9-38 囚人とジレンマ
地下の土牢は、不思議な空気だった。
他の何にも……獣や草木、あるいは人の生活によって生み出される様々なニオイに邪魔されない、純粋な土の薫りが漂う。横穴状になった部屋の前には、滑らかに磨き上げられた木の格子が嵌められていた。
足下も土であるのに、どれほど蹴りつけても埃が立たない。まるで食品サンプルのソースのような地面だったが、それでいて、踏んだ感触は土でしかないのだった。
長身のエルフにはちょっと狭いのではないかと思えるほど、縦にも横にも細い道を進むのは、アルテミシアとレベッカ、そしてフィルロームだ。
目当ての牢はすぐ見つかった。他に囚人が居なかったからだ。
『おま……あなたがたは』
膝を抱えて座っていたエルフ。
自分以外に囚人が居ないことは分かっているようで、足音を聞きつけて身構えていた。
フィルロームの姿を認め、折り曲げていた背中を正す。
『こんにちは、泥棒さん。少し、お話を聞いてもいいですか?』
一同を代表して、アルテミシアが流暢なエルフ語で……転生特典の翻訳機能を用いて話しかけると、囚人エルフは驚いた顔になった。
彼こそが、アルテミシアの暴いた『死石すり替え』の犯人……少なくとも、その名目で拘束されている者だった。
『お客人。私が話すべきことは無い。そもそも、何故ここに居るんだ』
『あたしが入れたからさ。堅いこと言いっこなしだ』
フィルロームはぬけぬけと言い放ったが……そして嘘はついていないのだが……当然、許可など取っていない。大して厳重でもない監視の目を、フィルロームの魔法で欺いたのだ。
『話の前にお互いの立場を確認しておきましょう』
『話すことは無いと……!』
『あなたは『改革派』で間違いありませんよね? ご存知かも知れませんが、わたし達も『改革派』に協力しています。
そして、わたし達はこの森や部族への義理はありませんから……こちらへの被害が無い限り、大抵のことは黙認できます』
『どういう意味だ』
『あなたが何のために嘘をついているかは分かりませんが、敵ではないと言いたかったんです』
アルテミシアは、ちょっとあざといくらいににっこり微笑む。
囚人エルフは、笑顔の圧力にちょっとたじろぎながらも、訝る視線を投げかけてきた。
『嘘だと?』
『……誰にお願いされて、泥棒したんですか?』
『ふん』
エルフは、鼻で笑った。
『取り調べに何度も答えた通りだ。珍品好きの人間から接触があって、珍しいエルフのアイテムがあれば買うと言っていた。山のような報酬を積まれた。だから盗み出して売り払った。だが、奴は金を払う気など無く……連絡が付かなくなった。それだけの話だ』
『うそつき』
容赦無い一言に、胸を刺されたかのように自分の胸元を掴むエルフ。
アルテミシアは、背後のレベッカが苦笑をこらえているような気がしていた。……小さな子どもにこんな言い方をされるのは、本気で堪えるものだ。特に相手が(少なくとも外見上は)純粋無垢な可愛い女の子とあっては。
『嘘などついていない。何度聞いても、同じ事しか言わな……』
彼が再度否定しかけた時、ズン、と牢獄の空気が震えた。
レベッカが背負っていた大斧を抜き打って、床に叩き付けたのだ。
牢の中でエルフがつばを飲んだことにアルテミシアは気付いていた。
毅然と見上げている様子ではあるけれど、格子の隙間から武器を差し込んでも届かない位置へ、座ったままじりじりと後退していく。
『答えるない、選択、無い。命、要る? 要らない?』
「お姉ちゃん、やめて。あんまり怖がらせちゃダメ」
『時間、無い。考える、推奨。エルフ』
片言のエルフ語でレベッカが脅しつける。
それをアルテミシアは人間語で制し、レベッカは斧をしまって腕組みした。
茶番もいい所だ。
極めてポピュラーな尋問技法で『良い警官・悪い警官』というものがある。高圧的に尋問対象を脅しつける悪役を用意することで、間に入って仲裁する善玉は、尋問対象に親近感を持たれて口を割らせやすくなる。
言葉の問題もあるから、レベッカができるのは軽く脅す程度。どれほど効果があるかは分からないが、できることはなんでもしてみようと考えたのだった。
ちなみに、フィルロームの魔法でこの空間は防音がされている。
『ごめんなさい、わたし達は……何か酷いことが起きそうだから、それを止めたいんです。
あなたや、他の誰かに害を為したり、陥れることが目的ではありません』
半分は、自分が関わってしまったかも知れないという考えからの行動だが……敢えてこういう言い方をして、囚われのエルフに揺さぶりを掛けるアルテミシア。
次に彼が何か言い出そうとするその瞬間にかぶせるように、アルテミシアは手札を一枚切る。
『燃焼ポーションが密かに調合されていました』
『……何だって?』
言いかけた言葉を喉に詰まらせるような、一瞬の沈黙の後、完全に虚を突かれた体で彼は言った。
――よし、食いついた。しかも、この反応は……
知らない。
このとぼけた反応が演技だったら大したものだ。アカデミー賞を個人的にあげてもいい。
『それは本当か? ……誰が、どうして……どこで使う?』
『そこまでは。でも、誰かが燃焼ポーションを作ったことだけは確かです。
残留物が工房の器具から発見されました』
『そんな物を使う必要は無い、はずだ……森の外の平地へ討って出て、野戦を行うなら使いようはあるが、戦場は森の中であるはずだ。使うわけがない。
……いや、あるいは『改革派』が? 違う、それだとますます、戦いの場所は森の中に限られる』
牢の中で、エルフは考え始めていた。
『浮いてるんですよ。この燃焼ポーションの話。
誰が何のためにやったのか分からないんです。
死石の件も同じです。あなたが嘘をついているとすれば、ですけれど』
『ぬっ……』
『何か、わたし達には見えていない絵が、隠れています。巧妙に隠された何かの陰謀が。
それが、何をどうするためのものかすら、まだ分かりませんが……』
『う、それは……その、待て』
囚われのエルフは、頭を抱えるような仕草で激しく逡巡していた。
ただ単に迷っていると言うよりも、必死で状況を推理して最適解は何か考えている様子だった。
ガツン、とレベッカが牢の格子を蹴飛ばして、悩んでいたエルフは顔を跳ね上げる。
『……腕、切る、可能。血、なくなって、死ぬ、までに、答える、られる』
「ストップ」
ジャリ、とわざとらしく音を立ててレベッカが斧を構え、エルフは一瞬、ぴくりとすくむ。アルテミシアは再びレベッカを制した。
『のう、若いの。あんたはなんでまた、『改革派』とやらに組みしたんだい?』
じっと聞いていたフィルロームが口を開く。
……アルテミシアはフィルロームに『適当な所で話の方向性を広げてくれ』という曖昧なお願いだけしてあった。
こういう場合、フィルロームは重要な所だけで喋る方がいいだろう、というのがアルテミシアの考えだった。喋れば喋るほど愉快な本性が見えてくるが、黙っていれば尊敬されるのだから。
『里を想っての事じゃろう。それとも誰か、家族や想い人のためかね。今よりマシな暮らしができると思ったからかね。……なんだっていい。あたしらを手伝うことは、あんたの考えにも沿うはずだよ。
あたしらはもう、知っていることを話した。次はあんたの番じゃないのかね。点と点を結ぶものが見えれば、何か分かるかも知れない』
フィルロームの言葉にも、エルフの囚人は相づちを打ったり頷いたりはしなかった。
それは逆に、フィルロームの言葉を聞いて深く考え込んでいるためのようでもあった。
『何故か燃焼ポーションが作られていたという話……
あなた方は、その謎を解き明かそうとしているのですね』
『そうさ。時間は無いがね』
『何者かの利益のためではなく、ただ悲劇を予見して、と……』
『はい、そうです』
念を押すようにエルフが聞き、アルテミシアとフィルロームが応じた。
彼は、観念したように軽く首を振る。
『……おそらく、死石の件は、あなた方の期待に添える情報ではないでしょう。
ですが……燃焼ポーションの件と関係があると、あなた方が誤解していては、分かることも分からなくなってしまう』
『と、言いますと……』
『死石は、エウグバルド様の手にあります。
クーデターが成った後、人間の軍隊を追い返すため……巫女でなくば封じることのできない“獣”を呼び出し、襲わせるのだと』
――やっぱり、エウグバルドさんか。
半分は予想していたアルテミシアだった。
囚われているこのエルフが、エウグバルドの弟子のような立場だったことは、とうに調べが付いている。部族側からの尋問でも、おそらく、その点は執拗に聞かれたはずだ。
だからこそ警戒させないため、核心とも言えるエウグバルドの名前をここまで出さなかった。
ようやく聞き出せた情報だが、死石を盗んだのがエウグバルドだと分かった所でその先が分かるわけではない。
話が繋がらないという点では変わりが無いからだ。
『あの、その話って……秘密なんですか?』
『ああ。エウグバルド様は、あれは独断でやらねばならぬとおっしゃっていた。『改革派』、そして次代の族長たるヘルトエイザ様に罪を負わせはせぬと。
これを知っているのはエウグバルド様と、私だけだ』
臭いな、とアルテミシアは直感した。
エルフ達は皆、部族社会の中でそれぞれに別の仕事を受け持っている。
公的に人を動かせない『改革派』側は、個別に協力者を作ることで、部族社会を運営するシステムに寄生して蠢動している。ポーション工房の担当者に協力させ、非公式なポーションを作っているように、だ。
では……そうやって触手を伸ばした『改革派』に、さらに寄生することもできるのではないか?
『あくまで……これは疑いじゃなく、仮定のようなものとして聞いていただきたいんですが』
『何だ?』
『『改革派』に賛同した個人をバラバラに取り込んで……特別な仕事と偽って、自分のための何かをさせたら、『改革派』によるクーデターとは全く別の絵を描けると思いませんか?
組織立って動いていないから、下請けをひとり捕まえても、残りの動きがバレる事は無い。それぞれに説明された理由に整合性が無くても、問題にならない……』
『まだ疑っているのか、エウグバルド様を』
『証拠はありません。ですがエウグバルドさんは既にひとつ、独断行動をしている。
次のひとつがあり得ないとは言い切れません。
まして、エウグバルドさんは薬草をある程度調達できる立場で、しかも街へ度々出ていますので、調合材料となる化学物質も調達しやすいはずです。……火を出すポーションは薬草だけじゃ作れません』
『それは……エウグバルド様はそのような事を…………するとして、何のためだ』
しない、とは言い切らなかった。
他人の心に絶対は無い。何を考えているかなど、完全には知りようがないのだ。
『分かりません。もし燃焼ポーションがエウグバルドさんの差し金だったとしても、死石の件とつなぎ合わせるには材料が足りない』
『そして残念ながら、時間も無さそうなんだ。あんた以外に、似たような立場の奴が居るか。居るとして、そいつを探し出せるか……』
『そう、か。だろうな……』
おそらく、何かが起こるとしたら戦いの最中であるはずだ。
『改革派』がこれを好機とクーデターを仕掛けるのと同じように、何者かが動く。それまでに残された時間は、もはや長くない。
『ひとつ……聞いて欲しい』
針の山を踏むような苦悩の表情で囚人エルフが言った。
『エウグバルド様は、“獣”の強さについて研究していた。
例えば、出現周期と強さの関係について個人的に統計を取っていた。
前に“獣”が出てからどの程度空いたかによって、何が変化するのか……
歴戦の戦士が経験によって知りうる事を形にしようとしていた』
『そんなことをしていたんですか』
『それだけじゃない。
……"獣"を強めることはできないか、という話を、以前していた。
"獣"は魂を啜る。別にそれで強くなったりはしないが……その習性を利用して、何かを、例えば強い魔力を付与した魂なんかをエサにすれば……』
『それって……』
『……胸糞悪い仮説だ。
だがな、"獣"を呼んだところで、人間の兵を蹴散らせるかは別の話だろ』
彼が言う通りで、アルテミシアも気にしてはいた。
“歪みの獣”にとどめを刺せるのは巫女だけだ。弱らせた隙に魔法で消し去らなければ、“獣”はやがて力を取り戻してしまう。
しかし……ただ体力を削るだけなら巫女は不要なのだ。再生する度にダメージを与えていれば、封殺する事はできる。
数百数千の領兵団に“獣”一匹でどれほどの事ができるかと考えれば、それは分からない。
だとすれば、エウグバルドが本当に人間の軍を追い返すために“獣”を使うなら、“獣”を強化する手を講じることは筋が通っているとは言える。……筋が通っているとは、言えるのだ。
『……お前たちが倒した"獣"。あれは妙に強かったな。確かにしばらく"獣"が出ていなかったが、前哨地を突破するほどだなんて……
警戒の態勢だって、“獣”がしばらくご無沙汰だと強くなる。長く“獣”退治に関わった戦士は、その加減が分かってるから、前哨地が壊滅するなんてことは滅多に無い。そんな話は76年生きた俺が過去に2回しか聞いていない。
エウグバルド様は、統計上あり得る範囲の強さだと言っていたが……』
慎重に、言葉を選んでいる様子の発言だった。
アルテミシアは息を呑む。
『それって……』
『……やっぱり燃焼ポーションの件とは繋がらないし、不確かな推測だし……あまり、考えたい事じゃない。俺は、エウグバルド様がそんな事をする方だとは思いたくない。
例えそれが、大義のための実験だとしてもだ』
本番で成功するかどうか分からないものを、いきなりは使えない。それは、エウグバルドが考えそうなことだった。
だが、人命の浪費すら厭わぬというのであれば……何をしようとしているのか疑問符が付く。
『……余計に混乱させたかも知れない。俺も分からんのだ。師を信じるべきか、疑うべきか』
『いえ、言ってくださってありがとうございます』
『お前が予想する通り、ろくでもない事を誰かが……我が師でないことを願うが……誰かが企んでいるのなら、どうか、止めてほしい』
『力を尽くします』
アルテミシアの答えに、囚われのエルフは疲れ切ったようにほほえんだ。
* * *
「で、どうすんだい?」
再び見張りの目を眩ませて牢を脱出した一行。
大樹に巻き付いた階段のようなツルを登りながら、フィルロームは前を行くアルテミシアに聞いた。ここは牢のある地上から、樹上の集落へ向かう通路だった。
ちなみに、エルフ語があまり理解できないレベッカが、話の内容を聞いたのは牢を出てからだ。
「……"獣"と炎に備えます。他に何があるか分かりませんが、少なくとも来るのが分かっている部分を止められれば……パーツひとつダメになった機械がピクリとも動かなくなるみたいに、全体を止められるかも知れない」
「上等さね。やっぱりあんたは肝が据わってる」
カラカラとフィルロームは笑った。
誉められたのはまんざらでもないアルテミシアだったが、これから何が起こるか分からず、その場で最適な対処をしなければならないというのは……比較的、胃に悪い。
「"獣"が相手ですから、フィルロームさんにもお手伝いをお願いすることになりそうですが……」
「いいじゃないか、とことん付き合うとも。
やっぱり、あんたのショーを最前列で見てるよりは、自分も舞台に上がる方が、あたしにゃ向いてそうだ。もっとも、演目はずいぶんと方向性が変わっちまったがね」
皮肉るようにフィルロームが言う通りだ。会話劇だったはずが陰謀劇になって、この先パニックホラーになるのか、アクション超大作になるのか分からない。
それでも、関わってしまった以上、もはや見過ごせないというのが、アルテミシアの決意だった。
囚人エルフ君の名前が出て来ないのは、単に名前を出すタイミングを逸したからで、特に意味は無いです。
3回も出て来たのに……
今のとこ1回限りの交易商のオッサンとか自分視点のシーンまで貰ってるのに……