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9-14 救われざるクルーン

 時間を少し戻して、アルテミシアが襲撃されるより数時間前。

 領城でアルテミシアに捕らえられる事になる弓エルフことグリンデークは、昼飯時のカフェでひとりの人間の男と向かい合っていた。


 残されたふたりで、どうにか早急に使命を達成するため、グリンデーグたちは大急ぎで情報収集をしていた。

 使命を邪魔した者達へどう対処するか探るため、ふわふわ頭アルテミシアの後をつけたグリンデーグは、彼女がポーション工房で働いていることを突き止める。怪しまれるのを覚悟で工房の者に対する聞き込みを敢行したが、成果は芳しくなく、焦りだけが募っていたところでこの男に出会ったのだ。


「なルホど、この領を救ッた英雄ノ妹なる少女なるか」


 慣れない人間語でどうにか意思疎通を図る。

 男は妙に饒舌で、聞いてもいないことまでベラベラ喋った。何故か、男はふわふわ頭アルテミシアについて詳しく、住まいや人間関係についても知っていて、それを惜しげも無く披露してくれた。

 もっとも、邪教徒の疑いがあるとか仕事の態度が悪いとか、よく分からない悪口が山盛り詰め込まれていて、必要な情報を選別しなければならなかったが。


「しかし、何故こんな事を聞くんだ?」


 思い出したように男がそう質問してきたのは、もう散々話を聞いた後だった。

 本当なら最初に言い訳をしておこうと思っていたのだが、男はその前に喋り始めたのだ。


「少女ハ、我らの里に敵対シタ可能性ある。だから探っていル」


 普通なら自分の行動に疑念を抱かせないため、『ある人に言われて失せ人を探している』みたいな言い回しにするものだが、ふわふわ頭アルテミシアに対して悪意を持っている様子の男になら、こういう言い回しの方がウケるだろう、と考えたグリンデーグ。


 その言葉を聞いて、男は、何かを思いついた様子だった。


「なぁ、ものは相談だが……」


 * * *


 平静を装っているダニエルだが、神経質そうな細面には、焦りの色が浮かんでいる。


「……いきなり何を言い出す」

「材料の使用記録を調べました。今日、あなたがレシピ開発に使用した材料は、普通に使えば迷彩ステルスポーションを作成可能です」

「それはそうだ。今日は迷彩ステルスポーションのレシピ改良に取り組んでいた」

「朝は別の材料を持ち出していたのに、昼過ぎになっていきなりこれらの材料を持ち出した」

「……レシピの改良を思いついたからだ。だから予定を変えてすぐに試した」

「そうですよね、いい隠れ蓑です。レシピ開発の主任であるあなたなら、一服や二服分の材料を浪費しても、開発の失敗で言い逃れできる」

「何が言いたい!」


 近くの机に手の平を叩き付け音を出すという、由緒正しきゴリラ的作法で苛立ちを表現するダニエル。

 しかしアルテミシアは追及の手を緩めなかった。


「では質問を変えましょう。あなたは昨日から今日までの間に、わたしのことを誰かに話しませんでしたか? ……わたしについて質問する誰かと、接触しませんでしたか?」


 八割方そうだろうとは思っていたが、あとはカマ掛けだった。

 しかし、ダニエルは奥歯を噛んだような表情で目を剥く。その反応が何よりも雄弁に物語っていた。


 あのエルフ忍者どもは、アルテミシア達の身辺を調査していた。

 クリスティーナに声を掛けたということは、アルテミシアの勤め先である工房で働いている者相手に情報収集を行っていたということ。

 その対象として、ダニエルに声を掛けてもおかしくない。


「わたしは先程、二人組のエルフに襲われました。そのうち片方が持っていたポーションの瓶、なんですけどね。わたしが今日、傷つけてしまったものだったんですよ。床に落として」


 ダニエルの瞳孔がすぼまった、ような気がした。


 アルテミシアも、まさかとは思った。傷が付いた瓶なんてこの世界に山ほどあるだろうし、自分の記憶が間違っている可能性もあったから。

 しかし、捕らえられたエルフの証言は『アルテミシアについて教えてくれた工房の男が迷彩ステルスポーションをくれた』だった。別に秘密を守ってやる義理も無いと思っているようで、聞けばあっさり答えた。


「傷ついた瓶は、ガラス工ギルドに引き取ってもらうまで、出荷用のものとは分けて管理しているはずですが……どんな理由でどこが割れたなんて全部記録してるわけじゃありませんから、ひとつやふたつ無くなっても気にされないはずです。

 こっそり持ち出して、こっそりポーションを入れて、こっそり渡した。違いますか」

「ふ、ふふふ……」


 骨張ったダニエルの肩が震えている。

 恐怖、だろうか。いや、やがて、その震えは彼の全身に伝播した。


「ふふふ、ふは、あはははははは! それがどうした、だから何だ!」


 自棄を起こしたように、自嘲するようにダニエルは笑った。


「それがどうしたと言われましても、そもそもあなたは、今回、流通が規制されている材料を勝手に使って、同じく規制されているポーションを作って、誰とも知れない相手に渡したわけじゃないですか。

 分かりますか? その時点で立派な犯罪ですよ」

「ああ、そうか、犯罪か。バレるとは思わなかったよ。だってなあ、いくら規制されてるったって、盗賊ギルドにでも頼みゃ、いくらでも手に入るポーションじゃないか」

「そういう問題じゃないと思いますけど」


 考えてみれば、おかしな話だったのだ。

 もし最初から迷彩ステルスポーションを持ってきていたなら、最初の襲撃で使っていればもっと優位に戦えたはずだ。

 出し惜しみをしたのでないなら、あれから二度目の襲撃までの間に手に入れたことになるわけで。

 だが、材料の流通すら規制されているポーションを、人間の街でどうやって手に入れたのだろう? 領城へ平気で忍び込んで、邪魔な貴族をぶん殴るくらい世間知らずのエルフが? 怪しむのは当然だった。


「エルフさんは取り調べなうです。じき、あなたの事を突き止めて、領兵がここに来るでしょう。ですが……」


 本来なら、それで十分。刺客への協力者は捕らえられ、めでたしめでたしだ。

 だけど、アルテミシアは敢えて、それに先んじてここへ来た。


 今を逃せば、ダニエルと話す機会は二度と無いかも知れないと思ったからだ。


「その前に教えてください。どうして、こんな事をしたんですか?

 わたしは……平穏無事な生活を送りたいんです。誰かに激しく恨まれたり、嫌われることは……うん、まあ、ある程度はしょうがないですよね。人って好き嫌いありますし、合う合わないもありますから。

 でもやっぱりできれば避けたいので、思う所がありましたら聞きたいんです」


 ダニエルの動きが、人形のように一切停止した。

 だが、それは僅かな時間のことで、細く開いた口から、聞き逃してしまいそうなほどの声が紡がれる。


「俺は……荷運びの親父と、果物の呼び売りをしてるお袋から生まれたんだ。親も兄弟もみんな、まともに学問なんぞやっちゃいないが、俺には……それができた」


 質問に答えず自分語りから始まってしまったが、まあ話の前提として聞いておくべき事なのだろうとアルテミシアは静観する。


「親は貧しい暮らしの中から、なんとか金を出して俺に勉強をさせた。俺は寝る間も惜しんで勉学に打ち込んだ。血を吐くような努力をして国から奨学金をもぎ取り、大学へ行った。金が足りない分は、兄貴や弟まで働いたし、俺も勉強の傍らで働いた。そうまでして俺は魔法薬学を修め……今の地位に居る。

 俺は、まだ上へ行かなきゃならないんだ。でなきゃ、これだけ家族に苦労させた意味も、俺が苦労した意味も無ぇ。大学を出た俺なら、実績次第で……レンダールのギルドの総長グランドマスターにだってなれるはずだ」


 それ自体は確かだろうとアルテミシアは思った。

 この世界で、高等教育を受けた人材は貴重だ。体系的に学問を修めた知的エリート階級なら、それだけで上へ行けるはず。あとは実績さえあれば、国内のトップまで行けるかも知れないというのは言いすぎではない。


「なのに……何故だ!」


 崩れ落ちたダニエルが、両手を床に叩き付けた。


「なんでお前みたいなガキが俺よりも上に居る!

 血の滲む努力の果てにここまで辿り着いた俺よりも上に!

 俺が一生努力しても届かないだろう場所に!

 どうして、お前みたいな奴が居るんだっ!」


 そう言いながら、懐にダニエルは手を入れる。

 抜きだした手の中にはポーションの瓶が握られていて、そして、アルテミシアの抜刀の方が早かった。


 膂力強化ストレングスポーションの小瓶が、ダニエルの手の中で砕けた。


「え……は?」


 ダニエルが間の抜けた声を漏らす。

 アルテミシアの手甲から伸びた爪。

 抜き打った直後なのでまだ薬は刃に浸されていなかったが、ミスリルの刃は切れ味十分。

 間合いピッタリ、瓶を砕いた刃は、ついでにダニエルの指を三本ほど切り飛ばしていた。


「あ、い、いでぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「落ち着いてください。それ以上、短絡的な手段に訴えようとするなら……わたしは身を守るため、戦わなければならなくなります」


 血を流す右手を抱え込むようにしてうずくまるダニエル。


 自分と家族の苦労を無駄にしたくない、という想いから、ダニエルは上昇志向を抱いていた。

 そんな彼にとって、自分より上の存在は、誰であれ、蹴落とさなければならない競争相手。

 超常的ハイペースでレシピ開発に当たっているアルテミシアは、やがて巨大な壁となるように見えた、のだろう。……アルテミシアはギルドで出世するなんて言う、組織内政治がクソ面倒くさそうな事をする気はゼロだから、ダニエルの敵になる可能性も皆無だったのだが。


 自分の行く道を脅かされるという、敵意と危機感。そして嫉妬心。それが、ダニエルが抱えていたものだった。


 ダニエルに、アルテミシアは、敵意も哀れみも抱けず、ただ悲しさをもてあましていた。


「辛い話をさせてしまって、ごめんなさい」

「……うる……せぇよ。ガキに……何が分かる……」

「分かります。……分かるんです。わたしだって、以前は、誰かに勝てるものなんて何も無かったんですから」


 少なくとも転生する前はそうだった。

 だいたい、人生というのは悲しいくらいに公平フェアだ。才能があるほど、家の資産があるほど、その他諸々……スタート地点が有利なほど、それに従って順当に優位を得る事ができるという意味で。

 その点、通野拓人の人生も、大きなアドバンテージがあったとは思えない。真面目にコツコツ努力しているつもりでも、自分を平然と追い抜いていく人々の背中を何度も見てきた。

 まあ、その最たる問題は世渡りのための要領の悪さだったと思うが……


 かつて、転生前に抱いていた、何事も手に入れることができないという無力感と、ダニエルの感情は少し違うかも知れないが、その痛みを推し量る事はできる。

 だから、ただアルテミシアは悲しかった。ダニエルの突き当たった、もうアルテミシアには動かしようのないバッドエンドが。


「……あのエルフ、わたしが領城に居る時に狙ってきたんですよ。ポーションを使って忍び込み、わたしをさらおうとして……しかもその際に、『悪魔災害』の調査に来ていた調査団の貴族さんを傷つけました」


 ダニエルがはっと顔を上げた。

 脂汗を流しているのは、たぶん指を切られたせいだと思うけれど、顔がみるみる青くなっていく。


「そんな、だって……調べるだけだって……!」

「まさかそんな言葉を信じたんですか? 初対面の素性も知れない怪しい相手が言った言葉を。あいつらは目的のためなら人間の社会の事情なんか知ったこっちゃないんですよ。……協力したあなたの立場もきっと……」

「あ、ああ、ああああ……破滅だ……破滅だ……」


 領城に忍び込んだうえに貴族を傷つけるなんて、どうしようもない大罪だ。

 頭に血が付くのもかまわず、ダニエルは髪をかきむしった。


「……ノーマンさん、これ」


 彼の前にアルテミシアは、治癒ヒーリングポーションの小瓶を置いた。

 ダニエルは状況が飲み込めないという顔で、アルテミシアの顔とポーションの瓶を見比べる。


「指、綺麗に切れたと思うんで。すぐにそれを飲めば、繋がります。たぶん」

「お前の……ほどこしなど……」

「指が無いと、調合にも不便ですよ。

 この国の刑罰はよく分かりませんが……死刑にならないことを祈ります。あなたの技術と努力は、きっと、また、世のため人のために使える機会があるでしょうから」

「う、うう……あああ……」


 アルテミシアはそれっきり、うめき続けるダニエルに背を向けて部屋を出て行った。

 窓の外には、領兵の一団が迫りつつあった。

ここまでで9話前半という感じです。引き続き後半をお楽しみください。


前回投稿後、累計1000ポイントと400ブクマを越えました。

ありがとうございます。これからも頑張っていきます。

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