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9-39 戦が始まる

 カイリ領側として、この度の戦いの戦略的目標は、圧倒的な力があることを示し、一方的な交渉に持ち込むことだ。

 国が出てくるまでの時間も考えれば、森全体を制圧しているような余裕は無い。その矛先を、『太陽に向かう燕』の里へ定めたのは自然と言えた。


 ハルシェーナの森の中にあるエルフの里は、『太陽に向かう燕』の里だけが大々的に開かれており、交易の窓口となっている。……その里だけは、街から交易路が通じているのだ。

 道があるというのは、戦争において非常に重要なファクターだ。大軍を容易に流し込むことができる。


 攻めやすい『太陽に向かう燕』の里を一気に制圧し、その戦果を以て勝利とする……

 シャラ領側がそう方針を決めたのは、妥当であったと言えただろう。


 もちろん、『攻めやすい』というのは、エルフ達が想像の斜め上を行く防御策を繰り出して来なかったとしたら、だが。


「道が、無い……」


 森の中の交易路を進み始めた軍団は、ほどなくして、足を止めざるを得なかった。

 長い時間を掛け、多くの人間と多くの荷物が行き交い、踏み固められていたはずの道が……ハサミで裁ち切られた布のように突如として途切れ、鬱蒼と茂る植物の壁に行く手を遮られたのだから。


「どういう事だ。斥候からの情報では、何も……」

「道を間違えたんじゃないか?」


 前衛部隊の領兵と傭兵達は、顔を見合わせて首をかしげた。

 隊列の両脇で、森に向かって盾をかざし、あるいは防御の魔法を準備する者達は、いっそう気を張り詰めさせる。


「指揮官の指示を仰ぐぞ。伝令を!」


 ミスリル銀の全身鎧を着た、馬上の前衛部隊長が命ずると、伝令兵が後方へ駆け戻っていく。

 だが、伝令はあまりに早く帰ってきた。


「後ろにも道がありません」

「何を馬鹿な……んっ!?」


 振り返って目を剥いた部隊長。

 同じように後ろを見た兵達は、あんぐりと口を開けて唖然となった。


 伝令兵が言った通り。前後左右の全てが、気が付けば鬱蒼とした森と化していたのだ。草木に覆われていないのは、いつの間にか、100人ほどの前衛部隊が立っている場所だけになっていた。


 葉擦れの音が、妙に大きく聞こえる。昼日中だというのに鳥の声もしないし、暑い盛りなのに虫の声すらしない。……森全体から立ち上る殺気に当てられて、森の生き物たちは静まりかえっていた。

 何者かが狙っている。

 しかし、茂った草木の狭間にいくら目をこらしても、エルフらしい影は見えなかった。


「……密集しろ! 円形に陣を組め! 盾を持つ者は周囲へ!」


 指揮官が鋭く命じて、隊列が流動化した、その時だった。


 びょう、と風が鳴いた。


 飛んだのは、矢が一本だけだった。

 その一撃は、芸術的と言っていいほどにあまりにも完結していて、標的に突き刺さるまでの間、誰ひとり反応できなかった。


 馬上の部隊長が、ぐらりと体勢を崩す。


「……え?」


 誰かが呆然と呟いた。


 ミスリル銀の全身鎧を着ていた部隊長は、急所という急所が防護されているように見えた。上半身は分厚い胸当てに守られ、首は襟巻きのように包まれ、兜も頭全体を守る形式だ。

 ただ、落馬して動かなくなった彼の兜の、視界を確保するための僅かなスリットからは、矢羽根付きの細い矢軸シャフトが飛び出していた。

 その矢が、目を貫通して脳に達しているであろう事は、容易に想像できた。


 何者かが、木々の合間から、細い兜のスリットを狙って一撃で射貫いたのだ。……どれほど信じられなくても、そうとしか考えようがなかった。


 その直後。


『かかれぇーっ!』

『『『おおおーーーーーーっ!!』』』


 エルフ語が分からない者であっても、それが鬨の声である事は理解できたはずだ。

 四方八方の森の中から、エルフ語の雄叫びが上がったのだ。


 そしてまるで、その声が形を得たかのように、草木の隙間から矢が飛来する。 

 ある矢は盾で防がれ、ある矢は魔法で弾かれ、またある矢は無残に命を奪った。死なずとも傷つけられた者は多く、立て続けに悲鳴が上がった。


 さらに、地を割って立ち上る蔓草が、足を、胴体を、腕を捉えて巻き付いていく。


「うわあ、うわあああ!?」


 慌てて切り払おうとしても、伸びる速度の方が早い。

 体の自由を奪われた所へ、さらに矢が飛来し、無防備な体に突き刺さっていく。


「くそっ、森の中に居るぞ! 切り込め!」

「いや、防御しろ! 陣形を崩すな!」

「痛ぇよお!」

「ちくしょう!」


 見えない包囲攻撃を受けてパニックに陥り、前衛部隊は完全に統制を欠いた。

 ある者はエルフを攻撃するために森へ飛び込んで返り討ちにされ、ある者は味方とぶつかって倒れた所を矢に狙われる。

 怒号と悲鳴が止むまでの時間は、そう長くなかった。


 *


『なるべく殺すなよ。殺せば向こうは士気を上げる。

 わざと数人逃がし、この惨状を報告させ、負傷して苦しむ仲間を助けに来させる。これでいい』


 エルフ側の部隊長は、ヘルトエイザから言われた言葉をそのまま部下に向けて呟きつつ、事態の推移を見守っていた。

 自然魔法によって、周囲の森を道の上に掻き集め・・・・、足止めと分断を行い、撃破する……

 人間からすればあり得ないような事でも、エルフ達にとっては普通に考えて思いつく作戦のひとつだった。


『このまま、森に入ってくる人間に、順番に対処していくのですか?』

『いや。これで全軍を始末するのは無理だ。敵を脅えさせ、すくませるだけでいい』


 副官の問いに、部隊長は首を振った。

 これっぽっちの戦力を削ったところで、シャラ領はびくともしない。目的は、士気をくじくことに過ぎないのだ。


 そもそもこの戦いは、戦力的には最初から負けが確定しているようなものだ。向こうは補給の心配なく、領兵を全て投入することだってできる。

 ただし、森全てを砦として戦えるという優位と、あくまでレンダールの介入があるまで耐えれば良いという時間制限が、エルフ達に味方している。相手の兵に厭戦気分を広められればそれだけで勝ちが近づく。

 だからこそ、人間の意表を突けるような大仕掛けで、一方的な戦いを演出した。殺して兵力を削るよりも、負傷者を出すことで、敵の士気と行動に枷を嵌めるように仕向けたのだった。


『だが、脅かせるのは、これ一回がせいぜいだろう。向こうも慣れてくるだろうし……自然魔法で、あまり無茶な変化を強いては、森が死ぬ』


 副官が唸る。

 確かに、目の前では一方的な勝利を得ることができている。しかし部隊長は、この先のことを楽観してはいなかった。


『では、後は』

『この先の道に仕掛けた罠を上手く使って迎撃するしかない。……森からの援護射撃があると言えど、重い鎧を身につけた人間どもにどれだけ通用するかは、分からんな』


 そう。今回は、軽装の歩兵や、装備がまちまちな傭兵相手だったから弓でどうにかなったが、もし全身鎧で武装した上級領兵の一団を突っ込まされたりしたら、エルフ側にも被害が出るのは確実だった。弓が封じられた時点で、エルフ側の戦力は半減する。向こうも魔法を備えている以上、魔法だけで止めきれるかは怪しい。

 鎧の隙間を撃ち抜いて殺せるようなら面倒は無いが、誰しも、先程の部隊長を射殺した一矢のように、奇跡的な腕前を持っているわけではない。あれは、部隊内どころか里でも指折りの射手による攻撃だった。


 部隊長は一瞬、練兵場で先日見た、神がかり的な弓射を思い出す。あの人間の少女の手を借りられていれば……と、ふと思ったが、すぐにその考えを打ち消した。

 彼女は客分に過ぎないし、おまけに領兵と同じ人間だ。里のために戦っている自分たちとは違い、戦う理由が無い、と思い直したのだ。

 それに、いくら弓が巧かろうと、あんな子どもに戦場を見せたくないという想いもあった(エルフには良くある事だが、彼もまた、エルフにとっての成長が止まる歳より若い者は、種族問わず幼年者と見なしている)。


 天の助けなど期待しても始まらない。

 手持ちの戦力でどうにかする事を考えなければならないのだ。


 ――願わくば、負傷者救助のために進軍を遅らせてくれ、人間どもよ。


 族長の命令の下、この先にはヘルトエイザの部隊が配置され、迎撃に当たることになっている。

 だが、彼らは……今、そこに居ないのだから。

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