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9-37 柿を買うなら現金で

 木々の間に蜘蛛の巣状の通路が架けられている、そのはるか下。

 エルフの里を流れる小川は、まるでそれ自体が青い宝石であるかのような不思議な色合いだった。

 森に立ちこめる薄青いモヤが映り込んでいるのか、はたまた川底の苔のためか。ただ流れる水にすら幻想を宿す川の畔で、ふたりが釣りをしていた。


「アルテミシア。貴女は、周囲の者全てが自分より馬鹿に見えて、うんざりすることがありませんか?」


 小川に垂らした釣り糸を見ながら、エウグバルドは問いかける。

 隣で、今の体にはちょっと重い釣り竿をなんとか支えていたアルテミシアは、唐突な問いに首をかしげる。


「頭の良さにも、いろいろあると思いますが」

「確かに。……そうですねえ、この場合私が言いたいのは……限られた材料からも状況を判断し、先々を見据えながらも今必要な事をする……窮地にも怯まず取りうるべき手を考える……知略や、機転とでも言うべきものですよ。

 私は他人を見ていて、『何故そんな愚かな事をするのか』と苛立つことがある。

 自分よりも愚かな者の行動を予測するのは面倒です。なかなか最善手を取ってくれない。相手がどの程度愚かなのかを、まず計算に入れなければならない」


 ――なるほど。これだけ頭のいい人なら、そう思うこともあるのかも。


 ひるがえって自分はどうだろう、とアルテミシアは無理やり走馬燈を呼び出す。

 この世界に来てからというもの頭を使う機会は多かった。集団行動するにしても、なんとなく頭脳担当っぽいポジションになっている。何故だか不思議と、危機に際して機転が利いた。小さく、か弱い体で死線をくぐり、生き延びるためにはそうするしかなかったとも言える。

 だがそのことで、自分が他人より優れていると思ったことは無かった。そんな事で自分と他人を比べようと思わなかったからだ。


 本気で自分が世界一賢いと思っていたのは、前世で中学生くらいの頃。まあ要するに14歳病ちゅーにびょーだ。


「そうですね。思ったことはあります」


 周りが、クラスメイトも担任の先生も社会を構成する大人達も、みんな馬鹿に思えて、自分が世界で一番正しくて賢いような気分になった。その手の幻想は、成長して精神的に落ち着き、多くの人間と出会うに連れてぶち壊されていく。


「でも、すぐに分かったんです。その時の自分に分からなかっただけで、自分より賢い人はいくらでも居るんだって。

 自分を賢いと思うのは、自分より賢い他人を正確に判断できなくて、そういう人がいくらでもいるって知らないほど物知らずで……その結果じゃないかなって。

 もちろん、これは私の場合、ですけど……」

「いやはや、謙虚と言いましょうか……どことなく哲学的だ」

「『無知の知』っていう思想らしいです。自分がどれだけ物知らずか知る事も、賢さのうちだっていう」


 正確にはちょっと違うかも知れない。


 エウグバルドは遠い目で川の向こうを見る。川縁の調理場は、この里で唯一、石造りの建物だ。キャンプ場のバーベキュー小屋みたいな東屋めいた構造の建物の中でエルフ達が立ち働き、のんきな煮炊きの煙が上がっている。

 アルテミシアはエウグバルドの横顔を伺った。彼の苦悩に共感することはできなかったが……この答えで、彼は何か得るものがあっただろうか。


「時々……考えていたのですよ。私がもうひとり・・・・・・・居てくれたら・・・・・・、と。別に同等同質でなくてもいい、私に付いて来られるだけの誰かが居れば……」


 その言葉は、ほとんど独り言のようだった。

 粘り着くように苦悩の色が浮かぶその言い草は、仕事ができすぎる人特有の悩みみたいで、似たような話を聞いたことが無くもなかった。


 束の間の沈黙の後、何かを振り払うように首を振って、エウグバルドは立ち上がる。

 ついに何もかからなかった竿を挙げると、慣れた手つきで釣り糸を巻き取った。


「さて、いよいよ戦いが始まるようです。こちらも兵の配置が整い、領兵を迎え撃つ。

 はじめは敵の第一陣を釘付けにし、その間に、非戦闘員と共に客人である貴女方にもお逃げいただく……という段取りですが」


 エウグバルドは、悪い顔でウインクする。


「おそらく、そういう事にはならないでしょう」

「はい」


 最初のひと当てで、エルフの兵が敵と戦っている間に、エウグバルド達は行動を起こすのだ。

 さすれば、この里には革命が起こり……あくまで副次的な効果としてだが、はるばるハルシェーナの森までやってきたアルテミシアの戦いにもひと区切り付く。


 もちろん、これから起こる戦いで流される血について、思う所が無いわけでもないのだが……

 この状況で自分に戦いを止められるなんて思い上がってはいない。できるのは漁夫の利を得ることと、善後策として多少の慈善活動をする程度だ。


「エウグバルドさん。もしよければ、調合のお手伝いをしたいんですが。『改革派』のこっそり調合じゃなくて、部族に協力する形で。治癒ヒーリングポーションが、たくさん必要になるでしょうし」


 治癒ヒーリングポーションは、戦闘のまっただ中で使うのみにあらず。

 戦闘後、エルフ兵の治療にはもちろん。捕虜にされた領兵にも供されるだろう。

 治療が行き届かないばかりに死んでいく者の数は、確実に減るはずだ。


「おや、よろしいのですか? 大助かりですよ、こちらからお願いしたいくらいです。

 私の方から工房に話を通すまでもないと思いますよ。ここしばらくの滞在で、貴女方は十分、部族の者達に受け入れられたでしょう」

「分かりました。では……ご武運を。それと、できればなるべく傷付く人が少なくなるように、お願いします」

「保証は致しかねますが、それは私も望む所です。では、これで……」


 うやうやしく礼をするエウグバルドは、やはり吸血鬼のような……

 はるか昔に生者ではなくなり、活き活きと死にながら生きているかのような、不思議な雰囲気だった。


 * * *


『ごめんくださーい』

『あら、お客人よ』

『ふわふわちゃんが来たわ』


 戦いが始まるらしいとの報を受け、里のポーション工房はにわかに活気づいていた。ポーションは生鮮食品ではないが、さすがに何年も保存できるわけではない。ある程度の備蓄を常備したうえで、必要な時に作り足さなければならないのだ。


 そう広くもない工房の中は、エルフ達がひしめいていた。作業中のエルフの中には、既に話をして顔見知りになっている者もあって、アルテミシアが姿を現すと、好意的に迎えてくれる。


『こんな所に何かご用?』

『調合のお手伝いができないかと思いまして。わたし、薬師なんです。戦いになれば、怪我をする人もたくさんいるでしょうから、力になれないかな、って』

『あら、本当に?』

『調合できるの?』


 微妙に腰が引けているエルフ達。


『あなた、いくつだったかしら』

『えーっと、11……です』


 周囲を代表したひとりの質問に、ちょっと苦笑しながらアルテミシアは答えた。

 答えを聞いたエルフは、うーん、と難しい顔をする。


 長命なエルフにとって、まだ体の成長も止まらないような歳……つまりティーンエイジくらいの青少年は、人間にとってのそれ以上に『子ども』という意識が強い。11歳の子に調合道具を渡すなんて、彼らにしてみれば赤ん坊にマッチで遊ばせるようなものだろう。


『これでも普段は、公立のポーション工房に勤めてるんです。ひと通りの調合はできます』


 困ったときの勤め先情報。大企業に派遣されていたときは、これで助かったりしたなあ……と前世のことを思い出すアルテミシア。


『そう……それじゃ、ちょっとやってみてくれるかしら』

『調合道具、まだあるー?』

『洗ってきたばっかりのやつなら』


 猫の手も借りたい忙しさのせいか、心配そうな顔をしながらもエルフ達は受け入れてくれた。

 追加の椅子が運び込まれ、調合机のスペースがこじ開けられて、まだ洗ったばかりで湿り気のある調合道具一式が運ばれてくる。


 早速席に着いたアルテミシアは、乳棒で乳鉢の底をトンと突いた。


 洗浄が不十分で、前に調合したポーションの成分が残留していることは、実は少なくない。かなり執拗に洗浄を行わないと、完全に洗い流すことは不可能だからだ。

 アルテミシアはチートスキルの能力で、洗浄が十分かどうか確認することができる。まだ成分が残っていれば、乳棒で乳鉢の底を突く行為が調合と見なされ、例のコクピット表示が出て来るのだ。

 デリケートな調合をする場合、残留した成分が原因で失敗することもあり得る。治癒ヒーリングポーションならかなり雑に作ってもなんとかなるが、これは癖のようなものだ。


 と、その瞬間まさにアルテミシアの眼前に、調合効果の表示が出現した。

 水洗いされたことでかなりうすまっているが、最も高い数字を示すのは【燃焼】の効果。確か、火炎瓶のように爆炎を放つ、取扱注意のポーションだ。


 ――んー、同じ回復系のポーションなら混ざっても基本的に大丈夫だったと思うんだけど……これはどう干渉するか分かんないし、替えてもらった方がいいかな。


『すいません、この器具……前に作ったポーションの材料が残ってる、と、思うんですけど……』

『あらそう?』

燃焼バーンポーションとか作りませんでした?』

『うちじゃ、そんなの作らないわよ』


 しまった、とアルテミシアは思った。

 この工房で普段、燃焼バーンポーションを作らないのは、考えてみれば当然だ。


 この里へ来てからというもの、炎を避けるエルフ達の暮らしぶりをアルテミシアは目の当たりにしている。それは、いささかやり過ぎなほどであった。思うに、『森を傷つけるもの』の象徴としての、炎に対する嫌悪もあるのだろう。

 川縁に石で作られた調理場の他に、エルフが炎を使う場所は無い。火を通した料理を食べること自体、あまり多くない。お茶すら、水の元素魔法で沸騰させたお湯を使うそうだから徹底している。

 室内の明かりも魔力灯ばかり。まして、魔法に長けた種族であるのに、炎の元素魔法は習得すらしない者が多いという(フィルロームは例外中の例外だ)。森での訓練が許可されないからだ。


 工房の人が知らない調合……おそらく、『改革派』の関係者が勝手に器具を使って調合したのだろう。アルテミシアに言い当てられたことで、内心ドキドキしている協力者がその辺に居るかも知れない。


『そ、そうですね……気のせいだったかも。ごめんなさい』


 慌てて前言撤回したアルテミシアだったが……思い直して青くなった。


 ――待って。……ちょっと待って!? どこに、燃焼バーンポーションを使う要素があるの!?


 今回の戦いは、エルフ達にとって防衛戦だ。森の地の利を生かし、身動きが取れない人間の兵達を攪乱し、討ち取る。そもそも、時間はエルフ側の味方なのだ。こんな事態に発展すれば、まずレンダールは仲裁に乗り出す。それまで耐えればいいし、適度に勝っておけばその後の交渉では優位に立てる、というのが長老側の見立て。そして、その隙を突こうというのがエウグバルド達『改革派』の作戦だ。

 いずれにしても、森の外縁部を戦場とすることは変わりなく、森の中に居る限り、炎で戦うことなど許されないはずなのだ。湿潤なハルシェーナの森が、そう簡単に山火事を起こすとも思えないが、だからと言って、森で火を使う作戦など……森を傷つけることが明白な作戦など、エルフが立てることはあり得ない。正規兵は当然として、『改革派』が私的に使うことも考えにくい。


 ならばクーデターのために使うのか?

 あり得ない。それは里を焼くと言う事だ。被害の大きさもさることながら、『改革派』がそんな事をすれば、残りのエルフ達は心情的にも長老側に傾くはず。エウグバルドがそんな作戦を立てているとは思えない。


 ――仮に、これを作ったのが『改革派』側だとすると……どこで、何に使うため?


 いくら協力者になったと言えど、エウグバルドが全てを自分に話したなんてアルテミシアは思っていない。信用の問題ではなく、そうする必要が無いからだ。

 だとしても、エウグバルドから聞いた話から推測する限り、どこで炎を使う必要があるのか見えてこない。

 何か、彼の話に、致命的な嘘でも含まれていない限り…………


 ――まずい。なにかある。なにか、とんでもないことの片棒担がされていたのかも……


 背筋が凍る想いだった。時間が無かった。

 戦いが始まれば、その混乱と危険の中で真実を探り出して対処することなど、困難を極める。全ての結果が出るまで座して眺めるしかなくなってしまう。


『ねぇ、ふわふわちゃん……』


 アルテミシアに声を掛けようとしたエルフのひとりが、驚いた様子で動きを止めた。


『……すごい集中力……』


 鬼気迫るほどの様子で調合を続けるアルテミシアに恐れをなしたかのように、彼女は身を引いた。この歳で薬師を名乗るだけはある、とか思っていたりするのだが、勘違いである。


 幸い、わずかな残留物は問題にならず、アルテミシアの乳鉢からは、次々と治癒ヒーリングポーションが生み出された。

 ……手では治癒ヒーリングポーションを作りながら、アルテミシアは全力で別の事を考え続けていた。

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