9-34 迷子の迷子のエルフちゃん
宴の狂騒に掻き消されてしまいそうな、くすん、くすんとすすり泣く声がする。
闖入者は、部屋で待っていたはずのマナだった。手短に描写するなら、顔から出るものが全部出ているひどい有様。
困り果てた様子のカルロスが、空中でおろおろとしていた。
「マナちゃん……」
「おねーちゃん。まな、もうおともだちとあそべないの? まなのからだが、おっきくなっちゃったから?」
「マナちゃん、何が……えっと、カルロスさん。何かあったんですか?」
帰りを待つのが寂しくなってしまったのだろうかと思ったが、どうにもそれは違うようだ。
マナをアルテミシアにパスして、あからさまにほっとした顔のカルロスが降りてくる。
『あんまり愉快じゃねぇ話っす……
なーんか急に『あそびにいきたい』って言い出して、偶然見つけたその辺の子供らに寄ってったんすよ。手芸やってる女の子達だったんすけどね。
子ども同士って感じの軽いノリで『いーれて』って……本人は自分のこと、子どもだって思い込んでるわけっすからね。
そしたら露骨に避けられて……』
おおよその流れを察したアルテミシアは、口の中が苦いように感じて、溜息を呑み込んだ。
巫女は『歪みの獣』との戦いの要にして、部族の宗教的指導者として尊崇される。部族から追われる身となったマナに対しても、むしろ戦いの犠牲者として同情的な意見が多く、巫女という立場であるが故の信頼は揺らいでいない。
ヘルトエイザのような気遣わしげな態度が、典型的なものだろう。
もちろんそれはマナにとって悲しい勘違いでしかないのだ。里に来て以来、外へ出ることさえ嫌がっていたマナが急に遊び相手を探したのは、外歩きをした反動で、自分を受け入れてくれる友達を探しに出たと言うことなのかも知れない。
だが子ども達は、大人達の微妙な気遣いすら持ち合わせていなかった。
推測でしかないが……魔法に失敗しておかしくなった巫女など、遠くにありてこそ想える被害者なのだろう。大人の体に幼女の精神という、異質でアンバランスな存在に、自分たちの領域を侵されたくないし、どう接すればいいのか分からない子ども達は……マナを排斥するなり、避けるなりするしかない。
「おうち、かえりたいよ……」
ぐしぐしと涙を拭いながら、マナはアルテミシアに体をすり寄せて来た。
きっと、日本にはマナと遊んでくれる友達だって居たのだろう。両親も待っている(と、マナは思っている)。
そこへ帰る道は、もう無いのだ。
アルテミシアは本人の望みによってこの世界へやってきたが、マナは違う。察する限りでは、複雑な事情によってわけもわからぬままこの世界へ放り込まれた。
理不尽の一言だ。生きていれば理不尽なことなどいくらでも起こりうるが、この理不尽は、三歳児には厳しすぎる。
アルテミシアは、言葉に迷った。
辛いだろうけど頑張れなんて無責任な言葉を、泣いている子どもにぶつけるようなマッチョイズムには賛同できない。
しかし、彼女への慰めは、どうしても欺瞞的にならざるを得ない。彼女が求めるものは永遠に帰って来ないのだから。
迷った末にアルテミシアは、マナを抱き寄せて(アルテミシアがマナの腰に抱きつく体勢になってしまうが)囁いた。
「わたしが、わたしが居るよ。わたしが居るから、大丈夫。
お姉ちゃ……レベッカお姉ちゃんも、アリアも、フィルロームさんも居るんだから」
「う……うう゛~~~~……」
「よしよし」
すすり泣く彼女の背中と言うか腰と言うかをさすりながら、アルテミシアは声を掛けた。
どんな結果も彼女に保証してあげることはできない。
ただ、それでも自分は味方になりたいし、同じように考えてくれるだろう人は居るのだと。
生きている限り理不尽は、いくらでもある。
それをアルテミシアは骨身に染みて知っている。
だからこそマナに同情したのかも知れないと思った。
「なんだなんだ、何が……」
そこへエウグバルドとヘルトエイザがやって来る。
ヘルトエイザはマナの姿を見て、立ち止まってちょっと身を正した。エウグバルドは痛ましげに目を逸らす。
「アルテミシア。サフィルアーナ様は……」
「すいません、さっき言ってたお仕事の報酬ですが、少しだけ前借りできませんか?」
マナを抱き寄せたまま、断固たる調子でアルテミシアは言った。
* * *
多くの材料が入り交じってどこか人工物的な香りとなる人間達の工房に比べると、エルフのポーション工房は、より自然な植物の香りが満ちていた。
あまり広くもない部屋の中は、棚や調合机が並び、スズランのような形の魔力灯でぼんやりと照らされている。さして遅い時間でもないが、残業をしているエルフは居なかった。
マナをなだめすかして、カルロスに預けて一旦帰らせ、アルテミシアはこのポーション工房へ来ていた。
「子どもに変身できる変身ポーションなぁ……あったかな、そんなもん」
アルテミシアの欲しい物を聞いたヘルトエイザは、腕組みして渋い顔をしていた。
ポーションの中には、全く別人の外見や、動物の姿に変身できるものがある。
中身相応の外見になれば、マナも子ども達に受け入れられるかも知れない。そうアルテミシアは考えたのだ。
ポーションによる変身は、あくまで一時的なものだが……それでも、一時の夢を見せることはできる。慰めにはなると思ったのだ。
「材料があれば自分で作れるんですが……」
「変身ポーションって言えば、ほとんど動物性の材料じゃなかったか?」
「エルフのポーションは薬草主体です。変身ポーションは自給していませんよ。
諜報用に少数、人間から購入しています。ですが、これは管理が厳重なので……」
うーん、とアルテミシアは唸ってしまった。
悲しむマナのために何かできればと思ったのだけど、これでは無駄足だ。
と、そこへヘルトエイザが一服のポーションを持ち出してくる。
夜闇のように深く濁った藍色のポーションだった。
「あんまり良い薬じゃないが……こういうのはどうだ」
「それは?」
「沈静ポーション。精神を沈静化させる」
「……用法用量間違えたら危なそう」
地球人としての感覚を持ち出すなら、子どもに対して使うのはちょっと二の足を踏むイメージだ。もっともマナの場合、体は大人だし、これは魔法の薬だから事情が違うかも知れないが。
ヘルトエイザも、苦笑するような、ため息をつくような、微妙な表情だった。
「だから、良い薬じゃないって言ったろ……だが、倍に薄めて飲ませりゃ、ほどよく効くんじゃねえかな。不安や動揺を抑える効果はある。
本来これは、魔法に失敗して精神をやっちまった巫女への応急処置に使うポーションだ。速やかに飲ませれば精神の自壊を止められる可能性がある、とかなんとか。今のサフィルアーナ様に、そこまでの効果は期待できんだろうけどな」
「できれば根本的に解決したい所ですが……今回はそれに頼りましょうか」
森にいる限り、マナの苦悩は続く。
事態が解決するまでの一時しのぎだと、アルテミシアは割り切った。
変身ポーションを使う手は、やるとしても人間社会に戻ってからだ。
「でもこの薬って、持ち出しちゃって大丈夫なんですか?
精神に作用するポーションって事は、門外不出のやつなんじゃ」
「んあ? ああ、フィルローム様からでも聞いたか、星詠草の話」
「ええ」
精神に作用するポーションと、その材料となる門外不出の薬草について、アルテミシアは旅の途中に聞いていた。
そんなポーションをこっそり横流しできるものだろうか、と思ったのだけど、ヘルトエイザはニヤリと笑う。
「それが、なんとかなるのさ。使った分、こっそり作り足しておけばいい」
「このポーションの材料は、全部森の中で採れるものなんですよ」
エウグバルドはそう言いながら辺りの気配を探り、他に誰も居ないことを確認してから鍵付きの棚を開けた。
薬ビンが並んだその奥に、エウグバルドが細い腕を突っ込むと……ふたたび腕が抜き出された時、その手には不思議な薬草が握られていた。
銀砂を散らしたように輝く、青々とした薬草の束だ。どうやら、これが星詠草らしい。
「部族内での私の仕事は、薬草の群棲地を管理することでしてね。この程度は役得としてちょろまかせるのです。もちろん、大規模に横領すればバレますが」
「調薬をしてるエルフの中にも、俺たちの協力者が居る。そいつに、まぁ、いいようにしてもらうってわけでな。俺達が持って行った分を、後から補充してもらえばいい」
なるほどそれなら上手く行きそう、と考えかけた所でアルテミシアは閃く。
「待ってください。でしたら今ここでわたしが、その薬草を使って調合しちゃえば、その方が安全じゃないですか? ほら、今なら誰も居ませんし」
はやる気持ちを抑えるつつ、アルテミシアは言った。
本音はどちらかというと、マナのために自分の手を動かしたいという気持ち。そして、見知らぬ薬草で見知らぬポーションを作るというシチュエーションに滾っているという気持ちが強い。
エルフ達はふたりそろってきょとんとした顔だ。
「レシピは調薬を仕事とする者達にしか伝えられませんので、私は材料しか知りませんよ」
「材料が分かれば十分なんです。レシピはどうとでもなりますので」
エルフ共は顔を見合わせる。
薬師を生業としていることは、一応言ってある。
だが、レシピ無しで調合を行える薬師など、普通は居ないし、これが経験豊富な老齢の薬師ならともかく、アルテミシアは(外見上)小さな子どもに過ぎない。
ほんの一秒ほどの逡巡。エウグバルドが、珍しくも本気で悩む顔を見せた。真意を測りかねているようでもあった。
「……できると言うなら、お見せください」
「やらせるのか? エウグバルド」
「私は彼女を嘘つきだとは思っていませんのでね」
「ありがとうございます!」
エウグバルドは再び、棚の奥に手を突っ込んで別の薬草を引っ張り出す。
調合机の上には、あっと言う間に色とりどりの薬草が並んだ。
調合用の乳鉢は、精密に木材を削って民族的な意匠を施した、森の外で売れば結構な値段になりそうな代物だ。乳棒もほぼ同じ。実用一点張りの味気ない調合道具を使い慣れたアルテミシアには、こんなものが使えるだけでもちょっと嬉しい。
――さて、さっそく星詠草とやらを味見しちゃいますか。
適当に葉っぱを一枚むしり取り、乳鉢に投入してぐりっと潰す。
途端、【神医の調合術】により、星詠草から発現しうる効果が眼前に列挙された。
精神に作用するものが、ざっと10個ほど。他の薬草との組み合わせ次第ではまだ増えそうだ。『高揚』や『鎮静』はまだしも、『洗脳』だの『意志消去』だの全体的に陰謀度が高い。物が物だけに仕方なし、という所か。
アルテミシアの目は、その中のひとつに吸い寄せられた。
――…………!!
まさか、そんなものが? とアルテミシアは驚愕した。
こんなものが作れるなら、どうしてこんな悲惨なことに? とアルテミシアは疑問に思った。
作れることに気が付いていないのか? とアルテミシアは疑った。
あるいは、効果が無いのか? とアルテミシアは訝しんだ。
心臓の音がふたりに聞こえそうな気がした。
動揺を押し隠して、頭をフル回転させながらも手を止めずに、薬草を混ぜていく。
「すげぇ。こりゃ確かに鎮静ポーションの色だぜ」
深く濁った藍色を見て、ヘルトエイザが感心する。
だがアルテミシアは、鼻を高くしている場合ではなかった。
「エウグバルドさん。この薬草……精神に作用するとのことでしたが、これを使って、魔法に失敗した巫女を助けることはできなかったんでしょうか?
精神を回復させるポーションを作る、とか……」
「そんな物が作れるなら、とうにやっていますよ……できるのは、不完全な応急処置と対処療法だけです」
エウグバルドの言葉は、泥にまみれたように重々しかった。
――そうか。それが、常識なんだ。
アルテミシアは星詠草を潰した瞬間、【神医の調合術】の力によって知った、その効果について口にすることを避けた。
迂闊に口外せず、慎重になるべきだと考えた。ともすれば、里をひっくり返しかねないし……今はそれどころじゃない。
――『精神修復』ポーション……
もし、字義通りの効果があるのだとしたら、悲劇のエルフ達をこのポーションで救えるかも知れない。そして、自分であればこのポーションを作れるかも知れない。
……アルテミシアは、このポーションについて黙っていたことが結果的に半分正解で、半分間違いだったことを、後に知る事になる。