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9-44 進撃の『獣』

「怯むな、進めぇっ! 紙つぶてが如きエルフの弓矢、恐るるに足らず!」


 地響きを立てて、森の中の道を重装騎兵隊が猛進していた。

 馬にまで重厚な鎧を着せ、さらにその上に全身鎧を着た兵がまたがる。高い突破力と、さらに高い運用コストを兼ね備えた戦場の花形だ。

 左右の森の中からは弓矢や魔法による射撃が間断なく放たれるが、鎧に当たれば跳ね返る。運悪く(あるいは射手の神懸かり的技巧によって)馬の足にでも当たるようなことがなければ、もはや止めることはできない。


 道を塞ぐように配置された、尖った杭を逆立てた馬防柵も、重装騎兵隊の編成に含まれる魔導騎兵に吹き飛ばされる。

 さすれば、残る障害は執拗に仕掛けられた落とし穴や、道に蔓を渡して騎乗者を引っかける罠ぐらいのもの。

 進撃をある程度遅滞させることはできても、止めることはできない。

 一度は大仕掛けに引っかかった領軍だったが、もはや里の目前にまで迫っていた。


 * * *


 ――まだなのか、ヘルトエイザ……!


 前線の部隊長は『太陽に向かう燕』の里に詰めていた。

 領軍がここまで入ってくることがあれば、戦わねばならない。しかし、そこで最も頼りになるはずのヘルトエイザが戻らない。

 まさか、何かあったのだろうか。あるいは失敗したのだろうか。

 彼がクーデターに失敗したのだとしたら、この里の未来は昏いと、部隊長は考えていた。

 それだけではなく、今の戦力では領軍を相手に蹂躙されるだけだ。


 疾走する馬の足音、そして地鳴りが、徐々に近づいてくる。

 死の覚悟を固めなければならない時が近づいている。

 部隊長が部下に命令を下すため剣を取り立ち上がった。

 ちょうど、その時だった。


 ガラーン、ガラーン、と人の本能に訴えかけ不安にさせるような鐘の音が鳴った。

 それは森に生きるエルフ達にとって、最も忌むべきもの。

 幼き頃よりその魂に刻みつけられていると言ってもいい、災いの訪れを告げる音色だった。


 ――こんな時に……!? 祖よ、我らを見放したもうな……!


 絶望的な気分で、部隊長は、鐘の音が聞こえた空を仰ぎ見る。

 『獣』の対処に兵を取られては、もうどうなるか分かったものではない、のだが……


「…………あ?」


 自分の目に入ったもの……天を覆うほどの巨影が森を掻き分けて里へ出て来る姿を見て、部隊長は、自分の目か頭がおかしくなったのではないかと疑った。


 * * *


「なんだ、あれは……?」


 猛進する重装騎兵隊の先頭を行く兵が、小さく独り言を呟いた。

 しかしその声は兜の中に篭もり、馬の足音にかき消されて他の誰にも聞こえなかった。


 エルフ達の意向により、大きな木を避けて引かれた道は、曲がりくねって見通しが利かない。

 木々の奥に、何か大きなものが動いていたような気がしたのだが、目の錯覚だろうと思い直したのだ。

 しかし、それが錯覚などではなかったのだと、すぐに思い知る事になった。


「え……?」


 急なカーブを曲がった先で道を塞ぐように黒い巨体が待っていた。

 それは、まるで影が形になったような、嵐の夜の雲のような、おぞましく冷たい色をしていた。

 これが人間なら餓死寸前だろうというスマートな体つきでありながら、その両腕だけは巨木のように太く、地面に引きずるほどに肥大化しており、手と一体化した鋭いかぎ爪を持っていた。

 頭と思われる部分には、世界中探してもこれより完璧な球体はないだろうというほどに美しい形状の、目も鼻も口もない禍々しい漆黒の物体が乗っているだけだ(アルテミシアなら穴の無いボーリング玉を想像しただろう)。

 馬に乗っている騎兵達ですら見上げなければならないその身の丈は、およそ10mはあろうか。


 黒き巨人は、血に染まったかぎ爪を振りかぶり、今まさに振り下ろさんとしていた。


「なん……」


 それが、とある騎兵の……かぎ爪によって、豆腐をスプーンで抉るように馬ごと引き裂かれ、血煙を立てながら体が半分になった彼の、最期の言葉だった。


 * * *


 アルテミシア、フィルローム、そしてヘルトエイザが『獣』の破壊の痕跡を追って『太陽に向かう燕』の里へ辿り着いたとき、そこは既に地獄絵図と呼ぶも生ぬるい光景だった。


『これは、ひどい……』


 辺りにはきな臭いニオイが漂っていた。


 生きた植物を編んだ多くの部屋が。数少ないながらも存在していた、石や材木による建築物が。

 薙ぎ倒され、抉られ、踏み潰され、そして燃えていた。

 破壊されていく過程で引火したのだろう。人間が多く滞在するこの里では、例外的に火の利用が多かったのだ。

 すり鉢のような里の敷地に、もはやヘルトエイザの身長より高いものは少なく、そこかしこに地面に張り付くような火の手が存在し、周囲の森から切り抜かれた天へと火の粉を巻き上げている。


『ヘルトエイザ様!』


 里の様子を愕然と眺めているヘルトエイザの所へ、森に隠れていたらしいエルフ兵達が寄ってくる。


『遅れてすまない。皆、無事か?』

『……応戦した際、配置されていた守備隊の二割ほどが犠牲に……生き残った者を森に集め、負傷者の手当てをしております』


 沈痛な表情でエルフ兵が報告する。ちなみに、戦場になることが予想されていたため、一般の住人は既に他所の里へ避難しているそうだ。


『『獣』はどうした』

『それが……』


 エルフ兵達が、嘆いていいのか喜んでいいのか分からないとでも言うような微妙な表情になった。


『人間の軍勢に襲いかかっているようです。侵攻中であった騎兵部隊を蹴散らし、さらに敵の本陣へと』

『不幸中の幸いか。『獣』は人を無差別に襲うからな。それが人間であろうと、エルフであろうと…………んんっ!?』


 何かに気が付いたらしいヘルトエイザが、里の方に目を移した。


 里は徹底的に破壊の限りを尽くされている。

 そう。()()()()()()()のだ。


『お前ら、変だと思わないか? 『獣』は、兵を殺すために邪魔だから建物を破壊したのか? それとも……まさか建物を積極的に破壊していたのか?』

『それは……あまりに混乱した状況で、なんとも……』

『言われてみれば、妙に狙いが甘かったような……』

『いや、そうだな、すまん。生き延びるのに必死だったろう』


 さすがにこの状況では、生存者の証言も要領を得ない。


 そこへまた別のエルフ兵が駆けてきて跪く。こちらは他の兵士と違い、ほぼ非武装と言えるレベルで、代わりに全身に枝草を身につけ、顔を草の汁で緑に塗りつぶしていた。

 

『斥候か』

『ヘルトエイザ様、森の外の様子を……』

『聞かせてくれ』

『『獣』はハルシェの街へ向けて侵攻を開始。現在は領軍が応戦しておりますが有効打を与えられず、足止めが精一杯という状況です』


 偵察に出ていた斥候兵の報告に、その場に居たエルフ達(フィルロームを除く)は呻くような声を上げた。


『ついに『獣』が森の外に出てしまったか。なんという事だ……』

『ですが、領軍は『獣』にかかりきりになっており、森への侵攻を停止しております』

『さすがにそれどころじゃないだろうからな』


 ヘルトエイザは複雑そうだった。

 『湖畔にて瞑想する蔓草』のエルフ達(フィルロームを除く)にとって、森の外に『獣』が出てしまうなんていうのは決してあってはならない事なのだ。

 部族の誇りに関わる事であり、同時に、森内の他の部族に対する威信も揺らぐ。


『『獣』の強さは?』

『大きな腕で、辺り構わず薙ぎ払っております。領軍は遠巻きに牽制しつつ戦っており、まだ犠牲者は少ないようですが……

 また、再生能力も極めて優れている模様です。一度は射石砲で胸部を吹き飛ばしましたが、ほんの数秒後には塞がってしまいました』

『『獣』はみな自己再生能力を持つが、あれだけ強大な個体となると、それもケタ違いだな……

 これでは、一撃で全身を吹き飛ばしでもしなければ、倒すことができんぞ』


 苦い顔でヘルトエイザは考え込む。

 後ろで話を聞いていたアルテミシアも同じような状態だ。とにかく今の事態は、想像や想定を棒高跳びで飛び越えていて、未だに全容を掴めていない。


『アルテミシア。なんか浮かんだかい』


 フィルロームに促されて、アルテミシアは暫定的な結論を出すことを決断する。


『少なくとも、あの『獣』を喚びだしたのはエウグバルドさんで、あの『獣』の行動がエウグバルドさんの意向に沿ったものだと仮定しようと思います』


 アルテミシアは慎重に言葉を選んだ。

 エウグバルドがしていたという研究の話、そして『獣』を喚び出す死石の奪取。

 異様に強力な『獣』が、示し合わせたようにこのタイミングで出現したのだ。これがエウグバルドの差し金であると考えるのは自然だろう。


 さらに踏み込んで考えるのであれば、あの『獣』自体がエウグバルドである、という可能性にも思い至っているのだが……まだそこまで断定することはできない。


『その上で、エウグバルドさんが、森を守るために『獣』を喚び出したという線は捨てます。こういう事になり得る、というリスクを考えないとは思えません』

『確かにね。喚びだしてそのまま放りっぱなしじゃ、何をしでかすか分かったもんじゃない。普通に考えたら領軍よりこっちの被害が大きい』


 そう、守るどころか、味方の被害の方が大きくなりかねないのだ。なんらかの手段を用いて、『獣』の行動を制御できない限りは。

 あれで里を守ろうとしていると言うよりは、破れかぶれになったと見る方がまだ説明が付く。


『あの『獣』がもし、他の『獣』のようにわたしを認識できないとしたら、忍び寄って斬り倒すことも考えましたけど……大砲でもすぐに自然治癒しちゃうくらいじゃ、わたしには何もできないでしょう。

 ……時間が無いのは承知で、エウグバルドさんの研究について、調べられないでしょうか』

『今からかい?』

『もし、膨大な研究データを全て頭の中だけで管理していたらお手上げですが……あの人の場合、それがあり得そうなのが怖いんですが……多少なり、資料が残っていたりすれば、あの『獣』を倒す端緒が見えるかも知れません』

『ほいよ、焼かれてたらあたしの出番ってわけさね』


 フィルロームがニヤリと笑って胸を叩く。この期に及んでさえ、一歩引いた所から楽しんでいるような態度だが、アルテミシアにはそれが頼もしくもあった。


『と言うわけで……』


 アルテミシアが振り向けば、ヘルトエイザはもはや委細承知という顔。

 アルテミシアのような子どもに頼らなければならないことをどこか恥じているようでもあったが、それでも頷いた。


『分かった。非常事態だ、どこでも調べてくれ。俺はここで、『獣』や領軍が戻って来た場合に備えなきゃならんから付いて行けないが、もし止められそうになったら俺の名前を出してくれ』

『ありがとうございます、助かります』


 殊勝に礼を言うが、もうつべこべ言っていられるような状況ではないので、横槍が入ればフィルロームに手段を問わず対処させる気だったアルテミシア。

 果たして助かったのはアルテミシアか、エルフ達の方か。


 許可を得たならもうじっとしている時間は無い。すぐさま走り出そうとして……アルテミシアは踏みとどまった。


「……もうひとつ聞きたいことがあります。ヘルトエイザさんの主観でも構わないので、教えてほしいことが」

「なんだ?」


 いきなりアルテミシアが人間語に切り替えたことで、ヘルトエイザはただ事ならざる雰囲気を察したのか、訝しげな顔をする。

 人間語が分からないらしいエルフ兵達は、顔を見合わせていた。


「エウグバルドさんと、エルマシャリスさんのことです」

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