10-3 ティータイムは大事に
『湖畔にて瞑想する蔓草』の里は、大樹の樹上にクモの巣のように張り巡らせた蔓草の吊り橋と、それをより合わせた握り拳のような無数の部屋からなる。
そんな蔓草の空中回廊の一部。古木に寄生するサルノコシカケのように、大樹の幹から張り出した蔓草の広場があった。
カフェテラスのようにいくつかのテーブルと椅子が置かれているここは来客用のスペースの一部であり、普段使う者が居ないにもかかわらず完璧に手入れが行き届いている。
テーブルのうちひとつを挟んで、アルテミシアとザンガディファは向かい合っていた。
族長として正式に出向いたわけではなく、それ故にザンガディファは護衛のひとりも連れて来ていない。
『どうぞ、薬草茶です。
ちょっとポーション的なブレンドで入れてみたんですが、お口に合いましたら幸いです』
アルテミシアがつま先立ちで机にカップをのせると、ザンガディファはそれを押し頂いた。
『これはありがたい。本当なら客人にこんなマネはさせぬところだが……』
『気にしないでください。わたしが試したくて試したものなので。感想を頂けると嬉しいです』
エルフ基準の身長に合わせた椅子へ飛び乗り、アルテミシアも自分の分を飲む。ワイルドでややクセのある味わいだ。
この里では火の使用が厳重に制限されているが、薬草茶はかなりポピュラーな飲み物だった。なにしろエルフは魔法に親和的な種族で、湯を湧かす水属性精霊魔法くらい子どもでも使えるのだから。
湯気が立つ薬草茶を一口啜って、ザンガディファは唸る。
『普通の薬草茶とは何かが違うな……
確かにポーション的な、何かの魔力……いや、しかしそれが発現するまでは行っておらぬと言うか』
『さすが族長さん。お茶にしないでそのまますり潰せばポーションになる分量で入れたんです。
ポーションとして使えるレベルじゃないですが、普通の薬草茶よりも疲労回復の効果が高いはずです』
『君の才覚が成せる技、か』
お手上げだとでも言うようにザンガディファは軽く頭を振った。
『……ところで、サフィルアーナの様子は? ポーションは効かなかったと言うが』
――やっぱり聞いてくるかー。
ポーションの力はザンガディファも先刻承知。
となれば疑問に思うのは当然だ。これから治療に使っていく上で、それが効かない事例は把握しておかなければならないのだから。
アルテミシアは、あらかじめ頭に用意しておいた説明を読み上げた。
『あれは単に、魔法の失敗で精神にダメージを受けたというものじゃないみたいです。
失敗は失敗なんですが……その、死んだ子どもの魂を取り込んで、融合してしまったようなんです。本人が言うにはですが』
異世界転生うんぬんの面倒な部分をすっ飛ばした説明だ。アルテミシアとマナは、レベッカ達にも同じように言っていた。
他所の世界からの転生など、この世界では基本的にあり得ないことにされている。しかし、時に輪廻の中でエラーが起きることは既知の問題とされているのだ。
マナのチートスキル【博識】によれば、こうした事例は他に無いわけでもない。言わば魔法的な要因のある二重人格だ。
『そんな事が……?
これまで巫女からそういう者は出なかったが、そうか。
だとすると治療には難儀するな……いや、そもそも完治した事例があったかどうか。ワシも話に聞いたことしかない』
『本人の希望は、融合した魂と折り合いを付けて普通に生活できるようになることです。そのためには、『自分をサフィルアーナとしてしか見れない人達』からは離れた方が良いかと』
それは治療ではなくて、適応と言った方がいいのかも知れないやり方だ。魂の融合による二重人格なんていう事態に陥った人ができることは、女神の奇跡に縋るか、でなければ不都合を受け入れて慣れるしかない。
……実際にはマナの場合少し事情が違うのだが、治療するのではなく、今の自分に慣れなければならないという意味では同じだった。
『……ああ、なるほど確かにそうかも知れんな。
済まない、彼女をよろしく頼む』
ザンガディファは深く頭を垂れる。
自分が殺そうとした相手を『よろしく』と言うのも変な話だが、彼の中で矛盾は無いのかも知れない。
しばし会話が途切れ、ザンガディファはわざとらしく咳払いをした。
「本題に入ろう……ワシは人間語に不自由しないから、気兼ねなく人間語で喋ってほしい。
ことさらに隠す話でもないが、エルフ語で話すのは憚りたいという気持ちもある」
「分かりました」
それこそアルテミシアもエルフ語に全く不自由しないのだが、あまりエルフ語で話したくないという気持ちも分かる。
これからするのは、一連の騒動の後始末の、そのさらに裏の話なのだから。
「まずは……良い報せから。
エウグバルドが君にやると勝手に約束していた星詠草の群生地だが、あれを君に渡すことになった」
「……えっ?」
耳を疑うアルテミシア。
愉快そうにもう一口、薬草茶を啜るザンガディファ。
「だってあれは……」
「気にすることはない。我が部族はじき、あれを売り出すことになる」
星詠草は、争いの種になるからと秘されてきたものだ。
ヘルトエイザらは他部族からの支援が今までほどに得られなくなる代わり、星詠草を輸出することで里の財政基盤とする事を考えていたが……ザンガディファの言葉はつまり、その勢力に、おそらくはヘルトエイザに、里の実権が移るであろう事を示唆していた。
「こんな日が来るとは思っていなかった。全ては変わらず、また同じ巡りがあるものだと。例え一本の樹が枯れようと、そこにはまた新たな若木が育つだけなのだと思っていたよ。だが、やはりな、変わるものだ。
ワシはな、古いルールの中で調和を取るべく苦心し続けてきた。己の血を流し、その万倍は他者の血を流した。それが必要なのだと思っていた。仕方の無いことなのだと思っていた。
しかし、サナギが蝶になるように何かがいっぺんに変わることもある。今となってはワシのした事はみな、無意味な悪あがきだったのだろうか……
いや、そのために殺されかけた君に言う話ではなかったな。済まない」
シワ深い顔を歪め、族長は溜め息をついた。
アルテミシアは論評を避けた。別にこれから先、里が前より良くなるという保障は無いのだ。結局ザンガディファのやり方の方がマシだったという可能性もある。
巻き込まれたからちょっとばかりシメに来ただけで、アルテミシアは部外者。里のことは里の者達が悩むべきなのだから、ワイドショーのコメンテーターみたいに適当な正論をぶって悦に入るのは無責任だ。
「森は今まで通りとは行かぬ。加えて、『太陽に向かう燕』の里を潰されたのはかなりの痛手だ。しばらくは外貨の獲得に難儀するだろうし、あの被害を回復するにも金が要る。いずれにせよ、星詠草を売るのは避けられぬだろう」
「は、はぁ……でもだとしたら、大事な群生地をわたしに渡すわけにはいかないんじゃ」
「……君はまだ自覚が薄いようだな。我ら全ての命と、森を救ったのだぞ?
まさか本当に礼のひとつも要求せずに立ち去る気だったのか?」
ザンガディファが奇妙な生き物でも見るようにアルテミシアを見ていた。
自分が大勢を救ったというのは頭では理解できているが、実感が薄いアルテミシアだった。
そもそも戦った動機は第一に自分が生き残るためであり、多少は片棒を担いでしまったことの責任回避のためでもあった。結果として他の人まで助かるならそれは嬉しいのだが、英雄的意志を以て戦ったのではないせいか、いまいちピンと来ない。ましてその代価を受け取るなど。
「はぁ……では、いただけるのでしたら、ありがたく」
「まったく。
無欲は美徳だが、賢いとは言えないぞ。エルフ同士でさえそうだ。まして人間は……
っと、子どもの君にこんな話をするものでもないか。どうも君が子どもだと言う事を忘れてしまうな」
ザンガディファの言葉は人生の先達としてのありがたいアドバイスだったが、年端もいかない子どもに向かって『強欲になれ』と説くのは明らかに問題がある。
アルテミシアは曖昧に笑った。自分は何歳だと思えばいいのだろう。30余年生きた記憶を保持してはいるが、今となってはそれにどれだけの意味があるのか、という気もする。
第一、どうせ見た目通りにしか見られないのだから大人のつもりで背伸びをしても疲れるだけ。今は小賢しい11歳でいいじゃないかと開き直り気味だ。
「それと、もうひとつの理由は君への投資だ。
精神修復ポーションの調合法を……つまり、君以外にも出来る調合法を、君には見つけてもらわないとならない」
「……なるほど」
ザンガディファは真剣だ。これは未だ、エルフ達にとって重い課題だった。
普通、ポーションの調合は調合中に答えが見えない。誤差を許容するレシピを開発し、それをただひたすら忠実になぞる事で調合するのがまともな調合師だ。
アルテミシアは精神修復ポーションの調合に成功したが、それを調合できるのはまだアルテミシアひとりなのだ。誰にでもできる調合法を開発するには、地道な試行錯誤が必要になる。そのためには材料が必要だ。
もしレシピができれば、エルフ達は精神修復ポーションを自給自足できるようになる。
それはアルテミシアにとっても利のある話だった。レシピ化できれば新薬発見の手柄を組合に売り込むこともできる。
「もっとも、名目上は君の結婚に対する結納の品と言う事になるがな。
部族外の者との婚姻は、重要な政治的取引の結果として行われる。部族が結納の品を出すしきたりだ」
アルテミシアは薬草茶を吹き出しそうになった。
自分から言い出したことではあるが、さすがに結婚の二文字は衝撃力があった。
「君はゲインズバーグシティに定住しているのだな?」
「はい。と言っても住み着いたばかりですけど」
「ならば群生地は部族側で適切に管理し、収穫を定期的に送らせてもらう。もちろんこれを君が売りさばこうと、こちらから文句を付ける謂われは無いが……」
「いえ、レシピの開発にあてようと思います」
「そうか。なら、よろしく頼む。
できればワシが死ぬまでには完成を見たいものだ。もっとも、君の方が早いかも知れんがな。わはははは!」
「あははは……」
冗談なのかどうかよく分からないことをザンガディファが言った。
「それで具体的には……」
「待て」
急にザンガディファの目つきが鋭くなり、古い剣ダコがある手でアルテミシアを制した。
「誰か来る。近衛兵ではない」
「えっ……」
アルテミシアもちょっと身構えた。
ここは完全に客用の領域であり、保守管理を行う者の他に立ち入ることはそうそう無い。
小さな広場の入り口に立つ人影。
それは急を知らせに来た伝令という様子でも、はたまた命を狙いに来た刺客という風でもない。
なぜか驚きと緊張で生きた彫像と化しているのは、簡略化された巫女装束に身を包む、人間で言えばティーンエイジくらいのエルフの女の子だった。