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月の光

作者: 横井けい
掲載日:2015/07/16

 背中を冷たい風が撫でて、思わず身震いをした。さらさらと、茂った草木が乾いた音を立てる。僕はふいに空を見上げた。月は見えない。そこにあるのは分かるのに、水で薄めた黒い絵の具のような、もやもやした雲が覆い隠してしまっている。

 とたんに心細くなってきた。失くし物が見つからない。どこかにあるはずなのに、影も形も見当たらない。一体どこで失くしてしまったのか、いつ失くしてしまったのか。確実な心当たりもない。それどころか。

(……何を、探していたんだっけ)

 大事な物だった。何にも代えられない物だった。なのに僕は、それが何であったのか忘れてしまっていた。色も、形も、手触りも。においも、温度も、想い出も。何にも思い出すことが出来なかった。確かなものは、胸にぽっかり穴が空いてしまったような、虚しい気持ちだけ。

「探し物かい」

 とぼとぼとあても無く歩いていると、囁くような声が聞こえた。びっくりして後ろを振り返ったけれど、誰もいない。いるはずもない。ただ、薄ぼんやりした月が、こちらを見下ろしている。

「そっちじゃないよ。君の足元」

 声は暗がりから聞こえてくる。促されるままに視線を落とすけれど、ムカデがそろそろと這っているだけだった。

「ねえ、誰もいないよ」

 そう言った僕の声は、思ったよりもずっと小さくて平坦だった。

「ああ、そっか。もう少し待っててよ。月が出るから」

「月?」

「そ。……ほら、もう雲が切れる」

 声に促されて後ろの空を振り返る。月を覆っていた鈍色が、墨を洗い流すように流れていく。すると、金色に輝く月が姿を現した。黒猫の真ん丸な目のように、らんらんと光っている。同時に、僕の足元にも変化が訪れる。僕の影が、みるみるうちにその形を描き出していく。

「君が、喋ってたのか」

 僕は嬉しくなって、思わずその場にしゃがみ込んだ。そのせいで丸い形になってしまった影を、僕は地面ごとさりさり撫でてみる。これなら、一人でいるよりだいぶ気が楽だ。それに、探し物をしていてもはぐれることはないだろう。

「そうだよ。残念だった?」

「そんなことない。どうして?」

「夢見がちな君のことだから、『失くした物が呼んでる』って、そんなファンシーなこと考えてるんじゃないかと」

「そうか。そう考えた方がよかったかもね」

 月の光が夜を照らす。雲のベールを取り払われた月は、遠慮なく僕らを注視して来る。痛いくらいの視線と光線が、僕の背中に降り注いでいる。

 光が強くなるにつれて、僕の足下――影の世界には変化が訪れた。はじめ、影は草木と僕のもの以外にはなかったのに、いつの間にか小さな生き物達が蠢き始めていた。僕は驚いてそこかしこを見渡すけれど、僕の側には何の姿も見えない。影の世界で、影だけが蠢いていた。それは虫だったり鳥だったり魚だったり、見慣れた形だったり奇妙な形だったり。僕はしばらくの間、食い入るように地面を泳ぐ魚群や鳥の群れを見つめていた。そして、ある考えがふと頭をかすめた。とりあえず、このままあても無くふらつくよりは幾分か可能性があるかもしれない。

「ねえ、こんな満月には、面白いことのひとつやふたつ、起こりそうなものだよね」

 僕は、影に話しかけた。上ずってしまわないようお腹に力を込めたのに、声がちょっと震えてしまった。影はへえ、と訝しげな声を上げた。そういう事に関して、影は異様に勘が鋭いらしい。

「まあ、満月だからね。時計が夜の十三時を打ったって不思議じゃない」

「そう! じゃあ、扉を開けたら不思議な庭に出ることだってあるわけだ」

「満月だからね。そこでみなしごの女の子に会うこともあるかもしれない」

「それなら! その女の子と仲良くなって一緒に遊んだり、時々喧嘩したり、小さな頃の彼女や大人になった彼女とも会えるかもしれないね?」

「満月だからね。もしかしたらいつか庭の外で、二度と会えないと思っていた女の子と奇跡の再会を果たすかもしれない」

「それなら! それなら今日は――満月だ!」

 言い終わった頃には、頬が燃えるように熱かった。涼しい風が僕らの間を抜けていく。さわさわと木の葉の鳴る音が聞こえた。

「出たな、ファンシーお化けめ。君は一体、何を考えているのかな」

「僕もそっちの世界に行けるんじゃないかと思って」

 僕はまっすぐに影を見据えて、言った。影は一瞬、言葉に詰まった。

「来られない、ことはないよ。でも、どうして好き好んでこんな所……」

「失くした物を探しに行くんだ、すっごく大事なものだから。こっちでいくら探しても見つからないから、もしかしたらそっちにあるかも知れない。そこの鳥とか、魚みたいに」

「もし見つけられたとして、その後はどうするの? それを持って帰って来られるとは限らないよ」

「それは、見つけてから考えるよ」

 しばらくして、影はやれやれと言う風にため息をついた。

「わかった。連れてってあげる。しっかり掴まって」

 地面から、真っ黒な腕が生えてきた。僕のと同じ、多分子供の腕。僕は頷いて、その腕を掴んだ。次の瞬間、ものすごい力で引っ張られた。目の前がぐらりと傾いて、勢いに任せて頭から地面に突っ込んで行く。

(ぶつかる!)

 僕はぎゅっと目を閉じて衝撃に備えた。でも、僕は地面にぶつかることは無かった。とぷん、と水に落ちるような音がして、僕の体は、地面に吸い込まれてしまった。思わず目を開くと、徐々に視界が真っ黒く塗りつぶされていく。僕が最後に見たのは、頭上で金色に揺らめく大きな月だった。



 地面に飲み込まれてからどれくらい経っただろう。少しずつ感覚が戻ってきて、僅かながらに風が吹いているのがわかった。追い風だ。よくよく聴くと、しゃらしゃらとガラスの小さな粒がぶつかり合うような音が聞こえる。それに、風に乗って弦の震えるような音も。その間を縫うようにして、僕らの呼吸の音が聞こえる。

「着いた。目を開いてごらんよ」

 隣で聞こえる声に従って、僕はゆっくり目を開いてみた。

「どう?」

「――わぁ」

 目を開けて真っ先に飛び込んできたのは、行灯みたいにぼんやり光る生き物達だった。影の世界を蠢くものたちは、みんな淡く光っていた。赤だったり、黄色だったり、紫だったり。月の光を七色に反射して、きらきらと光っていた。反対に、草や岩、木なんかは真っ黒な色をしていた。

 きれいだと思った。昔、母さんによく読んでもらった本の絵に少し似ていた。あれはどんな話だったっけ。たしか、二人の男の子が汽車に乗って夜空を旅する話だった気がする。そうだ、それで母さんと僕らの三人で――

「行こう。失くしものを探すんだろう?」

 また手を引かれて我に返った。僕の右手を掴む手は、相変わらず黒い色をしている。僕とよく似た背格好の、よく似た声をした、真っ黒な人間。僕は不思議だった。ついさっき初めて話をしたばかりのはずなのに、なんで、こんなに懐かしい気持ちがするのだろう。どうして他の生き物達は光っているのに、君は真っ黒のままなのだろう。色々な疑問が浮かんでは消えて行く。

「そうだね、行こうか」

 僕は、考え事を一旦やめた。今は探し物を優先しなきゃ。


 僕は自分の影に連れられて、黒い林の中の色々な場所を訪れた。そこで出会ったものは、どれもこれもへんてこで奇妙なものばかりだ。


 最初に出会ったのは、リンゴによく似た果実だった。「不可逆の実」というらしい。一番初めに種があって、普通の植物のように成長して行くのだけれど、実を付けた瞬間から枯れ始めてしまうのだそうだ。それに、生った実には種が入っていないので、子孫も残せず枯死してしまう。これはなんのために生まれてきたのだろうと、説明されて僕はやるせない気持ちになった。

「種にしてみたら、いつどこでどうやって死ぬのかなんて、その時になってみないと分からないんだよ」

 影は答えた。顔まで真っ黒で表情なんて分からないのに、どうしてか少し悲しそうな顔をしているような気がした。それから、僕らはどちらからとも無く歩き始めた。同じ歩幅で、同じ歩調で。どうやらこれは僕の探し物では無かったようだ。


 次に出会ったのは、割れない卵だった。「しあわせな卵」というらしい。親は卵を産むとどこかへ行ってしまうようなので、どんな生き物なのかは分からない。そのかわり、卵の殻はえらく頑丈に出来ていて、どんな衝撃や外敵からも守ってくれるのだそうだ。僕は正直ほっとしたけれど、影は最後に「殻があまりにも頑丈だから、中の赤ん坊にも破ることができないんだ」と余計な説明を付け加えてくれた。中身の確認も出来ないから、今僕が持っている卵が生きているのか、そうでないかも判別することが出来ない。思わず卵を握りしめて、僕は泣き出してしまった。それでも、卵は潰れなかった。

「仕方ないよ。僕らには、どうしようもないことなんだ」

 影になだめられて、僕はひとしきり泣いた。何だか、前にもこうやって慰めてもらったことがあるような気がする。僕らはそっとその場を後にした。どうやらこれは僕の探し物では無かったようだ。


 三番目に出会ったのは、地中に暮らす鳥だった。影が捕まえたその生き物は、黒い手の中で芋虫のようにもがいていた。「チホウドリ」というらしい。名前の由来には諸説あるようで、地を這う鳥だから「地這う鳥」、飛ぶことを忘れたから「痴呆鳥」、地方でしか見られないから「地方鳥」などなど、挙げたらキリが無い。でも、その見た目は鳥というより甲羅の無い、毛が生えた亀だ。小さく退化したくちばしや鉤爪のついた脚を除けば、鳥類の特徴らしい特徴は全く見られない。

「飛ぶことを止めたから、鳥じゃなくなっちゃったんだ。今にただのモグラみたいになるよ」

「モグラみたいになっても、チホウドリはチホウドリだよ」

「いいや。そのうち鳥だということも忘れられて、モグラの一種だったってことにされるよ」

 影はその生き物を茂みの中へ放った。チホウドリは不格好に何度かバウンドして、こそこそと土の中へ潜って行った。

「チホウドリ、嫌いなの?」

「嫌いだよ。翼があるのに飛ぶのをやめちゃったんだもの」

 後から後悔したって遅いんだから。影は独り言のように、呟いた。心なしか、握り込んだ拳が震えているような気がした。

 僕らは無言のまま、その場を後にした。どうやらこれは僕の探し物では無かったようだ。


 最後に出会ったのは、空飛ぶ魚の群れだった。今までも何回かすれ違ったけれど、みんないそいそとどこかへ行ってしまったから、じっくり見るのは初めてだ。下から見上げると、銀の腹がきらきらと光る。

「綺麗だね」

「本当だ。昔見た天の川みたいだ」

「これにも、変な習性とか生態とかがあるんでしょ」

「あるよ。聞きたい?」

「いや、いいよ。見てたら分かったから」

 どうやら、水場と水場の間を飛んで移動しているようだった。飛んで行く方向を決めるのは一番大きな一匹で、それに付き従うように小魚達が群れている。空中を飛んでいるうちに、魚の数が、一匹、また一匹と少なくなっていく。力尽きた魚は、白い粉のようになって消えてしまった。さっきから群れは同じ場所をぐるぐると回っているだけだ。次の水場が見つからないらしい。そうこうしているうちに、魚の数が半数以下に減ってしまっていた。地面が徐々にさらさらした粉で覆われていく。

「奴ら、『潮』っていうんだけど、空中じゃ息が出来ないんだ。だから、道に迷ったりすると酸欠と乾燥で群れごと死んじゃう」

「水の中から出なければ良いじゃないか」

「そうすると次は、増えすぎて全部餓死しちゃう。だから、こいつらは空中を泳ぐしか無いんだよ。なかなかに難儀だろ」

 僕は粉に近づいて、上の方を少しつまんで舐めてみた。

「……塩だ」

「だから、この辺の水はしょっぱいんだよ」

 父さんみたいな口ぶりだ。でも、今の影の口の利き方は、父さんの口ぶりと言うより、父さんの口まねをする誰かにそっくりだった。

 それに気付いて、僕はしばらく、その場に座り込んでいた。

 ――何で、僕はこんなに大事なことを忘れていたんだろう。

「そろそろ失くし物は見つかりそうかい」

 影が隣に座り込む。魚の群れは、一匹残らず塩になってしまった。きらきらと、砂のように舞い落ちて行く。

「……その前に心が折れそう」

「昔から君は、どうでもいいことに感情移入しすぎるんだ」

「やっぱり君は、僕のこと何でもお見通しなんだね」

「そりゃあ、君の影だからね。何でも知ってるよ」

 影は笑って言った。僕は、改めてその真っ黒な顔を覗き込む。顔は見えない。でも、僕には分かる。僕と瓜二つの男の子の顔が、そこにはある。

「違う、違うよ。僕の影なんかじゃない。君の名前は、本当の名前は――」

 声が詰まった。喉が苦しくて、うまく言葉にできない。途切れ途切れの僕の言葉を押し止めるように、彼は手をあげた。

「ストーップ。ここでその名前を出しちゃいけないよ。帰れなくなる」

「だって、だってせっかく見つけられたのに」

「だーかーらー、初めに言っておいただろ。失くし物を見つけても、持って帰れるかは分からないって」

「でも……!」

「だめったら、だめだ。僕はもう、そっちには帰れないの! だってほら、体も無いし、ベッドだって片付けちゃっただろう」

 ぼろぼろと涙を流す僕を見て、ぼやくように影は続けた。

「君ばっかりずるいなあ、本当。僕だって泣きたいよ。未練ばっかりだもん。父さんと母さんにも、友達にも会いたい。だから、余計にそっちには行けないよ。手を伸ばせば届くのに、触れられないなんてもどかしいばっかりだ。もっと辛いだけじゃないか。自分の力じゃどうにも出来ない辛さは、君だってよく分かってるだろうに」

 僕は鼻を啜って頷いた。不可逆の実、割れない卵、チホウドリ、潮の群れ。一つ一つを思い返してまた鼻の奥がツンとした。目から涙が溢れそうになる。

「じゃあ、そろそろ帰ろう。道がなくなっちゃ困るだろ」

 僕は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらもう一度頷いた。影はそれでこそ僕の兄弟だ、と肩を組んだ。僕はこの時気付いてしまった。その言葉尻が、頼りなく震えていたことに。組んだ肩口が、少しだけ濡れていたことに。僕はできるだけ強い力で影の肩を抱き返して、「歩くぞー!」なんて大声を出してみた。影も負けじと「夜のピクニックだ!」なんて声を張り上げてはいたけれど、やっぱり涙は止まらなくて、終いには二人して迷子のように大声を上げて泣きだした。

 泣きやんだ後も、僕らはみっともなく洟を啜りながら歩いた。二人でぽつぽつと話をしながら、逆さまの月が照らす黒い道をゆっくりゆっくり歩いて行った。どこまでも、どこまでも。この時ばかりは、僕ら二人で、ずっと遠くまで歩いていけるような気がした。



 はたと目覚めるとベッドの上だった。でも、いつもより大分天井が高い。一瞬自分がどこにいるのか分からなくて、二、三度目をしばたいてみる。

 僕ら――いや、僕の部屋だった。天井が高いと思ったのは、僕が少し前まで二段ベッドの上段で寝ていたからだ。部屋の中は暗いけれど、カーテンを閉め忘れた窓から月の光が差し込んできている。上半身だけを起こして時計を見ると、午前二時だった。なんだかとても長い夢を見ていた気がする。

 窓辺に視線を移すと、鉢植えの紫苑が月明かりに照らされていた。つい先日花をつけたそれは、部屋の床に長い影を落とす。

 僕は空を見上げた。窓の外の、やけに明るい満月と視線がぶつかった。

 すると、鼻の奥がむず痒くなって、僕は大きなあくびをした。もう一度寝よう。朝まではまだ大分時間がある。

(おやすみなさい。良い夢を……)

 ふと、そんな言葉がよぎった。我ながら、なんだかおかしいなあ、と思う。おやすみを言う人なんて、ここにはいないのに。

 僕は頭まですっぽりと布団をかぶると、目を閉じて寝の体勢に入った。すぐにうとうとと、甘く心地良い眠りがやってくる。不思議と満たされた気持ちのまま、僕の意識は深い眠りの中へ落ちていった。


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