9-21 触らぬ主人公にイベント無し
街を抜け出してすぐ、未確認飛行テントは最高速での飛行を開始した。
急ぐ理由は何よりも、無補給で目的地まで駆け通すためだ。
街へ寄る危険は分かった。ならばゲインズバーグを発つ時に用意してきた分の残りと、リヤの街で買った分の物資。それが無くなるまでに、一気に目的を達することだ。
吹き飛びそうなテントは、マナとフィルロームの風魔法で支えた。
幸いにも、こんな乗り物を使っているので、就寝中でも動くことができる。(寝心地は悪いが)
普通に旅をすれば十日はかかる距離だったが、交代で操縦と見張りをしながらの強行軍で、わずか二日でカイリ領まで辿り着くことができた。
「自然豊かとは言ってたけど……豊かすぎ」
カイリ領を見たアルテミシアは、変な笑いが口から漏れそうになった。
暴走して人類に反逆したAI植樹ロボが、ブライス・キャニオン国立公園を全て緑色にしてしまったかのような場所だった。
自然豊かとか、そういう言葉を通り越して、圧倒的な自然の中に人間が間借りさせて貰っているだけという状況。高低差の激しい土地で、崖があるところ滝があり、そこかしこに鮮やかな虹が架かる。絶景かな絶景かな、これはもはや水と緑の暴力だ。
「ハルシェーナの森には、いくつかの部族が同居してる。中にはエルフ以外……まぁ、森の外だね。外から来る連中に開かれた里もあるんだ。まずはそこを目指すべきだろう」
フィルロームの提案に従い、一行は森を目指す。
そこら中が木だらけの地形で、未確認飛行テントは用を為さず、快適な旅はここまで。魔導機械は折りたたみ、軽くなった荷物を持って、自分の足で歩いて行くことになった。
* * *
ハルシェーナの森に住むエルフの部族のひとつ『太陽へ向かう燕』は、フィルロームによれば、『湖畔にて瞑想する蔓草』の部族に協力する部族で、その親戚筋に当たる。
ハルシェーナの森では唯一、森の外へ門戸を開いており、周辺の部族から仕入れた薬草やポーション、民芸品などを、主に人間相手に売る商売をしている。
森の外と関わって糧を得るやり方は、周囲の部族から下等なものと蔑まれていたが、それでも結局、ハルシェーナではこの部族が最も裕福なのだと聞いた。
鬱蒼とした……しかし、何者かにデザインされたかのように整然と巨大木が並ぶハルシェーナの森。
その浅い部分に、大きな窪地のようになっていて、木が生えず光の差す土地がある。
ここが『太陽へ向かう燕』の部族の里だ。
そこに、兵士がいっぱいいた。
編み籠を伏せたような外見の建物が並ぶ里の中で、金属の鎧を着けた人間達と、革の鎧を着けたエルフ達が巡回している。
里の周囲には歩哨が立ち、蔓草のアーチみたいな入り口の門では、商人らしき男が積み荷を検められていた。
占領統治下に置かれているという様子でもない。そも、警備はエルフと人間の合同だ。
要人が(ヘタしたら複数)滞在しているための、厳戒態勢だった。
「………………」
一行は、無言で回れ右をした。
* * *
「あれはカイリ領の領兵だね。国の側から人が来る前に、前もって事前の話し合いに当たっている……ってとこだろうか」
「動き速すぎ……」
「マナちゃんがどうなるかとは関係なく、とっくに動き出してたわけね」
もはやダンジョンと呼んでも差し支えなさそうな森の中にできた道を、一行は歩いていた。『太陽へ向かう燕』の部族の里と、カイリ領・ハルシェの街を結ぶ道だ。
巨木が緑の屋根を作り、直射日光があまり差し込まない森の中は、なぜか青白い霧が漂っているように見える幻想的な空間だった。
「里での情報収集は無理そうですね。かと言って、人間の街はもっと危険だし……
この道で適当に通行人を捕まえて話を聞きますか」
「行商人のひとりも、ふん捕まえられたらいいんだけどね。夕方まで待ちゃー、まぁ誰か来るだろう」
道の脇、苔むした大樹に抱き込まれるような場所に荷物を下ろし、アルテミシアたちは座り込み、幻想風景の一部となった。
こんな状況でもなければ、神秘に浸りながら森林浴でもしたい場所だ。少なくとも、通りすがりを待つ間、退屈はしないで済みそうだとアルテミシアは思った。
そして割とすぐにアルテミシアは飽きた。
素敵な眺めの無駄遣い。いくら美しい光景でも、何時間もその場に留まっていれば頭が消費し尽くして、ただの視覚情報となってしまう。
目下の所、アルテミシアにとって大切なのは、暇つぶしに始めたタイルズの盤上で、フィルローム軍の釣り野伏せにひっかかって包囲されかけている君主の駒だった。
「……強い」
「うはははは! 筋はいいけど勉強不足だね。大人しく負けを認めて、次から引っかからなきゃいいのさ」
「うー、生きて投了の辱めを受けずーっ!」
ABCD包囲網をどうやって抜け出すか、必死に脳みそをこね回していたとき、急にフィルロームが明後日の方向を向いた。
「おや、足音がする。やっとお目当ての通行人が来たようだ」
「本当ですか? わたしは何も聞こえませんが……」
まるで森そのものが音を喰らって育っているかのように静謐で、足音なんて全く聞こえなかったのだけど、フィルロームが言う通り、一分くらいして、アルテミシアにもそれが聞こえ始めた。
「助かったね、アルテミシア。勝負はお預けだ」
「この恨み晴らさでおくべきか」
「うははは、また今度な」
ニヤリと笑って、フィルロームはタイルズ盤を片付ける。こんな街の近くで、長時間留まっている素振りを見せては怪しまれるからだ。
* * *
交易商人であるジェイクは、その日、護衛の傭兵をふたりほど伴って、ハルシェーナの森にあるエルフの里からハルシェの街へ戻る途中で、奇妙な一団に遭遇した。
旅装、と言うか冒険者らしき武装を身につけた、女ばかり五人の集団が道脇で休んでいたのだ。
森へ出入りする唯一の道なのだから、他の商人や冒険者とすれ違うのは珍しくもないのだが、彼女達はひときわ目を引いた。
容姿が優れているというのみならず、存在感が違う。あの五人の誰ひとりとして、『その他大勢』という分類には入れられないだろう。
幻想の森に腰を降ろした彼女達の姿は、ジェイクが以前依頼を受けて運んだ、『神秘の森に戯れる妖精達』の絵(おそらく盗品)を思い出した。
画家なら筆を執るだろう。音楽家なら旋律を、文筆家なら描写すべき言葉を生み出すだろう。芸術的な感性に訴えかける光景だった。
特に、あの緑の髪の少女はどうだ。
あの歳で既に完成されきった美貌の持ち主であり、そして成長するにつれて、とりどりに異なった色合いの美しさを見せることが既に約束されていると言っていい。
何より顔つきがいい。子どもらしい稚気に彩られながら、年齢不相応な包容力と知性を感じさせる。そんな非現実的な存在が肉体としてそこに存在する奇跡。
どんなに買い叩かれても3000万グランは下らな…………
――いかんいかん、昔の悪い癖だな。俺はもう、人買いからは足を洗ったんじゃないか。
心中、ジェイクは苦笑した。官憲との追いかけっこ、盗賊ギルド同士の抗争に疲れ果て、売り上げを手に高飛びしたのが五年前の話。堅気の商売を始めたけれど、いい商品を見かけると値段を見積もってしまう癖は抜けていない。
もし彼女を商品にできたなら、人買いとして一世一代の大仕事になっていただろうが。
「こんにちは、商人さん。街へ帰る途中ですか?」
近づくと、その緑の髪の少女がジェイクに声を掛けてきた。
「あぁ、こんにちは。そうです、街へ帰るところで」
「わたし達は、里へ行く所なんですよ。今は休憩中で……よかったら一緒にお茶でもいかがでしょうか」
「それはありがたい。では、ご相伴にあずかりましょう」
言いながらもジェイクは、ちょっと奇妙に思っていた。
この一団、最も幼いはずの彼女が主導権を握っている。代表してジェイクに声を掛けたのもそうだし、周囲に断りもせず、勝手にジェイクをお茶に誘って、周りは文句ひとつ言わない。
考えられるのは、貴人のお忍び旅、その従者と護衛といったところだが……それにしては、少女の所作からは、礼儀作法を叩き込まれた貴人の匂いというのが感じられない。
アルテミシアと名乗った少女は、ジェイクと傭兵ふたりに薬草茶を振る舞った。
カップを手渡す時、ジャケットの広い袖口から、ミスリル製と思われる籠手が覗いたのを、ジェイクは奇妙に思った。
「ジェイクさんは、商売のために里へ?」
「ええ。私は森で手に入らない物を仕入れてエルフに売り、そこで民芸品などを仕入れては森の外で売っているんですよ。
ですが、今は何かあるらしくて、出入りが制限されていて……エルフの商人もろくに来ていないんで、売るのも仕入れるのもうまく行きませんでした。商売あがったりです」
ジェイクの話を、アルテミシアは興味深げに聞いていた。
見目麗しい少女が真剣に自分の話を聞いてくれるというシチュエーション、誰だって悪い気はせず口が軽くなる。ペースを持って行かれそうで、ジェイクは心のどこかでブレーキを掛けた。もし彼女に悪意があれば、容易く嵌められてしまう。
「……そう言うあなた方は、何のために?」
「この森でしか採れない薬草があるというので、それを探して。わたし、薬師なんです。もし未知のレシピとか、未知のポーションを発見したら、その功績をギルドに売り込んで、自分の店を持てるんです」
アルテミシアの言葉には、よどみが無かった。
確かに、この森のほとんどの部分はエルフの支配領域で、そこには人間が知らない薬草もあるとか言われている。
話の筋は通るが、それはジェイクの疑問を晴らすような答えではなかった。
なぜ彼女のような子どもが、そんな真似を?
彼女と他四人の関係は?
あの、何か仕込んでいるらしい籠手の意味は?
好奇心がうずく。だが、そういう時ほど詮索しない方が良いのだということを、ジェイクは身に染みて知っていた。曲がりなりにも若い頃から裏の世界で生きてきた、その中で培った勘が、こいつらに深入りしてはならないと言っている。よく言うではないか、『ミミックは開けなければ襲ってこない』と……
「それはそれは……」
ジェイクは、あまり興味が無いように装った。
「ジェイクさん、森で仕入れたものとか、里で売るはずだった商品とか、ありますよね。よかったら見せてもらえないでしょうか。気に入ったのがあったら、買いたいんです」
「願ってもないことですが、民芸品なら里へ行けば買えると思いますよ」
「目利きはできないもので」
アルテミシアに言われるまま、ジェイクは、木彫りの人形や牙の腕輪、森で売るはずだった宝石などを開陳した。
確かに女の子が喜びそうな品ばかりで、見ているだけで楽しいだろうとは自負しているが、『気に入ったものがあれば』と言ったアルテミシアは、そんな風に他愛なく買い物を楽しむ様子ではなく、ウサギを追う猛禽のように、何かの目的を持って商品を物色していた。
「ところで、ジェイクさん」
商品を見ながら、何気ない様子でアルテミシアが聞いてくる。
「なんでしょう?」
「この森によく出入りしてるなら、森で起こっていることとか、よく知ってたりしますか?
エルフさん達と交渉するに当たって、向こうの事情が分からないんじゃ、大変なんで」
確かに、人間相手に秘されている薬草を貰おうというのなら、面倒な交渉になることだろう。
よもやお茶に誘ったのもこれが目的だろうか、と、ジェイクはふと思った。
いずれにせよ、大したことを知っているわけではないが……
「あたしらは他所の出だからね」
一緒に居るエルフはガイドかと思ったが、ジェイクの疑問を先回りするように、エルフの老婆が言ってきた。本当かどうかは分からなかった。
「……里の出入りが制限されてる事情は知りませんよ」
「じゃなくて、もっと一般的な話で……森の中の社会の趨勢というか、そういう……」
「だったら『湖畔にて瞑想する蔓草』の派閥抗争ぐらいですかねぇ」
「あ、それ詳しく聞かせてください」
それは、エルフの里に出入りしてる人間ならだいたい知っているレベルの出来事だ。
宗教儀式の負担を巡って、森中の部族を巻き込んだ騒ぎになっているとかいう事だったが、ジェイク自身も話に聞いただけで、具体的に森の中で何が起こっているかまでは知らない。
「……なるほど」
小さな指で、なめらかな唇を撫でて、蒼玉の瞳が虚空を睨む。アルテミシアは何か考え込んでいる様子だった。
その姿は震えが来るような美しさだった。年相応に『可愛い』のではなく『美しい』。人買いとして多くの商品を扱ってきたジェイクゆえに、上っ面より少しは深いところまでは見通して……そうして抱いた感想だろう。
眼福だ、とジェイクは思った。金勘定すら抜きにして美しいものを愛でるという感性が、自分に残っていたのだと気付かされた。同時に、恐怖……いや、畏怖した。
――何が見えている……?
……彼女はきっと、常人の尺度では測れぬモノ。迂闊に手を触れようとすれば塵に変えられてしまう……そんな根拠の無い死の予感に彩られた、届かぬからこそ尚、魅力が際立つ魔性の美だ。
「ありがとうございますジェイクさん。買う物も決まりましたよ」
そう言ってアルテミシアは、こともなげにそれなりの金を出して、宝石と民芸品をいくつか買い上げた。
ジェイクにしてみれば、これで思いがけず良い商売ができた形だが、喜ぶよりも、この得体の知れない状況から早く離脱したかった。
狐につままれたような気分で、街に着いたら一杯引っかけて早いとこ寝ちまおう、と強く決意した。
値段なんぞ見積もってみたが、きっと彼女は、ジェイクの手に負えるようなタマではない。
この出会いはきっと、彼女を『商品にできたら』なんて思ってしまう自分への戒めだ。あんな仕事に戻るんじゃないぞと、輪廻の女神が戒めを与えて下さったのだとジェイクは思うことにした。