9-17 U.L.a.F.O.
新緑に色付いた景色が、緩やかに流れていく。
草原地帯で、街道からちょっと外れると、そこは獣の足跡すらそう簡単には見つからない、一面の草絨毯。見上げれば雲ひとつ無い青空を、かぐわしき初夏の風が渡っていく。
そんな、レベル1・初期装備の勇者でも薬草を囓りながら旅ができそうな、のどかさ限界突破の草原を、未確認低空飛行物体は進んでいた。
見た目を一言で表現するなら、宙に浮くテントとしか言いようがない品。
地面から1mほどの高さで浮いたままフワフワと進むそれは、半径2mほどの浮遊する円盤(分解折りたたみ可能)の上に、柱を組んで幌を張ったものだった。
『魔導浮遊盤』。ウィゼンハプトがこっそり持ち込んでいたものを強引に借り受けた、怖くて値段を聞きたくないレベルのお宝だった。
「便利な物があるのねー。これは私も知らなかったわ」
テントの窓から顔を出して風を浴び、深紅に染め直した髪をなびかせ、レベッカは言う。
確かにこのアイテムは移動手段として申し分ない。浮かんでいるから地形を気にしないし、ほとんど揺れないからお尻も痛くならない。操縦は盤のスイッチを押すだけだから馬も要らないし、のんびり走る馬車よりは速度も出る。
欠点は動かすのに魔力が必要で、しかもバッテリーの持ちが悪いことなのだが、充電器がふたりも居るので全く問題無かった。
向かう先は、エルフの刺客の原産地、マナが転生した部族"湖畔にて瞑想する蔓草"の里だった。
夜逃げ状態で荷物を詰め込んだテントの中は雑然としていて、背もたれや椅子には事欠かない状態だ。積んでいるのは、多少の着替えや、持ち運びやすい保存食(水は魔術師二人が出せるので最小限だ)、冒険用のアイテム類、それから凍り付いた木箱。そう、凍り付いた木箱。
まだ夏には早いと言えど、カンカンに日を浴びる風通しの悪いテントの中は気温が上がる。フィルロームが「暑い」と言っては、そのたびに哀れな木箱に氷の魔法をぶちこんでクーラーの代わりにしているのだった。そろそろ壊れそう。
『体が重てーっす……』
ちなみにテントの隅では、日光に弱いらしい幽霊が一匹のびていた。
直射日光で容赦なくダメージを受けるオバケさんは、たとえテントの日陰に居ても、日中の明るさがこたえる様子だ。
そんな、(約一名を除いて)快適な旅のお供は、フィルロームの昔語りやエルフの文化の話だった。
「……そう、巫女は純潔でなきゃ務まらない。300近くが巫女の年期でね、それくらいまで勤め上げると、今度は部族の男と娶せて、優秀な血を子どもに継がせるのさ。
ま、その前に結婚してやめちまう奴も居るけどね」
「へー、寿退職アリなんですか」
「そうさ、次の巫女だって部族に必要だもの」
フィルロームから聞く里の話は、聞いている分には興味深いが、自分が身をもって味わいたくはない、という感想だった。掟に次ぐ掟、非常に堅苦しく、アリか蜂のように各人に割り振られた役目を機械的に果たす社会。フィルロームが飛び出してきたのも分かる。
フィルローム冒険者時代のロマンス話は目を輝かせて聞いていたアリアンナだが、部族の掟についての話はちょっと引き気味だ。
「恋愛結婚とか、ないんです……?」
「あるにはある。が、部族の事情が優先だ。特に、優秀な血を持った巫女はね」
「なんだか……嫌です、そういうの」
「あははは、そうそう、若い者は夢を持った方がええ。
……ただ、この掟も使いようでね。ここだけの話、最近じゃ失敗しちまった巫女は殺さず、いい相手の居なかった男と無理矢理結婚させて、『結婚して辞めた』っちゅー体裁にして引退させてるって、風の噂に聞いたんだ」
「へえ。掟を利用した現実主義的で人道的な対応、ですね」
容易く覆せない伝統と、先進的価値観の悪魔合体。
文化人類学的に興味深いサンプルっぽい気がした。
……それが本当だとしたら、だが。
「マナの件を見る限り……噂は噂、ってことでしょうか」
「だね。その話を聞いた時は、あたしの故郷もちったあマシになったと思ったんだけどね……」
「ちがうよ」
苦虫ガム咀嚼中みたいな顔のフィルロームに、レベッカの魔導ランプを調べていたマナが、異議を申し立てた。
「えっ?」
「あのね、ほんとなの。まほうにしっぱいしても、ふつうはころされないって、おねーちゃんがいってる」
マナは、エルフの巫女サフィルアーナとしての200年の記憶を、自分に声を掛けてくれる何者かのアドバイスと捉えているらしかった。つまり、これはつい最近まで里に居た、サフィルアーナの記憶。
「噂は本当だった……? じゃ、なんでマナだけこんな事に?」
「わかんない」
「だよねえ。……直接乗り込む前に、近くで情報収集するかな。状況が掴めるかも」
「賛成だ。周りの部族に聞く手もあるし、人間の街で交流のある商人を探すってぇ手もあるね」
話にひと区切り付いた所で一行はテントを停め、昼食の準備をする事にした。
* * *
さすがにテントの中で調理はできないので、火を使うなら外に出る事になる。
草を刈り倒した上に魔導コンロを置いて、フライパンでお好み焼きっぽいものを作る事になったのだが、意外にもここでマナが役に立つ。
チートスキルで知識を引っ張り出したのか、サフィルアーナの知恵か、辺りから食べられる野草を掻き集めて来て、ついでに調理もやりたがる。
「まあ……こういうの、子どもはやりたがるよね」
アリアンナの監督下で、おっかなびっくりだけど楽しそうにフライ返しを使うマナは
「ぶくぶくしてる!」
「やけた!」
「こげてる!」
やっているのは自分なのに、逐一報告してくれた。
「フィルロームさん。あの、フィルロームさんが言ってた『鬼札』、そろそろ見てもいいですか? 話だけでまだ実物を見てないんですけど……」
調理が進んでいる間に、お茶の準備をしたアルテミシア。
手が空いたので、待つ時間にと、フィルロームに話を振ってみた。
「そうさね……うん、周りに勘付きそうな奴は居ないね。見せるとしよう」
辺りの気配をひと通り探ってから、フィルロームは何やら取り出す。
それが、どこから取り出されたのか、アルテミシアは気がつかなかった。手品のようにフィルロームの手の中に、急に現れたような気がしたから。
自ら緑色に輝く宝石だった。
以前見た『妨害符』みたいな朧な光じゃなくて、魔導ランプみたいに眩しくて、まるで脈打ち瞬きしているかのように錯覚する、有機的な輝き。
治癒ポーションの色を、一般的に翡翠色と言うのだけど、こっちの方がよほど翡翠色と言うのにふさわしい。
「これ、は……一体……」
「あたしらは単純に『森の秘宝』って呼んでる。化け物を封印してる場所から、ごく稀に……何十年かに一回だね、出て来る品さ。具体的にどうやって発生するかは、あたしらでさえ知らなくて、気が付けば転がってるんだ。
アイテムとしての効果を言うなら、これを持ったまま殺されると、秘宝の力で体が再生されて生き返ることができる。寿命が尽きてない限りね」
「……自動蘇生! それってすごいんじゃないですか!?」
「ああ、そうとも。人間のお偉いさんだったら、大金と引き換えても……それどころか何十人か殺してでも欲しがるだろうよ。だからこそ、あたしらはこれを秘中の秘としてきた」
なるほどねー、と納得しかけてアルテミシアは凍り付く。
「知られたら大騒動……ですよね? 何気になんちゅー危ないもん、何百年も森の外で持ち歩いてんですか」
「うははは! バレなきゃーいいのさ、バレなきゃ!」
確かにバレなければいいのだが、バレようと思ってバレないなら苦労は無いわけで、もはやツッコむ気すら起きない。
「でも、あたしらにとってこれはただの便利なアイテムじゃあない。部族の長が信頼できる者に与える、名誉の証。そして、次代の族長を選ぶに当たって、秘宝を持つ者は自分が推薦する者に、族長の証としてこれを渡す。最も多く集めた者が族長になるのさ」
「つまり部族長選挙の投票権で、王権の象徴でもあるわけですか」
「そうさ。みんな、これを封印の部族が役目を果たしたために与えられた、恩寵だって信じてるからね。それだけ大事な物なんだ。……これを渡すと言えば、まず間違いなく奴らは目の色変える」
そう、何を置いても手に入れたいほどのものだろう。
フィルロームが言った通り、交渉のテーブルに引きずり出す事はできるはず。
後は交渉手腕の問題だ。
「策はあるかい? アルテミシア」
「もうちょっと、部族の掟とかについて聞いてもいいですか? 手があるかも知れません」
こちらが何をした時、相手が何を考えるか?
それが分からない限り、交渉の作戦なんて立てられない。
「いいよ、だけどその前に……」
「できたー!」
「……お昼ご飯、ですね」
マナがバンザイをして、料理の完成を喜んでいた。
「どれどれ……うん、よくできてる」
お皿の上に並んだお好み焼き的な感じの物体は、かなり歪ではあるものの、食べる分には問題無さそう。立ち上る粉物の匂い。きつね色から焦げ茶色までとりどり取りそろえた選べるバラエティー。中には刻んだ干し肉も入っていて、具として入れた野草が彩りを添えていた。
「お姉……レベッカお姉ちゃんの分は肉抜いたよね? よしオッケー」
「これが、おにくはいってないおさら。これが、アルテミシアおねーちゃんの。これがおばーちゃんの。これ、アリアンナおねーちゃんの」
「……お皿四枚?」
何枚ずつか、粉物を積み上げたお皿が、四枚。
どうせ物を食べられないカルロスは要らないとして……
「……マナちゃん、要らないの?」
「まな、たべなくてもだいじょうぶだから……まなのぶんもやいたら、こながなくなっちゃうの」
しょぼんとした様子で、それでもいじましく言うマナ。
荷物が増えすぎないよう、持ってきている食料は多くない。多少余裕がある程度だ。
食材を使いすぎないようにとは、料理が始まる前に言い渡してある。
マナは物を食う必要が無い体だ。
だから食べない、というのは合理的な選択なのだけれど……
「子どもが遠慮すんなー! 食べろー!」
「むぐっ!?」
アルテミシアは割り当ての皿から、一口サイズのものを掴み上げて、マナの口に押し込んだ。
「……おいしい?」
「うん!」
「アルテミシア、年齢的には貴女の方が子どもだから一応言っておくわよ」
微笑ましそうに見守りつつも、レベッカはツッコミを忘れなかった。