9-36 フール・オン・ザ・ヒストリー
時として歴史は、バカが動かす。
「レンダール王国軍、統合情報部。セルジオ・フォン・ブラックだ」
「歓迎致そう、ブラック卿。私はマークス・フォン・ミエトゥーネン・ツー・カイリ」
アルテミシア達が交易ギルドのお偉いさんとの会談に同席している頃、カイリ領城の一室では、こちらもまた重要な会談があった。ただし調度品の豪華さと悪趣味さではこちらの方が勝っていた。
当事者の片方は、この領と城の主、カイリ領主マークス。
まだ四十手前という比較的若い領主であり、病に倒れた父からこのカイリ領を受け継いで三年目。体の横幅と威厳がちょっと足りないような男で、外見上の印象は、この歳になっても『服に着られている』感が抜けない。
これまでの三年は大過なく、さりとて目を引く功績も無く、父が為した事の縮小再生産に日々励んでいるような調子だったが、本人はそれに満足していなかった。
父を超えようという野心が有るのではなく、単純に、より儲けを出したいのだ。俗物的な欲が強いのだ。ひとつ儲ければふたつ儲けたくなる。自分の懐に入る金が増える。その延長として領を富ませるなら、客観的に評価しても悪くない政治家だと言えるだろう。
だがマークスは、目の前に儲け話がぶら下がっていると、それが危険なものでも、怪しい話でも飛びついてしまうという、少々タガの外れた性格であった。
対するセルジオに関してはもはや語るまい。
「今日、ここへ来たのは他でもない。ハルシェーナの森のことだ。兵を動かしておるそうだな」
セルジオがそう切り出すと、マークスは身を堅くして身構えた。
カイリ領は先代も先々代もさらにその前も、ずっと領内のエルフにどう接するかが大きな問題だった。王国の方針で自治権を保障しているが、思い通りにならない連中が領内に居ると言うだけで面倒くさい。
本当なら領内どこからでも利益を引き出せるはずなのに、エルフのせいで穴を開けられている……と考えるのが、マークスという男だった。
それ故に、この機にどうにかしてエルフ達から利益を引き出そうと兵を動かしているのだ。
しかし、それが国にとってはあるまじき事態なのだと理解する程度には、マークスは分別が付いていた。
王国側は、エルフと交渉をするだけでもかなり気を遣って事に当たる。
まして、領兵に森を攻めさせるなんてもっての他だ。
戦いになれば、国はまず仲裁に入る。それまでに利益を奪うための橋頭堡を築き、いざ国が止めに入ったときに言い逃れが出来るような状況も作っておく、やり過ぎないようにもする、というのがマークスの考えだ。
まさか機先を制して情報部が首を突っ込んでくるなんて……というのが正直な感想だった。
レンダール王国軍の統合情報部は、かつて国王直属の間諜組織であったものを、すこしばかり日の当たる場所に再組織化したものだ。国家の方針に直接関わる立場であり、特に秘すべき交渉などに裏から関わる事もある。
ゲインズバーグの方であった例の事件で、対応のために国は動いている。
そのための段取りとして情報部が活動しているのは、ちょっと考えてみればおかしくなかったし……領兵の動きから意図を察して、余計なことをするなと止めに来るのはあり得る話だった。
だが、セルジオの言葉は、マークスが思っていたのと180°逆の方向を向いていた。
「素晴らしい!」
「はぁ……?」
「あの腐れ耳長どもに鉄槌を下すのだな! 大いに結構!」
興奮して身を乗り出しているセルジオの勢いに、むしろマークスの方がついて行けなかった。
「では、領兵を動かすことに賛同なさる、と?」
「無論だ! 森に火を掛けて、女子どもに到るまで殺し尽くせ!
いや、殺すだけでは生ぬるいな。見せしめにするのだ。拷問の果てに殺して、首を晒しものにするのだ! 目に物見せてやれ!」
セルジオは、つばを飛ばして熱弁する。乏しい語彙の罵倒を聞きながらも、マークスは既に頭の中でそろばんを弾き始めていた。
これは願ってもないことだ。国側もまさか本気で森を焼いて皆殺しにするまでは考えていないだろうが(そんな事をしても1グランにもならないどころか、戦費の分だけ損をするからだ)、カイリ領が動くことで国側の交渉にも何か好影響があって、それを期待しているのだろう……と、マークスは解釈した。
国が行けと言ってくれたなら、未だに慎重論を唱えている、父の代からの臣下達も説得できるだろう、と。
だが実はここにひとつ、不幸な行き違いがあった。
セルジオは情報部としてこの場に来ているわけではなく、目的は個人的に、耳長どもの横暴を訴えて、奴らに正当な裁きを下すよう焚き付けることだった。
対してマークスは、セルジオの主張が、統合情報部による軍事行動の黙認……お墨付きであると勘違いした。
表沙汰にはできない王国の本音を、こうした形で伝えたのだと思い込んだのだった。
そこには、もちろんマークスの願望が入っていたことも否定できない。人は誰しも、自分に都合が良いように事態を解釈したがるものだった。
「必ずや、やり遂げましょう。森のエルフ達にも、もう少し、王国に対して協力的になって頂くとしよう」
「うむ。だが、やるなら徹底的にだ。徹底的に、な」
ふたりとも、自分の思う通りに事態が動いていると思い、上機嫌だった。
時として歴史は、バカが動かすのだった。
* * *
『湖畔にて瞑想する蔓草』の部族の里は、ほとんどが空中、一部が地上に作られているが、牢屋は地下施設となっていた。
地中をくりぬかれた、洞穴のような牢屋。土は幾重にも元素魔法を重ねがけされ、鋼鉄よりも固い壁と化している。鉄格子の代わりに、天井から床まで木の根が渡されているが、これもまた自然魔法によって強化されたもので、並大抵の刃物どころか、魔法すらはねのける。
そんな牢のうちひとつの前に、エウグバルドが居た。
「街から情報が入ったよ。どうやらカイリの連中、本気で軍を動かそうとしてるらしい。
向こうを爆発させるには、少なくともあと三手は必要だと見ていたんだがね……まあ、話は早いほうがいい」
語りかけられているのは、牢の中に居るエルフだ。
『改革派』の同調者であり、エウグバルドに個人的に目を掛けられていた若いエルフ。彼は“獣”を呼び出すためのアイテム、死石を、エウグバルドの命によってすり替えた張本人であり、今はそれがバレて捕らえられているのだった。
だが、そのような境遇にあっても、彼の目には希望が満ちていた。
大きな流れの中で自らが役目を果たしているのだという熱狂と使命感が、炎のように彼の胸中で燃えているのだった。
「では、いよいよなのですね」
「ああ。君が裁かれるより早く事態が動きそうで、幸いだったよ」
そう言って、エウグバルドは小さな石を取り出す。
すり替えられた死石の本物だ。実行犯が頑として口を割らなかったため、エウグバルドに累が及ぶことは無く、族長側に疑われつつも隠しおおせたのだった。
「じき、人間が攻めてくる。その隙を突いて、我々はクーデターを敢行する。
その後、人間どもを撃退できるならそれでよし。でなくば……彼らには絶対に倒せない『兵器』によって、強制的にお帰りいただく」
それは、つまり“獣”を呼び出して人間の軍勢にぶつけるという意味だった。
「……エウグバルド様。この話、ヘルトエイザ様には……」
「しないよ。何度も言ったようにね。
“獣”を使うなんて外道じみたやり方、これから族長となるべきヘルトエイザにはやらせられない。あいつを悪者にするわけにはいかないんだ。分かるだろう?
汚れ役は私だけでいい」
決然としたエウグバルドの物言いに、囚われのエルフはなおも何か言い縋ろうとしたが……その言葉を呑み込んだ。
「……ご武運を!」
「ああ。君の勇気ある行動を無駄にはしない」
それっきり、エウグバルドは牢に背を向け、エウグバルドの語った秘密の作戦を本物と信じ切っている、哀れなエルフを残して歩き出す。
カイリ領が何故か急に動き始めたことで予定が早まったが、都合が良い、とエウグバルドは考えていた。
――アルテミシア……あいつは想像以上だ、キレすぎる。
このままでは、俺の本当の企みにまで行き着いてしまうかも知れん。
死石のすり替えは、計画実行までバレないはずだった。あれは実際に使ってみるまでは偽物を判別しようがない。複数ある死石を順番に持ち出すのだから、気付かれるのはどんなに短くても1年後になるはずだった。
話によると、サフィルアーナが見抜いたとの事だったが……エウグバルドは、その影にアルテミシアの存在があると、ほぼ確信していた。そもそも彼女たちが死石の保管場所なんかへ来ることがおかしいのだ。何が端緒かは分からないが状況に違和感を抱き、さらにそれが"獣"の扱いに関わるものと察し、嗅ぎ回っていたとしか思えない。
慎重に、慎重に……長いスパンで物事を考えるエルフにとってすらうんざりするようなペースで、エウグバルドは計画は進めてきたのだ。
今になって、石をひっくり返して虫を見つけ出すように何もかも暴かれてしまっては、たまったものではない。
そのためには、彼女がこれ以上気付く前に、事態が動いてくれるのはありがたかった。
――駒になってもらうぞ。我らが里をよろしく、ってなもんだ。