10-11 ビタースイーツ・フューチャー
それは、古式ゆかしい作法。
己の罪を悟ったエルフは、その身体を自ら森へ還すことで償いとする。
骨の刃を埋め込んだ蔓草で己を縛り上げ、そして一気に引き裂くのだ。五体はばらばらとなり、虫が、獣がその肉を食らい、食い残された血肉は木々を育むだろう。
暮れなずむ森の中。
瞑想をするように座ったカリンシーレの身体を、蔓草が少しずつ巻き取っていく。獲物に巻き付いて絞め殺してから食べる大蛇のように。
鋭利に研がれた刃を、自ら埋め込んでいく。いくつもの牙を持った蔓草は、少しずつ、少しずつ、彼女の全身に絡み付いていった。
――ああ、なんとみじめな……
カリンシーレは嘆息した。己は『星』であったはずだ。やがて巫女として里を導き、『獣』から守るはずだった。誇らしく崇高な使命を果たすため、自分は生まれてきたはずだった。
だが今や、里を乱した大罪人のひとりだ。
巫女に手を出すのは反対だったとか、『獣』を使うなんて知らなかったとか、弁明はいくらでもある。
しかしそれは枝葉に過ぎない。
結局のところ、口車に乗せられ、心の隙につけ込まれ、怪しい連中に担がれてしまったのだという事実は動かしようがないのだから。
自分の愚かしさが腹立たしかった。
『星』の名を汚さぬために、そして己の誇りを貫くためにどうすればいいのか、カリンシーレは分かっていた。
蔓草の先端が、埋め込まれた刃が、カリンシーレの細い首をぐるりと取り巻く。
あとは命令ひとつでいい。蔓草は一瞬でカリンシーレの身体を切り刻むことだろう。
呼吸を整えるのに時間が掛かった。
死ぬのは、思っていたよりも怖かった。
――半端な! 不覚悟な!
『星』として最期の矜恃すら貫けないのかと、カリンシーレは己を責めた。
奥歯を食いしばって、カリンシーレは蔓草に手を掛ける。
いよいよという、まさにその時だった。
カリンシーレを縛り上げていた蔓草がほどけおちたのは。
『なんっつー……分かりやすい奴なんだお前はよ!?』
『え……?』
怒っているのか呆れているのか分からない調子で言いながら、ヘルトエイザが姿を現した。
息を切らせて走ってきたらしい彼は、いつもの鉄鎧を着ていない。大剣もどこかに置いて、身軽になって駆けつけたようだった。
植物操作は初歩の初歩。まして今、カリンシーレが自害するためにまとっていた蔓草は対魔法の防御など施していなかった。他の術者が割り込んで命令すれば、ほどくのは容易である。
蔓草の戒めを解いたのはヘルトエイザだ。それは分かった。分かったが……
なぜヘルトエイザがここに居るのか、カリンシーレには分からなかった。
『どうして、ここに』
『思い詰めた表情でフラフラ出てったとか聞いたらもうここしか思いつかねぇよっ!
そういう伝統とか大事にするタイプだろお前!?』
ヘルトエイザは全力で呆れながら怒鳴りつけるという、器用な怒り方をしていた。
彼が言う通りで、ここは500年前の巫女が密かに人間と愛し合った末に、そのことを知られ、咎められ、自ら命を絶った場所だ。それ以来『忌み地』とされ、人の近寄らない場所になっていた。
だからこそ、なのか。己が罪を償うため命を絶つ巫女は、何かに導かれるようにこの地を訪れる。
カリンシーレはまさに、そうした歴史に倣ったのだ。
最初の驚きが過ぎ去ると、カリンシーレは急に腹が立ってきた。
よりによってヘルトエイザに自分の考えを見透かされたことも。
他の誰でもなく彼が、自分を止めに来たらしいということも。
恥をかかされたようで腹立たしかった。
『どうか止めようとせず見届けてくださいませ。
私は里に乱を起こそうとした大罪人。『獣』を使い、当代の巫女様方をも害しました。
もはや自ら命を絶つが唯一の道。次代の巫女たる『星』の名を穢しはしません』
『そういう理由ならやっぱりやめとけ。
死んで償うなんてのは、物語としちゃ美しいが、実際のとこ何かが解決するわけでもない。
それだったら、死んだ気で生きて償えよ』
『……貴様に……何が分かるっ!!』
烈火の如き怒りが、カリンシーレの胸中に燃え上がった。
地面に横たわっていた蔓草がヘビのように蠢き、たちまちヘルトエイザを縛り上げる。
それは、カリンシーレが命を絶つために刃を埋め込んでいた蔓草だ。
『丸腰で私の前に出て来るとは……
不用心ではないか、ヘルトエイザ。私は、一度は貴様を殺そうとしたというのに』
『なるほど、確かに。
つーか、やっぱり元気じゃんよ、お前』
『死ぬ前に貴様を殺しておこうと今決めたのだ!』
『そいつは困るな。俺はまだ、生きてやらなきゃならん事がある』
ヘルトエイザは死の蔓草で全身を絡め取られながらも、全く落ち着き払った調子だった。
その態度が更にカリンシーレを苛立たせた。
『私は! 良き巫女にならんと、私の全てを捧げてきた!
私は! 巫女という地位の名誉を守るため、命を絶つほかにやり方など知らない!
私は! 『星』でしかあり得ない! 巫女でしかあり得ない!』
『……そうか』
『お前には巫女の名誉などどうでもいいのだろう、ヘルトエイザ!
だがそれは私にとって、命を賭すに値する理由だ!』
言葉が止まらなかった。
カリンシーレはいつしか、泣きながら叫んでいた。
怒りに身を任せて叫ぶなど何十年ぶりだっただろうか。
対するヘルトエイザの反応は……カリンシーレの想像の斜め上を行った。
『そいつは、すまなかった。配慮が足りなかった』
全身縛られたままヘルトエイザは軽く頭を下げた。
カリンシーレはワケが分からなかった。
『……な、なんだ? 命乞いか?』
『じゃなくてさ。……いや命乞いもしたいけど!
さっきの言い方は確かにまずかった。まあそうだよな、死んでもいいってくらいお前は必死なのに、『そんなこだわりに何の価値もねーよ』って言われたら……怒るよな、そりゃ』
本気で済まなそうにそんな事を言うヘルトエイザを見て、カリンシーレは毒気を抜かれた心地だった。
何を考えているのか分からない奴だと思ったことはあるが、こうして話してみると余計に分からない。
『つまりだ、お前は自棄になってるんじゃなく、信念に沿って行動した結果がこれだってわけな』
『そ、そう……だ』
ヘルトエイザの問いに、カリンシーレは断言できなかった。
多少、自暴自棄になっているところがあるのは自覚していたからだ。信念に基づいた行動でもあるわけだが……
『だとすると、お前はどうして欲しいわけだ?』
『ま、まだ分からないのか? 私は貴様を殺すと言って……』
『待て待て、そりゃ手段だろ。俺は目的を聞いてるんだ。
俺を殺したらどうなると思ってた? んで、どうする気だったんだ?』
ヘルトエイザはフランクに、まるで体調でも聞くように尋ねてきた。
だがカリンシーレは緊張のあまり冷や汗を掻いていた。この問いは想像すらしていなかった何かだ。
生半可な答えは返せない、という気がした。
客観的に状況を見るなら、カリンシーレはヘルトエイザの命を握っている状況。何を恐れることがあるのか……という所だが、しかしカリンシーレは、ふいに何かが恐ろしくなった。
ヘルトエイザという男の、底が見えない。
『どうしたいのか、などと……言うべき事が多すぎる。
私は、私が大切だと思うものを守りたかった。
閉じられた穏やかな里も……巫女という存在に与えられる名誉も……このままでは、なくなってしまう』
『うーん……ここで言うのもなんだがな。
仮に俺が死んだとしても、そういうもんは変わってくと思うぞ』
『それは貴様の勝手な願望だろう!』
『……ここ数百年、里は何も変わってないようで、ゆっくりとだが確実に変化してる。
ほれ、分かりやすい例を挙げるなら、巫女の処刑なんて昔は四六時中やってたわけだろ。それが今じゃ珍しくなってる。
俺はそういう変化を、ちょっと後押ししただけに過ぎない』
カリンシーレは、ぐっと声を詰まらせた。
ヘルトエイザのような奴が里をかき回さなければ、ずっと変わらない日々が続くのだと思っていた。
だがそれは、身近な変化を直視せず、都合良く目を背けていただけだ。
じわりと胸中に染み入るのは、怒りではなく、絶望だった。
自分はとっくに時代の流れに取り残された不要品になっていたのではないか、という。
『……だがな、カリンシーレ。
何もかも全部、自分にとって悪い方にしかならないと思ってるなら、そりゃ悲観的すぎるってか……
俺への侮辱だと言いたい』
『なんだって?』
ヘルトエイザは眉間にシワを寄せて、軽く溜息をついた。
心外だ、と言わんばかりに。
『そこまで聞く耳持たない奴に見えるのかよ、って話。
……近い将来、俺は族長になるか、ならないとしてもまあ里を主導する立場のひとりにはなるだろう。
俺は里をガラッと変えちまうかも知れない。
でもな、そのせいで置いて行かれる奴を出したくもないんだ』
ヘルトエイザは普段通りのゆるい調子だ。
しかしカリンシーレは、ヘルトエイザの目が一瞬、『獣』と向かい合ったあの時のように鋭くなったのを見て取った。
『お前が望む未来と、俺が作ろうとしている未来は違うんだろう。
だがそれでも俺はお前を切り捨てたくはない。
俺は、俺に付いて来る奴のためだけに働いてればいいわけじゃない。俺と意見が合わん奴らもなるべく掬い上げなきゃならん。
だから俺は……お前が守りたいものを、できるだけ守ろうと思う』
その言い方に、ウソや誤魔化しがあるようには見えなかった。
ヘルトエイザの口調には、大上段に振りかぶったような所はなかった。
本当に、世間話でもするように、彼は自らの理想と未来を語る。
だからこそ、尚のこと、ヘルトエイザは本気でそれを言っているのだと、カリンシーレには感じられた。
『まあ、偉そうなこと言ったところで、どこまで期待に添えるかは分からんけどな。それでも精一杯やれるだけはやってやる!
だから、生きて、それを見ていて欲しい』
『……それは、次期族長としての命令か?』
『まだ次期族長ですらねーよ、俺は。命令でもない
ただの俺のワガママだ』
何故かちょっとバツが悪そうな様子で、頭を掻きながらヘルトエイザは言った。
『命を狙ったはずの私を、そうまでして生かすのか……』
『死んでいい奴なんか居ねぇよ。
まあこれで、また徒党を組んで殺しに来られたら、そりゃー俺も丁重にお相手するけどよ。だけどそんなマネしなくたって、お前らが文句言やぁ、俺だって『なんかマズいんだな』って分かるっつの。
だからお前は、生きて、俺を見て、ダメだと思えば穏健に騒いで欲しい。
……ってのが俺の自分勝手な希望なんだが、どうだ?』
カリンシーレは、身体の中がカラッポになったような心地だった。
ヘルトエイザに向けていた敵意や怒りが、はらわたと一緒に抜き取られたかのように。
『狼の考える事はアリには分からない』との例えもある。
感服したとか感心したとか言うよりも、考え方の尺度の違いを思い知った。
そして、自分の怒りが、無意味に思えた。
今は怒り憎むよりも優先するべきことがあるのだと思えた。
『厚かましいにもほどがある……
だが、これは私がやらなければならない、という気もする……』
『……そうか』
きっと、ここでヘルトエイザを殺したところで、あるいは巫女の誇りのために自裁したところで、時代の変化は止まらない。
だとしたら自分は、守るべきものをほんの少しでも守るため、別の戦い方をしなければならないのではないかと……
あまりの『どうしようもなさ』に打ちひしがれながらもカリンシーレは考えた。
カリンシーレは、ヘルトエイザの拘束を解いた。
刃付きの蔓草が力を失い、ぼとぼとと地面に身体を横たえた。
『しばらくここで考えさせてほしい……
安心しろ、死ぬのは止めだ』
『おう』
『私は……これからどうなる?』
『まだ分からんが、相応の罰は受けてもらう事になるだろうな。
つってもまぁ、お前、半分は担がれた立場だし……『獣』討伐への貢献もある。
その分は差っ引かれるだろうし、後はお前次第だ』
うなだれたまま、カリンシーレは何も答えなかった。
やがてヘルトエイザが心配そうにしながら立ち去っても、カリンシーレはじっとしていた。
もう涙も出なかった。
結局のところ物事はカリンシーレにとって好ましくない方向に流れていく。
だが……生きていける程度には救われてしまった。
ヘルトエイザは自分を見捨てなかった。まだ自分にはできる事があると知った。
どんなに辛くても、まだ生きられてしまう。
『う、ううう、ううううううう……』
カリンシーレはうずくまり、手負いの獣のようにうなり、身体を丸めた。
自分の想いが死にゆく痛みに耐えた。
彼女の願い、理想……それは、新時代に敗れて消えゆく、旧い世界にこそあった。
だが、その痛みは、カリンシーレという存在の終わりを意味するのではない。
やがて生まれるであろう新たな世界に、新たなカリンシーレが、苦しみながらも生きていくのだ。
今回で終わるはずが終わりませんでした……
もうちょっとだけ続くんじゃ。