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10-1 茨の壁は崩れゆく

『ねー、それ本当なのぉ?』

『本当だってば』


 リムルセイラが疑わしげに聞くと、同室のマーレシャルンは心外だという調子で首を振った。


 『湖畔にて瞑想する蔓草』の里の中心近くには、巫女候補や、さらに年少の訓練生が生活する、寮のような部屋群が存在する。まだ体の成長が止まっていないふたりの訓練生が住むのは、ブドウのように連なった部屋の中でも地面に近い場所にあるひとつだった。


 蔓草を編んだハンモック状のベッドに寝っ転がったマーレシャルンはリムルセイラと同い年で、今年26。外見年齢は人間で言うなら14,5歳ほどだ。

 彼女は訓練生向けの巫女装束をだらしなく脱ぎ捨てた下着姿で、若木のように細くしなやかな体を晒し、窓から差し込む光に当てて日光浴している。普段ならこんな時間にくつろいでなど居られないが、里を襲った大事件で巫女達の修行は中断されていた。


『ウワサよウワサ。

 『獣』の正体と『森の秘宝』の真実。伝説はみーんなウソだったって、誰かが突き止めたんだって』

『そんなの、誰がどうやって突き止めたのよ』

『それは……知らないけど』


 のんきに伸びをするマーレシャルンに、リムルセイラは溜息をつきたい気分だった。

 このルームメイトは耳が早く、何かあるとどこからか話を聞きつけてくるのだが、だいたい肝心要の部分が抜けていて気になるところで話が終わってしまうのだ。


 リムルセイラは自分も巫女装束を脱ぎ捨て、下着姿でベッドに身を投げ出して低い天井を見つめた。

 来る日も来る日も修行ばかりだったから、暇があるというのは贅沢に思えて嬉しいけれど、すぐに退屈に感じてしまった。こんな状況だから部屋でじっとしているくらいしかできることも無いのだ。

 若い大人達は『太陽に向かう燕』の里が壊滅したことで隣人達を助けるためにせわしなく働いているが、リムルセイラ達に仕事は回ってこない。成長が止まる前の未成年者は、勉強や修行はしても仕事はしないのだ。


 暇を持て余した子ども達は、自然と噂話に花を咲かせる。

 人間との戦争。恐ろしく強大な『歪みの獣』。そして……『獣』を打ち破ったという客人のこと。

 別にマーレシャルンだけが情報源というわけではない。嵐に舞う木の葉のように噂話が飛び交っているのだ。


 ――……人間の女の子かぁ。


 リムルセイラはここ数日、気が付けば顔も知らないその少女のことを考えてしまっていた。

 1ヶ月ほど里に滞在している人間の一行。その中のひとり。緑の髪の女の子。

 彼女は里を結構出歩いていたらしいのだけど、日々修行に追われる生活を送っているリムルセイラは彼女と顔を合わせる機会など無かった。

 単なる『獣』との戦いですら悪くすれば兵士が死ぬ。

 強大な『獣』を、まさか小さな女の子が(それも人間の!)倒すだなんて、リムルセイラには信じられなかった。


『そうだ、リムル! もうひとつすっごい話を聞いたの!』

『今度は何?』

『あのね、治す方法が見つかったんだって! すごいポーションが!』

『何を』

『巫女様よ! 魔法に失敗した巫女様を治療する方法が見つかったらしいの!』


 ドクン……とリムルセイラの心臓が不快な熱を帯びて弾んだ。


 もしそれが本当だったらという一抹の希望と、その期待は裏切られるだろうという苦い諦念。

 死霊魔法の失敗と、その失敗がもたらす恐るべき破滅は、日常的に『獣』と戦いギリギリの魔法を使わなければならない巫女達にとって常に背中に突きつけられている牙だ。やがて巫女となる可能性のあるリムルセイラ達訓練生にとっても他人事ではない。

 だがそれだけでなく、リムルセイラにとってはある複雑な事情により、これはさらにデリケートな話題となっていた。


『……どこ行くの?』


 脱ぎ捨てた巫女装束を着直すリムルセイラの背中にマーレシャルンが聞いた。


『ちょっとその辺歩いてくる。気晴らしに』

『邪魔だって怒られないように気を付けてねー』


 のんきな声には応えず、何かを振り切るようにリムルセイラは部屋を出て行った。


 マーレシャルンを責めることはできない。彼女は最新情報を集めてくるのが早いだけで、里のことをなんでもかんでも知っているわけではない。きっと彼女はリムルセイラの事情を知らないのだろう。


 * * *


 勢いで部屋を飛び出したリムルセイラだったが、別に行きたい場所があったわけではない。

 足は自然と、通い慣れた修行場に向いていた。


 里を少し離れて森の中に入った場所。円形の小さな広場に光が差し込んでいる。

 ここは修行場の施設のひとつ『山猫の座』だ。

 青白い霧が満ちた静謐な森の中にあって、ここは明るい光が入る場所であり、修行場の中でも特に気に入っている。……血反吐を吐くような修行の記憶がいくつも浮かんでくる場所でもあるのだが。


 ふかふかした草の上に思いっきり転がってみようかと考えたリムルセイラだったが、ふと足を止めた。


 ――誰か、居る?


 木陰から覗き込むと、小さな広場の真ん中に、巫女装束を着たエルフがひとり。訓練生ではない。大人だ。

 装束のデザインだけで分かる。彼女は『星』(巫女の補欠であり、巫女が欠けた場合にはすぐにでも長老会議の裁定を経て巫女になれる者達)のひとりだ。

 細く密かな声で呪文が紡がれ、不可視の力が彼女の周りを駆け抜け、草の上に軌跡を描いている。

 ゴウ……ゴウ……

 高く括った淡い緑の長髪が、されるがままに嬲られて宙を舞っている。


『……ん?』


 ふと、彼女の周囲で荒れ狂っていた力の波が凪いだ。

 彼女は立ち上がり、リムルセイラの方へ振り返る。群れ長の狼のような鋭く美しい顔立ちをしたエルフだった。


 ――よりによってこんな時に会いたくない相手、ナンバーワン……!


 内心、リムルセイラは冷や汗を掻いていた。


 『湖畔にて瞑想する蔓草』のエルフ達は、幼いうちから魔法の素質を見極められ、特に才がある少女は巫女の訓練生として修行を積み始める。

 成長するに従って少しずつふるいに掛けていき、秀でた者だけが巫女となるのだ。巫女の補欠要員である『星』にまで上り詰めた彼女と、まだ巫女になると決まったわけですらない訓練生ではただでさえ立場が違いすぎる。


 だがそれだけではない。

 『星』の中でも彼女……カリンシーレは、優秀で努力家で真面目なのだが、自分のように努力できない人の気持ちが理解できないという、気楽に過ごしたい訓練生達にとっては天敵と言っていいような先輩だった。


『あなたは、ええと……リムルセイラさん、だったかしら?』

『は、はいそうです!』

『感心ね。お休みの日にも自主的にぎょうをしに来るなんて』


 別に褒めている様子でもなく、むしろそうするのが当たり前だとでも言いたそうな口調だった。


 ここで『そうです自主トレをしに来ました』なんて言おうものなら彼女がコーチを買って出るかも知れない……それも完全なる善意から!

 そんな地獄のような休日は絶対に御免だ。しかし正直に『気晴らしに来ました』なんて言ったら、怒りを買って結局同じ事をさせられるかも知れない……


『いえ、その! 瞑想を! いろいろとありましたので心を落ち着けようと……』

『それだけ? ……ま、いいわ』


 彼女は落胆した様子だったが、幸いにも怒りを買うまでには到らなかったようで、リムルセイラは胸をなで下ろした。

 瞑想は修行の中では楽なメニューだ。だが、だからと言って不要なわけではない。精神統一の訓練はいくらやっても足りないくらいだ。


 仕方なくリムルセイラは腰を下ろし、瞑想の体勢に入った。

 実際、今の自分は心を静める必要があるのかも知れないとも思いながら。

 しかし、今ひとつ集中できない。間近から視線を感じるせいだ。


 ――すごいプレッシャー……


 この修行場にふたりっきり。カリンシーレの視線は嫌でもリムルセイラに注がれる。

 ゴウ……ゴウ……

 彼女の繰る魔力の余波が、リムルセイラの髪をなびかせる。


 30分ほど瞑想をしたところでリムルセイラは遂に居たたまれなくなり、カリンシーレに声を掛けた。


『あの、カリンシーレ様』

『集中しなさいよ。……何?』

『ええと、その……実は私、ウワサを聞いたんです。心を亡くした巫女様を助ける方法が見つかった、とか……』


 正直、話題は何でも良かった。ただこうして一旦緊張の糸を切らなければおかしくなりそうだったのだ。


『ああ、その話』


 カリンシーレは、ふーっと長い溜め息をついた。何とはなしに忌々しげだ。


『やっぱり噂になってるのね。どこから漏れたのかしら』

『え、あの、それって』

『真実よ』


 カリンシーレの答えは、リムルセイラが想像していたものの真逆だった。

 正直に言うならちょっと鬱陶しい先輩だが、それはカリンシーレが信頼できないと言うことではない。『星』である(つまり信用度が高い)彼女からいきなり驚きのニュースをもたらされ、リムルセイラは慌てふためく。


『そ、そ、そんな!? でも、なんで、そう』

『私も話しか聞いていないけれど、噂ではなく巫女様方から聞いたの。

 元巫女であるエルマシャリス様……って、あなたは知らないわよね。とにかく、昔魔法に失敗して心を亡くした巫女様が快癒したとの事よ』

『本当なんですか?』

『ええ。……喜ばしい話ではあるけれど、まだ何か不確かな点があるそうで、これからくだんの薬をまた別の方に試しに投与してみるとか……』


 そこまで言って、はっと何かに気付いたようにカリンシーレは顔を上げた。

 草の上に描かれていた魔力の軌跡が途絶える。

 

『……まさか』


 リムルセイラも察した。

 彼女が言わんとすることがなんなのか。


『そう、その……まさかなの』


 カリンシーレの声音はいつにないほど真剣だった。

 リムルセイラは耳元を風が吹き抜けているかのようだった。じわりと、手の中に汗がにじむ。


『今、ですか? やっているんですか?』

『そのはずだけど……』


 リムルセイラは、ちらりと遠くを見た。木々に隠されて見えるはずもない場所。里の方を。

 視線を戻すと、カリンシーレは肩をすくめた。しょうがない子だとでも言うように。


『……いいわよ、行きなさい。でも邪魔はしないようにね。この話、まだ本当は秘密なんだから』

『はいっ!』


 リムルセイラはすぐに走り出す。

 心の半分では逃げ出せてラッキーだと思っていたけれど、もう半分は名状しがたき混乱した想いに占められていた。


 ――治療。


 本当にそんな都合の良い事があるのかと、未だに彼女は疑っていた。


 ――もしそれが本当だったとしても、私はどんな顔をすればいいんだろう。


 * * *


 リムルセイラはそこに一度しか行ったことがない。

 しかし近くまで行けば、もう迷うことはなかった。なんでもないような部屋のひとつに人だかりが出来ていたからだ。

 ここは里の外れにある閑静な区画。死霊魔法の致命的失敗によって心を喪った過去の巫女達が住まう、いわばサナトリウムだ。


 いつもは巫女の世話をする者や見舞いの家族くらいしか出入りしない場所だと聞くのに、今日はずいぶんと賑やかだった。

 治療のために来た医者や、立ち合うため来ているお偉いさんばかりではないだろう。明らかにや野次馬らしき者の姿もある。


『ご、ごめんなさい、ちょ、通してください』


 人混みをかき分けるようにして、人と人の隙間をくぐるようにして、リムルセイラは潜り込んでいった。

 幸いにも人垣はそこまで分厚くなく、すぐに部屋の中が見える位置まで辿り着けた。


 ベッドを取り囲むように数人の医師と調合師。長老のひとりも来ている。

 彼らが環視する中で、見目麗しいエルフが狂乱していた。


『みんなぴんくいろー。とりさんないてるー。ウフフッ! キャハハハハ!!』


 蔓草のロープでベッドに拘束された彼女は陽気に暴れていた。もし拘束が解かれれば、踊り狂いながら外へ飛び出し、何も分からないまま吊り橋から転落して死ぬだろう。


 死霊魔法に失敗した巫女と一口に言っても、その状態は様々だ。

 全く無反応な生きた人形のようになる者も居れば、こうして精神に作用する薬品でハイになったような異様な躁状態になる者も居る。どちらにしても悲惨なことに変わりは無いのだが。


『おひめさまがおそらでひかるー。エヘヘ……わたしはちょうちょだからー』


 彼女は自分が縛られていることも、周囲にこれだけ人が居ることも理解していない様子で、デタラメな歌でも歌うように支離滅裂なことをわめき立てていた。


 彼女、ニエラシャーンが心を亡くしたのは、ちょうど『巫女の処刑』という因習が忌避され始めた頃……80年ほど前だと言われている。

 そして80年もの長い間、ずっと彼女はこの状態だったのだ。長寿のエルフにとってすら途方もない時間だ。

 それだけの時間があったとしても死霊魔法の失敗によって破壊された精神が元に戻る事は無い。……そのはずだった。


 ――ああ……


 記憶の底に埋めておいた光景そのままだ。痛ましい。リムルセイラは胸がキュッと締め付けられたようだった。ニエラシャーンを可哀想だと思ったからではない。もちろんそういう気持ちもあるが、それ以上に彼女の姿を見る行為は、なんだか自分が汚されたような苦痛をリムルセイラに与えていた。

 以前に会った時から、ニエラシャーンは全く変わっていない。そしてきっとこれからも変わらないのだと思っていた。


 医師のひとりが青白く輝くポーションを取り出した。きっとアレが噂の逸品。

 だけど本当に効果があるのだろうかとリムルセイラは疑問だった。そんな都合の良いものがポッと出て来るくらいなら、これまでエルフ達を苦しめていたのはなんだったのか……


『アハッ、アハハハッ! アア゛ッ!』


 ニエラシャーンが数人がかりで抑え込まれ、無理やり薬を飲まされる。

 ドタバタと暴れていた彼女は……その瞬間、静かになった。

 眠ったのか、それとも死んだのかと思うほどだったが、そうではなかった。


『あ……え? 私……私は、一体……』


 周囲を見て、自分を見ている人々を見て、ベッドに縛り付けられた自分を見て、ニエラシェーンは呆然としていた。

 先ほどまでの狂乱が嘘のように、ほんの一瞬で彼女は正気付いていた。


『そんな!?』


 驚きのあまり、思わずリムルセイラは周囲の人を突き飛ばすようにして飛び出してしまった。

 ベッドを囲むお偉方よりさらに一歩前。

 ニエラシャーンに集まっていた注目が、一気にリムルセイラの方へ向いた。


『あの……』


 しまった、と思った。勢いに任せて動いてしまい、この後どうすればいいのか何も考えていなかった。

 周囲からの視線が痛い。

 何かを言わなければ、とリムルセイラは言葉を探した。


『……リムルセイラ、と言います。はじめまして、お母さん』


 ベッドの上で呆然としている女性に、リムルセイラは軽く頭を下げた。

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