9-43 死の先を行く者
いろいろあって今週分を書けてなかったのですが、なんとか日付が変わる前に間に合いました。
来週からはいつもの時間に投稿出来るよう善処します……
アルテミシア、フィルローム、そしてヘルトエイザがその場所に辿り着いたときには、既に数人のエルフ兵が居たが、彼らは何をどうすれば良いか分からないという戸惑った顔で狼狽えているだけだった。
『なんだ、これは……』
ヘルトエイザが、思わずといった様子で、エルフ語で呟いた。
それは、確かに異様な光景だった。
あるいは異様と言うよりも、わけが分からない光景と言うべきかも知れない。
そこは樹上集落の下。まばらに日が差して控えめに草花が生い茂る地上。エウグバルドの住む部屋からは直下に当たる場所だ。
そこで、エウグバルドは死んでいた。
己の心臓に獣骨の短剣を突き立て、静かにうずくまっていた。
アルテミシアは彼をしばしば、アンデッドである吸血鬼のような外見と雰囲気だと思ったが、それでも生きて動いていた彼と、本当に死んでしまい心臓すら鼓動を止めた今の彼との間には歴然たる違いを感じた。
ぴくりとも動かない肉体というのは、それだけで強烈な存在感を持つ。
その表情には一片の苦痛も無く、まるで事務仕事で書類にサインをするときのような……淡々と作業をしているかのような様子だった。
アルテミシアはその死に顔を見てぞっとした。どうすればここまで簡単に自分を殺せるようになるのか、と……
だがエウグバルドの死に様の異様さは、そこではない。
彼の周りに散らばった4つの、輝ける碧光の結晶。
エルフ達が『森の秘宝』と呼んでいる謎の宝石が、エウグバルドを取り囲むように落ちていることだった。
『そんな馬鹿な……何故、ここに『森の秘宝』が!』
救護のエルフに肩を貸されながら、ようやく追いついたザンガディファが、嘆くように声を上げた。
『盗み出され……? いや、そんな筈はない。祠が破られれば分かるはずだ』
そう言えばそんな話もしていたな、とアルテミシアは、滞在中にエルフ達から聞いた話を思い出す。
『森の秘宝』は、次代の族長を選ぶ部族の幹部に、当代の族長より預けられるもの。
しかし普段から持ち歩くような事はせず、森の各所の祠にひとつずつ分けて隠されているのだ。
祠には物理的・魔術的問わず、隠匿と防護が何重にも為されており、さらに盗み出そうとすれば、防護が破られたことが通知されるアラームトラップのような魔法も掛けられているとか。
もちろん、その厳重な警備をすり抜けて持ち出した可能性も無いわけではないのだが……
ちなみに、いかに戦争中と言えどエルフ達が『森の秘宝』を持ち歩くことは無い。
持ったままで殺されれば、『森の秘宝』を消費してしまうからだ。
『森の秘宝』は王権の象徴であると同時に信仰に関わるアイテムでもある。そして数十年に一度手に入るかどうかという貴重品だ。ひとりの命をその場で永らえさせるためなどに使ったりはしないのだ。
『待て、ワシにそれを見せてみろ』
ザンガディファに命じられて、彼に肩を貸していた救護のエルフがなんとかザンガディファを支えてしゃがませようとする。
それをヘルトエイザは手で制し、『森の秘宝』のひとつを手ぬぐいでくるんで拾い上げ、ザンガディファに手渡した。
ザンガディファは……非常に嫌そうな顔をしたが、ややあって、ひったくるようにヘルトエイザの手から『森の秘宝』をもぎ取った。
『っ……! やはりだ、我が部族が有するいかなるものとも形が違う』
『新しく生まれたとでも言うのかい? ……一度に、こんなにたくさん。しかも、忌み地でもない場所で?』
『獣』が出現するポイント(フィルローム曰く『忌み地』)は、『獣』を呼ぶアイテム・死石を使わない限り決まっていて、森の中の数カ所に限定されている。同時にそこは、ごく稀に『森の秘宝』が生まれる場所でもある。
忌み地以外で『森の秘宝』が発見されることなど、これまでに無かったのだ。
『祖よ。我ら、森とエルフに命の流れを繋ぎし者らよ……あなたがたの与えたもうものに感謝致します』
ザンガディファは呆然と、祈りの言葉を唱える。
『森の秘宝』が手に入るなんていうのは、この森のエルフ達にとっては全てに勝る大事件だ。
それが複数ともなれば、人間の侵攻に勝るとも劣らない、里がひっくり返るような出来事だった。
もっとも、今はそれ以上に、この不可解な状況を解明しなければならないわけだが……
『エウグバルドさんが死んだのは……ここに『森の秘宝』が置かれる、もしくは現れる前、ですよね?』
『だね。『森の秘宝』の目の前で死んだりしたら、生き返っちまう』
だとすると、エウグバルドの死後に……誰かが未発見の『森の秘宝』を持ってきて撒いたか、突如として『森の秘宝』が出現したのか……
どちらも信じがたいが、エウグバルドの死と、『森の秘宝』の間に、何かの繋がりはあるように思えた。
『だいいち……なんでエウグバルドさんは自決を……』
『そりゃ、俺と族長殿を殺そうとして失敗したんだから……もはやこれまでと思って……』
ヘルトエイザはそう言いながらも、どんどん自信がなくなっていく様子だった。
アルテミシアも同じ考えだ。失敗を悟って自決するだなんて、らしくなさ過ぎる。
『あり得ない、と思います。エウグバルドさんに限ってそんな事……
失敗して八方ふさがりと思っても、絶望して死ぬような人だとは、とても……』
諦めが悪いからという意味ではない。
最善の手に失敗しても、死ぬよりマシな、次の手が見えてしまう人だ。それを試さずに死ぬだなんて考えがたい。
短期間、協力しただけでもアルテミシアが感じたことだ。彼を右腕としてきたヘルトエイザがそう思わないわけがない。
『ん……』
『フィルロームさん?』
じろり、じろりとフィルロームが辺りを見回す。
何かを探っているようだった。
『火の気配がする』
『え?』
『火の元素が騒いでる。何かがここで焼かれた。だが魔法を使ったにしては活動量が少なすぎる。
燐寸でも持ち込んだかな……? その程度の火で焼いて、痕跡もろくに残してないんだから、かなり小さなものを……』
ふん、と鼻を鳴らしたフィルロームは、その辺に落ちていた木の葉を無造作に掴み上げる。
『誰か、骨の皿でも持ってないかい? 人間から買った陶器でも、石でもいいんだが。ちと軽く燃やしたいものがある』
『何だと!?』
あまりに容易く火を使うと言ったフィルロームに、エルフ兵達は残らず色めき立つ。
だがフィルロームはそんなこと気にも掛けない。
『俺の剣の腹でよけりゃ、貸しますがね』
『おう、さすがに物わかりが良い』
背負っていた鋼鉄の大剣を差し出すヘルトエイザ。何か必要があっての事だと考えているようだ。
ザンガディファは……目の前で火を使われようというのに、もはやあきらめ顔だ。
剣の腹に木の葉を載せたフィルロームは、それを杖で突き、呪文を唱える。
『……≪焼却記録≫』
シュッ、と音を立てて、剣の上で木の葉が燃えた。
あっという間に黒く炭化した木の葉は、ゆるりと渦を巻いて形を作る。
まるで、物が崩れていく映像を逆回しにしたように……炎が収まったとき、剣の上には黒く焼け焦げた一枚の紙が乗っていた。
炭の黒色の濃淡で、それはエルフ語の文字が読み取れる。
『はっ! 大当たりだ。面白いもんが出て来たよ!』
『これは……』
『その場に残った元素の記憶を手繰って、燃えた物の形を描き出す魔法さ。一時期、趣味の悪い魔法を集めるのに凝ってた時期があってね。
まぁ、わざわざ魔法まで使って何が燃えたか調べなきゃならない事なんて多くないから、使うことは滅多に無いが……手紙なら最高だ、何が書いてあったかまで分かる』
フィルロームはとても楽しそうだった。
じろじろと、周囲のエルフ達の方を見回して嫌みっぽく笑う。
『あんたらの嫌ってる炎の魔法、便利だろう? ここにあたしが居なきゃ、あんたらは重要な手掛かりを逃すところだったんだ、感謝しな』
ヘルトエイザを除く全員、気まずいようなドン引いているような、かなり微妙な顔をしていた。
『さて、何が書いてあるのか拝んでやろうじゃないか』
フィルロームは灰によって再生された手紙を覗き込む、そして……その顔はすぐに、三日三晩煮込んだくさやの干物汁のニオイでも嗅いでしまったように、奇妙に歪んだ。
『何が書いてあったんですか……?』
『読んでみな、アルテミシア』
フィルロームは、彼女にしては珍しいことに、どうしようもなくお手上げだという顔をしていた。
アルテミシアは首をかしげる。
『ごめんなさい、エルフ語は読めないので……』
『あれま、そうだったのかい。流暢に喋るからてっきり……
いいよ、ならあたしが音読しよう。先に言っておくが、これは明らかに、急いで書いたような走り書きだ』
咳払いをひとつして、フィルロームは朗々と声を張る。
『『湖畔にて瞑想する蔓草』の部族がひとり、エウグバルドは、客人アルテミシアに、黒き岩と光の薬草地を譲ることを約束する。
これは族長殿とヘルトエイザが死んだ今、僕の独断で効力を発揮する契約だ。
とは言え、里が政体として残っていればの話であることを留意してほしい。仮に領軍に全てが接収されてしまったら、もはやこれは紙切れになるだろう。
追伸 もしエルマシャリスを哀れに思うなら、彼女によくしてやって欲しい。』
エウグバルドの芝居がかった気障な喋り方まで真似た熱演だった。
だが、そのあまりのわけのわからなさに、周囲の者達は凍り付いていた。
まず最初に動いたのは、もっとも短絡的に状況を解釈したがために、大事な要素をいくつもすっ飛ばしたひとりの兵士だった。
『は、計ったのか、人間……うごあっ! げふっ!』
アルテミシアに剣を向けた彼は、フィルロームの杖とヘルトエイザの裏拳によって即座にしばかれ、吹き飛んでザンガディファの足下に転がった所に蹴りを入れられた。
『そんなんで説明が付くなら話は簡単じゃあないか、バカモン』
『ああそうだ。アルテミシアは俺達が里の実権を握った後、この群棲地の権利を渡されることになっていた。族長殿はともかく、俺まで殺そうとする意味は無い』
『おい貴様! 今何を言った!?』
『落ち着いてくれ族長殿。今はそこじゃあないだろう』
門外不出の薬草の群棲地をよりによって外部の者に渡すというヘルトエイザの言葉にザンガディファは血相を変えるが、ヘルトエイザに制され、眉間に深く皺を刻みながらも引き下がる。
『俺と族長殿を助けたのは客人達だ。それは動かしようが無い。仮にエウグバルドと共に何かを図ったなら行動がちぐはぐだ。それに、この手紙が焼かれていたのは妙じゃないか。
こりゃ俺達が死んだ後に慌てて書いた……って体で、あらかじめ用意してあったもんだろ。それが、俺達を殺し損ねたもんで、予定を変えて焼き捨てた、と……』
『奴は何を企んでいた? そして、今は何を企んでる?』
『それが分かれば苦労は無いんだが……』
ヘルトエイザの言葉を半分聞き流しながら、アルテミシアは必死で、フィルロームが読み上げた手紙の文面を反芻していた。
こんがらがった話だが、五里霧中だったこれまでとは違う。一気に情報が増えた。
何か、この意味が分からない状況を読み解く手掛かりがあるはずなのだ。
暗殺に成功していたとしたら必要で、今はあってはならない手紙。
政体、領軍、ふたりが死んでいたとしたら……
そして、まるで遺書のようなエルマシャリスへの言及。エウグバルドと何らかの深い繋がりを思わせる、かつて巫女であったエルフ……
その時、カーン、カーンと鋭い鐘の音がして、アルテミシアはハッと顔を上げる。
人の本能的不安感を書き起こすような、この鐘の音には覚えがあった。
『獣』が、現れたという報せだ。
『おいおいおいおい……』
藪を避けるように遠くを透かし見たヘルトエイザが、呆れたような声を上げた。
『……シャレにならねえぞ。なんでこんなのが出るんだ?』
ヘルトエイザの視線を追った先にあったもの、それは『獣』そのものでこそなかったが……
まるで身の丈10mを超える巨人が、邪魔な木々を……それこそ草でも掻き分けるように薙ぎ倒しながら、森の中を歩いて行った後と思しき、巨大な破壊の痕跡だった。