9-41 対空迎撃バンブーランス
「うっ、これは……!」
司令部に踏み込もうとしたアルテミシアが足を止めたのは、内部が死屍累々の惨状を呈していたから……ではない。
巨大な部屋の入り口から吹き出す、嗅ぎ慣れた嫌なニオイに気が付いたからだ。煙対策に抵抗強化ポーションを飲んでおかなければ、この一瞬で体の自由を奪われていたかも知れない。
「麻痺毒!」
身を引きながらアルテミシアが鋭く警告を発し、後に続こうとしていたレベッカとアリアンナが部屋に入る一歩手前で足を止める。
「下がりな、アルテミシア! ≪空気浄化≫!」
最後尾のフィルロームが杖を振りかざすと、部屋の中めがけて清く澄んだ風が吹き込んだ。
風の元素魔法による空気の浄化だ。
「カルロスさん、敵は!?」
『いねぇっす! 全員倒れてるだけっす』
偵察役……天井をすり抜けて顔だけ出したホラー映画スタイルのカルロスが、炎の爆ぜる音に負けない声で返した。
続いてアルテミシアは室内で燃えさかる炎めがけて薬玉を投じた。
中に封じてあるのは、今回に限ってはポーションではない。
炎に触れた薬玉は、薄い氷が割れたような音を立てて破裂する。
赤々と燃えさかっていた炎は、稲穂の群が風に薙ぎ倒されたように勢力を衰えさせ、しゅうしゅうと白い煙を上げた。
水の元素を自然量以上に込めた、ただの水だ。普通の炎は当然として、魔力で生み出された炎にも高い効果を発揮する。
そうして、炎が消え去った後に、霧のような湿っぽい空気と共に残ったのは、地獄の残滓だった。
「ひどい……」
言葉も無い様子でアリアンナが嘆く。
もつれ合うように倒れたエルフ兵たちが、炭化した床の上に転がっている。痛々しく焼けただれた肌。未だに漂う肉と髪の焼けたニオイ。
麻痺毒のせいで動けないのかも知れないが、そうでないとしても、生きていたら奇跡という様子に見えた。
「せめて生きている人を……」
「おいアルテミシア、まずいぞ!」
治癒ポーションを取り出しかけたアルテミシアに、フィルロームが背後から怒鳴りつける。
彼女は、倒れたヘルトエイザをひっくり返して様子を見ている所だった。
麻痺毒を受けてぐったりとしている彼は顔色が悪く、呼吸に小さな咳が混じるたび、口からどす黒い血が少しずつこぼれる。
「毒だ! 解毒はあるか!? あたしゃ攻撃が専門だ、気合いが入った毒はどうにもなんないよ!」
「そんな! 旅の前に用意してた5本だけしか……」
心臓が締め付けられるようだった。
この状況でアルテミシアが自由に使える薬草は、旅の荷物に入れておいた少量だけだった。それは、燃焼ポーションによる被害を見越して、治癒ポーションにしてしまったのだ。調合次第で解毒ポーションにできた分もだ。
「解毒ポーション貸して! 飲ませたらギリギリ助かりそうな人に回す!」
一瞬迷ったアルテミシアの手から、レベッカがポーションをひったくった。
「お願い! えっと、フィルロームさん。治癒ポーションで多少の時間はもたせられます。≪虫報≫で連絡を飛ばして、治癒系の魔法使いと、部族が準備してるポーションを用意してもらってください」
「ありゃ草の上じゃないと使えないんだがね……まあ、なるべく急いでやってみるよ」
指示を飛ばされたフィルロームは、えっちらおっちらと部屋を出て行こうとして……出入り口で動きを止めた。
「なんだありゃ?」
「え?」
反射的にアルテミシアはフィルロームの視線の先を追った。
ここは樹上に存在する、巨大な鳥の巣のような部屋。幾重にも折り重なった蜘蛛の巣のような里の中でもひときわ高い場所にあり、部屋の入口から外を見れば、青い空が広がっている。
そこに一点、何か黒いものが浮かんでいた。
灰色の飛行機雲を描きながら、その何かは、急速に接近し……
「まずい、伏せな! ≪断流風瀑≫!」
フィルロームの杖から暴風が湧き起こった、と思った瞬間。
それを遙かに凌駕する激風と共に、紅蓮の閃光、そして轟音が吹き込んできた。
「きゃあっ!?」
風に足元をすくわれたアルテミシアは一回転して、滑り込んできたレベッカに抱き留められる。
フィルロームも吹き飛ばされて尻餅をついていた。
「痛ったたたたた……ああ、年はとるもんじゃないよ、くそ、腰が……」
「今のは……爆発ポーション!?」
「もしくは魔力爆弾ってとこだね」
飛来した爆発物が、フィルロームの展開した風の障壁に衝突し、爆発したのだ。
防ぎきれなかった爆風に煽られてしまった形だが……もしあれが全く遮られずに着弾していれば、ここに居る者は全員死んでいたとしてもおかしくないほどの爆圧だった。
「どこからこんなものが……」
素早く身を起こしたアルテミシアは、部屋の外に駆け出して上空を伺う。
よもや空爆でもあるまいし、と思ったのだが、空を見上げて見つけたのはB29ではなく、新たに飛来する何かだった。
「また来ました! 今度は四つ、全方位!」
「くそったれ、そこまで広いと防ぎきれんぞ!」
尻餅をついたままのフィルロームが悪態をつきつつも杖を構える。
先程の一発すら完全には防ぎきれなかったのだ。四方に力を分散させざるを得ず、さらに四倍の攻撃を相手にする……無事で済むかどうかは分からなかった。
悩み考える時間は、0.5秒もあったかどうか。
「私が前!」
あっと思ったときには、アリアンナが部屋から飛び出していた。
手にしていた短弓を投げ捨てたアリアンナは、背負っていた、自分の背丈ほどもある大弓を手に取り、大小ふたつ装備した矢筒のうち大きな方から矢をつがえた。
白木を削り出し優美な彫刻を施した、芸術品の如き大弓の名は、エルヴン・グレートボウ。エルフが用いる弓の中でも、特に巨大なものだ。
これは非常に良質な長弓だが、主として森の中を生活の場とするエルフは、長射程の弓を使う機会に乏しく、どちらかと言うと、見栄えの良さから儀礼用に使われている品だ。
射撃練習場での一件からエルフ達と仲良くなったアリアンナは、いつの間にかこんなものを頂戴していた。
本来は、消火用の薬球を遠距離から撃ち込む手段として用意していたもの。それを、対空火器として使う気なのだ。
もはや話し合っている時間は無い。これ以上の策を講じる暇も無い。
アリアンナの思いつきに賭けるしかなかった。
もっとも、いくらなんでもふたつを打ち落とすのは時間的に難しいだろう。
アルテミシアは即断した。
「正面ひだり、カルロスさんGO!」
『オレっすか!?』
「ポルターガイストがんばって!」
命令され慣れているカルロスは、それでもう矢のようにすっ飛んでいった。霊体であっても、一種の魔法のような作用によって、物を動かしたり、持ったり、受け止めることはできる。
滅多なことでは死なない、というより既に死んでいる身の上だ。普通の手段ではダメージが通らない。例えば、抱え込んでいる爆弾が爆発しても全く平気なのだ。……その炎が浄化の性質を持ってさえいなければ。
右斜め上から迫る飛来物はアリアンナの担当。
緊張の面持ちでペロリと唇を舐めたアリアンナは、体をめいっぱい使って大弓を引き絞る。ほとんど両腕を大開きにするような格好だ。
弓の弦を引く腕は、矢に対して並行にするのが普通だ。こんな体勢ではまともに狙いを付けられるはずもないのだが、アリアンナの射撃は狙えば当たる。
迫り来る黒点に向けて引き絞られた矢が放たれる。
ごう、と風が爆ぜたような勢いで弦が返り、ほんの一瞬の後、迫っていた飛来物が、鼓膜にびりびりと響くような轟音と共に空中で炸裂した。
吹き下ろす爆風がアルテミシアのふわふわ髪とスカートを跳ね上げる。
左からの飛来物はだいぶ遠くで空中に浮かんでいる。
よく見ると、太陽の下ではちょっと見えにくい何かがまとわりついていた。カルロスが空中で受け止めることに成功したらしい。
「後方、5時および8時方向」
「あいよ」
アルテミシアは後方に見えた砲弾(仮)の位置だけを、座り込んだままのフィルロームに伝えた。
フィルロームの杖から風が湧き起こった刹那。
後方で風の障壁にぶつかった二発、そしてカルロスが受け止めていたはずの一発までも立て続けに炸裂した。
至近での爆発を受け、吊られた部屋は大きく揺れる。堅く編み上げられたはずの樹と蔓が、ギシリ、と軋む。
「アリア!」
「っ……! 大丈夫!」
吊り橋のような通路の上に転がったアリアンナは、幸いにも振り落とされたりしなかった。
ゆらり、ゆらりと揺れる部屋の前で、アルテミシアは再び空を警戒する。空中では、何事とも無く受け止めたはずの弾が爆発したカルロスが呆然と浮かんでいた。
レベッカに助け起こされたフィルロームが出てきて、アリアンナは弓を構え直す。
だが、次の爆弾はいつまでも飛んでこず……代わりに、騒ぎを聞きつけたエルフ達が集まり始めた。
「終わったの……?」
そしてアルテミシアは、ようやく震える息を吐いて、肩の力を抜いた。
* * *
戦時体制の里は、異常事態への対応も早い。
ポーションと治癒術士は向こうからやって来て、司令部はてんやわんやの騒ぎになった。
そんな中、手持ちのポーションを救護班に預けたアルテミシアは、細い樹木を編んだ丸っこい部屋の上に、フィルロームと共によじ登っていた。
「大雑把にしか覚えてないですけど……」
部屋の上から、アルテミシアは周囲を見回す。
この部屋は、周囲にある四本の巨大な樹木に吊り下げられたような恰好だった。そこからは細い樹と蔓をがっちりと編み上げた頑強な吊り橋が伸びていて、部屋を宙に繋ぎ止めていた。
「飛んできた弾は、支えを狙ってたんじゃないか、って気がします。後から飛んできた四発は」
「最初の一発はまっすぐ中に飛び込んでくる軌道だったね。あれだけ爆発も妙にデカかった」
「それは支えを吹き飛ばすためじゃなく、爆発で殺傷するためのものでしょう。閉じた部屋の中での爆発は、ダメージを何倍にもする。
……部屋内に爆弾を投げ込んで殺傷してから、支えを壊して部屋を落下させる。なんとも、まあ……」
「念の入ったことだ。毒に麻痺、炎、そして爆破と落下。ひとつくらいしくじってもまとめて仕留めきれるだろう」
吐き捨てるようなフィルロームの言葉にアルテミシアも頷いた。何が何でも全員殺すという、執念のようなものを感じさせる。
しかも爆弾は、衝撃でも爆発するが、ある程度時間が経っても爆発するという仕様のようだった。カルロスは爆発させずに受け止めたのに、時間差で爆発した。不発弾になる可能性を減らしていると言うべきだろうか。
「それにしても、あんなもの、どこから……」
「簡単だ、ありゃ森の連中がよく使う手だよ。人間どもの投石機と原理は同じさね。
たわめた植物の枝やツタに、投げ飛ばしたいものを嵌め込んで、放つ。自然魔法のちょっとした応用さ。しっかり弾道を計算すりゃ、機械より正確に動く。
あたしゃそんな面倒なのはゴメンだけどね。魔法で全部吹き飛ばすのが一番さ」
「……なるほど」
エルフ。
エルフの手だとフィルロームは言った。
いくら空爆めいたやり口とは言え、いきなり森の奥深くを人間が攻撃したとも考えがたい。何よりも、燃焼ポーション……
――これは、エウグバルドさんの仕業? だとしたら、どうして、こんなこと……
「アルテミシア、ちょっといいー?」
下の方から声が飛んできた。
部屋の周囲を囲むテラス場の部分から、屋上のアルテミシアをレベッカが呼んでいた。
「なんかヘルトエイザさんが貴女たちを呼んでって言ってるみたいなんだけど」
「……だ、そうですが」
「よし、何があったか聞き出すとしようじゃないか。いや、雑巾絞りにしてでも喋ってもらうよ。なんでこんな事になってやがるのか。
あとは、そうだね。ザンガディファのヤローを冷やかしに行ってやるとするか」
「えーっと……トドメは刺さないでくださいね? さっきまで死にかけてたんですから」
フィルロームはいい笑顔で親指を立てたが、どういう意味なのかは怖いので聞かない事にした。