9-18 ネコ、トイレし放題領
かすかな風に吹き散らされた熱砂が、さらさらと穏やかな流れを作っていた。
限りなく黄金に近い色をした丘が、いくつもいくつも連なって、ただでさえ眩しい初夏の太陽は、もはや人の干物を作る気かという勢いでギラギラ照りつけている。
「なにこれ……なにこれ!?」
「砂漠」
「それは分かるけど、さっきまで草原だったよね!?」
「すごいすごーい! 私、砂漠って初めて見た!」
アリアンナと一緒にはしゃぐ気にもなれず。
テントの窓から外を見て、アルテミシアは呆然とした。
ゲインズバーグ領の北端に辿り着いてみれば、この有様だった。
「……マナちゃん。この世界の気候ってどうなってるの? チートスキルプリーズ」
「まほうでおかしくなってる」
「うん、だいたい分かった」
マナが説明できる範囲なので、かなり大雑把だったが、概ね理解した。
魔力は自然界にも存在するし、意志ある存在によって使われなくても、その濃度によって多様な影響を及ぼす。
つまりこの世界は、あんまりマトモじゃないのだ。極端な話をするなら、上流に全く雨が降っていないのに洪水が起きるかも知れないし、砂漠の隣に極寒の豪雪地帯があるかも知れない。
「この砂漠地帯全域がシャラ領。攻めるに難く、守るにはさらに難い。何故って、魔物の中には砂漠に適応した奴も居るからね。ゲインズバーグが落ちたらシャラも落ちて、レンダールはかなり奥まで食われる、そういう場所さ。
オアシスと川沿い以外にはろくに人里が無いから、広い割に人口は少ない。そんで、ドワーフとリザードマンがちょっと多いね」
「砂漠の街かあ。寄ってみたいけど……できるだけ人里には近寄らない方がいいんだろうなあ」
そろそろ通信限界だが、フィルロームがウィゼンハプトに飲ませたという使い魔(何かの虫らしい……あまり詳しく聞きたくない)は、彼が見聞きした情報をフィルロームへ送り続けていた。
それによると、『放っておくと面倒なことになりそうだから、とりあえずあいつら捕まえるように』という命令が、ゲインズバーグ領から、目的地であるカイリ領までの道中にある領に下されているらしかった。
罪人を追いかけているわけでもないので、どの程度本気で動くかは分からないが……
「でも補給は必要よね」
「物資をもうちょっと潤沢に用意できればよかったんだけど……」
出立が夜中だったもので、用意できた食料などの物資は中途半端な量だった。
どう考えても途中のどこかで補給しなければならない。
「ま、やりようはあるだろう。ちょいと変装すればどうにか……いや、でもあたしらは街に入らない方がよさそうだね。ここでエルフは目立つ」
「人間三人なら行けるかな? ……わたしのフワフワ頭、目立つかなあ」
「それは目立つね。人相書きが回ってたら、まず間違いなく分かるだろ」
「『赤毛の大女』も目立つわよね。頭は隠しましょ。アリアンナはその一目見たら忘れない胸が隠れる、ダボダボの服を着てくこと」
「えぇっ!?」
『俺……溶けるっす…………』
未確認低空飛行物体は、砂漠地帯へと侵略を開始した。
* * *
日も暮れかかる頃、アルテミシア達は、砂漠地帯最初の街に辿り着いた。
大河のほとりの氾濫原に忽然と穀倉地帯が現れ、その向こうには迫り来る夜を照らす、暖かな色の灯火が連なる。
粘土によって作られた砂漠色の街並みがデコボコと存在していた。
「水は……いくら水の魔力が薄い砂漠でも、これだけ川が近ければ魔法で作れるよ」
「じゃあ私たちは食料調達ね。適当に日持ちがしそうなの買ってきましょ」
「荷物は空間圧縮鞄で十分入るか。……って言うかこれ、MAXでどれだけ入るんだろ」
『やっと体軽くなったんすけど……街には入れねーっすね俺』
街から少し離れた岩陰にテントを停泊させ、オバケさんには上空で見張りに立って(飛んで?)もらい、三人で街へ向かうことになった。
ゲインズバーグからシャラ領への玄関となる街、リヤ。
大部分が不毛の砂漠地帯であるシャラ領だが、それだけに水がある場所は、多くの人と活気を集めたような印象だった。
通りは、左右の建物に無秩序に掲げられた照明によって照らされていて、その中を多くの人が行き交っている。もう薄暗い時間だというのに、日よけの布を張っただけの店は、まだまだこれからとばかりにさかんに客を呼び込んでいた。
「黄昏時とは都合が良いわね」
フード付きのローブという、いかにもな砂漠の旅人スタイルで、アルテミシア達三人は市を訪れた。
ローブは身体的な特徴を隠すためだが、割と似たような格好の人も多いので、この街ならそこまで目立たない。
もちろん、念のためあまり長居しない方が良いのは確かだが。
「パンと干し肉は売ってそうだし、それから……果物も買っていい? スイカ気になる」
「ほんとだ、スイカ売ってる。あれ美味しいわよね。……っと」
「わっ!?」
突然、すぐ近くから男の子の悲鳴が上がった。
何事かと振り返れば、粗末な身なりをした痩せた子どもの腕をレベッカが掴み上げている。必死で振りほどこうとしているようだが、レベッカの手は微動だにしない。
「ちくしょー、放せよっ!」
「放せと言われて誰が放しますかってのよ」
「……スリ?」
「そー」
「よりによってお姉ちゃんを狙うか……」
人が集まる場所には、当然、そういう輩が居るものだ。犯罪で食いつなぐストリートチルドレンなんて、21世紀の地球でも珍しくないわけで、ましてこの世界では尚のこと。
それにしたって、風車に挑むドンキホーテではあるまいに、レベッカ相手では分が悪すぎる。
野良犬みたいに騒ぐ少年の声を聞き、周囲の人々はざわめいて、野次馬モードに傾き始め、そんな中で魔導ランプを吊るし帯剣した、アラビアンスタイルのおじさんが近づいてくる。
騒ぎを聞きつけた、シャラ領の領兵だった。
――なんか、ヤな流れ……
と思ったが、領兵さんは特に変な態度を取りはしなかった。
「失礼、スリに遭いましたか」
「未遂よ、未遂。放流するわけにもいかないんで、引き取ってくれる?」
「はい、ご協力感謝します」
「放せこのクソヤローども!」
「うっさいクソガキ、技を磨いて出直してきなさい」
「磨かれても困るのですが……」
暴れるスリの手に素早く縄が打たれ、引きずられていく。
領兵とスリが去って行くと、成り行きを見守っていた周囲の人々も解散ムードになっていった。
「……余計な時間食っちゃったわね。早く買い物を済ませましょ」
* * *
結論から言えば、買い物を済ませる過程は困難を極めた。
「すっごい強いのねぇ。女の人なのに戦士やってるの?」
「いやー、容赦無いねえ、あんた!」
「旅をしてるのか?」
「三人は姉妹なの?」
市のど真ん中での捕り物は、当然ながら周囲で店を出している露天商達に目撃されているわけで、興味を持たれた一行は店に寄る度、質問攻めにされた。こういう場所で店を出している商人というのは、愛想の良さが身上だし、話し好きも多いのだ。
話しかけられる度に生返事と適当な答えでお茶を濁し、どうにか買い物を追える頃には、日も暮れきって真っ暗になっていた。
「めっっっっっちゃ目立ったね」
「足取りを追われるのはしょうがない……と思って、もう割り切りましょ。行き先は割れてるわけだもの。見つかるより早く進むだけよ」
「そだね。早く行こうか」
魔法だったり、そうじゃないものだったり、種々の明かりに照らされた道は夜でも明るく、活気に溢れている。夜に賑やかになる店と言えば、飲み屋か女郎宿かというのが相場だが、意外にも普通のお店がまだ開いていたりして、通行人にも女性や子どもが少なくなかった。
暑い昼間を避けて、夜の浅い時間に行動する風習があるのかも知れない。
「すみません、少しよろしいですか?」
人の流れを縫うように進んでいると、流れをモーセ中の何者かが声を掛けてきた。
さっきの領兵のアラビアンオッサンだ。部下らしい若い衆をふたりほど随行させている。
その顔を見た瞬間、アルテミシアは『あちゃー……』と思った。
緊張の面持ち、気を張った雰囲気、それを悟られまいとする上っ面の柔和さ……
「……お姉ちゃん」
「分かってる」
短く言葉を交わし、アルテミシアはローブの下でポーションを準備する。
「何かご用?」
「先程はスリ逮捕のご協力、ありがとうございました。実は、捕らえた少年に不審な点がありまして、確認のため領兵団詰め所までお越し頂きたいのです」
「あら、その話ってここじゃダメなの?」
「人混みの中でする話でもありませんし……」
「じゃあ酒場。晩ご飯おごってよ」
「予算が……いえ、その前に、人が聞いている場所では……」
会話をしながら自然に距離を詰めていくレベッカ。
三人の領兵に向かってゆっくりと手を差しだし……
その手が電光の如く、音も無く動いた。
静かに急所を突かれた三人は、うめき声ひとつ上げずに崩れ落ちる。身につけていた武具が、ガチャガチャと音を立てた。
「走って!」
レベッカが叫ぶと同時。アルテミシアとアリアンナは、弾かれたように走り出した。