9-49 Truly, this is not TSUBURAYA.
更新遅れました。申し訳ない。
草の海を割るように、浮遊する狼ゾリは駆け抜ける。
攻撃が届かないであろう距離を保持し、異形の巨体の周囲を旋回する。
『エウグバルド!』
『無理です! あれは……多分もう、エウグバルドさんじゃありません!』
身を乗り出すようにして声を張り上げたエルマシャリスを、アルテミシアは引き戻した。
『獣』は機械的な動作で領軍の方へと向かっていく。
先ほどまでの、何らかの意図を持った人らしい動きとは違う。
生命を感知して殺す……ただそれだけの、機械かゴーレムかという無機質な動き。
おそらくもう、エウグバルドの意志は存在しない……
「ったく、結局ぶっ壊すしかないんじゃないか。……そら、出番だよ。よく狙いな」
「はい!」
アリアンナがソリの上に立ち上がった。
揺れるソリの上で転ばないよう、レベッカが腰を抱き込んで安定させる。
『何を……?』
『まあ見てな』
訝るエルマシャリスの前で、アリアンナはめいっぱいに両腕を広げる体勢でエルブン・グレートボウを引き絞る。
その長大な矢の鏃には、何かをくくりつけたようにロープをグルグル巻きしたコブがあった。
弓がしなり、矢が放たれた。『獣』の巨体からしたら爪楊枝のような矢が、吸い込まれるように飛んでいった。
そして『獣』の胸部が爆散した。
「ビンゴだ!」
フィルロームが拳を振り上げ、快哉を上げた。
穴を開けるだけの射石砲とは、何かが違う。まるで手榴弾でも爆発したように広範囲にわたって『獣』の胸部がえぐり取られていた。引きちぎられた右腕がふわりと飛んで、地響きと共に地面に落ちた。
そして何より、その傷は再生しない。爆散した影色の粒子は『獣』の体に戻ることなく消え去り、後にはホタルが舞うように碧の鱗光だけが残っていた。
『そんな!? あんな簡単に『獣』の体が!
何を射ったの!?』
『『森の秘宝』だ』
『………………え、う、ゲホッ! ゴホゴホッ!』
フィルロームの返答は、当然ながらエルマシャリスの想像の遥か斜め上だった様子で、驚きのあまり彼女はむせかえった。
『あはははは! 驚いたかい』
『驚かしてどうするんですか! 体に障りますよ』
『ど、どうして? どうしてそれが……』
『なに、元あった所に返しただけさ。
これは『獣』の兄弟みたいなもんなんだから』
一抹の寂しさと共に笑うフィルローム。もはやフィルロームは『森の秘宝』に何ら敬意や畏敬の念など持っておらず、ただのアイテムと割り切っていた。
『歪みの獣』とは何か?
エルフ達はそれを、祖先が倒し封じた怪物であると考え、使命を引き継がんと戦っている。そして『森の秘宝』は、その働きに対して与えられた祝福であると。
……全て誤りだ。
エウグバルドの研究は、それがなぜハルシェーナの森で生まれるのかまでは突き止めていない。計画に不要だったから突っ込んだ調査をしなかったのだろう。
だが、その性質についてはかなり深い考察がされていた。
アルテミシアの語彙で表現するなら……世界のバグ。
何らかの原因で噴出した、輪廻のシステムの歪み。
本来なら形を持たない、『死』という概念そのものだった。
死霊術によって対処が可能なのは、つまり『獣』が死霊術の領分に属するという存在であると言うだけのことだった
ではなぜ、『獣』の出現する地からは『森の秘宝』が生まれるのか?
それは、言うなれば熱交換のようなものだ。
エアコン(ただし地球に存在し電力で動くもの)は、空気を冷やすために室外へ熱を放出する。
それと同じで、『獣』という不自然な存在……究極のマイナス、固形化した『死』のようなものが生み出されるためには、代価として物質化した『生』を放出しなければならない。その成果こそが生命の結晶たる『森の秘宝』なのだった。
『獣』の自然発生に際しては、ほんの少しずつ反動が蓄積され、ある一点を超えた瞬間『森の秘宝』となって生まれ出る。
それが、人工的に強力な『獣』を作ることで促成されるのだった。
『要するに『獣』のウンコって事っすかね?』
そう身もフタも無い例えをしたカルロスは、さすがにフィルロームの杖で殴り倒されていたが。
『あんなもんがどうしてこの森から生まれてくるのか、そりゃそのうち突き止めなきゃなんないだろうね!
だが、今は性質が分かれば十分だ! プラスとマイナスをぶつけて、ゼロに戻すんだよ!』
『獣』は肉体を再構築し始めていた。影色の粒子が泡立ち、千切れた腕を再接続、そして引き寄せる。
同じ形の肉体が再生したが、構成物が大きく失われたことで、元のサイズを保つことはできない。まるで画像加工ソフトで縮小を掛けたように二割ほど縮んでいた。
今し方撃ち込んだのは、フィルロームが持ち込んだ『森の秘宝』。
残弾は、カルロスの体を作った際に零れ落ちた3つだ。
エウグバルドの死体の近くに落ちていた『森の秘宝』が4つだったことを考えれば、おそらく、あの体を打ち消すには足る。
「もう一発だ、行くよ!」
フィルロームが踵を鳴らすと、狼ゾリは旋回半径を縮めた。
ソリの上では、アリアンナが次の矢をつがえた。これもまた、鏃に『森の秘宝』がくくりつけてある。
「今だ、やれ!」
「はい!」
アリアンナの弓が鳴く。
鏃に括った縄の隙間から、流星めいた碧の光跡を引いて、矢は『獣』へと飛んでいった。
【 ―― Countermeasure detected ―― 】
「……あれ?」
矢が『獣』に届くまでの僅かな時間。その間に『獣』は、奇怪な動きを見せていた。
領軍の方へ向かおうとしていたのに、急に、アルテミシア達の方へ振り返る。
胴体の上に並んでいる、エウグバルドの形をした何か。
それらは黒い石でできた彫像のように身動きしなかったのに、そのうちひとつが苦痛に悶えた。
そして、その体が半分ほど削れた。あたかもロウソクが燃え溶けるように。
グボッ……
血の塊を吹いたように影の粒子が散って、『獣』の胸部が裂けた。
否……それは口だった。
そのたくましい影色の胸板に、乱ぐいの黒い牙の生えた巨大な口が現れた。巨体と相まって、ドラゴンでも丸呑みにできそうだ。
そしてその、底なしの奈落のような口から、光を吸い込むような闇色の炎が放たれた。
「火!?」
闇色の炎が、碧の流星を迎え撃った。膨大なマイナスの熱量が矢めがけて放射され、巻き起こされた烈風は地上に居るアルテミシアの頬すらも冷たく薙いだ。
矢は吹き返されて、碧の軌跡を描きながら墜落していく。
「なん……ですか、アレ」
「知らないよ」
呆然と言ったアルテミシアに、フィルロームも返す言葉が無い。
「あんな『獣』は見たことが……」
『獣』はどれほど巨大でも、変幻自在に体を変化させたとしても、その能力は物理攻撃の域に留まる……はずだった。
「ど、どうしましょう……!」
三本目の矢を持ったまま、アリアンナはそれを弓につがえられずにいた。
このまま射ったとしても、また同じ事の繰り返しだ。
『獣』は未だ警戒するように、狼ゾリの方に体を向けている。
「クソッタレ! 一旦退くよ!」
フィルロームの合図で、狼は方向転換。『獣』に背を向けて森へまっしぐらに走り始めた。
「わたしは秘宝の回収を! ひとりなら狙われません!」
「気をつけなよ!」
混合ポーションで身体を強化したアルテミシアは、掛け去るソリからひらりと飛び降りる。
前転して受身を取るとその勢いのまま、落下した『森の秘宝』に向けて駆け出した。
* * *
森へほんの一歩踏み込んだ場所で狼ソリは足を止めていた。
二頭の狼は狛犬のように姿勢を正して座っており、ソリの上ではエルマシャリスを囲んで四人が座っていた。
木々を透かし見れば、影色の巨体が確認できる位置だ。『獣』は既にアルテミシア達への興味を失い、領軍の方へ向かっている。魔法攻撃や射石砲の音が時折響いてきた。
「それで『秘宝』はどうだった?」
「『森の秘宝』は無事でした。でも、これ……」
アルテミシアが、胸に抱いていた布の包みをソリの上にそっと置いて、開いた。
『森の秘宝』をくくりつけた矢は、千年の風雨にさらされたように朽ち果てていた。
布に包まれて優しく持ってきたことで形を保っていたが、その矢軸をフィルロームが掴み上げようとすると、湿気た線香のようにボロリと崩れた。
「死、だね。この矢は死んだんだ。年を食った生き物が衰弱して命を落とすように。
概念として魔法的に死んでいる。物理的に形がある物がこうなることは、普通ならそうそう無いんだが……」
獣の骨から作った鏃をフィルロームが指で突くと、ポテトチップスのように乾いた音を立てて割れた。
「うーん、こんなのは小僧の研究書にも書いてなかったから推測だがね……
今のあいつは、己を削ることで力を発揮してるように見えるね。いきなり火なんぞ吐き始めたのは、まあそのせいだろう。
あれは、死という概念のカケラみたいなもんだ。
自分の体を削って吐きだしてるんだろう。死をね」
「じゃあ、あれは火を吐かせてれば放っておいても自壊するのかしら?」
「おそらくはそうだろう」
フィルロームはレベッカに応えてから、溜息をついて肩をすくめた。
「カイリが焼け野原になる頃にはね」
それを聞いた者達は、揃って息を呑んだ。
死の炎は飛来した矢に向けられていた。では、これが人に向けられたとしたら、どうなる?
仮に人的被害を免れたとしても、辺り一面が死の大地と化せば、人は住めなくなる。
そんな事になれば、どれだけの人が飢えるだろう。それは殺されるのも同然だ。
「とにかく! あんちくしょうに『森の秘宝』が効いたのは幸運だ。
だが同時に、あれが『森の秘宝』を見分けて警戒する能力もあるって事が分かった」
「どうすれば矢を当てられるでしょうか?
やっぱり、炎をかいくぐって近づくしか……」
「あんまりオススメはしたくないね。危険過ぎる。
風魔法ででも運んでぶつける方が、まだ望みがありそうだ。
……魔法ごと吹き飛ばされちまう可能性も高そうだがね」
「散開して、一気に三方向からぶつけたらひとつくらい当たるんじゃないかしらね」
「口は胸にあるひとつだけだからね。試す価値はありそうだ」
そう言いながらも、さすがにフィルロームは硬い表情だった。
『獣』が領軍の殺戮を始めるまで何秒だろう?
街の破壊を始めるまで何分だろう?
それまでに、分の悪いチャレンジを成功させなければならないのだ。
猶予は少ない。トライアンドエラーを繰り返している余裕は無い。
「わたしが持って行ってぶつけるのは、無理でしょうか」
「あんたが『獣』から見えないとしても、『秘宝』は見つかっちまうだろ」
「ですよね……」
やはり、苦しくてもフィルロームの案で行くしかないだろうか。
そうアルテミシアも思いかけたが……
不意に、頭の中を稲妻が駆け抜けた。
「……ひとつ、試してみたいことがあります。もしかしたら、これを隠して近づけるかも知れません」
そうしてアルテミシアは、ソリの隅に積み込まれた奇妙な置物の方を見やった。
置物?
いや、違う。
影が質量を持ってわだかまっているような……あるいは暗黒に染まったスライムが昼寝をしているかのような、奇妙な物体。
「おい幽霊A、アルテミシアがご用みたいだよ」
【 ―― Print("俺のこと忘れられてるかと思ったっすよ……") ―― 】
スライム状の黒い物体は、アルテミシアにしか分からない声で喋った。