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9-29 叫んだのはムンクじゃない

 アルテミシア達の宙ぶらりん状態は、意外なほど長引いた。


 理由は、アルテミシアどころではない大事件が起きたからだ。カイリ領から突きつけられた無茶な要求の件もあるのだが、それ以上に、警備兵と人間の密採者が衝突し、人間側に死人が出たという大事件が里を揺るがせていた。

 もちろん、その噂はアルテミシア達も知るところとなった。


「ああ、それヤバイわね。下手すりゃ戦争になるわ」


 とはレベッカの弁で、アルテミシアも同意だった。


 エルフ達にとって、密猟者や密採者は大きな問題だ。里のエルフ達はこの件に関して人間側を擁護せず、人間への怒りを燃やしていたが……里の上層部が頭を抱えていることは想像に難くない。

 仮に人間側の責任が明白だったとしても、エルフが人間を殺したというただ一点によって一触即発となりかねない。かと言って、これで人間側を許してしまえば密猟・密採に歯止めがかからなくなる。どう話をまとめるか難しい判断を迫られる場面だ。


「それでわたし達は後回しかぁ」

「どうすんの? このままじゃ無視されちゃうんじゃない?」


 客人へのもてなしとして差し入れられた見知らぬ果物を囓りながらアルテミシアは考える。

 二正面作戦を強いて漁夫の利を得ようと考えていたのだが、アルテミシア達に比べて外との問題が肥大化しすぎた場合、アルテミシアをひとまず無視して外の問題を片付けた方が楽という状態になることはあり得る。


「……順番が巡ってくるまで待ってもいいけど、せっかくだからその間に、もうちょっと手を広げてみよう。ぶっちゃけ、お姉ちゃんとアリアに頼みたい事があるんだけど……」

「私?」

「たち?」

「たちー?」


 何故かマナまで返事をした。


 * * *


『……そ、それまで!』


 レベッカの相手をしていたエルフ兵が剣を叩き落とされると、審判役のエルフは、上ずった声で試合を止めた。

 取り囲んで座り、見守っていた兵たちからは、落胆とも賞賛とも付かないため息が漏れる。


 森の中の開けた場所が、やぐらのようにツタを組んで囲われ、練兵場が作られていた。里のエルフ達は、ここで体と技を鍛え、『歪みの獣』と(時には人間と)戦う戦士となるのだ。

 そこへ、アルテミシア達は道場破りのごとく乗り込んでいった。


 客人と部族の者が武術によって交流する……というのは、まぁあり得ることらしい。

 動物の骨を削って作った訓練用の剣を借り、兵士を五人抜きしたレベッカは、まだ息ひとつ乱していない。


「打ち合ったらそれっきりじゃない。ヘナっちょろいわね」

『彼女はなんと言ってるんだ?』

『えーと……技と速さに頼りすぎ。ちゃんと力を付けろって言ってます』

『……ううむ。力で人間にかなわない以上、武器を交えるなら、体格差を速度で補うのが定石とされているが……』


 指南役らしい老エルフは、難しい顔で頷いていた。

 実際の所、レベッカは力に物を言わせるパワー型の戦士ファイターで、速度で対抗するのが正しい……ように見える。だがレベッカは歴戦の勘と技巧によって、待ちに徹すれば素早い剣も受けきってしまう。そして、手応えの無い軽い剣では、どれほど打ち付けたところで彼女の体力を奪えはしないのだった。

 隙を作らない高速の動きなど、いつまでも続けられるものではない。レベッカはそのチャンスをじっくりと待つだけでよかったのだ。


『『獣』を倒したというのも、ガセじゃあなかったらしいな……』


 誰かが呆然とつぶやいたもので、アルテミシアは心中ガッツポーズだった。

 まさに、そう思わせるためにここへやって来たのだ。


 『歪みの獣』を倒したという噂は広まっているが、又聞きの話ではそう簡単に信頼も尊敬もしてくれないだろう。

 レベッカは、義妹の欲目抜きに見ても素晴らしい戦士だ。その実力を示し、さらに戦ったことで友情が芽生えるトラジッショナル脳筋メソッドを利用することで、部族の戦士達から一目置かれる存在になっていてもらおう、というのが狙いだった。

 部族全体からのポジティブな評価を積み重ねることで、族長を追い込んでいく。真綿で首を絞めるような迂遠なやり方だが、どうせ時間はあるのだから、打てる手は打っておいた方がいい。


『……次、ゼギルシェール。やってみろ』

『はっ……』


 次なるチャレンジャーがレベッカの前に立ったところで


『『おおおお――――っ!?』』


 横合いから沸き上がった、悲鳴のような大歓声に殴りつけられ、ゼギルシェールと呼ばれたエルフ兵はずっこけそうになる。


『な、なんだあ?』

「お姉ちゃん、あれって……」

「射撃練習場の方よね。可哀想に」


 声が飛んできた方向には、低めの木によって長四角に区切られた空間がある。

 レベッカの声音は、かなり面白がっている調子だった。


 * * *


 人間からはしばしばエルフの代名詞として見られる、弓術。


 エルフにとって弓術とは誇りであり、『エルフの赤ん坊は歩くよりも先に弓を引く』とすら言われる。

 人並みに弓が扱えなければ、他の技量がどれほど優れていようと、未熟者のそしりを免れない。部族によっては最終的に弓の腕比べで長を選出することもあるほどだ。


 エルフの練兵場の射撃練習レンジは、人間のそれとは異なり、生い茂る草木の向こうにある的を射貫くものとなっていた。

 木々が邪魔をし、魔法で整形されたツタが射線を遮る。その合間を縫って、木の枝に引っかけられた小さな的を射貫くのだ。人間は見通しの悪い場所で射撃武器を使いたがらないが、エルフにとっては森の中で生き、戦うことが当然であり、それが弓の訓練にも反映されているのだった。

 そしてそこでは当然のように、アリアンナが惨劇を起こしていた。


 行射ラインの後ろの小屋に控える兵士達の表情は、驚愕、興奮、呆然、ムンク、絶望、呆然、驚愕、ムンク……

 弓を前にして『orz』ポーズの兵士と、ボディランゲージでおろおろと慰めるアリアンナ。

 アルテミシアが状況を察するにはそれでもう十分だったが、騒ぎを聞きつけてアルテミシア達の後を付いてきたエルフの兵士達には、何が何だか分からない。


『おい、何があったんだ……?』

『あり得ねぇ。十本撃たせたら100点しか取らないんだ、あいつ』


 ひとりが代表するように射撃練習場のギャラリーをしていた兵士に聞くと、投げやり極まる口調(ただひとり世界を救える勇者を目の前で魔王にむごたらしく殺された人ならこんな風に喋れるだろう)で説明してくれた。


 障害物の向こうに掲げられている的には同心円が描かれ、十段階に分けられていた。

 おそらく真ん中が10点だ。十本の矢を撃って100点と言うことは、全て真ん中に当てたと言うことで……それを証明するかのように、アリアンナの正面の的は中心だけが無数の矢に貫かれていた。


『百発百中? 冗談だろ』

『最初は、持ち込んだ弓に弾道補正の魔法が掛けてあるんじゃないかって疑ったんだよ。それで、練習用の弓を渡したんだ。それも、用意した奴がイジワルのつもりで、ちと歪んでるのを渡したんだが……』

『まさか』

『全部当てた。メンテもしてない、古い歪んだ弓で、全部当てやがった……』


 後から来た兵士達がどよめいた。


『嘘だろ』『どうやったんだ?』『おっぱい』『人間なのに』『本当に人間か?』『あの歳で』『でもおっぱい……』


 アルテミシアにしてみれば、これは当然の話だ。アリアンナの射撃は、当たる可能性さえあれば確実に当たる。自然と、そう狙ってしまうのだ。

 アリアンナの活躍を話していたエルフは、話を聞いた兵士達のざわめきを見て、虚無的に笑った。


『待てよ、まだ話は終わってねぇ』

『……まだなんかあるのかよ』

『人間にそれだけやられちゃ黙ってられない。次はレンジを障害物で埋め尽くして競うことを持ちかけたんだ。人間は平べったい場所でしか弓の訓練をしないって言うから、これなら勝てると思って』

『それで、当てたのか?』

『いや、やっこさん、ついに外した。的が見えないくらいに障害物だらけで……背も低いからな。あれは当てようが無い。途中のツタに矢が引っかかった。

 反対に、こっちはなんとか矢を当ててリードできた。ひょっとしたら、と思ったよ』


 その条件は確かにアリアンナに厳しい。物理的に当てられない状況なら、チートスキルも効果を発揮しないからだ。

 ならばどうしたのか。一瞬の間を置いてから、全てを諦めたように彼は語った。


『……曲射しやがった。山なりに矢を飛ばして、障害物を全部飛び越えて当てた。最初に横から的の位置を確認して、的が見えない立ち位置に戻って撃った。それが当たったんだ。

 結局、その十本勝負は90対7で終わった。どっちが90点かなんて聞くなよ。分かるだろ?』


 もはや聞く側も血の気が引いていた。これこそ本当にあった怖い話。


「……ぐっじょぶ、アリア。よく考えた」


 サムズアップすると、アリアンナは微妙に居心地の悪そうな笑顔を浮かべた。


「えっと……これでよかったの? アルテミシア」

「ちょっとやり過ぎかも知れないけどだいたいOK。『さて、次の挑戦者はどなたかいらっしゃいませんかー?』」

『お、俺……いや、やっぱりいい、です』


 アルテミシアはエルフ語で呼びかけたが、立ち上がりかけた兵士はまた座ってしまった。

 いかな弓の名手とて、常にパーフェクトスコアを出すチートを相手に勝てるはずは無いのだった。


「うははは! やってるね。鼻っ柱を居られた連中の顔ってのは、いつ見てもいい!」


 陽気で邪悪な馬鹿笑いが、沈みきっていた場の空気を逆なでしていく。

 だぶだぶのローブをかぶった、枯れ木のような、しかし矍鑠かくしゃくたる老婆が射撃練習レンジに姿を現していた。


「あれ、フィルロームさん。魔法の訓練を見に行ってたんじゃないんですか?」

「追い出された。全く、最近の若いもんは軟弱でイカンわい」

「だいたい何があったか想像は付きました」


 アルテミシアは、しごかれたと思しきエルフ達の冥福を祈った。


 ちなみに、レベッカとアリアンナの行動はアルテミシアの差し金だが、フィルロームの方はそうでもない。かつて巫女でもあり、先々代族長から『森の秘宝』を賜ったフィルロームは、一度部族を捨てたとは言え、部族内での名誉はカンストしていると言っていい。

 これ以上何かを見せつける必要は無いと思ったのだが、それでもこの人は勝手に動いて騒動を起こしている。


「ずいぶんとしょぼくれさせたもんだね」

「この辺りで切り上げます。あまりやり過ぎると本当にプライドを傷つけちゃいますから。後はこれの力に頼ります」


 アルテミシアは、持ってきていた空間圧縮バッグを示して言った。フィルロームはニヤリと笑う。


「森の外の飯、か。いいじゃないか。こいつらにゃ最高の贅沢だろうさ」


 スピード重視の強行軍だったおかげで、バッグの中にはまだ使い残した食料がたんまり残っていた。

 これを放出して、里にある食べ物も出してもらえば、ちょっとした宴会が開ける。

 力を見せた後は同じ釜の飯を食って仲良くなる。古典的だが、それだけに効果的だろう。


「フィルロームさんが持ってきたお酒も出したいんですけど、いいですか?」

「しゃあない。甘ったるい酒ばっかり飲んでる連中に、人間産はいい刺激だろう。

 ……しかし、あんた子どものくせに、よく酒にまで気が回るね。この辺の人間は、ガキにゃ酒を飲まさんだろう?」

「天狗の仕業です……」


 アルテミシアは曖昧に笑って誤魔化した。もちろんこれは前世の経験によるものだ。

 子どもの体には酒が良くないと分かっているから、こちらの世界に転生して以来禁酒しているが、本当はちょっと飲みたい。


「里の人達にも料理を手伝ってもらいたいんですが……」

「暇そうなのをあたしが引っ張ってくるとしよう。なに、族長が文句を言うかも知れんが構うもんかね」

「あはは……感謝しま」


 『す』まで言えなかった。


 カーン、カーンと半鐘のような鐘の音が突如として響き渡る。人に本能的な警戒心を抱かせるような、不穏極まる鐘の音だ。

 驚いていた兵士も、ムンク状態だった兵士も、緊張の面持ちで身構える。


「これは……!?」


 意味が分かっていないアルテミシアでも、よからぬ事が起きたのだと察するくらいはできた。

 火事でも起こしたか、でなくば……


「……『獣』だ。この鳴らし方は……近いね」


 珍しくも真面目な調子で、フィルロームは吐き捨てるように言った。

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