い方は、ほとんどアルテミシアの言葉を肯定したようなものだった。
彼は、不穏分子が動き出すことを承知の上で、あえて今日、里を離れたのだ。
「もし君の言う通り、ワシが何らかの考えを持っていたのだとしたら、それが何かね」
「別にどうとも。これは里の問題ですから。
わたしがそういうの好きじゃないってだけの話です」
「そういう所は子どもらしいな。……ああ、すまん、褒め言葉だ」
頬を膨らませ、むくれて見せたアルテミシアに、ザンガディファは苦笑を返す。
敢えて過激派の自由にさせ、一網打尽に摘み取らせる……
血が流れることを厭わない荒療治だ。ヘルトエイザにとっては『命の危機を乗り越えた上で事態を沈静化できるか』という試練でもあった。
すっかり枯れて毒が抜けた好々爺のような笑みを浮かべているが、ザンガディファという族長は、こういう事を平気でやるのだ。『里のためになる』と判断すれば、何の躊躇いも無く。
実権を手に入れるためクーデターを起こそうとしたヘルトエイザも、本質的にザンガディファと似通ってはいるのかも知れない。だがヘルトエイザは少なくとも、ザンガディファより多くの人を生かそうとしているように見える。
今回の件でもそうだ。『獣』との戦いは、統制が取れなくなることのリスクを考えれば、最初からアルテミシア達だけをお供にすれば良かったのだ。それでも十分に『獣』を倒しうることは既に実証されている。
だがヘルトエイザは里の戦士達を率いて戦った。サフィルアーナが居たにもかかわらず待機させ、唯一の巫女という名目でカリンシーレに『獣』を封じさせた。……反逆者として死ななければならない者をひとりでも減らすために。
どちらが正道か、アルテミシアには分からない。ただヘルトエイザのやり方をより好ましくは思う。
「……何にせよ、君に持たせる土産を増やさなければなるまいな。またも里の問題で迷惑を掛けてしまった」
「そういう話でしたら大好きです。お茶のおかわりはいかがですか?」
「貰おうか」
橙色に燃える太陽は、辺りを鮮やかに照らしながらも、ゆっくりと沈みつつあった。
*
里を覆う緑の屋根の、さらに上。
枝葉を集めて椅子のようにした場所に座り、樹上にて夕日を眺めるふたつの人影があった。
『ねぇ、リムルセイラ。あなたは将来、やりたいこととか……なりたいものとか、あるの?』
躊躇いがちなニエラシャーンの質問に、リムルセイラはちょっと驚いた。
部族において何を仕事とするかは、本人の希望が考慮されるにしても、あくまで上からの命令で決まるものだ。何になりたいか、なんて話は子どもだけに許された、大人には聞かせられない内緒話らしい空気だった。
だけど、もしかしたら、里の空気はこれから変わっていくのかも知れない。
『私……冒険者になってみたいかな』
ほんのちょっぴり背徳感を味わいながら、リムルセイラは答えた。
『冒険者に? どうして?』
『あのね。私、『獣』との戦いを見て、みんなすごいと思ったの。里に来ている人間の人たちも、ヘルトエイザ様も……
知ってる? ヘルトエイザ様は冒険者をしていたんだって。
強いだけじゃなくて、みんな……すごく……えっと、なんて言ったらいいのかな』
あの瞬間の感動をどんな言葉にすればいいのか、リムルセイラには分からなかった。
それほど、これまでリムルセイラの見て来た世界からは離れた出来事だったのだ。
ニエラシャーンは急かさなかった。隣に座る娘の顔をじっと見ていた。
『あれは……戦い方じゃなくて、生き方なんだと思った。
あの人達は、『獣』と戦うだけじゃない。きっと、山ほどの魔物に襲われても、邪悪な陰謀に巻き込まれても、古代の遺跡を探検して罠にはまっても、なんとかしてしまうの。物語のヒーローみたいに』
祭りの夜に呼ばれた吟遊詩人の歌語り。
森の外から仕入れた本を誰かがエルフ語に書き直したもの。
物語の中の冒険者は、いかなる窮地に陥っても、行動力と機転、そして勇気で切り抜けてしまう。
リムルセイラはそんな冒険者にちょっとだけ憧れながらも、こんなに上手く行くのは所詮物語の中だからと冷めた考えも抱いていた。
しかし、あの『獣』との戦いで見たものは、軽くリムルセイラの想像を飛び越えていた。彼らの鮮烈な姿が目に焼き付いている。
そして、『獣』を封じる魔法に加わった時、リムルセイラ自身もほんの一瞬、彼らと同じステージに立てた気がした。あの時の心細さと、全てを知り全てを得て何でもできるようになったかのような『自由』の味が忘れられない。
『冒険者なら、さらわれても自分の力で縄をほどいて逃げ出したりできたかもね』
『うふふ……そうかも』
ふたりは他愛も無く笑った。
『巫女になるのは……うん、きっと大切な事なんだと思う。私が選ばれるなら、ちゃんとやらないとってくらいは思う。
でも冒険者になったって、巫女になるのと同じくらい、誰かを助けられると思うの。それって素敵なことじゃない?
きっと森の中で修行をしてるだけじゃできなかったこともできるようになるの』
冒険者になる事、それ自体が夢ではないのだ。
リムルセイラが憧れたのは、いかなる困難も笑いながら乗り越えて行けそうな、力と不屈の精神。
自分も彼らのようになりたいと、リムルセイラは思ったのだ。
『冒険者……そうね、いつの間にか里も変わっていて……
もしかしたら、あなたは何にでもなれたりするのかも、ね』
ニエラシャーンは時の流れに想いをはせるかのように、遠い目で夕焼けを眺めていた。
その横顔を見ながら、冒険者になるとかなれないとかではなく、せめてあと少しだけ勇気が欲しいとリムルセイラは思った。
何度も言いかけては引っ込めた『お母さん』という言葉を、いつかそう遠くない未来に、ニエラシャーンへ。