9-42 300年物ヴィンテージ
投稿が少々遅れました……
「まずは俺達を助けてくれたことに感謝する」
ポーションと魔法の治療で早くも元気になったヘルトエイザは、床に座ったままで深々と頭を下げた。
集会場……すなわち司令部の部屋では、未だに救急病院めいた治療が続いている。とはいえ、もう助かる者と助からない者が明確に分かれた後だった。
医師と魔術師による治療が行われる傍らでは、治療されているエルフの数倍に及ぶ死体が布でくるまれている。
「気にしないでください。成り行きです。……それで、何が起こったんですか?」
「そうだな……族長殿を包囲したまでは、まあ手筈通りだったわけだ。
ところがそこで、変なものを使い出した奴が居てな……」
ヘルトエイザが語ったのは、クーデターが失敗するまでの顛末。
謎の薬玉によって敵味方問わず火だるまになり、さらに動けなくなったという事。
そして……その薬玉がエウグバルドによって手渡されていたという事だ。
「薬玉を持ってたのは、分かってるだけで実行メンバーのうち2人だ。投げたのはその片方。焼け死んだ奴らの中にも居たとしたら、もっと増えるな。
『いざって時のための切り札を、お前だけに渡しておく』って、直前になって渡されたそうだ。
それぞれ理由は違ぇけど、俺に相談したり、周りに言いふらしたりしそうにない奴が選ばれてた」
『やっぱり』という思いと、『よもや』という思いが、アルテミシアの中で溶け合わずに渦巻いていた。
怪しげな策動のニオイは、気のせいではなかった。ついに表に出てきたというだけのことだ。
同時に、何故こんな手荒なマネを? という疑問が浮かぶ。こんな事をする動機が見えないというのもあるけれど、エウグバルドの性質からして、もっと回りくどく、クモの糸で絡め取っていくような奸計を巡らせて目的を達成する方が似合っているという気もする。
その辺りはヘルトエイザも同じ事を考えているようだった。
「あの野郎、裏切ってやがったわけだ。だが……はっきり言って俺は、あいつが何のために裏切ったのか、分からん」
「状況とタイミング的には、領側に通じてたって感じじゃない?」
レベッカがそう言うと、ヘルトエイザは顔をしかめる。
「そう考えるのが妥当なのは、分かるんだ。だがなあ、そういうのはあんまりにも短絡的っつーか直線的で、あいつらしくないっつーか……」
「ハルシェの街で、戦後処理のために布石を打っていたのは……」
「それだ。最初から裏切る気ならそんなことをする必要は無い。俺の信用を得るためにしたって限度がある。何しろ、あの辺の段取りは全部エウグバルドが立てたんだからな」
ヘルトエイザが言う通り。クーデターが成功した後の準備をしておきながら、族長とヘルトエイザを殺して領を助けるなんて、まるでちぐはぐだ。
普通に考えるならば。
――もし、この間に繋がりがあるとしたら?
何か、ただ事ならざる狙いがあって、そのために行動しているとしたら、一見矛盾する行動を同じ目的のためのものとして結びつけられるかも知れない。
だがそれは、かなりの難問だ。
「エウグバルドさんは何をするためだったらこんな事をすると思いますか?」
アルテミシアに問われて、今度はしばらく考え込むヘルトエイザ。
「分からん……だけどあいつは、本当にいろんな事を考えて、打てる手を全部打ってから最後に一押しして、仕掛けを動かすんだ」
「ピタゴラスイッチか……」
「なんだそりゃ?」
「気にしないでください。ええと、つまり……これをきっかけに、つまりヘルトエイザさんと族長が……死んだとして。そこから連鎖反応的に何が起こるか、って事でしょうか」
「そういう事になるか……な?」
ヘルトエイザは、水をかぶってしっとりした勇者的ヘアスタイルをぼりぼりと掻き乱す。
「ふたりを失ったとしたら、現在のリーダーと、『改革派』の求める次のリーダーが、同時に居なくなることになりますね。里は政治的に混乱するかも……」
「んー、んん? ああ、ちょっと待て、思い出したことがあるぞ。
俺はさ、長老会議の連中はクソみてぇに頭固いけど、無能じゃねぇと思ってるんだ。今の族長殿の他にも里をまとめられる奴は居ると思ってる。
だが、エウグバルドに言わせりゃ、そうじゃないらしい」
「エウグバルドさんが?」
ヘルトエイザは頷いた。
「あいつが前、言ってたんだよ。
俺らハルシェーナの森のエルフが今の地位を保っていられるのは、族長殿の手腕によるところが大きく、それに代わる器は俺しかねぇらしいんだ、あいつが言うには。
俺は、自分がそんな大それた奴だとは思ってないし、他にも族長やってける奴が居ると思ってんだけどな。でも、エウグバルドが言うからにはそれが正しいんだろう。
重要なのは、あいつ自身は間違いなくそう考えてるって事だよ」
「つまり、現族長とヘルトエイザさんをまとめて殺すことで、この森を担い得る人材を一気に葬ろうとした……」
――単なる混乱という以上の、より致命的な事態を狙った……?
ふたりを殺したところで年長の人が残っていれば、短期的に見てひとまず部族がまとまることは不可能じゃないはず。もしこれが、政治力があるリーダーを葬ることでの長期的な弱体化を見越しているのなら……
ああ、そう考えるとなんかエウグバルドさんっぽいニオイが漂ってきた気がするぞ。
例えるならそれは、水を流し込む前に溝を掘って、どちらへ流れるか誘導しているかのようだ。
その水が流れていく先に、エウグバルドの求める何かがあるはず。
アルテミシアが考え込んでいると、ヘルトエイザは体の調子を確かめるようにしながら立ち上がる。
「とにかく、俺は前線に戻る。手勢を失ったのは痛いが、俺が指揮を執りゃ、まぁある程度は持ちこたえるだろう。
とにかく、予想されるレンダールの介入まで時間を稼ぐ。それが俺の最後の仕事だろう」
「最後って……」
あまりにも、何でもない事のようにヘルトエイザはさらりと言った。
「その座を簒奪せんと、族長に剣を向けた。それだけで、狼のエサにされるには十分な罪だ。
まして俺はエウグバルドの企みを見抜けず、あいつに好き勝手させた責任もある」
『待て』
ズン、と腹の奥に大岩が落ちたような感覚。
重々しい声を響かせたのは、隆々とした体躯を誇る老エルフだった。
そのきらびやかに飾り立てられた姿を見れば、かのエルフが一番偉いことは初対面のアルテミシアにも分かる。
医療スタッフらしきエルフに支えられて立っている彼こそがザンガディファだった。
『どこへ行く気だ、ヘルトエイザ。逃げるつもりか』
『逃げるだって? そりゃないよ。
俺はあんたを引きずり下ろすことに失敗した。ならばもう、今のまま戦って人間どもの軍勢を追い払うしか、この里を守るためにできる事ぁないだろさ』
『もはや罪人たる貴様に預ける兵は無い。貴様の行き先は牢の中だ。沙汰が出るまで……あ痛ぁ!』
『族長!』
『族長様!』
羽根飾り特盛りの兜に、すこーん、と杖がクリーンヒットした。
フィルロームがザンガディファに背後からの杖ポコを喰らわせたのである。彼を支えていたエルフ達が慌てふためく。
『このアホタレが! 貧乏くさい森ん中で500年近く生きてたら、脳みそにコケでも生えちまうんかい!?
どうせあんたも、ヘルトエイザが逃げ出すだの裏切るだの今更思っちゃいないだろう!? ならもう段取りだの掟だの、そこら辺を這いずってるナメクジにでも食わせちまいなよ!
今は異常事態だろう? まずは生き延びることを考えるんだよ、てめぇのガキ相手に何をムキになってんだい裂け蔓が!』
『あだ、あだだ! ま、待て、おい、こら!』
兜をボコスカ殴りながら烈火の勢いでフィルロームがどやしつける。
さっきの騒動でまだふらついているザンガディファを、無慈悲にも打ち据えた。
『……あの、フィルロームさん、その辺で』
『俺からも頼んます。死なれちゃ困るんで』
『死にゃしないよ。こいつは素っ裸で森に放り出しても平気で600まで生きるさ』
エルフが本当に600歳まで生きられるかはともかく、ようやくフィルロームは杖を収めた。あまりの事態に……尊敬すべき里の最高権力者である族長相手に、ヘルトエイザとは全く別ベクトルの無礼を働いたフィルロームを見て、周囲のエルフ達は目を丸くしていたが、これがフィルロームの平常運転だ。
『フィルローム……まさかあの調子のままで歳を食うとは思っていなかったぞ』
『ああ、ハイハイ。森を出る時に一戦交えて以来だねぇ、ザンガディファ。最近、ちと思い出す機会があったよ。
もっとも現実は、手加減する気だったあんたをあたしが一瞬で縛り上げて決着しちまったがね……
とにかく、思い出話は後だ。とっとと領兵どもを追っ払いな。
さもなきゃ、その臭いケツに火ぃ点けてやるからね』
『ぐ……』
レベッカが小さくヒュウ、と口笛を吹く。アルテミシアも舌を巻くしかなかった。
完全にフィルロームのペースだ。
『状況は、どうなっている』
『はっ! 前衛部隊に対するトラップが成功した後、第二陣の侵入は未だ認められず……』
ザンガディファに問われ、ちょっと豪華な武装を身につけたエルフが答える。治療が行われる間、ザンガディファの代行として控えていたらしい。
しかし、彼の言葉が終わるより早く、慌ただしく部屋に飛び込んでくる者があった。
『ぞ、族長様!』
『何事だ』
入ってくるなり倒れるように跪いたのは、伝令兵という様子でもない、普通のエルフの女性だ。
ここまで全力で走ってきたようで、長い髪を振り乱し、息を切らせている。
寸の間、彼女は言いよどみ、思い切ったように叫ぶ。
『エ……エウグバルド様のご遺体が発見されました!』
『『『何だって!?』』』
絶句するザンガディファの代わりに声を上げたのは、アルテミシア達だった。