1-9 凄惨職
「あああぁぁああああぁああっ!」
滅茶苦茶な悲鳴を上げながら、タクトは、鎧に覆われたレッサーオーガの腹部を張り飛ばした。顔を殴らなかったのは体格差のせいで届かないからだ。
軽く見積もっても70kgはありそうな体に、武具の重さが加わっているとは思えない、軽い手応え。
レッサーオーガは簡単に吹き飛ばされて地面に転がった。
――いける!
頭の全てが生き残る事を考えていた。自分にできる事と、しなければならない事が浮かぶ。
今、うまく倒せたのは、突き飛ばしたからだ。
鎧越しに殴って割り砕くのはきっと難しい。だったら、どうにか隙を作って攻撃するしか無い。
踏みしめた石畳をひび割れさせて、走り出す。
倒れたレッサーオーガに駆け寄ったタクトは、地面とサンドイッチするように、その頭を殴りつけた。
ゴムの塊みたいな外見の頭に、白くて小さな拳骨がめり込む。
頭蓋骨が砕ける感触があって、打撃はその奥にある柔らかな脳みそにまで達した。変形したレッサーオーガの頭からは目が飛び出し、穴という穴から血が噴き出す。
「な、なんだ? 倒したのか?」
「誰だ、あの女の子は!」
囲まれていた村人たちから、驚愕の声が上がった。
「ア……アルテミシア?」
「下がっててください、アリアさん……今の俺なら、あれを倒せる……!」
驚いた様子のアリアンナに返事をしたけれど、まるで自分ではない誰かが喋っているような気分だった。
「ギャゴグ!?」
「ゴグア、アガ、ギィイ?」
向かってきていた兵士姿の者達が、歩みを止め、奇妙な言葉を発する。
――やっぱり全部、魔物……!
タクトは素早く数を数える。鎗持ちがふたり。剣を構えているのが四人。武器を持っていないのがひとり。
歯車がきしむような言葉で何か短く相談した兵士達は、散開してタクトを囲む。そして、身の丈ほどの鎗を持つふたりが前に出た。彼らは手にしていた松明を投げ捨て、鎗を両手で構える。
いくら力があっても鎗の射程を前に戦うのは難しい。近づく前に刺されて終わりだ。
足下には、最初に倒したレッサーオーガの剣が転がっている。これでは射程が足りない分、こちらの方が不利なのは明白だ。
たしか剣で鎗に立ち向かうには、三倍の実力が必要だと何かの漫画で読んだ覚えがある。どっかのゲームでも、剣は斧に強くて鎗に弱い武器だったはず。
うまく鎗をいなす方法は、と考えたとき、タクトは、鎗と同じくらいの長さがある武器の存在に気がついた。
レッサーオーガの死体の片足を、タクトは両手で掴んだ。
「とりゃああああ!」
そして、それを振り抜いた。
ごう、と風を切る音がして、二本の鎗は死体が着ていた鎧に弾かれ、あわれ吹き飛んでいく。
遠心力で転びそうになったが、足の力を使って踏みとどまったタクトは、三歩踏み込んでもう一度、レッサーオーガの死体を振るった。
「ゴア!?」
「ギガア!」
鎧同士がぶつかり合う騒々しい音がして、ひとつの死体とふたりの兵士がもつれ合うように転がった。
勢い余って手からすっぽ抜けた死体の代わり、タクトは剣を拾い上げて跳びかかった。
11歳の少女でしかない自分の重さには期待できない。腕の力を利用して、逆手に構えた剣をまっすぐ突き下ろす。
兵士達が装備しているのは、顔面全てを保護するようなフルフェイスではなく、せいぜいヘルメットだ。顔を狙うには問題ない。
強化された膂力によって、剣はほとんど何の抵抗も無く、骨の隙間をぶち抜くようにして兵士の顔を貫いた。すぐに引き抜いて、隣で倒れている兵士にも一発。返り血がタクトの頬に散った。
剣を引き抜きざま、血に濡れた剣先で覆面を引っかけて取り除いてみると、やはり人間のものではない顔が現れる。こちらもレッサーオーガだ。
顔を上げた先で、村人達が歓声を上げる。
のんきなようだが、さっきまで殺されかけていたという極限状況からの解放なのだから、衝動的に叫んでしまうのも仕方はない。
振り向いて、すぐに剣を構える。剣術なんて、中学校の体育で一年間剣道をやった経験しか無いし、五段階評価の「2」が定位置だったレベルだ。全く使える気がしないけれど、とどめを刺す道具と、盾の代わりくらいにはなる。
敵は、剣を構えた「推定・レッサーオーガ」が四体。仲間が倒された事で慎重に距離を測っている。
そして……
――……一匹足りない?
「危ない、後ろだ!」
誰かが叫んだ瞬間、タクトの左腕を、鋭い痛みが貫いた。
透き通った太い氷柱が左腕を貫通し、ジャケットの左袖部分がボロボロにひび割れている。傷口の周囲は凍てついて霜が降りていた。
――これは≪氷矢≫! どこから……!?
転生カタログにも載っていた、初等の水属性攻撃魔法。氷柱を矢のように飛ばし、命中すれば凍傷を負わせるものだ。
ばさりと、布を広げるような音がして、タクトは天を仰ぎ見る。
松明の明かりが鎧に反射して、闇の中に何者かの姿を浮かばせた。
コウモリのような翼を広げ、周辺の家屋より少し高いくらいの場所に滞空する影がある。
――インプ!
こちらもまた下等な魔物。レッサーオーガよりも幾分やせ形で、人間の子ども程度の知能と、いくらかの魔力を持ち、魔法を操る妖魔。背中の翼によって飛翔し、相手の手が届かない空中から魔法でいたぶる戦法をとる。鎧を着たまま平気で飛べているのは、確か、飛行自体が魔力によってサポートされているからだ。
滞空のため羽ばたく瞬間を狙い、手にしていた剣を右手で鋭く放り投げたが、その剣はインプが回避するまでもなく狙いを外し、頭一つ分上を飛んでいった。
「くそっ!」
ポーチから抜き出した治癒ポーションを飲む。
すぐに痛みは引き、腕に刺さった氷柱は割れ落ち、腕に空いた穴は映像を巻き戻すように塞がった。
これで治癒ポーションの効果も証明されたが、このままではなぶり殺されるだけだ。
再び飛んできた氷の矢を横っ飛びに躱したが、その時にはインプは既に次の呪文を唱え始めていた。
――魔法なら使える回数に限界があるはず。それまで避け続け……いや、無理だ。
徐々に距離を詰めてくる、レッサーオーガらしき兵士が四体。
≪氷矢≫を避けながら相手をするのは難しい。
先にインプをどうにかしなければ。
――飛んでいる高さは屋根よりちょっと高いくらい。だったら、これ以上、上へ行かれる前に……!
身を翻したタクトは村長邸の壁に取り付いた。
体が軽い。このやせっぽちの少女の体に、魔法の薬で強化された膂力。壁の凹凸や、ひさしを掴めば、簡単に体を持ち上げる事ができた。
「来るぞ、避けろ!」
「つっ!」
下に居る村人がタイミングを教えてくれた。
一気に体を引き上げた瞬間、さっきまでタクトの背中があった場所を≪氷矢≫が貫いていた。登る速度に緩急を付け、回避したのだ。
そして屋根の上に飛び乗ったタクトからは、あまり変わらない高さにインプが飛んでいた。
呪文を唱えるのに夢中で、こっちを睨んだまま同じ場所で滞空し続けている。
そのインプめがけて、タクトは、屋根のできるだけ丈夫なところを狙って蹴りつけるように、踏み切った。
月を背負って、タクトは放たれた矢のように跳躍した。
インプの驚愕した表情がみるみる迫り、その体にタクトは抱きついて止まった。
「ギギャッ!」
勢いでインプの兜が脱げ、異形の頭部が晒された。
バランスを崩したインプが墜落しかけ、力強く羽ばたいて体勢を立て直す。
ふりほどかれてしまう前に、インプの背中にある翼の付け根に、タクトは手を伸ばした。
「りゃあっ!」
木の枝を折る程度の手応えだった。
小さく悲鳴を上げたきり、インプはもう羽ばたけなくなる。
翼の付け根をねじるようにタクトは体を入れ替え、インプの体を下に向けた。
一瞬の浮遊感。ひるがえるスカート。そして。
「っとお! 危ない!」
「ゲ 」
さっきよりも大きく、歓声が上がった。
インプをクッションにしつつ、足をたわめてタクトは着地した。石畳の上に頭から落ちたインプは首の骨を折り、半分潰れた頭から脳漿を撒き散らして動かなくなった。
あの高さから落ちた衝撃をタクトが殺せたのは、強化された膂力をうまく使ったからだ。体から落ちていたら怪我をしていたか、下手をすれば死んでいたに違いない。
これで残る敵は四体。
頭数が半減した事で、敵には明らかな動揺が見られたが、それでも退く気配は無い。
「領主様……命令……逆ラエバ、殺ス……」
それしか喋れないようで、ブツブツと同じ言葉を呟きながら向かってくる。
いくらポーションの力があるとは言え、こちらは武器も無く、ひとりだけ。インプの死体を振り回して、四体同時に相手ができるだろうかと考えれば、それは難しい気がした。散開されたら隙を突かれる。
――あいつらを相手に、うまく戦える武器は……
周囲を見回しても、死体以外何も落ちていない。大きな石や薪でもあれば、投げつけられたのに。
――……石?
「これだ! 村長さんごめんなさい!」
タクトはインプの死体を引きずって、鎧の部分からぶつかるように、村長邸の壁に叩き付けた。暖炉の煙突部分に当たる、レンガ積みの壁に。
夜気を震わす大きな音が響き、レンガとセメントの壁に穴が空いた。
崩れたレンガを拾い上げたタクトは、それをそのまま兵士の方へとぶん投げる。
今の腕力なら石ころくらいの重さにしか感じられないレンガ。勢いより狙いを重視して軽く投げたはずなのだが、かなりの勢いで飛んでいき、運良く一体の兜にぶち当たってへこませた。
死んだかどうかは分からないが、兵士は倒れてしまい、残りの三体は泡を食う。
続けて放り投げられたレンガが鎧で守られた腹部に当たり、さらに二体が転倒。残りが一体になったと見て取ったタクトは、数個のレンガを片腕に抱えて攻勢に出た。
剣と籠手で防御しようとする兵士に、ダッシュの勢いも乗せて、近距離からレンガを見舞う。かち上げ気味に擲たれたレンガは剣をへし折り、鎧兜を避けて上手いこと顔面にぶち当たった。赤褐色の質量兵器は兵士の半面をもぎ取り、兜を吹き飛ばした。
その頃には転倒した二体が起き上がりかけていた。さすがにこれまでの戦闘で、鎧に守られていない顔面を狙われている事は理解したようで、顔を守る姿勢で跳びかかろうとしてきた。
なのでタクトは、また腹を狙った。
鐘のように、鎧が鳴った。
近距離から全力で投げつけたレンガは、鎧が分厚いはずの腹部に当たってもヘコみ跡を残し、そして十分な衝撃を与えた。タクトの目の前で、兵士は耐えられずに身を折る。そうして下がってきた頭を、タクトはブーツで蹴り上げた。
吹き飛ばされてもんどり打った兵士は、最後のひとりを巻き込んで転倒した。残りのレンガを投げ捨てたタクトは、倒れた兵士が落とした剣を拾い上げ、組み付く。
そしてまず、さっき蹴飛ばした方ではない、未だ健在の兵士を突き刺した。味方の体に押さえ込まれて身動きが取れなかった兵士は、されるがままに黄泉路へ旅立った。
「つ、強すぎる……」
「あれは本当に、ただの子どもか?」
呆けたような声が、どこからか聞こえた。