9-58 幕引きはカオスと共に
『我ら、『湖畔にて瞑想する蔓草』。外より来たる者を迎えん』
ザンガディファが重々しく決まり文句を述べると、広間の外周部に座したエルフ達が楽器の演奏を始めた。
木製の笛、拍子木のような何か、太鼓らしき打楽器。あくまでもBGMに徹するその音色は強く自己を主張しない。風を受けた木々が打ち合うような印象だった。
焼け落ちてしまった本来の集会場はまだ再建されていない。
二回りほど小さな、せいぜい中会議室程度の広さを持つ樹上の部屋には、ひしめき合うように多くのエルフが座していた。
一段高くなった最奥の上座にはカラフルな鳥の羽で飾り立てた衣装のザンガディファ。そしてその一段下にヘルトエイザが多少居心地悪そうに座っている。
楽器演奏エルフ達を一番外側に、何重にもエルフ達が円座を組む。そんなエルフ達に取り囲まれるように中央に居るのは、アルテミシア、レベッカ、アリアンナ、そしてフィルロームだった。
――部族の長が客人を迎え、その求めるところを聞く儀式的な集会……
本来こうした席は早めに設けられるものらしい。
しかし里側がいろいろと立て込んでいたせいで1ヶ月以上も延びた末、あの災厄の後始末で未だ落ち着かない中、無理やりにねじ込まれた。おそらくこの変化は、アルテミシア達の存在が『里側に負い目のある腫れ物のような客』から『里の大恩人』に変化したからだろう。この期に及んで正式な対面を行わないのは族長として筋が通らないわけだ。
アルテミシアは痛いほど視線を感じていた。
1ヶ月以上滞在し、既にアルテミシアの存在は里に知れ渡っているが、さすがに全員と顔を合わせたわけではない。この場で初めてアルテミシアを見る者も居るのだ。先の戦いにおける神がかった武勇と、目の前に座る幼い少女の姿のギャップがどれほど興味を引くか、アルテミシア本人もさすがに分かっている。
アルテミシアは努めて周囲からの視線を無視するように、ザンガディファを見据えた。
タペストリーや呪術的オブジェに囲まれている彼は、なるほど確かにエルフの族長としての重量感と神秘性を醸し出している。
だが、この席において彼は責められる側だ。それをこの場にいる全員が理解していた。
『アルテミシアと申します。お目にかかれて光栄にございます』
演奏が2ループ目に入る中、膝で一歩前に出てアルテミシアは礼をした。
周囲のエルフ達にわずかにどよめきが起こる。その流暢なエルフ語に驚いたのもあるだろうが、もう半分はアルテミシアが四人を代表したことへの驚きだろう。元巫女であるフィルロームが出るものと思い込んでいたのだ。
『……まずは、そなたが『獣』を鎮め森を守ったこと、この森に住む全ての生ける者と全ての木々、我らが祖霊に代わって礼を言おう』
『もったいないお言葉です』
これまでの経緯を思えばずいぶんと尊大に思える言い回しだが、型どおりの言葉にいちいち腹を立てても仕方ない。アルテミシアも型どおりの礼を言う。
そして、仕掛けた。
『……ですが族長様。あくまでもそれは成り行き上のこと。
わたし達がこの里を訪れたのは、ボランティアで傭兵行為をするためではないという事は先刻ご承知ですね?』
外見通りの可愛らしい声。裏腹に怜悧辛辣な内容の言葉。
お芝居のワンシーンのように現実離れした光景だと、アルテミシアは自己の振る舞いを評価する。
息を呑む気配が辺りから伝わってきた。外見通りのか弱い小娘ではないのだと。
正面のザンガディファはこの程度で揺るぎはしない。しかし周囲の緊張は彼にも伝播するだろう。
『わたしはゲインズバーグシティにて、あなたの放った刺客に襲われました』
これももはや、この場にいる全員が知っていること。しかしこの会談は儀礼と手続きの場だ。アルテミシアはこれまでの経緯を確認するように申し述べる。
『これは刺客がわたしの義姉を標的と誤認してのこと。
巻き込まれたわたしも命を落とすところでした。
……ですが、わたし達の味わった恐怖と痛みに関しては、ひとまず木の枝に吊しましょう』
アルテミシアは一呼吸置いた。
エルフ達が訝しげに顔を見合わせる。これは糾弾の場であったはずではないかと。
『彼女……里の巫女サフィルアーナは里のために命を賭して戦ったにもかかわらず、里の汚点、未熟なる巫女として殺されようとしていました。これはあまりにも酷いではありませんか』
アルテミシアはわざとらしくない程度に哀れみを込めた。もちろん完全に演技というわけではなく、アルテミシア自身もそう思っている。
誰しも子どもの素朴な意見というものには弱い。古今東西、プロパガンダから企業のイメージ戦略まで『無邪気で裏表のない子ども』は引っ張りだこだ。
巫女の処刑は廃れかけた古い風習。エルフ達ですら疑問を抱き始めている因習だ。その非合理性を客人の子どもから指摘されるというのは、人の心に強く訴えかける、ある種の神話的物語類型だった。
アルテミシアの言い方は、ともすれば『コミュニティ外の考え方を持ち込むもの』として強烈に反発されていたはずだ。だがこの場合むしろ苦しいのはザンガディファだ。
ザンガディファがこんな風習を持ち出したのも、『改革派』に追い詰められた末の判断。逆に言えば、そんな事情でもなければザンガディファはサフィルアーナを殺そうとしなかっただろう。彼に近い者達からさえ疑問の声が上がったと聞く。
『サフィルアーナ……今はマナと名乗っておりますが、彼女は里から命を狙われた立場であるにも関わらず、此度の『獣』との戦いで里を救うため、そして巫女としての使命を果たさんがために奮戦しました。
健気であり、哀れだとは思いませんか? また彼女を里の恥とすることも不適当であるようにわたしからは見受けられます』
敢えて私的な賠償要求などではなく、道徳的な観点から責める。
真綿で首を絞めるような物言いだ。
ザンガディファは未だ動じた様子は無いが、内心はいかばかりか。
深く考え込むようにじっとしていたザンガディファは、やがて重々しく口を開いた。
『客人よ。そなたの言は真にもっともである。
此度、私は判断を誤ったと言わざるを得ないだろう』
重々しい口調ながらも、ザンガディファは異様に物わかりが良い。これにはアルテミシアの方が心中で首をかしげた。
ザンガディファはさらに続ける。
『私はここに、巫女サフィルアーナへの処断を決定したことが過ちであったと認め撤回し、またその過程で客人に危害を及ぼしたことを心よりお詫びしたい。
……そして、重要な局面に置いて致命的な誤断を冒したこの身は、もはや長たる立場に堪えうるものではないと考え、これより1年のうちに長の座を退くことをここに宣言する』
一瞬間を置いて、議場は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
皆が……おそらくザンガディファに近い者も、反感を抱いている者も両方……こんな事を彼が言い出すとは思っていなかった様子で動揺していた。どういうことかとザンガディファに公然と問いかける者まで現れる。
ヘルトエイザひとりだけが『ああ、やっぱりな』という顔をしていた。
――なるほどね。このタヌキジジイめ。
アルテミシアはザンガディファという古強者に対する敬意のつもりで、口元に皮肉な笑みを浮かべた。
この場をセレモニーとして使おうとしていたのはアルテミシアだけではなかったのだ。
ザンガディファがいくつかの迂闊な判断をしたことは、もはや覆しようのない事実である。
このまま族長の座に納まり続けたとしても求心力は弱まる。何らかの形で族長の座を退くのは妥当な判断ではあった。
あるいは今回の件に対して予想される国側からの責任追及に対する、里としての落とし前という意味合いもあるかも知れない。
しかしザンガディファが自ら身を引いたとしても、『改革派』に押された結果という印象は残る。それでは対立の禍根を残してしまい相応しくないのだ。
その点、今や里の英雄であるアルテミシアから背中を押された形にすれば理想的なストーリーができる。
ザンガディファはアルテミシアを利用し、これ以上部族内での対立を深めないため捨て身の策を打ったのだった。
『静まれ!』
ガジャン!
ザンガディファが手にしていた、獣の骨で装飾された錫杖じみた杖で床を打つと、ぴたりと声は収まった。ざわめきに掻き消されていた演奏が再び聞こえてくる。
『族長様が彼女をお許しになったこと、喜ばしく正しいご判断であると存じます。
ですが彼女はもはや里へ帰ることを望んでおりません』
このアルテミシアの言葉に、皆は納得したような雰囲気だ。あのような形で命を狙われては、もう里に近づきたくないと故郷を捨てる決心をするのも必然だ。
もっとも真相はさらに複雑にねじくれていて、しかも説明しようがないような状況なのだが、さすがにそれをアルテミシアは言わなかった。今はこれでいい。
『ふむ、なれば……』
『つきましては!』
ザンガディファの言葉を遮って、アルテミシアはずっと懐で暖め続けていた爆弾を遂に投下した。
『わたしは彼女を娶ります』
辺りは水を打ったように静まりかえった。壁際で演奏していたエルフ達さえもが手を止めて絶句している。
ザンガディファは……ずっと威厳のある顔を保っていたザンガディファは、顔のシワを掻き分けるようにして目を剥いていた。
静寂を破ったのは、もうこらえきれないという様子で腹を抱えて笑うフィルロームの声だった。
『あーっはははははは! 最高だ! あんたのその顔見れただけでも長旅の甲斐があったよ、ザンガディファ!』
床をひっぱたきながらフィルロームは笑い転げた。だが他のエルフ達は、頭の理解が追いつかない様子で凍り付いていた。
現在、この里でも使われている方便。
巫女は純潔でなくばならない。故に何らかの理由で巫女がその座を退く場合、結婚という体裁が取られるのだ。アルテミシアはその作法に乗った。
幸いにも、サフィルアーナが丸暗記していた数多の掟の中に、人間との婚姻を禁ずるものも、相手が未成年者ではいけないというものも無かった(想定していないとも言う)。ただ単に、結婚には族長の許可が必要だというだけだった。
……余談ながら、慣例的に行われていないだけで離婚や重婚も特に禁じられていなかった。族長や長老会議という意志決定機関に多くを委ねる構造であるため掟で縛る必要性が薄いのだ。
こんな真似をしなくても今のアルテミシアの言葉ならマナを里から引き剥がせただろう。ザンガディファはアルテミシアの言葉を聞き届けただろう。
だがそれは戦いの混乱に乗じるような形になり、ひどく歪だ。マナは……あるいはサフィルアーナは、森との縁を切ることまでは望んでいない。話を円満に収めるための口実はあった方が良いはずだ。それが想像の斜め上を行く破壊的な手段であったとしても。
『里の物から作った、爪と牙と石の首飾りです。これを贈るのが誓いの証。どうかこれを、『湖畔にて瞑想する蔓草』の長としてお認めになってください』
布に包んだ首飾りをアルテミシアは差しだした。
それを見たエルフ達はまたもや驚いた様子だ。出来合いの紛い物ではなく、部族の流儀に則って作られた物だったのだから。
それも当然。これはハルシェーナの森で民芸品を仕入れた交易商人から買った首飾りをバラし、それをフィルロームの監修の下、婚約用首飾りの構成に作り替えたものなのだ。
物騒な爪と牙は魂を賭ける誓いの証。中央に輝くは愛を象徴する輝石。
三つずつ並んだ曲玉のような石はエルフの三徳……己が大いなる自然の流れの中の一滴でしかないと知る『謙譲』、森を生かし森に生かされる『調和』、祖霊を崇める『忠孝』の心を意味する。
ザンガディファは混乱した頭を落ち着けるように長い溜め息をつき、その果てに、お手上げだとでも言うように笑い出した。
『ふは……っはっはっはっは!
よかろう! 地を駆ける者の戦士、勇敢にして美しきアルテミシアよ。
『湖畔にて瞑想する蔓草』の長、ザンガディファは、ここにそなたが巫女サフィルアーナを娶り伴侶とすることを許そう!』
その猛々しい肩書きは勘弁して欲しいな、とアルテミシアはちょっと思った。
今回更新で初投稿からちょうど一年です。
これからもぼちぼち続けていきますのでどうぞよろしくお願いします。