10-6 シアワ世界?
カリンシーレの半生は、ただひたすら修行を積み続ける信仰と努力の日々であった。
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『諸君も知っての通り! 族長様はその座を退かれる運びとなった!
だがその影で権勢をものにせんと蠢動する者がある!
かつて自ら森を離れ、その勝手を許されて迎えられた後、『改革派』を名乗り政を脅かした不孝不忠の徒、ヘルトエイザである!
彼の者は『獣』との戦いの中で、事もあろうに族長様を弑さんと兵を動かした!』
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その生き方を選ぶ上で、強烈な動機などは特に無かった。
ただ単純にカリンシーレは、人一倍マジメで、才能があり、日常の娯楽に対する興味が薄かった。
だから言われるがままに修行に励むことは大して苦痛でなかったし、何よりそれは周囲から賞賛された。
巫女というものがどれほど大切な役割を持っているのか知っていた。
自分はやがて巫女になるであろう事を知っていた。
使命感、責任感、そして、自分がエルフ達の戦いを受け継ぐ者であるという誉れ、喜び。
当然ながら彼女は『改革派』の動きを軽蔑的に見ていた。彼らの主張は子鳥がヘビを呑み込むような倒錯した話だ。
自分の積んだ修行の辛さ、長さをカリンシーレは知っている。
……巫女や戦士の負担を軽減するだって? 自分たちはそんなにヤワじゃない。
『獣』との戦いに部族一丸で挑むため、部族がどれだけの労力と注意を払っているか知っている。
……他の部族を戦いに巻き込むだって? 彼らに同じ事ができるとは思えない。
だが、仮に『改革派』が里の実権を握ったとしても、カリンシーレがそれに反抗することはなかっただろう。どうせ早晩失敗して、誰もが『改革派』の間違いに気付くだろうと確信していたから。
その考えが変わったのは、つい昨日のことだ。
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『ヘルトエイザは、大罪人エウグバルドの奸計によって、族長様もろとも暗殺されかけた。この事でエウグバルドに騙されていたものと扱われ、そしてその後の『獣』との戦いに貢献したことでさらに罪が減じられた。
だが、例えどのような理由があろうと、彼の者が『改革派』を自ら名乗り里を乱したことは『調和』の心無き証であり、そして自らの父たる族長様に弓を引いたことは『忠孝』の心無き証である!!
で、ありながらヘルトエイザは今更、族長様の子という立場を振りかざし、族長の座を狙っている! このような『謙譲』の心無き者が我が部族を率いること、断じてまかり成らん!!』
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長老のひとりに呼び出されたカリンシーレは、大罪人エウグバルドが生前まとめていたという『獣』研究書の写本を見せられた。
その長老が問題視していたのは『森の秘宝』に関する記述だった。確かに狂人の妄想としか思えない内容だ。だがカリンシーレの興味を引いたのは別の部分だった。
『巫女以外の者の神聖魔法や死霊魔法を連携させることで、未熟な巫女にも『獣』を封印しうる』という新たな『獣』の封じ方に関する研究。
その研究は研究書のそれなりの割合を占め、途中の理論からこれまでの実験記録まで詳細に記述され、さらに現在課題となっている点や未完成な部分を末尾にまとめ、これを読む者に完成を託す形になっていた。エウグバルドの執念を感じる。
こんな事が可能になれば巫女の負担は極小化されるだろう。魔法に失敗する事故も減るはずだ。
だがそれを読んだカリンシーレは気付いてしまった。
それはつまり、『熟達した巫女』などというものは不要になりかねないのだと言う事に。適切なバックアップさえあれば、ろくに修行を積んでいない訓練生でも、神器の祝福を受けて『獣』を封じる道具になれるのだという事に。
長い刻を生きる代償か、エルフは子を成す力が人間よりも弱い。
それと表裏のように、短命な人間は数だけは多い。
巫女がひとり育つ間に、人間は数十人の神聖術士を育てる事だろう。
そして『改革派』は人間すら『獣』との戦いに巻き込むことを提唱している……
カリンシーレは必死で研究書を読み込み、理論に瑕疵が無いか探した。
何かの間違いであってくれという祈りと共に。
だが、魔法理論にも精通しているカリンシーレは、読み進むほどに思い知った。
エウグバルドの天才的頭脳を、そして彼の提唱した理論が今のところ正しいと言う事実を。
――私の努力は無意味だったの……?
それどころじゃない、今の私という存在そのものが無意味なの……!?
挫折らしい挫折を知らず生きてきた彼女にとって初めての『失う恐怖』だった。
巫女というシステムに適合し、その中で秀でた者として生きていたカリンシーレが、見知らぬルールの中に放り出されるかも知れない……
未来が追いかけてくる。
* * *
『そしてヘルトエイザは多くの破壊的な変化をもたらさんとしている!
奴は『森の秘宝』を貶め、『獣』を打倒する兵器として扱う気だ!
奴は戦士と巫女を貶め、森を売り渡すのと引き替えに『獣』との戦いを人間の手に委ねる気だ!』
* * *
ヘルトエイザの存在を危惧した者達は、ついに行動に出た。
戦いの混乱が収まる前に……新たな秩序の形が出来る前に全てを終わらせてしまおうというわけだ。
お膳立ては、写本を持ち出してきた件の長老が全て整えた。ザンガディファがハルシェの街へと出かけた朝を狙い、主立った者達で手分けして里中に檄を飛ばす。同志を募り、そうでない者にも自分たちの正統性を主張するために。
そこにカリンシーレも加わった。
首謀者というわけではないが、先頭に立つ役回りのひとりとしてカリンシーレは抜擢された。
何よりも彼女は次代の巫女たる『星』であり、尊崇を集める地位であるのだから。
……本当は、巫女がひとりでも付いてくれればそれが良かったのだろう。だがまさかこんな話をいきなり巫女へ持って行けなかったのか、あるいは賛同者が出なかったのか……とにかく、カリンシーレはその代わりだった。
* * *
『彼の者は今以て里と森への害悪なり! 罪を減ずるには値せず!
我らは正当なる裁きを下すために、自ら弓を取る!!
これは義挙である!!』
* * *
本当のことを言うなら、カリンシーレと他の者達は同床異夢であるのかも知れない。
カリンシーレは他の賛同者達とは違って、自分のすることを単純に義挙・義憤だと思うことはできなかった。
あまりにもやり口が過激に過ぎるし、尊敬する巫女様方にすら弓を引くも同然だからだ。里を乱す大罪でもある。何より半分は、好ましからざる未来が来ることを怖れた私憤だと自覚していたから。
それでも自分がこれからすることは、巡り巡って里のためになるのだという考えは揺らがなかった。
掟破りに近いザンガディファへの直訴も独断で行ったが、通らなかった。
だがそれ以上にカリンシーレを打ちのめしたのは、あの厳格で力強い族長が優柔不断な様子を見せたことだった。
巫女・サフィルアーナを処刑する決断を下した時も……カリンシーレ自身、我が事のように悲しかったし、ザンガディファも同じ想いだと信じていたが……ザンガディファに対する畏敬の念を新たにしたものだ。ザンガディファは高潔であり、迷いが無く、どれほど辛い決断も必要とあらば躊躇わない、はずだった。
それが、今は己の非を認めて(どこに非があると言うのか!)族長の座を退くと宣言した上に、『改革派』に対してどうしようもない弱腰になっている。自分を暗殺しようとした大罪人ひとり処刑していない。何を聞いても言葉を濁すばかり。
もはや行動によって里を正し、ザンガディファにも活を入れるしかないとカリンシーレは考えた。
* * *
『我と思わん者は共に来たれ! 共に弓を取れ!
この里を! この部族を! 父祖と祖霊を想う気持ちがあるのならば!!』
カリンシーレが演説を追えると、辺りには、耳が痛いほどの静寂が訪れた。
食堂の外の川のせせらぎすら聞こえてくる。
狼狽した視線がいくつも返ってきた。
反応は……カリンシーレの想像以上に鈍かった。皆、戸惑い怖じ気づいた様子だ。
この時間に食堂に集まっているのは子どもばかり。特に仕事をするわけでもなく日々を過ごす子ども達にとって、里の行く末に関する懸念など遠い話だろう。
あるいはこの中に、共感しながらも飛び出して行けない者が居るのかも知れないが。
――……仕方がない。
もとより、子どもを戦いに巻き込むのは本意でないし、戦力にもならない。ついて来た所で役に立つわけでもない……
これだけ大見得を切って反応が鈍いというのは無念だったが、誰にも聞こえぬよう嘆息し、カリンシーレは頭を切り換えた。
『……来ないのであればそれでいい。
全員、手をまっすぐ上に上げろ! 詠唱や印組みは許さぬ!』
ばらばらとまばらに手が上がったところで、共に突入した兵士のひとりが槍の石突きでガツン! と床を突いた。
いくつか悲鳴が上がり、ほぼ同時に皆がホールドアップの姿勢になる。
森の木々のように人の手が並ぶ中に、数人の兵士が分け入っていく。
自然魔法で作られたパピルスに、さらに魔法で転写された人相書きを手に。
カリンシーレも食堂全体を見渡す。
幸いにも、全くの偶然ながら、カリンシーレは昨日彼女に会ったばかりだ。顔はよく覚えている。
『……三列目、奥から12人目だ』
カリンシーレの言葉を聞いて近くに居た兵士が急行する。
『え、なんっ……!』
『大人しくしろ!』
『リムル!』
獣の仔を巣穴から引きずり出すように、簡素な巫女装束を着た少女がひとり、引っ立てられた。
カリンシーレがこの場でするべきことはふたつ。
第一は先刻のように演説をぶつこと。
そして第二は、訓練生の少女・リムルセイラにご同行願うことだった。