赤い雪
目を瞑ると、昔の楽しかったことや嬉しかったことが思い出されて、嫌になった。眠いし、眠りたいのに、眠れない。私はただただ舌打ちするばかりだった。
雪が降り続き、屋根に積もった雪で、時折、家中がミシミシといっている。雪かきをしなければ、と考えながら、でも体は動かさなかった。
その日も、雪が降っていた。簡単に造られた暖炉に火をつけ、薪を燃やす。私以外、誰もいない空間に、パチパチと暖炉の火花の音だけが響いた。
暖炉の前で椅子に座り、本を読んでいると、コンコンッとドアの方からノックが聞こえた。私が住んでいるのは山奥。こんなところに何の用だろうか、と怪訝な顔をしてドアを見つめた。するともう一度、コンコンと、ノックが聞こえた。そして次は「ごめんください。助けてください」という声も聞こえた。その声を聞き、私は立ち上がり、ゆっくりとドアを開けた。
そこには男が1人、立っていた。鼻は赤くなり、かぶっている帽子は雪が積もっている。男は私がドアを開けた瞬間、ホッと安心した顔になった。
「どちら、様ですか?」
私は男を見てそう問う。
「あ、道に迷ってしまいまして……助けていただけないでしょうか?」
白い息を吐き、そう告げる男。吹雪のせいで道に迷い、この家を見つけてたずねた…というとだろう。私は近くで死にたえられるのは困る…と、男を家の中へ入れた。
「すみません、ありがとうございます」
男は家の中へ入り、ほぅっと息を吐いた。
「靴はそこで脱いでください。カバンはその端へ、帽子と上着はこちらへ。乾かします」
私は男に指示を出し、男は「は、はい」と慌てながらもその通りにやった。受け取った帽子を上着を洗濯物干にかけ、キッチンへ向かう。ホットミルクを手早く作り、男に差し出した。
「わぁ!ありがとうございます」
嬉しそうに頬をゆるめ、ホットミルクを受け取った。
「ここには、あなた1人で?」
ふぅ、とホットミルクをさましながら、男はそう聞いてきた。私もホットミルクを一口飲み、答える。
「私1人です。貴方も1人ですか?」
ゆっくりと、ホットミルクを飲んでいる男見ながら、そう問う。
「はい。僕も1人です。1人だとダメですね、道に迷ってしまいました」
苦笑しながらそう言う男に、そう、とだけ答えた。つかの間の沈黙。何か話すべきか、と思案していると、「あの、」と声がかけられた。ホットミルクを見ていた目を男の方に移すと、申し訳ないような顔をしている。
「僕の事は気にせず、どうぞお休みになってください」
お休みに、と言われても生憎私は眠れない。思わず顔をしかめてしまった。すると、何を勘違いしたのか、次はあわてた様子であわあわと話し始める。
「す、すみませんっ!僕がいると眠れないですよね…」
そうじゃないんだけど…と心の中でつぶやき、カップに視線を落とす。どう言おうか迷って、おのずと答えは出た。
「いえ、寝ます。でもあなたも寝てください。そうじゃないと寝れません」
気を遣わせるまい、と私はそう言う。男は虚を突かれたような顔をしたが、ホッとした顔になり、「わかりました」と安心した声で言った。
雪が降っているからわかりにくいが、今は夜。私は端にあるベッドを男に譲る。
「っえ!い、いえ、僕はこのソファで十分です!!」
申し訳なさそうに慌ててそう言う男。私はどうせ寝れないし、横になるのも嫌だから、意地でも男にベッドを譲ろうとする。
「私はあまりベッドを使わないんです。どうぞ使ってください。ずっと置いておいてもベッドがかわいそうですし…。私はソファで寝る習慣があるので、大丈夫です」
どうにかこうにか言いくるめようと、私は奮闘する。「お願いします」から始まり、「ベッドで寝ていただかないと凍死します。主に私が」という意味不明な半ば脅しのように聞こえる事も言ってやっと男は折れてくれた。私はソファにかけておいた毛布を自分にかけ、ベッドに目を向ける。
「あ、えっと…ありがとうございます。すみません…」
といいながら、ベッドの中に入っていった。
「いえ、気にしないでください。逆にベッドを使ってくださりありがとうございます」
私がそう言うと、男は軽く苦笑し、「いえ…」と呟くように言った。
「では、おやすみなさい」
私がそう言うと、
「はい、おやすみなさい」
と返して、男は毛布をかぶって体を倒した。私もそれを見届けた後、背にもたれ、ゆっくりと目をつむる。だが、やはりそう長くはつむっていられなかった。すぐにパチリと目を覚まして、あたりを見回す。はぁ、と浅いため息をついて、私は覚悟を決めてもう一度、目をつむった。
夜も更けてきた頃。私は微かな物音がして、目が覚めた。元々眠りが浅い…というかほとんど眠れないので、少しの物音でも目が覚めてしまうのだ。そして辺りを見回すと…、
部屋が、荒れていた。
「っ!」
驚きと混乱で、頭がグルグルする。ふと、ベッドのにも視線を向けた。そこには、誰もいなかった。
まさか…
もう一度、辺りを見回す。…すると、ガサゴソと何かをあさっている影を見つけた。
「!…何、してるんですか?」
私はその影の方を睨んでそう言う。すると、ガサゴソとあさっていた者は手を止め、こちらを振り返った。暗闇に目が慣れた時、その顔は見えた。この顔は…
「ッチ。なんで起きてんだよ」
ゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってくる、男。
「ど、うして…」
この男は、ベッドで寝ている筈なのに。男があと数歩で私のもとに着く、というところで、私は本当の恐怖に陥った。
男の手には刃物が、握られていたのだ。殺される。直感でそう悟った。恐怖で体が震えながらなんとか立ち上がり、頭をフル回転して、逃げ道を模索する。もう男がそこまで来ている。私は走り出した。
「なっ!おい、待て!!」
男も走って追ってくる。家の中じゃすぐ捕まる…。そう思った私は、なんの迷いもなく外に飛び出した。
外は雪は積もっていたが、降っていなかった。裸足で出たため足元が寒い。しかし、そんなことにかまってはいられなかった。私は、減速せずにそのまま走る。あと少しで森がある。熊や鹿は冬眠しているし、そこで男をまけば…なんて考えていたら、突然腕を掴まれ、と思ったら、腹に激痛。
「う…っあ……」
あまりと痛さに、息が止まる。力が入らなくなり、そのまま倒れる。右手をお腹の方へやると、手は真っ赤になった。…これは、血。段々と死が近づいてくる気がした。精一杯、力を入れて目を開く。男が、面倒くさそうに私を見下げていた。
「あーあ、死ぬな、こいつ。ったく、てこずらせやがって。ま、もう俺には関係ねぇけど」
怒り、怒り、怒り。
どうして私はこんな男に殺されなければいけないのか。頭の中に、怒りが溢れる。でも、もう力が入らない。私は何もできなかった。男は、私を一瞥して、とっとと家に入って行った。強盗なのだろう。ああやって困っているフリをして家に入り、家の者が寝静まった頃、金品を狙う。どうして。どうして私が……。
そんな怒りを覚え、突然、そんなことを思う資格が私にあるのか、ふと考えてしまった。そんな時、走馬灯、というのだろうか、私は見たくもない過去が頭の中に流れ込んできて、いやでも思い出してくる。
私は元々、お金持ちの貴族だった。父と母、そして妹が2人の5人家族。父は厳しい人だったけど、それなりに幸せだった。
ある晩、厳しい父の事を殺そうと忍び込んだ者がいた。しかし私達は、妹の誕生日だったため、遅くまで起きていたのだ。忍び込んだ者と鉢合わせ、その者が私たちを見逃すことはなかった。妹2人は殺され、母も抵抗の末殺された。私は、隠れていた。家族が殺されているのを間近で見ながら、ただただ隠れていた。それを知っていた父は私の元まで走るが、殺された。殺した男を憎いと思った。でも、それ以上にそうなった発端である父だけが殺されればよかったのに、と思ってしまった。そんな考えがよぎった私は自分に絶望し、体がガクガク震えた。殺した男がいなくなった後、私は隠れていたクローゼットからソッと出た。部屋は血しぶきで汚れている。吐き気がした。私はその吐き気を抑え、簡単に持ち物をまとめ、家を出た。最期の父の顔が今でも顔から消えない。
最低最悪の場面を思い出した時、私はもうしに抵抗はしなかった。できなかった。私に資格はなかった。
でも私を刺した男は憎い。あんな親切、しなければよかった。……そんな事を考える資格も、私にはなく、これは運命だったのかもしれない。
そんな時、ガタガタッという何かが崩れる音と、男の叫ぶ声が聞こえた。微かな力で上を見上げると、私の家は、もう無くなっていた。雪に埋もれ、ただの山と化していた。男は多分、生き埋めになったのだろう。ざまぁみろ。私は笑った…と思う。もう力が入らない。頭を下に下げる。寒い。寒い。また雪が降ってきたようだ。もう帰る家もない。居場所もない。私はここで力尽きようと、死に体をあずける。
最期に見たのは、綺麗な白い雪に、汚れた赤い血が、白と混ざり合う、赤い雪だった。
fin.