9-28 押し売り・チラシ・調査団お断り
ハルシェーナの森はエルフの領域であり、外部の者が入れるのは『太陽へ向かう燕』の里と、そこへ向かう街道だけだ。
……もちろん、禁じたからと言って、誰も入ってこないわけではない。
自然豊かなカイリ領は、数多の資源の一大産地だが、既に人間の手が入っている森と違い、エルフによって千年単位で魔法的に育てられた森は別格だった。
密猟や密採の対象として、うま味がありすぎる。
そして、エルフ相手の犯罪や自治領域の侵犯は確かに犯罪だが、そうした行為に人間達は比較的寛容だった。
森の中、足音を潜めて進んでいる(つもりらしいが、エルフから見れば不格好この上ない)野伏風の格好をした男が三人。全員人間だ。
「彼らは?」
離れた茂みから人間どもの様子をうかがいつつ、エウグバルドは隣の者に、静かに問いかける。
同じ場所に隠れているのは、『改革派』同調者のエルフだ。見習いの兵士で、軍略の才があると見てエウグバルドが個人的に目を掛けている(もっとも、彼は軍師の才こそあれど兵士としては半端者なので、指揮官級に取り立てられるほどの武功は上げられず、うだつの上がらない一兵卒として終わる可能性の方が高い……現状の部族社会では)。
「リストに名前があります。セドリックという男を中心とする密採団。徹底して薬草狙いのようですね。以前、コウモリゴロシの群生地をひとつ潰されています。根こそぎやられましたから、回復には時間が掛かるでしょう」
「悪質ですねぇ。星詠草さえ採られていなければ、まだ可愛いものですが。森への進入回数は?」
「推定七回です。うち、見回りと遭遇しての交戦が一回。兵がひとり、怪我をさせられています」
「前科持ちですか。実によろしい」
頃合いだ、とエウグバルドは思っていた。本当ならもっと粗暴な連中の方が良かったのだが、必要十分だ。
いつまでも手をこまねいていては、国側の連中もやってくる。
せっかく里に飛び込んできた最後のピースも、いつまでも引き留めてはおけない。目的を達成したらとっとと帰ってしまうだろう。
まるで示し合わせたように、全ての要素が重なって材料が揃っている。今が動くべき時だった。
「……本当に、やるのですか?」
リストを見ていた見習いが、不安げに聞く。
「やるとも。何が不安なんだい?」
「エウグバルド様を疑うわけではありません。しかし、これは……上手くいくのでしょうか。一歩間違えれば、それこそ、里は……いえ、森は……」
「もっともだね。なにしろ、私たちはこれから戦争を起こすんだ」
敢えてエウグバルドは物騒な言葉を選んだ。
聞いていた見習いはぞっとした様子で、唇を噛んだ情けない顔になる。
「血は流れるし、死人も出るだろう。だがこれは所詮、遅かれ早かれ起こっていたことだ。いつかは部族と、カイリ領のぼんくらどもが向き合わなければならなかった痛みだ。
ならばそれを、我々が利用できるタイミングで引き起こしてやったところで変わりはしないだろう。分かるかい?」
欺瞞だった。
しかし、信じたい者なら信じられる程度の説得力はあった。
「それに、いざとなればレンダールは事態の収拾に動く。カイリ領の連中が何をわめこうが、ね。それまでに里を変えるのが私たちの仕事だよ」
この点に関してはまるっきり欺瞞でもなく、エウグバルドはそれなりの確信を持っていた。
基本的に領内のことを考えていれば良いシャラ領に対して、レンダール王国はいかにして諸侯と民をまとめ、南の魔族と対峙するかという至上命題を抱えている。エルフと人間が争う内乱など、何より避けねばならぬ。
人というのは外部に敵を作れば、平穏無事で居るより遙かに容易く団結できるのだ。皮肉な話だった。
「行こう。……ポーションを流せ」
エウグバルドに断固として命じられ、見習いももはや後には引けぬと決意を固めた様子。
しまい込んでいたポーションの瓶を開栓し、その内容物を、静かに地面へこぼした。しゅうしゅうと音を立て、薄い白色の煙が立ち上る。
「≪送風≫」
エウグバルドの呪文に応え、生い茂る草が、一方向へ撫で付けられたように流れる。
気化したポーションを風に乗せて、密採者たちの所へ送り込んだのだ。
星詠草という草がある。
ハルシェーナの森のごく一部地域のみに存在する薬草で、森のエルフ達はその存在すら外部の人間に隠している。
これは調合法によって、精神に作用する、ありとあらゆるポーションの材料となる。
今、流されたのは、星詠草から作ったポーションのひとつ……熱狂ポーションだ。
摂取すると気分が高揚し、万能感に満たされ、さらに攻撃的になる。退くことを知らず、己の勝利と成功を疑わぬ狂戦士となる。『歪みの獣』に立ち向かう部族の戦士に使われることもあるポーションだった。
「よく見ておくといい。我々は今、歴史を動かしているのさ」
ひょうきんな言い回しをしながらも、エウグバルドはあくまで真面目くさって言い放つ。
いかに容赦ない手段を使おうと、里の未来のため、『改革派』のため、部族の者達のため、という態度をエウグバルドは崩さない。
その裏に別の狙いがあることなど、もちろん、他の誰も知らなかった。
* * *
ヒュッ……
ザッ!
「あぁ!?」
良い気分で森を進んでいた三人は、目の前の地面に突き立った矢を見て足を止めた。
さっきまで誰も居なかったはずの静かな森の中に、いつの間にか、十人近くの武装したエルフが立っていたのだ。
立ちこめる薄青いモヤと同化するように、そこに人が居るという気配を感じさせない兵士達は、ある者は弓を、ある者は杖を構え、いつの間にか三人を遠巻きに包囲している。
密採者が侵入した……
その通報を受けて急行した警備兵達だ。
「んっだてめぇら!」
頭目であるセドリックが吠えた。
彼の頭にあるのは『邪魔者が許せない』という程度の感情であり、他二名も同じだった。
「警告、スル。人間、武器、捨テロ。両手、上ゲロ。罪人。侵入者」
不自由な人間語による、しかし威圧的で敵意に満ちた警告が飛ぶ。
エルフ側にしてみれば、それは当然のこと。森を荒らされ、同族を傷つけられてさえいる相手だ。
もちろん密採者がそんな考えに理解を示すはずもないし、ポーションの効果で興奮状態にあるセドリック達は、商売の邪魔をされた苛立ちと、その邪魔者を痛めつけてやるという嗜虐的な喜びに満ちていた。
動かずに居る密採者達を見て、弓を構えたエルフ兵は、じりじりと包囲網を狭める。
しかし、ホールドアップしているのではなく、単に油断しきっているだけだった密採者達は、突然攻撃に転じた。
「死ねぁ!」
セドリックがナイフを突然抜き放ち、手近なエルフに向かって投じた。
そのナイフが好都合だった。
警備兵の中には『改革派』の同調者も居り、行動に関して指令を受けていた。
第一に、人間側に必ず死者を出すこと。第二に、できればエルフ側にも被害を出すこと。
彼は自分に向けて投じられたナイフを、敢えて避けないという決断をした。
――例え、この傷で死のうが本望だ!
そこまでの覚悟は必要なかったが……果たして、投じられたナイフを反射的に腕で払いのけるような動作を取ると、その刃は彼の右腕に深々と突き刺さった。
「ぐあっ! ぎゃああああっ!」
実際痛かったのは確かだが、ちょっと大げさなくらい痛がって、弓を取り落とした彼はへたり込む。
「こいつ!」
「放て!」
抵抗の意思有り、と判断した兵達は、既に引き絞っていた弓を放ち、次の瞬間、セドリックに四方八方から矢が突き立てられた(もしここにアルテミシアが居れば、タルに剣を刺して海賊を飛ばす某有名玩具を連想しただろう)。
ぐらり、とバランスを崩したセドリックは、地面に倒れるより早く絶命していた。
そんな様子を見て、残る二人の密採者は、さらに興奮状態に陥った。
「てめぇら、よくも!」
「ぶち殺す! ウヒッ! ウヒヒヒーッ!」
興奮のあまり、よだれをまき散らして笑いながら剣を抜いた彼らは、そのままエルフ兵に躍りかかった。
*
多勢に無勢。戦闘は短かった。
三人の密採者のうち、二人はその場で死亡。残るひとりは、両腕を潰されたうえしたたかに頭を殴りつけられて、ようやく動かなくなった。
エルフ兵達は、死体を死体袋に収め、負傷した兵と捕虜に魔法で治療し、戦いの後始末をしている。
その様子を、エウグバルドは魔法によって、少し離れた場所から垣間見ていた。
「上出来だ。こちらに怪我人が出たし、向こうには死人が出た。後は、彼らの荷物に人間の作る麻薬を忍ばせておけば、興奮状態だった密採者の挙動を訝しむ者があっても、納得するだろう。……長老どもが、そこまで気を回すとも思えないがね」
「では、成功……ですか」
隣では見習いが胸を押さえて息をのんでいる。
そう、成功だ。だがそれは、この先、大勢の命がかかった綱渡りが始まるという事を意味する。
「死人が出たとなれば、エルフを見下している人間連中は黙っちゃいない。それがたとえ密採者だったとしても……人間相手の犯罪者よりは好意的に見られるからね。
対して森側も、侵入者が同胞を傷つけたとなれば怒ることに正当性がある。
ただでさえ、無茶な要求を突きつけられている中での事件だ。さぁ、のっぴきならないことになるぞうぅ!」
余裕が無い見習いと引き替えに、エウグバルドは楽しげだ。
だが、エウグバルドは楽しんでいるわけではない。事態が自分の思う方向へ転がっていくことを喜んでいるのだった。
「エウグバルド様。どうか、褒め言葉として受け取っていただきたいのですが」
「なんだい?」
「貴方は、悪魔だ」
褒めると言いつつ糾弾するかのように、見習いは、尊敬するエウグバルドにその言葉を投げかけた。
やがて、エウグバルドは破顔する。
「ははははは! そうさ、その悪魔が君たちの味方なのさ。心強く思いたまえ」
悪魔という形容は正しいと、エウグバルド自身も思っていた。
なぜならエウグバルドは……『改革派』すらも利用して、巧妙に、もうひとつの別の絵を描いているのだから。