9-19 赤いドリンク忘れずに
倒れた兵士を乗り越えて三人は走り抜ける。
レベッカの攻撃があまりに迅速だったので、攻撃によって倒されたとか思っている人は周囲に居ないようだった。
ただ、突然走り出した三人に驚いて、気付いた人々が道を空ける。
「勘違いだったらごめんなさい、領兵さーん!」
「勘違いじゃなさそうよ」
もしここまでやって、領兵がアルテミシアを捕まえに来たわけじゃない、ただの被害妄想だったらどうしようかと思ったが、そういうわけではなさそうだった。
脇道、正面、見てないけどおそらく背後も。
まばらながらも、しっかり道を塞ぐような配置で、シャラ領兵が身構えていた。
「包囲されてる……!」
「包囲しつつも割とガバガバ、殺気は無し。一度は気付かず取り逃がす。上の本気度は微妙、ってとこかしら」
言いつつレベッカは走る。
待ち構える領兵に向かって、真っ直ぐに。
「そこの者、止まれ!」
「はい邪魔」
「ぶぎゅ」
一応、剣を構えるだけ構えては居るけれど、威嚇だけなのは丸わかりの構えだった。
猛進するレベッカのパンチを食らって、あっさりと倒された。
しかし、さらに向こうに衛兵の姿が見える。
街を囲う外壁の門前に布陣している様子だった。
「まずいわね、街の出口の方、固められてる。突破は簡単だけど、死人出さない保証は無いわよ」
「うわ。それは人道的見地から避けたい」
「そうですっ、殺しちゃダメですよ!」
「同感。大事になっちゃうわ」
ここで人死にが出れば、それこそ言い訳無用のお尋ね者にされかねない。
レベッカは、騒ぎにならなきゃ殺して構わないくらいの考えなのかも知れないが、少なくともそれを実行はしないでくれた。
門から少し手前で、人が足りなかったのか塞ぎ切れていない路地を見つけ、そこへ三人は逃げ込む。
当然道は分からない。行き止まりに突き当たりませんようにと祈りながら、静かで狭い道をひた走った。
「どっかで外壁を越える?」
「……アルテミシアみたいにひとっ飛びで飛び乗れたら良いんだけどね、私達はポーション込みでも無理よ。体が重いもの」
無念そうなレベッカだった。
この街の外壁は、砂漠の魔物を防ぐため造られたもので、よじ登るようなとっかかりは無く、高く頑丈だ。
膂力強化ポーションを服用したアルテミシアは、屋根までひとっ飛びで飛び上がるような軽業を可能とするが、それはあくまで小さな体で強大な力を発揮しているためだった。
レベッカに比べて筋肉が少なく軽装なアリアンナさえ、自らの重さに邪魔されて、あれほどの軽業は無理だった。
「じゃ、どこかからわたしが引き上げる!」
「分かったわ」
「アルテミシア、あれ!」
短い相談を交わしていると、アリアンナが叫ぶ。狭い道の正面に現れたのは、鎧を鳴らして駆け寄る領兵ひとり。
しかし、そこはおあつらえ向きに丁字路になっていて、三人は戦闘を避けて道を折れた。ぶちのめすのはワケ無いが、それより足を止めたくない。
「こっち!」
そうして三人の猛進は、止まった。
「……待ち伏せ!?」
外壁まで、あと1ブロックという所だった。
ちょうど十字路になっている場所のど真ん中を塞ぐように、五人ほどの兵士が居た。待ち伏せかと思ったがそんな雰囲気ではなく、向こうも驚いているようで、全く偶然に行き会ってしまったようだ。
その姿は、今まで三人を追い回していたアラビアンソルジャーどもとは異なる。
――装備が違う! シャラじゃなくて、ゲインズバーグの領兵!?
ゲインズバーグシティで見慣れた姿の領兵達だった。
何故ここに、とは思うが、状況からして追っ手であるのは明らかで、かくなるうえは背後から来る領兵をぶちのめして引き返すしかないかと思ったところ。
「シッ。……こちらへ」
ゲインズバーグ領兵のひとりは、指を立てて静かにするよう言うと、三人を手招きする。
もちろん全員、揃って戸惑う。状況的に敵である、かと思われるのだが……
短い逡巡の末、アルテミシアは、彼らがゲインズバーグの領兵であるという一点に賭けた。
彼が指差す先は、木箱の積み重ねられた物陰だった。促されるままに隠れると、すぐに追っ手がやってくる。
「おい、ゲインズバーグの! こっちに来なかったか!?」
「いや、来てないぞ」
「何も来てないな」
「なんだと? 脇道へ逃げ込んだか」
「さっきまで追いかけてたんだ。探すぞ、手伝え!」
「よし、お前ら四人で協力しろ! 俺はここを見張っておく」
「了解!」
どたどたと大量の足音が遠ざかっていき、そして静かになった。
「もういいですよ」
五人のゲインズバーグ領兵のうち、ひとり残った男が言う。
「た、助けて……くれたんですか?」
「ええ、はい。この顔、見覚えありませんか」
そう言って、領兵はアルテミシアを覗き込んできた。
だいたい三十路くらいで、家庭人の良きパパという印象の男だった。
「……ごめんなさい、補足説明を」
「いや、そんな済まなそうにしなくて良いです。ここに居た全員、貴女と共にゲインズバーグ城へ突入し、ログス様を討った者です。今は別れて行動してますが、残りの連中も来てます」
「あの時の!」
そう言われれば思い出さないはずもない。
あの時は助け出した魔術師と、近場で魔物相手の警備任務に当たっていた一隊を率いて城へ突入した。そのうちひとりが彼だったのだ。
「もう察しているかも知れませんが、国軍が、貴女と同行しているエルフの女性を確保するため、各地の領兵を動かしています。情報局の担当者が貴女がたを直接追跡していて、実働部隊として現地の領兵に指示を出す形です。ゲインズバーグ領にも協力要請があり、事情を領主様から聞き……我らが出動することになりました」
「はあ……じゃ、捕まえなくていいんですか?」
もし、この行動が元で彼らの立場が危うくなったらやりきれないところだが、領兵さんはニヤリと、ワタクシ陰謀巡らしてますみたいな顔で笑う。
「領主様からは事情を説明されましたし、貴女を追うように命じられましたが、捕まえろとは一言も言われてませんので」
「えっ」
「……ぷっ。なにそれ、メチャクチャじゃない!」
「領主様、さすがです! カッコイイです!」
それは、完膚なきまでにレグリスのサボタージュだった。
懐から丸めた紙を出してくる領兵さん。
そこには、アルテミシア達の大まかな特徴だの、できれば傷つけずに捕まえろだのと、領兵に対する指示が書かれていた。
「大雑把ですが国からの指令についてまとめました。領兵を避けて進む助けになればと。我々の仕事は、領を出て最初の街であるここまでなので……追いつけてよかったですよ」
「ありがたいです、本当に……」
「あとこちらは、ルウィス様から」
言いつつ、彼は装備の上から身につけている背負い袋を漁り、小さな木箱を取り出した。
「……わたしに?」
「運が良かったですよ。皆さんを見つけたのがもう一組の方でしたら、これを渡し損ねるところでした」
開けてみると、クッションに包まれた、消しゴムみたいな小さくて白い固まりが箱に入っていた。
それから、折りたたんだ便せんも。
「へー。竜の耳石じゃない。なんかのポーションの材料になるらしいわよ」
「耳石……そんなもんまで素材になるのね」
同封されている便せんを開いてみると、それはアルテミシアがヘコむくらいに達筆な文字でメッセージが書かれている。
『とりあえず、ぼくの小遣いで買える中では一番高かった材料だ。役に立つと思うから、いざという時は使え。無事に帰ってこい』
リアクションに困るアルテミシアだった。
「マセてやがるわね、あのガキんちょ」
肘鉄してくるレベッカと、心の中でキャーキャー言ってそうな表情で口元を押さえるアリアンナ。
たぶんそういう意味じゃないから! ……と言いたいところだが言い切れないアルテミシアは、ご飯を噛まずに飲み込んだみたいに収まりの悪い異物感があった。
――と、とりあえず感謝だけしとこう。ザッツ棚上げ。
「ルウィス様にお礼を伝えておいてください。それから、ちゃんと無事で帰ると」
「確かに、承りました」
「それじゃ、ここから逃げようと思いますので、ちょっとだけ見張っててくれますか」
「ここから……ですか?」
アルテミシアが指差す先は、街の周囲を囲う外壁だ。
飲みそびれていた膂力強化ポーションを使い、アルテミシアは壁の上へと飛び乗る。
「『秘跡探検隊』!」
ローブの下で『変成服』を起動し、衣装を変化させた。
よれたシャツにレザージャケット。フードを吹き飛ばしてフェドーラ帽まで出てくる。後は鞭があればどうしようもなくインディーなのだが、ローブに隠れた下半身はウエスタンな雰囲気のホットパンツなので、あんまり探検向きではない。
重要なのは、この衣装に仕込んでおいたロープだ。
肩に巻き付けられたロープを壁の下に下ろし、反対側をしっかり持って座り、矢狭に足を踏ん張った。いくらポーションで力を強くしても、アルテミシアの体重では重石にならないので、こうやってロープにかかる体重を力で支える体勢になるのだ。
アリアンナがするするとロープをよじ登ってきて、すぐにレベッカも追ってくる。
今度は反対側にロープを垂らし、同じようにしてふたりを降ろした。
「また、何かを助けるために戦ってるんですよね?」
最後にアルテミシアも飛び降りようとしたところで、塀の下から領兵さんが話しかけてくる。
「戦ってる……と言えるのか分からないですけど、そんな感じです」
「ご武運を!」
「はい!」
敬礼に敬礼を返し、外壁から飛び降りたアルテミシアは、冷え冷えとした夜風の中を駆け抜けて行った。