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9-45 おっぱいには誰も敵わない

 結論から言えば、エウグバルドの『研究成果』はあまりにもあっけなく発見された。

 エウグバルドの部屋を……余計な物が一切無い、モデルルームのような部屋を少し探したところ、パピルス(自然魔法で量産できるため、エルフは普通の紙や羊皮紙よりこちらを好んで使う)の束を発見したのだ。

 ご丁寧に、表紙には『獣』と、走り書きのエルフ語で表題が付けられていた。まるで、見つけてくれとでも言うように。


 だが、問題はそこからだった。


「なんだい、こりゃ……」


 ページをめくったフィルロームは呆然とする。

 二枚目以降にびっしりと書き付けられていたのは、エルフ語ですらない謎の言語だった。


 経験豊富な冒険者であるレベッカどころか、超経験豊富な元冒険者であるフィルロームも首を振る。そもそも、何語かすら分からないのだ。


「里の古老なら、ひょっとしたら知っているかね……?」

「いえ、それよりも」


 ここでどうするべきか、アルテミシアには分かっていた。


「マナちゃんに聞いてみましょう」

「は?」

「へ?」

「え?」


 一緒に家捜しをしていた三人が三人とも、間の抜けた声で応えた。


 * * *


「まな、しってる!」


 お留守番をしていたマナの所に帰ってパピルスを見せると、マナは得意げにそう言った。

 非常事態ゆえ、子守はカルロスひとりきり。慣れない子どもの相手に疲れ果てている様子のカルロスと、良い子でお留守番するモードとは言え、退屈そうにしていたマナ。

 急にみんなが帰ってきて自分の相手をしてくれているのだから、マナはそれだけでウキウキしていた。


「本当かい?」

「びっくりね……」


 フィルロームもレベッカも目を丸くする。

 普段のマナの振る舞いは、子どもなりに分別のある良い子ではあるものの、体だけ大きな幼子に過ぎない。こんなフィルロームすら匙を投げるような正体不明言語について知識を持っているようには思えないだろう。

 だがマナは異世界からの転生者であり……チート能力者なのだ。


「マナちゃん、これなんていう言葉?」

「こだいえれいらもじ」

「古代エレイラ……文字?」


 オウム返しに繰り返してフィルロームの方を見ると、こめかみに指を当てながら唸っている。


「あった気がするねぇ、そんなもんが。……ああ、聞いただけだよ。見た事もない」

「マナちゃん、読める?」

「よめるー! えっとね、『これよりしるすは『けもの』についての……』」


 言うなりマナは、すらすらと人間語に訳して読み始めたものだから、これにはアルテミシアもさすがに驚いた。

 マナのチートスキル【博識】は、多くの知識を広く浅く知るというものだ。

 ひょっとして全ての言語の読み書きを内蔵しているのだろうか、いやそれならチートスキルとして効果範囲が広すぎるのでは……と思ったが、マナの様子を注意深く観察して、カラクリに気付いた。


 それは微妙にバグ技めいていた。

 マナが持つチートスキル【博識】は、言語の習得をサポートしているのでは無く、文字の『音』が分かるのだ。マナはそれを意味も分からず読み上げているに過ぎないのだが……


 転生者全てに備わっている技能として、聞くことと話すことにおける自動翻訳がある。自分が喋ろうと思った言語で喋れるのだ。

 つまり、文面から読み取れる音をそのまま口に出していくだけで、本人が意味を理解していなくても現代人間語の文章に変換されていっている。おそらくマナ本人は、自分が何を喋っているか理解していないのに、周囲の者には人間語で聞こえているという奇妙な状況になっているのだ。


 まさしく立て板に水の翻訳。あまりのことに皆、呆然としていたが……これは幸運だ。


「フィルロームさん、聞き役をお願いします!」

「よしきた! 書く物と紙……ああ、パピルスしか無いのか。あんまり好きじゃないんだけどね」

「貰ってくるわ!」


 ドタバタと皆が動き始める。

 今度は成り行きに付いて行けていないマナの方がぽかーんとしていた。


「えっと……どうしたの?」

「あのね、マナちゃん。『獣』が出てるんだ。分かるよね?」

「うん……すごくつよくて、こわい」

「そいつを倒すために、ここに書いてあることが分からなきゃダメなんだ」


 アルテミシアは近くの椅子によじのぼり、その上に立ってマナと目線を合わせた。

 紫水晶のように透き通った目を、マナは瞬かせる。


「マナちゃんにしかできないんだ。やってくれるかな?」

「うん! まな、がんばるっ!」


 マナは、ガッツポーズをするように両手を握りしめた。


 * * *


 そうして、客用の滞在部屋では、急ピッチで研究記録の解読作業が行われることになった。


 要となるマナは、ちゃんと自分がすることの意義を理解しており、奮戦していると言えた。 

 だが問題は、それでもなお『幼児の集中力』に問題があるということだった。……5枚目を読み始める頃には、マナは、もう飽きていたのだ。


 マナにはちゃんと使命感があった。しかし使命感や責任感で動くというのは、成長の過程で身につけていくべき大人の技術だ。

 地球で流通している幼児向けの教材・知育玩具などは、興味を引いて自発的にやらせるための工夫に満ちている。逆に言えば、そうでもしなければ動いてくれないというのが実情であるわけで。

 小さな子どもに、何かの目的のため、継続的に『楽しくないこと』をさせるのは、困難極まるのだった。


「うう……しゅ、しゅつげんしゅうきにかんするおくそくのけんしょうとして、いかにとうけいをれっきょする……」

「はーい、よく読めましたー。すごいねぇ」


 ぐずるような口調で読み進めるマナの髪をとかすように、アリアンナが頭を撫でた。

 マナを膝に抱いたアリアンナは(かなり無理がある姿勢だ)、数行読むごとに目に見えて不機嫌になっていく彼女を、うまいことあやしてなだめて、機嫌を取りながら読み進めさせていく。


 マナはぎゅっとアリアンナに抱きつき、その豊満な胸に顔を埋めるような態勢で続きを読み上げる。


「よーしよーし」

「ゆういに……かんれんがみられたのはししゃすうであり、これはしぜんなじかんけいかのおよそ10かが、ひとりのししゃにひってきする……」


 そんな有様をレベッカとカルロスは感嘆符で見つめていた。


「あれはもう、才能だわ……」

『同感っす』


 お手上げ状態のふたりは雑用に徹している。


 一人娘であるアリアンナが(正確には弟がふたり居たが、どちらも2歳になる前に病で死んでしまった。珍しくもないことだ)これだけ幼子の扱いに慣れているのは、もちろん一種の才能ではあるだろうがそれだけでなく、故郷の村で皆が仕事をする間、近所の子ども達をよく預かっていた経験によるものだった。


 フィルロームは、片っ端からメモに起こしつつ要点をまとめていく。ちなみに、アルテミシアにも読めるよう人間語で書いているのだが、極めつけに汚い字だったので本人フィルローム以外が判読可能であるかは大いに疑問符が付く所だ。


 やがてフィルロームは何か思い立った様子で立ち上がる。


「……この内容……ちといいかい、マナ。この見出しを読んでおくれ」


 何事か目星を付けたらしいフィルロームは、ちょうど今読んでいる所から先、十枚程度のパピルスを卓上に並べて、大きめの文字で書かれた見出しを指さした。


「『けもの』によるたましいのほしょくとゆうごう」

「ビンゴだ! よし、途中は飛ばしてここから読んでおくれ。これで40分は浮いたはずだ」

「え? なにが起こったの……?」


 ニヤリと笑うフィルロームにレベッカは釈然としない。


「この研究は、実によくまとまってるよ。ちゃんと段取りを踏まえて論文のように書かれてる。

 だからね、なんとなく先が読めるのさ。この前フリは、次にこれが来る……ってね。無駄がなさ過ぎる。

 多分こりゃ、生の記録じゃなく、まとめなおしたやつだろうね」

「優秀な人だったのねぇ」

「今は掘り下げた枝葉の情報は要らない。そりゃ読むに越したことは無いが、それよりも対処法だ」


 マナが読み上げる内容は、『獣』が魂を食うとされる伝説の実証から、その効果、さらにそれによって『獣』の意志を乗っ取るという事にまで到る。

 聞いていた者達は、血の気が引く思いをしながらも、ほぼ確信していた。

 エウグバルドは、これを使ったのだ、と……


「……策がひとつ、浮かんだよ」


 マナが見出しひとつ分読み終えた所で、吐き気をこらえるような顔で、フィルロームは言った。


「本当!?」

「ああ」


 その表情は、打開策を思いついたと言うにしては、いまひとつ冴えない様子だった。


「外道めいたやり口だがね……おい幽霊、あんたちっとツラ貸しな」

『……俺っすか!?』


 言われて飛び上がったのは、すっかり脇役モードを決め込んでいたカルロスだった。


 * * *


 ほぼ同時刻、アルテミシアはポーション工房に詰めていた。


「コウモリゴロシ……違う、星詠草の数字の動きは毒薬系に近いけど相性は悪い。

 回復なんだからやっぱり普通の……だめかな、パンチ弱すぎ。

 途中までは教科書通りの反応って感じなのに……ああもう、これもダメ。伸びなくなってきた! 次!」


 六人ほどが使える調合机を独占し、調合器具と材料を山と積み上げて、それを片っ端から混ぜていく。薬草の組み合わせを思いつく限り試し、見切りを付けた成果物は脇にどけて、新たな乳鉢を手に取る。片付けている時間すら惜しいのだ。

 いきなりやってきて材料を持ち出したアルテミシアに、工房のエルフ達は悲鳴を上げたが、ヘルトエイザの名前と、何よりアルテミシア本人の鬼気迫る勢いによって黙らされた。

 空前絶後の巨大『獣』が出現した話は、ここにも既にもたらされている。その対処の端緒になるかも知れないと言われれば、皆、アルテミシアを止めるまでには到らなかった……それを部外者の小さな女の子に任せ、戦時下において貴重な薬草を好きに使わせることには、多大な不安を覚えただろうけれど。


 必死で薬草をすり潰しながらも、アルテミシアは、ヘルトエイザとの会話をふわふわ頭の中でリピート再生する。


『あいつらの事は、ま、見ての通りっつーか……好き合っていたんだよ、あいつらは。

 幸いにも、魔法の才能がある者同士だったから、ふたりの希望を長老会議も認めてな。エルマシャリスが巫女を引退したら一緒になるはずだった』


『エルマシャリスのことは……まぁ、悲劇だよ。実際。

 あの時の『獣』は、今出てる奴ほどじゃないけど、かなり強い奴でな。

 前哨地を破壊した跡、迎撃部隊を第三波まで蹴散らして、『太陽に向かう燕』の里の目前まで迫っていた。

 エルマシャリスはな……実力のある巫女だったが、無理をしたんだ。『獣』の力が辛うじていくらか削られたってとこで、強引に封じようとした。里が近かったから、ここでやるしかないって思ったんだろ。その結果が、まあ…………』


『その後は、お決まりだ。昔は……人間の基準で言えば大昔か。

 その頃は失敗した巫女なんて殺されてたもんだが、エルマシャリスの頃にはもう、表向き寿退職って事にして、里の隅っこで静かに、長すぎる余生を送らせるってのがよくある事でな。

 エウグバルドの相手は別の……才能ある女になりかけたんだが、結局、エウグバルドとエルマシャリスは形式上、夫婦になった。そんでエルマシャリスは引退だ』


『エウグバルドはかねてから、里の防衛体制の刷新を……効率的に人員を運用する組織化された新体制や、他の部族の活用を訴えて煙たがられてたんだが、エルマシャリスがああなった直後は、そりゃもう苛烈にお偉方を罵ったもんだ。

 鼻つまみ者に、壊れた巫女。それはそれでちょうどいいと思ったんだろ、お偉方は。

 今にして思えば、あいつが対『獣』の戦略について云々言うようになったのは、エルマシャリスが心配だったからなんだろうな……結局、その心配は的中しちまった』


『あれからずっと、エウグバルドはエルマシャリスを見舞うのを日課にしてる。里にいる限り、一日も休まずだ。

 ……らしくない、か? うん、まあ、今のあいつしか知らない奴はそう思うかも知れないが……もともと、そういう奴なんだよ、エウグバルドは』


 ――わたしが見た、あの小さな『獣』は……何者か、『獣』ではない何者かの意識を残していた!

   同じ事を、エウグバルドさんがあの巨大『獣』にしているとしたら!?


 エウグバルドが自害した意味が通る。

 生き物だけを狙うはずの『獣』が、何か別のものを目的として動いているらしい意味が通る。


 ――倒せる……かは分からない。

   でも、もしかしたら……説得できるかも知れない!


 そう、倒すだけが対処とは限らない。解決の道筋はいくつ確保したっていい。

 心を失ってしまったはずの思い人を救うことができたなら……


「アルテミシア!」


 ほとんど怒鳴るように呼びかけられて、夢中で調合していたアルテミシアは我に返る。

 ちょうどフィルロームが工房に駆け込んできた所だった。

 何故かカルロスも一緒に来ている。


「フィルロームさん……何か分かりましたか?」

「ああ、分かったと言うか、なんと言うか……」


 彼女らしくもない、やや歯切れの悪い物言いだった。


「時間稼ぎくらいにはなりそうな手が見つかった」


 フィルロームもカルロスも表情は険しい。


「危ない橋を渡ることになるが……ちと意見を聞かせてくれな」

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