9-35 勝兵は先ず勝ちて
ハルシェーナの森に最も近い人間の街・ハルシェは、領都リアーレに比べれば一回り小さいが、それでもカイリ領では指折りの大都市だ。
交易の要衝として栄えている街であり、ハルシェーナの森のエルフが作る伝統工芸品や貴重な薬草も手に入る。賑わいの絶えることが無い場所だ。
……普段なら。
現在、ハルシェの街の外にへばりつくようにして、領兵が野営地を作り駐屯している。
街の中でも領兵や、領兵団に雇われた傭兵の姿を多く見かけ、物々しい雰囲気が漂っていた。
理由はもちろん、密採者殺害事件に伴う緊張の高まりだ。一触触発の状況であり、エルフの攻撃があるかも知れないという理由で、カイリ領は領兵に警戒させている。
正確にはそれを口実にカイリ領が領兵を動かして、森に圧力を掛け、場合によっては武力を行使する構えを見せていると言う所だった。
街を流れる囁き声には不安と不満の色が濃い。ハルシェの街の者達にとってエルフは隣人であり、商売の相手だ。エルフ討つべしとの声が高まっているとは言えず、ただ純粋に、戦いが起こることを厭っているという雰囲気だった。
そんな街の中心部にほど近い場所。要人や貴族を客層とする高級旅館の最上階。王侯貴族の寝所もかくやという豪華な一室で、奇妙な会合が行われようとしていた。
「ご存知とは思いますが、改めて。私はエウグバルド」
切り出したエウグバルドは、人間の流儀に会わせた正装をしていた。
そのせいで余計に吸血鬼っぽく見えているわけだが、それはそれとして。
「ご丁寧にどうも。私はエドワード・ジャカール。カイリ領交易ギルドの顧問です」
エウグバルドに相対するは、交易ギルドの重鎮である老齢の男、エドワード。一見すると品の良い好々爺という印象を与えるが、海千山千の商人らしい、油断ならぬ気配も漂わせる曲者だ。
お互いに、相手の名前も所属も、その背後に抱える事情もとっくに知り尽くしている。この自己紹介はあくまで、初対面の礼儀だ。
ふたりは握手をすると、机を挟んで、座る者の体を取り込んでしまいそうなくらい柔らかなソファに腰掛けた。
「して、エウグバルド殿。そちらのお嬢さん方は? 護衛のようで、護衛でもないようで……」
話の前に、とばかり、エドワードは壁際のアルテミシア達に目を向ける。
そう、この場にはアルテミシア達三人も同席しているのだ。
平然としているレベッカ、豪華な部屋とこの状況にガチガチになっているアリアンナ、そしてアルテミシア。レベッカとアリアンナは防具こそ身につけているが、武器は(少なくともぱっと見では)持っていない。
エドワードの背後に立つ秘書(やたら体格が良いのでボディーガードなのかも知れない)は、アルテミシア達三人を油断の無い目つきで胡乱げに観察していた。確かにアルテミシア達は、このような会談の場には似つかわしくない存在だ。
「信頼できる者達です。この状況で私が街を歩き回るのは、要らぬトラブルを招きますのでね。メッセンジャー、また多方面との会談の段取りを整える調整役として、ここ数日、私の手足として働いてもらいました」
エウグバルドの言う通りで、彼と共に一時、森を離れた三人は、エウグバルドに言われるがままにハルシェの街を駆け回った。相手はいろんなギルドのお偉いさんやお役人、その他なんだか知らないけど偉い人などなど。
アルテミシアの仕事は、基本的にはエウグバルドの手紙を届けるメッセンジャーだった。お屋敷や各ギルドの建物などと、エウグバルドが滞在するホテルの間を、ポーションで体力を補強までして一日中往復した。
この世界には電話も無いし、魔法による通話も相手が使えるとは限らない。人と人のやり取りは、このような形になるのだった。
「今後、状況が切迫してきた場合、彼女らにより直接的に動いてもらわなければならない局面もあろうと思いますので……どうかお見知りおきを、と」
「ほほう」
アルテミシアを見て、エドワードは愉快そうに微笑んだ。
「信じられないほど可愛いメッセンジャーボーイが来たと、皆が騒いでいたが……なるほど、男装の少女であったか」
「人間の間では少年の仕事と相場が決まっているそうですが、生憎、男手がありませんでしたのでね」
アルテミシアの隣で、レベッカが笑いをこらえる気配があった。
どこかのお屋敷の使用人みたいなお仕着せ風の衣装も、『変成服』に取り込まれていたので、アルテミシアはそれを使ってメッセンジャーボーイに扮してみたのだが……
普段の少女らしい出で立ちと打って変わった男装姿。アルテミシア自身、鏡の中の自分にイケナイ感情を抱きそうになり、レベッカを卒倒させ、アリアンナはヤバイ目つきで迫ってきて、街を駆け回る間に合わせて4回襲われそうになった(犯人は全員ひどい目に遭わせてアルテミシアは逃走した)。
ちなみに今はいつもの服だが、髪だけは魔法で赤く染めている。緑髪はエルフと間違えられ、騒動になる可能性があると判断してのものだった。
「しかし、ふむ……失礼。三人ともお若いようだが、その信頼は確かかな」
エドワードの疑問に、エウグバルドは薄く笑う。
「人間は、我らエルフの生きる年月からすれば、みな子どものようなものですよ」
「なるほど、これはしてやられた!」
「年齢は関係ありません。死線をくぐり、修羅場を抜けた者は肝の据わり方が違う」
「ほう……」
エドワードの目つきが変わった、とアルテミシアは思った。
何気なく、話の流れでこちらを見ている風を装いながらも、鋭く観察している。
ちょうどいいタイミングと見て取ったようで、レベッカが一歩進み出て膝を折り、意外なほど優雅な動作で礼をした。
「はじめまして、エドワード・ジャカール様。私は冒険者のレベッカ。ゲインズバーグのギルドに籍を置いております。こちらは弟子のアリアンナと、妹のアルテミシア」
レベッカの名乗りに、エドワードは意外なほど強く反応し、腰を浮かせかけた。
「レベッカ? ……大斧使いのレベッカかね! ゲインズバーグ領の英雄!」
「そのように呼ばれております」
「なんとまあ……あの事件はこのカイリ領でも大いに話題になったよ。おかげでうちのギルドも色々あってね。時間さえあれば、じっくり話を聞かせてほしかったものだが」
「光栄です」
謙虚にお辞儀をしながらも、してやったりという雰囲気のレベッカだ。
交易ギルドの偉い人ともなれば、国内の大事件について知らないはずもなかった。
実際、これまでもレベッカの名前は何度か役に立っている。特に、冒険者ギルドに繋ぎを付けるときはレベッカの名前を出せば一発だった。これにはむしろエウグバルドの方が驚いたほどだ。
「いかがでしょうか? 彼女の身元に関して不審あらば、冒険者ギルドにお問い合わせになるがよろしいでしょう。少なくとも、誰とも知れぬ馬の骨にはございません」
「うむ、そうだな」
「この場に同席してもらったのは、先述の通り、彼女らだけで動いてもらう可能性を見越してのもの。
このような形でのご紹介は、人間の作法からは外れるやも知れませぬが、なにぶん、これは非常事態。どうかご容赦を」
無論、アルテミシア達もそのつもりで、交渉内容を把握するべくこの場に同席しているのだ。
エドワードも、ようやく得心が行ったようで膝を打った。
「あいわかった。では早速だが話をしよう。単刀直入に頼むよ。私はスケジュールの上では、今、自宅で昼食を取っていることになっているのでね」
「ご心配なく。すぐに頷けるようなお話しができると確信しております。サンドイッチを食べて食後の薬草茶を頂く頃には、もう一度握手ができるでしょう」
気障ったらしく、芝居がかった所作で手を広げるエウグバルド。
その姿は、やっぱりステレオタイプな吸血鬼に似ていた。
* * *
「つ・か・れ・たぁ~っ!」
エドワードとその連れが出て行って、足音が聞こえなくなるなり、アリアンナはソファに体を投げ出した。
「もう嫌、立ってるだけなのになんであんなに疲れるの!」
「こういうのも場数次第。慣れておくと便利よ」
エウグバルドと要人の会談に、立て続けに何人分も立ち会わされて、こういう場に慣れていないアリアンナはすっかり参ってしまったらしい。
これらの会談の目的は、仮にエルフの里で戦乱に応じて政権交代があった場合に備えた根回しだ。
人間社会に味方を作っておくことで、カイリ領側を牽制し、里の混乱につけ込まれないための布石。加えて今は、ヘタをすればカイリ領とハルシェーナの森が一戦交えることになりかねない状況だ。
戦のドサクサに紛れて主導権を奪った場合、『改革派』の第一の仕事は、カイリ領との戦いを調停し、後始末をすることになる。そのため、カイリ領に働きかけるルートを準備しているのだ。
協力者を集めるエサは、権益だ。商売の権利などと引き替えに、協定を結んでいる。無論それは、『改革派』の野望が頓挫した場合には白紙に返る話なので、あくまでも投資であり賭けである事を向こうも承知しているわけなのだが。
「ご安心を……これで当初の予定は消化し終えました。森へ戻ると致しましょう」
「だってさ、アリア」
「はー、やっと戻れるのか。マナちゃん、私達が居ない間、大丈夫だったかな」
「族長殿の側に何か動きがありましたら、こちらに報せが来る手筈です。敵対的な行動も、話し合いの席の提案も無かったようですね」
「……さすがに待たせすぎじゃないんですか?」
アルテミシアがそう言ったのは、焦れていると言うよりも、マナの件を脇に置いてバイトにかまけているという、ちょっとした罪悪感からだった。
そんなアルテミシアに、エウグバルドは苦笑のような表情を見せる。
「時間の流れに関しては、エルフの感覚と人間のそれが特に異なると思っていただければよろしいかと。
他に急ぎの用件があるのでちょっと待ってもらう、という範疇ですよ、これくらい」
「うわー、そうですか……」
「ゲインズバーグの工房が恋しいかしら? アルテミシア」
「まあ、今後のためには、あんまり仕事に穴開けたくないけど……そうじゃなくて、もっと短期決戦だと思ってたから」
実際、思わぬ長丁場だ。このままの調子では、こちらの世界に来てからゲインズバーグシティで過ごした時間よりもハルシェーナの森に滞在した時間の方が長い、なんてことになりかねない。
「でもでも、これでいいお土産ができたんじゃない?」
「まあ、ね……」
楽しげなアリアンナの言葉を受けて、アルテミシアはエウグバルドの方を見た。
「本当に、いいんですか? 星詠草の採取権なんて貰ってしまって……秘密の品でしょう?」
「構いません。いくつかある群棲地のひとつに過ぎませんし、元々、私達が実権を握った暁には、あれを売りに出す気でいたのですから。
もし根こそぎ取り尽くして苗床を殺すというなら与えることに二の足を踏みますが、貴女であれば薬草の扱い方も分かっているでしょう」
エウグバルドの答えはあっさりしたものだ。
アルテミシアがこの仕事の代価として求めたのは、秘伝の薬草、星詠草。
正確には、それを採取する権利だった。
ただでさえ価値の高い薬草だが、それ以上にアルテミシアが考えているのは、先日、調合してみて知った精神修復ポーションの存在。
これはアルテミシアの知識にもエルフの知識にも無く、レベッカも聞いたことが無いと言う。
つまり……新種である可能性が高いのだ。
これをレシピ化できれば、その功績を売り込んで、ギルドに対して大きな顔ができる。
工房で働き始めたばかりではあるが、一気に独立できるかも知れないと、皮算用をしていた。
もちろん、このポーションが世のため人のためエルフのためになるかも知れないという考えもある。
「我らの宿願が遂げられた折には、晴れて貴女のものです」
「ありがとうございます。
……それで、そうなる可能性……と言うか、機会が来る可能性は、どれくらいだと思いますか」
「高いでしょうな。残念なことに」
「!」
アリアンナが息を呑む。
さらりと言ったエウグバルドだが、つまり彼は、戦いが起こる可能性を示唆している。
アルテミシアが走り回っていた街の雰囲気だけでは、まだなんとも言えない所だが、エウグバルドはさらに物流などの情報を集めて、戦が起こりそうだと結論づけたようだった。
そうなれば、『改革派』は戦に乗じてクーデターを起こし、実権を握る。
それは『改革派』にとっては喜ばしい事、なのかも知れないし、マナの問題にも一発で片が付くが、同時に、戦が起こると言うことそのものを悲しく思う気持ちもアルテミシアにはあった。
「どうして、そんな風に……なるのかな。
魔物が攻めてくるわけでもないのに、人同士で、殺し合うなんて……」
アリアンナが悲しげに視線を落とす。多少達観しているアルテミシアよりもさらに、戦というものに心を痛めている様子だ。
アリアンナは、戦とは言えずとも、圧倒的な何かによる抵抗不可能な暴力によって父を亡くしている。
戦によって失われる命と、その家族に、心を重ねて悲しむことに不思議は無い。
エウグバルドは一瞬、アリアンナに何かを言いかけたようでもあった。しかし彼は結局何も言わず、書類を整理し始めた。