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9-27 遺影のごとく

 確かに『改革派』は若者中心の少数勢力だが、エウグバルドのように、ある程度歳が行っていて部族内でもそれなりの地位にある者は存在する。

 具体的にどんなやりとりがあったかは不明だが、彼らの取り計らいもあって、アルテミシア達はひとまず里の中を出歩けるようになった。

 族長側からのアクションは、未だに無い。それを良い事にアルテミシアは状況を引っかき回すつもりだった。


 最初の一手は、噂話。茶飲み話に井戸端会議。

 暇そうなエルフの集団を探しては、アルテミシアはそこへ混ざりに行った。


『こんにちは! ちょっとお話しいいですか? 里のことを知りたいんです』


 そうやってエルフ語で話しかけると、概ね戸惑いつつも了承してくれる。


 前哨地を破壊した、強力な『歪みの獣』と、それを倒した外部の者の話は、既に知れ渡っている。そんな刺激的な噂は、外界との交流が乏しいこの里にとって、類い希な娯楽でもあったのだ。

 テラス状になった日当たりの良い場所でお洒落なカフェめいたテーブルを囲んで座り、薬草茶を啜っていたエルフの女達三人組は、おっかなびっくりながらもアルテミシアに興味津々だった。余りのカップで、複雑怪奇な香りの薬草茶をアルテミシアにも供してくれる。

 たぶん、慣れれば美味しい、気がする味だった。


『あなた、お客人の人間さんよね?』

『はい。ちょっと面倒なことに巻き込まれちゃいまして、はるばる文句を言いにやって来ました』


 『獣』を倒した一行という噂ばかりで、細かい事情はまだあまり広まっていないらしい。人違いで(義)姉が殺されかけたことや、成り行きでマナサフィルアーナを助けることになった経緯を話すと、エルフ達はまず驚いて、それからいろんな表情を見せる。

 同情したり、後ろめたそうだったり、怒ってくれたり……だけではなく、何かの間違いだと言いたそうだったり、アルテミシアに対して引いた様子を見せたり。当然だが、族長の決断の正しさや部族の正義を信じているエルフも少なくないのだ。

 お茶を飲んでいた三人の反応は、ニュートラル。驚き呆れた様子で、部族の者が迷惑を掛けたという話に申し訳なさそうでもあった。


『そんな事情があったなんて……』

『それが、どうして『歪みの獣』なんかと戦うことになったの?』

『そうそう、どうやって倒したの?』

『森へ入ったら襲ってきたので、みんなで戦って倒しました』

『『『はぁ……?』』』


 まるでスライムを片付けたみたいにあっさりと言われては、唖然とするしかないだろう。

 付け加えるなら、その『獣』はアルテミシアひとりで倒したようなものなのだが……言っても信じないに違いない。


『ただ、最後に封印をしたのは、マナ……って名乗ってますけど、こっちではサフィルアーナって名前なんですよね。わたし達と一緒に来た、巫女様です』

『!』


 三人は揃って息を呑む。と言うかひとりは飲みかけていたお茶でむせかえった。


『サフィルアーナ様が?』

『でも、確かサフィルアーナ様は……』


 魔法に失敗して狂ったはずのサフィルアーナが。もう二度とまともに戦えないはずの巫女が封印を執り行ったと聞いて戸惑うエルフ達。


 ここでマナサフィルアーナの名前を出すのはエウグバルドの入れ知恵だったが、彼に言われずともアルテミシアはそうしただろう。

 部族の兵が倒し損ねた『歪みの獣』を、処刑される所だったマナサフィルアーナが封じたのだから、側近にまで難色を示されながら処刑を強行しようとした族長にとって、これはとんでもない皮肉な結果だ。

 話が広まれば体面に傷が付き、その信頼も失墜していく。まさにそれがアルテミシアと『改革派』にとって一致する利益なのだった。


『お客人、よろしいでしょうか。お呼び・・・です』


 お喋り中のテーブルに、鎧姿のエルフがひとりやってくる。もはやおなじみ、見回りで出会ったエルフ兵さんだ。

 エウグバルドが、という名前は出さなかったが、アルテミシアには意味が通じた。


『こんな時間にですか?』


 里の中で真っ向から族長に対する立場なのだから、夜にこっそり動くのではないかと思ったのだが、迎えのエルフ兵は首を振る。


『確かに吸血鬼のような外見の御方ですが、別に夜だけに活動しているわけではありませんので……』


 エウグバルドの外見に抱く印象は同じだったらしい。


『用があって来て頂きたいとの事です』

『分かりました。……では、失礼します。薬草茶、ありがとうございました』


 ぺこりと深く礼をして踵を返そうとした時、三人組のひとりがたまりかねたように呼び止めた。


『あの、ごめんなさい。最後にちょっとだけ、そのフカフカ頭、触っていい?』

『あ! 私も!』


 アルテミシアがそれを頼まれるのは、里に来てからもう六回目だった。


 * * *


 呼ばれて出向いた場所は、里の外れ。エルフ通りも、部屋の数も少なく、ツタをより合わせた橋がきしむキイキイという音まで聞こえるような、閑静な界隈だ。緑の匂いをはらんだ風が、やわらかく吹き抜けていく。


「あれ、お姉ちゃんにアリアも?」


 いくつかの橋が交差する場所に、エウグバルドだけでなく、レベッカとアリアンナも待っていた。


「なんか、人間に見せたいものがあるんだってさ」

「ごきげんよう、お嬢さん。作戦の方は順調ですか」


 相変わらずキザな芝居がかった所作で挨拶をするエウグバルド。この男は足の小指の爪を切る時すらキザに決めているに違いない。


「おかげさまで」

「エルフ垂らしよ、この子。私らだと近づくだけで警戒されちゃうんだもの」


 里のエルフ達とのお喋りをする事に決めはしたが、実際に動いているのはアルテミシアとフィルロームだけだった。理由はレベッカが言った通り。加えてレベッカはエルフ語が不自由で、アリアンナに至ってはさっぱりだ。


「半分はその髪のお陰でしょう。エルフにしてみれば親近感が湧くと言いますか……多少は森の心を理解してくれるのではないかという、根拠の無い期待を抱かれると言いますか……それに加えて、流暢なエルフ語を喋るとなれば」

「この髪ですか?」


 言われてみれば、右を向いても左を向いても緑の頭という世界。

 違和感なく混じれるアルテミシアはともかく、燃えるようなレベッカの赤毛や、輝くようなアリアンナの金髪は異質であり目立ちすぎる。

 その点で既にアルテミシアは有利なのだ。


「何より貴女は美しい」


 唐突なエウグバルドの賛辞に、アルテミシアは照れるよりも引く。


「よもやロリコンですかあなた」

「からかわないでください。私は年齢以前に、エルフの方が趣味ですよ。

 ……貴女は自分の美しさをよくご存知だ。そして、それを使うことを躊躇わない」

「武器として自覚したのは割と最近ですけどね」


 エウグバルドが『美しい』と表現したのは、単に彼がキザだからだろう。素直に表現するなら『可愛い』の方だ。

 『※ただしイケメン(と美人)に限る』は世界を越えても変わらぬ法則。だが、それ以上に可愛いは正義。イケメンや美人相手だとかえって警戒するような用心深い連中も、相手が子どもだと思えば案外油断してくれる。

 自分の容姿をあまり意識せず生きているアルテミシアだったが、使える時にはちゃっかり使っていた。


「……やっぱり武器だと思ってたのね」

「アリアンナ。あなたも自分の武器を自覚しなさいよ。ものすごいの持ってるじゃない。ふたつも」

「レベッカさんっ! そういうのせくはら・・・・って言うんですよ! 私、街に来て覚えたんですから!」


 その暴力的な胸部を抱えてアリアンナは真っ赤になる。

 ……彼女を慮って口には出さなかったが、アルテミシアもレベッカと同意見だった。


「さて、お喋りはこれくらいにしましょう。こんな昼間からお呼び立てしましたのは、他でもない。皆様に是非ともお見せしたい……いえ、会っていただきたい方が居るからです」


 エウグバルドはそれだけ言うと、自ら先に立って歩き始めた。

 女三人、顔を見合わせ、その細い後ろ姿の後を追った。


 * * *


 その部屋は白かった。

 アルテミシア達があてがわれた部屋から、里のほぼ真反対。他の部屋と同じような、ツタをより合わせて樹上に作ったもののひとつ。

 喧噪は遠く、風と葉擦れの音、小鳥のさえずりだけが聞こえるような場所だ。

 エウグバルドを先頭に入って行くと、エプロンドレスなナース服のエルフが恭しく礼をする。


「少し外してくれ」


 言われたナースエルフは、慣れた様子で部屋を出て行った。


「……エルマシャリス。今日はお客さんを連れてきたよ」


 エウグバルドが語りかけた先、静謐な部屋の窓辺のベッドに、ひとりの女エルフが横たわっていた。

 寝ているのではない。横たわっているとしか表現しようがなかった。男女問わず長髪が多いエルフの中にあって、美しい緑髪を短髪にされている彼女は……深緑色の目を眠たげに開いたまま、能面のように動かない表情で、息をしているだけだったのだから。


 不謹慎ながらアルテミシアはエロい人形ラブドールを思い浮かべてしまった。整った容姿、全く動かない体、そして生き物としての存在感の無さが原因だろうか。かすかな呼吸音が無ければ人形としか思えない。


 エウグバルドは彼女を抱き起こすと、大きなクッションを背もたれにするようにして座らせる。

 その間も彼女は脱力しきっていて首さえ座らず、指一本動かそうとしなかった。

 首がカクンと傾いた瞬間、花弁のような唇からヨダレがこぼれ、エウグバルドはサイドボードに置かれていた手ぬぐいで、それを優しくぬぐった。


「彼女はエルマシャリス。32年前まで、この里で巫女をしていました。もう察しは付いていると思いますが、死霊魔術に失敗し……そして彼女は、形式的に結婚する形で巫女の地位を退いた。以来、彼女はずっとここで生きて・・・いる。

 ……生きているんだ。生きる以外のことは何もしていない。心を失った彼女は、もはや何事にも反応しない。生物としては、彼女は生きている。だが……」


 独白のようなエウグバルドの言葉は、触ったら血が出そうなくらいに痛々しかった。


「失礼ですが、生かす……いえ、この状態の方を世話するというのは、どのように……」


 21世紀の地球なら点滴で栄養をぶち込んで、という事もできるわけだが、この世界の技術はそんな水準に達していないようだし、この病室にもそんな設備は見当たらない。


「固形物は摂取できないが、液体はなんとか飲ませることができるので、ハチミツを溶いた水や果汁、栄養剤系のポーションを飲ませ……それに魔法を合わせて、体が衰弱しないよう維持しているのです。この魔法、本来は死霊魔術に使う死体を保存する魔法の応用なのですが……」


 エウグバルドの言葉通りなら、彼女の命を繋いでいるのは魔法の力だろう。人の体は使わなければ衰える。魔法抜きでやってたら、とっくに衰弱して死んでいてもおかしくない。


 ベッド脇の棚には、飲ませるための口が長いガラスの急須みたいなもの(吸い飲みと言うらしい)と、複数の色を取り混ぜた多数のポーション。壁際のカゴには、洗いざらした布オムツらしきものが積まれていた。


 悲しく白く明るい部屋の中で、人間どもは沈黙する。

 エウグバルドは独演劇のように、おおげさに手を広げて言葉を継いだ。


「こうして、ただ生きているエルフというのが、里にはまだ居ます。精神に変調を来し、いわゆる座敷牢のような病棟に保護されている者の方が多いですが……

 巫女だけではない。『獣』と戦う兵士たちも、いつも命の危険にさらされている……

 避けられぬ犠牲があるというなら、それが自分や身内、同族でない方が良いというのは自然な感情でしょう? 分かち合うべきなのですよ。

 いくら『湖畔にて瞑想する蔓草』が、この森で封印を担う代価に特権的な地位を保証されていると言っても、貢ぎ物は長老の屋敷を飾るために使われ、死のリスクを背負うのは若者。それに納得していないエルフは多い。

 封印のノウハウが他所には無いと言うなら、教えればいいだけのこと。我が部族の戦士とて、生まれながらの戦士ではないのですから」


 しきたりだからとか、使命感だとか、意義だとか、そんな言葉では誤魔化せない悲劇。

 この里はいくつもの悲劇を飲み込んで、『歪みの獣』なる存在を封じ続けていた。

 だけどそれは、言ってみれば老朽化したダムみたいなもので。どこかで決壊するのは必然だったのかも知れない。


「……人間は?」


 アルテミシアが小さく言葉を発すると、エウグバルドは、小さく短く、息を吸った。


「化け物の封印を守るエルフの行動を、人間はどう思っているんでしょうか。このカイリ領の人間は」

「アルテミシア。やはり貴女は聡明だ。緑の髪が森の心に通じるという迷信……私も少しばかり信じてみたくなりましたよ」


 窓から差し込む光の中で、エウグバルドは寂しく笑った、ような気がした。細い顔が逆光に沈んで、よく分からなかったけれど。


「彼らは知らない」


 処刑剣を振り下ろすように、エウグバルドは言い捨てた。


「知る者はごく一部。森を深く知る者か、長老達と意見を交わすような上級の役人か……関心が無いのですよ、そもそも。我らが『歪みの獣』を森で封じ続け、森の外に被害が無かったばかりに、どれほど危機を訴えても彼らには響かない。皮肉なものです。

 『歪みの獣』を封じる負担に、何らかの代価を与えるよう、長老達はずっと主張しているが、人間達がそれを聞き入れた試しとて無い。

 もっとも、代価が支払われたところで、実際に兵となる若者達は負担に釣り合う恩恵など受けられないでしょうがね」


 もしあの『獣』が森の外に迷い出たら?

 その答えは火を見るより明らかだ。

 エルフ達の戦いによって、最大の利益を得ているのは人間ではないか、というのは、アルテミシアが最初から考えていた事だった。


 『改革派』がやっているのは、あくまで部族に向けた戦いであり、同じ森に生きる他部族のエルフ達に負担を分かつものなのだけれど、もしかしたら、彼らが爆発するほど鬱屈を溜めるまでには、人間どもの態度も無関係ではなかったのではないか、とアルテミシアは思った。


「どうか、覚えていて頂きたい……彼女は特異な例ではないのです。過去にも未来にも存在します」


 結局、何のためにエルマシャリスと引き合わせたのか、アルテミシアにどうして欲しいのか、エウグバルドは言わなかった。だがアルテミシアは察した。この現実を自分が知っているという事が、何かの布石になるのだと。エウグバルドが、そう判断したのだと。


 エウグバルドは、吸い飲みに注いだポーションをエルマシャリスに飲ませると、身じろぎひとつしない体を再びベッドに横たえた。


 エルマシャリスは、形式的な結婚によって巫女の地位を退いたと、エウグバルドは言った。

 その相手が誰なのかは言わなかったが、アルテミシアには分かるような気がした。そして、その『形式的な結婚』が、当人にとっては(ひょっとしたら心を失う前の彼女にとっても)特別な意味を持っていたのであろう事も。


「今日は、わざわざ来て頂きまして感謝します。次の行動や、森の外の動きに関しては、また何かありましたらご連絡差し上げましょう」

「はい。では……これで」


 もう彼らをふたりっきりにしなければならないような気がして、アルテミシアは辞去の礼をする。

 エウグバルドは背中を向けたまま軽く頷いた。

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