9-20 暴風域の周りは強風域になるだけ
エルフの部族『湖畔にて瞑想する蔓草』は、レンダールのやや北西寄り、自然豊かなカイリ領の中央付近に存在する。
広大なハルシェーナの森の、ハルシェーナ湖付近に里を構え、その人口(エルフ口?)は五千を数える。これはエルフの里としてはレンダールどころか、大陸全体でも有数の大きさだった。
天を貫くような巨木がいくつも立ち並ぶ森の中、その中空には、自然魔法によって生きた木の枝をより合わせ、吊り橋状の道がいくつもいくつも折り重なっていて、さらに所々では籠を編むように居住用の部屋を形成していた。
そんな部屋のうち、ひときわ大きなものの中に、族長であるサンガディファは居た。
ここは里の集会場であり、大きな部屋の中は、エルフ達でぎっしりと埋まっていた。
およそ百人ほど。木の枝を柔らかく編んだような床の上に直接、エルフ達は座っていた。
そして奥の一番高くなった場所で、族長のサンガディファが、皆と向かい合うように、やはり床に直接座っている。
ザンガディファは既に500近い歳のエルフで、体にも老いが来ている。しかし、その老いによる衰えを打ち消して余りあるほどの貫禄が彼にはあった。
エルフにしては大柄であり、鳥の羽や獣の毛皮で飾った装飾的な鎧をいつも身につけている。頭髪は一本残らず抜け落ちているものの、白の中にわずかに緑が残るヒゲを豊かに蓄えていた。
ザンガディファは苛立っていた。困惑してもいたし、迷ってもいた。
なにしろ、大事件と言ってもいい出来事が、立て続けにやって来たのだから。苦し紛れで、部族会議に意見を求めるも、良い判断はいっこうに出て来ない。
そもそも最初の問題は、里の中に最近出て来た『改革派』の存在だった。
『湖畔にて瞑想する蔓草』の部族は、長きにわたって、巫女によって森の封印を守ってきた。そして、封印を任され、そのために犠牲を払う代わりに、周辺の諸部族の長として振る舞い、貢ぎ物なども受け取ってきたのだ。
それが改革派は、『我々だけが重い義務を負うのは沢山だ』と主張し、周辺部族と負担を分かち合うべきだと考えているのだ。
ザンガディファにしてみれば冗談ではない。封印の部族としての誇りを持っている彼には、今さら追随者である部族と対等の関係になるなど嫌で仕方なかったし、何より、封印を守るという大仕事、これまでのうのうと暮らしてきた連中に何もできるはずがない、間違いなく破滅的失敗が起きると思っていた。
改革派への賛同者は若い世代を中心に意外なほど多く、しかしそれは決定的多数とならず、里の対立は深刻なまま決着が付かず傷だけを深めていた。
そんな中、あろうことか十人居る巫女の中でも次席に当たり、やがては巫女長となるはずだったサフィルアーナが狂ったのだ。
部族の威信が揺らぎかねないと危機感を抱いたザンガディファは、即座に処刑を決めた。
今時、魔法に失敗した巫女を殺すなど時代錯誤だという意見は自分に近い者からも上がったし(当然、改革派は猛抗議した)、実際、そういう状態になった者は巫女を引退して、里の片隅でひっそりと生かされている事の方が多い。
だが、ここで毅然とした姿勢を示さねば、改革派みたいな連中がさらに出て来て、ただでさえ周辺の諸部族から不安に思われているところで、部族の体面に決定的な傷が付いてしまうと判断したのだ。
まさか、その巫女に逃げられるとは思わなかった。
狂しているとは思えぬ狡猾さで、彼女は監視の目をかいくぐり、煙のように消えてしまった。
すぐさま追っ手を放ったが、その結果は……騎竜便で届けられ、ザンガディファの手に握られているレンダール王国からの抗議文だった。
追っ手は手練れの戦士でこそあったが、人間の社会には疎かった。なにしろ、ザンガディファは人間社会に関わらないことを、エルフの誇りを守る美徳と考えていたのだから、信頼できる側近にも人間社会に疎い者が多かった。
そして、人間にかかわらずとも、歳の分だけ知恵を付けていたザンガディファと違い、追っ手たちはそうではなかった。人間の城に侵入することがどれだけまずいのか、貴族を傷つけるのがどれだけまずいのか、よく分かっていなかったのだ。
抗議文には、その事と、話し合いの席を設けましょうという文言が記されていた。
持って回った嫌らしい言い回しだが、つまりは部族の落ち度に対して、国としてふんだくってやろうという話だった。
――自治を守り抜いているとは言え、この森がレンダールの中にある以上、逃げ場は無い。
くそっ……何を要求される? いや、次に向こうから動きがあるまで手をこまねいていていいのか?
改革派の連中まで勢い付いている……どう対処すればいい。
そんなわけで、終わりの見えない会議を、連日開いているという状態だった。
集まったエルフ達は、自由討議の名目でめいめいに議論をしている状態だったが、漏れ聞こえる会話を拾い集めても、名案が浮かぶ様子はない。
だがしかし、改革派の台頭よりも、レンダールの怒りよりも、それよりもさらにさらにまずいのは、ザンガディファにとっては別の事だった。
レンダールからの書状とは別で届けられた、もう一枚の書状が彼の手にある。
なぜかチラシ(『この衝撃を体感せよ! 辛さ千倍白砂糖、1kg当たり200グラン!』と書かれている)の裏に汚い文字で書かれた文書。
部族会議に諮ったところで、なぜ何百年も前に森を出ていったひとりのエルフのことなど議論しなければならないのかと不思議に思われるだろう。いくら長命なエルフと言えど、彼女を知っている者は、里全体から見ればもう多くないのだから。
それでも、ザンガディファにとっては、これこそが最も頭の痛い問題だった。
『歩く爆弾』『火の玉女』『部族史上最も手に負えない巫女』……
「フィルロームっ……! 奴が……帰ってくると言うのかっ……!」
反古紙の書状が、ぐしゃりと握り潰された。
* * *
ちょうどほぼ同じ時間、ゲインズバーグシティの冒険者ギルドでも一騒動起きていた。
「だ・か・ら! アルテミシアという小娘の行き先を教えろと言っているのだ!」
いつも騒々しいギルド支部だが、今日の賑やかさはちょっと趣が異なる。
カウンターの前に人だかりができているのだが、それはセルジオと、その護衛をしているブラック家の私兵だった。
冒険者ギルドに似つかわしくない貴族スタイルのセルジオは、黒板を爪で引っ掻くような声で喚き散らす。周囲を固める私兵も、ぴっかぴかで装飾過多の鎧を着た、まあ冒険者とは間違えられないであろう一団だ。
目的は、アルテミシア達の行き先を知る事。
誇り高きブラック家の誇り高き四男、セルジオにおいては、あのような非礼非道の振る舞いを行った腐れ耳長に一発かましてやらなければ気持ちが収まらぬ。本来今就いている仕事は調査団業務の方だけれど、国の方針が決まったと聞けば勤労意欲は燃えに燃え、噴火中の火山にも匹敵する。
腐れ耳長の同族が逃げたというなら、手荒な真似をしてでも捕まえて、森の愉快な仲間達に一泡吹かせてやろう。しかもその逃走を手引きしたのが、調査団の調査対象だった怪しいガキとなれば、もうこれは怪しい、本当に怪しい。こんなに怪しい謎を逃しては、軍に押し込んでくれた父上に申し訳が立たない。
(ただし具体的に何が怪しいかは、捕まえて洗いざらい吐かせてから考える予定)
そんなわけでビン底眼鏡のギルド事務員を先程から問い詰めているわけなのだが、彼女は全く動じる様子が無かった。
「アルテミシアさんですかぁ。そ~~~言われましてもねぇ、あの方、冒険者じゃないんで、ワタクシにはとんと分かりませんのでねぇ。勧誘してるんですけど、最近ワタクシの顔見るだけで逃げやがりますしぃ。
あ、もし冒険者だとしてもあんまり分かりませんねぇ。みんな好き勝手にあっちこっち行ってますしぃ。でへへへ」
「いいっ加減にしろ、ふざけてるのか貴様は!」
セルジオはカウンターを全力でぶっ叩き、手が痛くなって後悔した。
周りに私兵を並べて怒鳴りつけているのに、眼鏡おさげの不気味事務員はずっとこの調子。焦れたセルジオはついに、カウンター越しに彼女の胸ぐらを掴み上げた。
「やだエッチぃ。強引な殿方はぁ、女性に嫌われると思いますよ~~~ぉ?」
「女! 立場が分かっていないようだな!
これはレンダール王国の意を受けた、国軍としての正式な調査である! このセルジオ・フォン・ブラックに貴様がそうやって非協力的な態度を貫くなら…………」
キィン…………
研ぎ澄まされた刃の打ち合う、清純な響き。
喉の前で交差した三本の剣により、セルジオの言葉が斬り飛ばされた。
「な……!?」
あと1cm、前へ進めばセルジオの喉は刃に沈む。
受付嬢から手を離し、たたらを踏むようにセルジオは後ずさった。
いつの間にか、周囲を囲んでいた私兵達は床に倒れ、彼らを踏みつけて三人の冒険者が立っていて、背後からセルジオを抱え込むように剣を突き出していた。
「≪集団誘眠≫、サンキュな」
青と白銀の鎧を纏った若い男が、セルジオに剣を突きつけたまま背後に手を振る。それに応え、魔女ルックで杖を持った若い女魔術師が、本を読みながらウインクした。
「き、貴様ら……!」
「いや~~~、ほんとごめんなさいねぇ。うちら、国の機関じゃないから、レンダールでどれだけ偉い人でも関係ないんですよぉ。そりゃ、こうしてレンダールの中で仕事させてもらってますからぁ、ちゃんと法律守って良好な関係築いてますけどねぇ、ギルドへの武力行使には相応の報復があるっていうのが不文律ですよぉ? ぶっちゃけ私刑も辞さない所存」
自称優秀な事務員さんは、眼鏡を持ち上げキラリと輝かせる。
レダの非協力的な態度にだって理由がある。
国際的な組織であり、しかもアウトロー的気質が強い冒険者ギルドは、国の政治に対する組織としての独立性を守るために八方手を尽くしていた。政争や、貴族の気まぐれに引っかき回されていては、冒険者ギルドはやっていられないからだ。
そのためのルールのひとつとして、国とは対話のチャンネルを構築する傍ら、それ以外のルートからのイレギュラーな働きかけは極力排しているのだった。
国からの要請があり、そこに正統性ありと判断すれば、情報提供くらいする。
だけどそれはあくまでちゃんと要請されればの話であって、自分の仕事でもないのに私怨で突っ走ってるお貴族様のお守りをしてやる道理は無いのだった。
まして、手荒な手段に訴えられたら、正当防衛万歳、過剰防衛上等。
「おい、貴族のオッサン」
剣を突きつけているうちのひとり、軽鎧を着たいかにも新米っぽい男が、セルジオに声を掛ける。
彼ことグレッグが構えている剣は、震えている、と言うかブレていた。
「見ろよ、俺の手。怖いんじゃない、まだ俺はヘタクソで、ちゃんと剣を構えらんないんだ。このままだと手が滑って、オッサン血ぃ見るぜ」
「ひ、ひいっ! ひああああっ!」
セルジオはさらに何歩か後ずさり、その勢いのまま脱兎の如く逃げていった。
後に残されたのは、堅い床の上で爆睡中の私兵達だけ。
「お貴族さーん、後でこいつら取りに来いよー!」
「うう、俺、勢いで貴族に剣向けちまったよ。本当に大丈夫……なんスよね?」
「大丈夫だって。傷つけたわけでもねーし、向こうが悪いならギルドが守ってくれるから。つーかよくやったぞオメー、最後のタンカ、かっちょよかったじゃんよ!」
白青鎧の筋肉青年は、愉快そうにグレッグの背中を叩いていた。
「はは……俺、アルテミシアさんには恩があるんで。ほっとけなかったんで。あ、もちろん日頃お世話になってるレダさんにも」
「やれやれですねぇ……ど~~~もアルテミシアさんは、変なトラブルに縁がありますねぇ」
着衣の乱れを直しつつ、レダは溜息をついた。
今回更新前の時点で500ブクマ越えました!
更新頻度落としてもブクマを剥がさず、こうして読んで下さいまして、感謝の言葉もございません。
今後も更新を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。